洗脳講演と僕 無職.ep0

大学3年生の時、大学の大講堂にマ◯ナビの就職キャリアアドバイザーが来て、大層なご説法を述べている間、"視えてはいけないモノ"が見えてしまった。それは、おばけなんかより怖くて、現実の自分に呪いをかける「疑問」だった。

"この宗教野郎が言ってることばの、一体どこが、"普通"なんだよ・・・?"


僕はありきたりな小学生の頃も、めっちゃ楽しかった中学生の頃も、クソつまらなかった高校生の時にだって、朝早く起きて学校に行き、夕方まで勉強して帰って来ること自体には何も疑問を感じていなかった。
一般的な社会のシステムに組み込まれていた。
そして、それをそこまで苦痛に感じたこともなかった。

もちろん、友達と喧嘩したり、先生に怒られる予感がしてイヤな日くらいはあったけれど、学校に行くこと自体を疑問に思ったり、拒絶しようと思ったことはまるでなかった。

僕はいわば、学校教育に正しく洗脳されることが出来ていたわけだ。
適切に洗脳されることができていた。

教育とは洗脳である。
洗脳というと悪いイメージに囚われがちだが、秩序を持った集団で円滑な社会を形成するために、同じように考えるような思考回路を持つ人間を生産する学校教育だって洗脳だ。社会を効率的に円満に回すための、いわば良い洗脳だ。

わざわざ疑ったりせず、不服に感じることもなく、押し付けられていると感じることもなく、僕にとって学校とはふつうに朝行って、ふつうに勉強して、ふつうに夕方帰って来るところだったのだ。みんなとおなじ、それがふつう。めでたしめでたし。

それに対して、このワックスで頭をガチガチに固めたツーブロ男が目の前で説いている、きもちのわるい言葉は一体なんなんだろう?
1年後の僕たちの”ふつう”について語られている言葉らしい。

「成長」「努力」「立派な社会の一員として」「責任のある」「これからのキャリア」「価値のある人材」「ライフステージ」「社会のため」「生活のため」「家族のため」「家庭を持って」「大人としての責任」「社会人としての責任」「定年まで」「約40年間以上」「キャリアアップ」「新卒という価値」「自分の価値を示す」「大卒として」「出来てあたりまえ」「最低限そこまでは」「未来をつくる」「成長」「成長」「自己実現」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」「成長」

生きるために、お金を稼いで、そのために毎日8時間を費やす……?
8時間である必要があるのか?それを40年間……?何を言ってるんだこいつは。40年間だぞ、今まで産まれてから生きてきたこれまでの、倍以上の時間を、そんなことに費やすのか・・・?生きていくためだけに?

俺がいま聞いているこれは洗脳じゃないか?
50年後に教科書で見たら、学生に狂ってると思われるような光景なんじゃないか?ヘリを撃ち落とすために竹槍の練習をしろと言われているようなものなんじゃないか?でもこの洗脳に疑問を持ってはいけない、社会はそのようにして回っているからだ。

壇上近く、熱心な学生は言われた通りに手帳を持ち、赤ベコのようにコクコク頷きながらメモを取る。
「今こそこそスマホを弄ってるような奴は社会で絶対通用しないから。」
ツーブロの激励が飛ぶ、ちらほら灯っていたホール中段のスマホの明かりが消える。
最後方にいるチャラついた学生たちはそもそも、そんな疑問を持つような知能は持ち合わせはいないし、どんな世界でもうまくやっていけるような顔をしてる。
あれ、じゃあ俺は今、どこに座っているんだっけ。

一度「疑問」が視えてしまったら、もう歯止めは聞かなかった。
不登校の子に対して「なんで学校行かないんだろう、楽しいのに」「イヤも何も、だって学校は行かなきゃいけないとこだろ?」と無邪気に思えていた頃のような楽観的な思考回路ではなくなっていた。視えてはいけないはずだった景色が見えてしまった。本当に急におばけが視えるようになってしまったみたいだった。

ああ、僕はこの部分に関しては正しく洗脳されることができなかったんだ、洗脳漏れが起きている、冗談じゃない。
今まで学んできた常識では、そこは疑問を持ってはいけないところだって頭では分かっているだろうが。普通はそんなことを考えてはいけないんだ。
どうして疑問に思っているんだ。

今からもう一度学生をやれと言われても、僕は学生をそつなくこなすだろう。朝から学校に行って、夕方帰って来る。
もちろんめんどい日もあるけど、成績や単位が取れるようにちゃんと通いながら勉強をする。
それが普通だから、学校はそういう所だし、それに対して疑問を持つことも特に意味のないことだから。

でも、目の前で言われていることの意味がわからない
毎朝9時から18時まで労働・・・?それに責任が伴って何十年も続く・・・?それは人生じゃなくて労生じゃないか?いや違う、俺のほうが間違っているんだ、社会の常識の方が正しい、俺の考えていることはあまりにも子供じみている。バカなことを考えるな。

社会人としての責任・・・?義務・・・?産まれてきてしばらく生きてきただけでなんでそんな責任が生まれるんだ、そんな責任は産んだ親側が果たすべきだろ。果たしてから産めよ。なんだよ義務って。
俺は悪意を持って人を傷つけたりもしてないし、犯罪だってしていないのに、なんでそんな責任と義務が生じるんだ。
いや、そんなことは考えちゃいけない。俺はもう22歳でそんなことに疑問を持つ時期はとっくに終わってるはずなんだ。いつまでミュウツーの逆襲みたいなこと言ってるんだ。


結局そのまま僕は就職活動をしなかった。
その後ろめたさをごまかす代償行為のように卒業研究に打ち込んだ。
代わりに自分としてはとても良いものが発表できたけれど。

卒業式の日、会場の大ホールで進路が決まっていない学生の座席にだけ、
卒業後の進路を尋ねる白い紙が置いてあった。
全体で見ればその紙が置いてある学生は2%もいなかったと思う。

どうやら、98%の人間が、あの日の洗脳講演に疑問さえ抱かなかったか、
あるいは疑問を抱いていても「仕方のないことだ」「そんなこと言っても生きていくためにはしょうがないだろ」と割り切るしかなかった正しい側の人間だった。

俺だって、割り切るしかない側の人間なのに、親だって金持ちじゃあない、生きていくには働くしかないはずだ、そのはずなのに。どうして。どうして就職活動をしないままここまで来たんだ。

どこで間違えたんだ、どこで洗脳が解かれたんだ、父親が毎朝トイレでゲロ吐きながら仕事に行って適応障害やったからか?母親が無理して働いて若いうちに大病をやったからか?知人の部下が仕事場で飛び降りて鬱になったのを見たからか?一体どこで、どこでこの疑問が芽生えてしまったんだ。
どうして、このアレルギー症状のような生理的嫌悪感が止まらないんだ。
たった今、この期に及んで卒業してしまうまで。

僕の大学生活は終わった。
しかし、なんであろうと働かなければならない。
モラトリアムは終わったんだ。
無職やニートは絶対にダメなことなのだ。
それが僕がここまでの人生で教わってきたルールだったはずだ。

新卒採用という大きすぎるメリットをわざわざ捨て、卒業してから初めバイトを始めた。酒蔵の倉庫のデータ入力のバイトだ。そして1ヶ月で辞めた。

そのたった1ヶ月でいろいろな学びがあった。
良い大学ではなくとも、大卒というだけでひどいやっかみを持つ大人がいること。

デスクの上に足を乗せながら取引先と電話をし、電話を切った後で「死ね」や「ぶっ殺す」などと発言する大人がいること。

「こんな仕事も出来ないんじゃ他に行けるとこなんてないよ」という大人が本当に存在すること。

社会にいる大人のほとんどは、人に物事を教えるための教育を受けた"先生"ではなく、普通に学校を卒業して、職場に合わせたスキルの経験を詰んだだけの、ただ自分より歳を取っただけの人間であること。

こうして僕は22歳にして本物の無職になった。
そして初めてレールから外れた。
一度レールから脱線しないと視えない景色があった。
レールを脱線しなければ優しくしようと思えていなかった人たちと出会った。普通じゃないと言われる人たちに少し優しくなった。

浅はかで愚かで馬鹿な僕は、実際に自分がその立場になってみるまで、そのような立場の人間に優しくしようだなんて思ったこともなかった。
自分が傷つくまでまで彼らが傷ついた背景を考えようなんて思いもしなかった。

失敗して間違って、初めて人生には人それぞれの背景があり、文脈があり、環境があると本当の意味で理解した。
人と出会うたびに「どうしてこの人はこのような考え方をするんだろう?」と考えられるようになった。
それは学校では学べなかった、仮に教えてくれていたとして、自分のスキルとしては身につけることができなかった視点だった。
自分なりに落ちる所まで落ちて初めて手に入れることが出来たスキルだ。

そうして挫折をし、5年間たっぷり無職をしてその間に培った「人の背景を考え、人に優しくしようと思えるスキル」を活かせる場所として、福祉の末端に関わるようになった。

そこには子供の頃に想像していたような大人がたくさんいた。
僕が本来「これが大人なんだ」と思っていたような大人がいた。
人の傷に思いを馳せ、どうしたらよりノーマライゼーションを保障し、エンパワメントできるかについて考えている大人が。

自分だけの個人的成長、他者との競争、のし上がり、パイの奪い合い、搾取とは真逆の
「どうしたら人に喜んでもらえるか」を考える場所だった。

そこで働くようになって、人々から感謝され、謝金を貰って、
ようやく気づいた。
なんだ、そもそも、本質的に競争なんかに向いてはいなかったんだ。と。

逆に、なんで競争的で常に自分に"成長"と言い聞かせなきゃいけないような仕事だけが僕の中で"仕事"だったんだ……?

ああ、マ◯ナビ……リ◯ナビ……キャ◯タス……
お前らか……そうか、お前らが理系の人間に向けて「理系の人間なら」「文系とは違って」「大卒の人間なら」「今あるスキルを活かして」みてえなことを散々言ってたな。

僕だけが洗脳が解けてしまった!と当時は思っていたけど、僕はまだあいつらの言葉に洗脳されていたんだ。

向こうだって商売だ。そして人身売買のプロであり、資本主義の勝者だ。
20歳そこらのガキが自分たち都合の良く行動するように洗脳するなんて屁でもない。高度なマニュアルがあり、時には優越感を刺激し、時には劣等感や焦燥感を駆り立て、自分たちの企業の商材になってもらおうと巧みに洗脳を施す。
しかも、やっている側は大学とWin-Winの関係で、社会的に正しい行いとして洗脳処置を施せる大義名分がある。そりゃ働いているほうが正しいに決まってるもんな。

今、「社会向いてないかも」って思ってる大卒のお友達。

もしかしたらまだ洗脳が残ってないか?Dodaとかで転職先を探してないか?
農業をして土に触れることが向いてるかもしれない、林業をで木を切ることに爽快感を感じるかもしれない、車の運転が楽しいかもしれないのに選択肢から完全に外してないか?男の毛を抜く職場だって、女の爪を塗る職場だって、犬の毛を切る仕事だってパンを焼く仕事だってあるのに。結婚式の準備をすることが向いてるかもしれない。他人に家を勧めることだって向いてるかもしれない。

そもそも家庭が裕福なら週2、週3労働だって出来るかもしれない。
妬まられたり羨ましがられることはあっても本来決して悪いことではないはずなんだよ。

「◯◯しなきゃ痛い目見るぞ」「◯◯しなきゃ生きていけないぞ」って、
誰が言ったんだそれ、今考えたら本当は誰に都合が良い言葉だったんだよ。

「毎日スキルアップをしなきゃいけない」「俺はあいつよりは上だ」「あいつより俺は能力が低い」というその業界内や職種に植え付けられた競争感と焦燥感に狩られてないか?

お前がほぼ無意識に見下している業種への価値観は、植え付けられたものじゃないか?お前が毎日快適にウンコをするだけでも、トイレを設計した人、トイレを付けてくれた職人、清掃員、ウンコを流す水道局、水道メンテナンス業者、その配管を作った人etc…無限の仕事によって成り立っているのに、どうして自分の今の業種の、今の仕事の、今の職種のスキルアップ以外に価値がないと決めつけて他人と比べて落ち込んでいるんだ。

それは!!!!!!!
ほとんど!!!!!!!!!!マ◯ナビリ◯ナビキャ◯タスなどの!!!!!!!!!合法人身売買企業の洗脳教育による洗脳です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(陰謀論)

だから、あれ、最初の主題からして何が言いたかったんだっけな、俺。
こんなところに着地するはずじゃなかったんだけどな。
途中までいい話っぽかった気がするんだけどな。まあそれはさておき。
とりあえず一旦、自分が思い込んでる向き、不向きとか常識とか空っぽにしてさ。考えすぎて気が狂う前にさ。

仕事とか転職で悩んでるキミ、俺といっしょに1回洗脳解いてみない?


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