「始めようか天体観測」天文サークルに入った話 〜そうして知った痛みを未だに僕は覚えている〜
BUMP OF CHICKENの藤原基央さんがご結婚されました!おめでとうございます。
バンプと共に青春を駆け抜けた私たちは、数々の楽曲が人生とリンクしています。
そんな私のプチ黒歴史メモリーをつづります。
BUMP OF CHICKENのファンになったのは2005年、中3の頃でした。
韓流ドラマ全盛期の我が家には、スカパーが導入されスペースシャワーTVやエムオンなどの音楽チャンネルが常時垂れ流し状態でした。BUMP OF CHICKENを始め、さまざまなアーティストと出会い音楽を聴くことが好きになりました。
2000年代初頭の誰もが辿った道かとは思いますが、BUMP OF CHICKENのことをもっともっと知りたいけれど、当時、よくわからなかったのです。
(今のように気軽に情報にアクセスできませんでした。)
とりあえず手に入る限りの音源を中古で手に入れ、MDに録音しました。プリ帳にニコルの絵を真似して描いて、好きな歌詞を色ペンで書きました。英語の自習ノートに「強く望んだら望んだ分だけ隠したナイフはスルドくなるもんさ」とか書いてました。音楽雑誌も買って何万字インタビューだろうが読みまくりました。「Fujiki」を見た時はこんな気の抜けた感じの字なんだ!とドキドキしました。佐倉市の位置も調べました。それまでラジオを能動的に聞いたことはありませんでしたが、スクールオブロックやラジアンリミテッドをバンプの声が聞いてみたくて聞き始めました。ネットでポンツカも聞いてみました。ezwebで検索して見つけた、バンプの歌詞入りの画像を携帯に保存しました。「supernova」で藤くんが着ているシャツに似ている黒シャツを、イービーンズ地下のハンジローで見つけて妹と買ってみたりしました。ビデオポキールを擦り切れるほど見ました。中学の頃はバンプが好きな人に出会えませんでしたが、高校に入ったらバンプ好きな先輩やクラスメイトがいて、バンプの話ができる!と興奮したものです。フジテレビドラマの「天体観測」の中で、楽曲が使われており、しかもスクールオブロックの“やましげ校長”こと山崎樹範さんが出演していることも知りました。2002年の放映当時は小学生だったので見ていませんでしたが、レンタルか何かで後から見たんだと思います。
フジテレビドラマ 天体観測(2002年)
大学の天文サークル「サジテリアス」で出会った7人の男女のその後を描いた作品です。
これを見た中学生の私は、心に誓いました。
「大学に入り、天文サークルで星空を眺め夢を語り合う仲間を作る……」
あとバンプと関係ありませんが、当時どハマりしていた2004年のドラマ「オレンジデイズ」を見て
「大学に入り、妻夫木くん的な人たちとオレンジノートを交換したりキャンプに行く青春を送る……」
とも、誓いました。
この二大モチベーションのお陰で、無事大学に合格し、天文サークルと軽音サークルに入部しました。「兼部」というやつです。
入ってから、わたしの脳内サジテリアスは崩れ落ちました。
①オダギリジョーも伊藤英明もいない
当たり前ですが、いませんでした。妻夫木聡もいなかったので、オレンジの会のほうも未結成です。
②スケジュールがきつい
当たり前ですが、天文サークルの活動は基本的に夜で、実家から2時間かけて通っていた私にはスケジュール的にハードでした。夜に車を出して、山や公園に星空を見に行ったりしました。流星群の日には、朝まで数をカウントし続けました。岩手の山奥に、観測旅行にも行きました。
③ガチすぎる
一番のギャップはこれです。脳内サジテリアスの中でイマというほうき星を追いかけていた私は、部員の交わすガチな天文の話に全くついていけませんでした。大学の専攻自体が理学部天文系のメンバーも多く、部室でさらりと飛び交う素粒子や惑星探査の話に頭がハテナっちでした。色々と教えてくれましたが、ついていけない世界にずっといるのはつらいものです。文学部の私は、もっとこう、ギリシャ神話の星座の話をしながら夢を語り合うのかと期待していました。「藤原基央がプラネタリウムに実在しない穴を開けたけど、あの星の名前は、なんだと思う?」みたいな、そういう恥ずかしい会話もしたかった。誰もBUMP OF CHICKEN聞いてなかったし…。
聞けや!!!
半年参加しましたが、文化祭での企画の準備など、そもそも知識の無い私にはスパルタでついていけず、辞めてしまいました。習い事、バイト、部活、会社など、自ら辞めた経験は後にも先にもこの一回だけです。中学生から憧れた夢が憧れのままで終わってしまった、苦くて恥ずかしい思い出です。
そうして知った痛みが、未だに僕を支えているんですけどね!!!!!
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