見出し画像

球界きっての"言語化の達人"はなぜSNSで発信をしないのか。


noteを始めて、2か月近くがたつ。
あらためて思うのは「書くことでこそ、書き手は人とつながることができる」ということだ。

記事では昔の話を書いてきた。
その際、記憶があいまいな部分は、事実関係を確認しなければならない。

それは、取材対象の皆さんに久々にやりとりをするいいきっかけにもなる。
昔話に花が咲く。知らなかったエピソードを教えてもらうこともある。

公開後もしかり、だ。先日はアメリカから連絡をもらった。
今季からメジャーリーグのシンシナティ・レッズでプレーする、秋山翔吾選手だ。

「プロ意識のせめぎ合いを感じました」

noteで前回書いた、浦和レッズの阿部勇樹選手についての記事を読んでくれての反応だった。

彼はいつも丁寧に感想を伝えてくれる。取材の意図をくんでくれる。
西武ライオンズの現場で取材をさせてもらっていたころから、ずっとそうだった。

ボール②


2017年1月。西武担当になったばかりの僕は、連日西武第2球場に足を運んでいた。
そこでは選手たちが、2月のキャンプインに備えて自主トレをしていた。

実はそのころすでに、転職をすることをほぼ決めていた。

日刊スポーツを退社する時期までは見えていなかったが、いずれにしても自分には時間がない。選手たちに、自分がどんな記者なのかを早くわかってもらわないと。そんな焦りがあった。

雑談の機会ひとつであっても、無駄にはできない。
だから、毎日「この選手と話す機会があったらこの話を」と"話題リスト"をつくって現場に出ていた。

その日、秋山選手向けに準備していた話題は、くしくも「浦和レッズの阿部選手」だった。
2人は遠征先の神戸で西武と浦和の宿舎が一緒だった際に知り合い、食事をともにする仲になっていた。

そして阿部選手は、僕が西武担当になったことを、秋山選手に知らせてくれていた。
午前9時、球場に現れたところで声をかける。秋山選手は「聞いてますよ。よろしくお願いします」と丁寧にあいさつを返してくれた。

ペン


今日も現場に来たかいがあった。

満ち足りた気分で、秋山選手らが行う自主トレの様子をみていた。
我ながら単純なものだ。記事を1行も書いていないのに、なんだか仕事が終わったような気持ちになっていた。

いつもなら「次はどんな話題を準備しておこうか」と考えるところだ。
だが、この日はそれを怠ってしまっていた。

スマホが震えた。同僚からのLINEだった。少し長めの返信をするため、操作に没頭する。
送信終了。顔を上げた瞬間、ハッとした。気づかぬうちに、秋山選手が目の前にいた。球場から室内練習場に向かうところだった。

反射的に、秋山選手に歩調を合わせて歩きだす。
周りに他の記者はいない。1対1。自分のことをさらに印象付けるチャンスだ。だが、まったく準備が整っていなかった。

話題がない…。きわめて不自然な間が生じた。
秋山選手が不思議そうな顔をしている。仕方ない、なんでもいいから…。

「秋山選手って、東南アジアに行ったこと、あります?」
「えっ?」

ボール②


ちょうどその前日。
長くお世話になっている大宮アルディージャのクラブスタッフさんから、ラオスでのサッカーの普及活動についてお話を伺っていた。 

「スポンサーさんも日本の政府も応援してくれるし、こっちには可能性しかないよ」

その言葉に、心が揺さぶられていた。部数減に悩む新聞業界に身を置き続けた僕には、ものすごくまぶしく思えた。 

だからつい、秋山選手の横で話題選びに困ったときに口走ってしまった。「東南アジア」と。

次の瞬間には悔いていた。何を言ってしまったんだ。
どう話題を引き取ろうか、必死で考えた。だが、こういう時ほど会話は迷走する。

「Jリーグには、東南アジア進出を目指すクラブがいくつかあって…。プロ野球はどうなのかなと。例えば、秋山選手が野球未開の地に行って、子供たちへの普及活動をするとか」

言いながら、頭を抱えたくなった。唐突に唐突を重ねてしまった。
秋山選手は、何も言わなかった。それはそうだ。返す言葉にも困るだろう。

室内練習場の入り口が近づいてきた。
僕はほぼ試合を放棄していた。少しずつ歩みを遅くして、距離を取る。会話を打ち切って、選手を練習に送り出す時の流れだ。

だが、秋山選手は急に足を止め、こちらを振り返った。
そして、真っすぐにこっちを見て言う。

「それって、僕がやった時に、どんな意義が打ち出せますかね?」

ペン


秋山選手と僕は、その場でしばらく話し合う形になった。

なぜ、他の選手ではなく、自分なのか。
サッカー選手ではなく、プロ野球選手が現地に行くことの意味は。

「確か、うちの球団も東南アジアの各国に野球用具を配るボランティア活動をやっていたはずです。そういう流れがあるから、決して唐突ではないですよね」
「西武鉄道やプリンスホテルが進出を考えている地域だったら、より大きな動きに発展させられるんですかね」

あごに手をやり、小さくうなずきながら語っている。
そして再びこちらを見て、こう言った。

「僕がそこに関わるなら、最低でも侍ジャパンに選出されてないとダメですね」

ボール②


室内練習場。ピッチングマシンを相手に、秋山選手がバットの芯で投球を捉えた快音を響かせている。
それを見ながら、僕は先ほどのやりとりの余韻で、なんとも言えない気持ちになっていた。

記者の質問に対して、アスリートが真摯に答えてくれる。それだけでも十分にありがたい。
こちらの意図が伝わらない。あるいは選手側が取材対応に意味を見出していない。そんな理由から、やりとりが通り一遍で終わってしまうこともよくあるからだ。

秋山選手の対応は、そうした次元とはかけ離れていた。
記事として自分が描かれる必然性を、ものすごく真剣に考える。その上で、言葉を発する。

だから「対応」という表現はきっと正しくない。もっと主体的。「発信」と言えばいいのかもしれない。
自分の言葉に、きちんと責任を持つ習慣があるのだと感じた。それは国内のシーズン最多安打記録を保持し、常に取材攻勢にあう立場にあるからなのか。あるいは生来のものなのか。

苦し紛れに話題を振ったことを、ただただ申し訳なく思った。
この誠意、責任感に釣り合うだけの取材準備をー。記者生活最後の数か月のテーマが、そこで決まった。

そしてもう一つ。約束しておかねばならないと思った。あれだけ真剣に考えてくれたのだから。
打撃練習を終えて、室内練習場を出てきた秋山選手に、僕はもう一度声をかけた。

「いつか、東南アジアに同行させてもらう取材企画を準備します。その時はぜひ、検討してください」

ペン


言葉に責任を持つ。主体的に発信する。
秋山選手のそうした姿勢には、その後も感銘を受けることばかりだった。

彼は記者からの質問の意図をはかりかねた時も、あいまいにはしない。必ず「それって、どういうことですか?」と確認する。

記事も必ず読んでくれている。気になる点があれば「こないだの記事なんですが…」と自分から話しかけてきた。記事の表現に込めたこちらの考えを確認した上で、意見を伝えてくる。

記者冥利に尽きるやりとりだと感じた。
ファンのために。業界のために。よりよい発信をつくるための協力関係。かといって、馴れ合いではない。常に緊張感も共有する。

2017年5月31日。僕は日刊スポーツ新聞社を退職した。
わがままを言って、最後に1本、ネット向けの記事を書かせてもらった。


スマホ


日刊スポーツを辞めた僕は、LINE NEWS編集部に移って仕事を始めた。

新天地にも慣れた2018年1月。秋山選手から連絡をもらった。

「記事、読みました」

浦和レッズの阿部選手に、サラエボに恩師オシムさんを訪ねてもらい、自分も同行して記事を書いた。それを読んでくれての反応だった。

次に会ったら伝えようと決めていたことを、僕はそのタイミングで切り出した。

「次は秋山選手に、ご協力をお願いしたい。東南アジアに行きませんか?」

サプライズのつもりだった。だが、秋山選手はこう即答してきた。

「ありがとうございます。12月の最初の週、3日から7日まではあけておきます。よろしくお願いします」

ボール②


そのシーズン。秋山選手は西武ライオンズを10年ぶりのリーグ優勝に導いた。
「最低でも侍ジャパンにいないと」という言葉通り、11月の日米野球にも日本代表として出場。打率3割5分という好成績も残した。

その分、オフは多忙になった。
番組出演のオファーが立て込んだ。イベントへの出演依頼もひっきりなしだった。そしてその合間を縫って、トレーニングもしなければならない。

野球を知らない東南アジアの人々にも歓迎してもらえるように、と秋山選手は「日本代表」の肩書にこだわった。その結果、渡航の日程を確保するのが難しくなってしまった。少し皮肉なようにも感じた。

そんな折、本人から連絡が来た。「ごめんなさい」。やはり、そうだよな。予期していただけに、あきらめもついた。

だが、続く言葉は、予想とはまったく違った。

「予定を1週、ずらしていただくことってできますか?」


こうして、約2年越しの約束が果たされた。
記者人生の中でも特別な取材、特別な記事になった。


スマホ


これだけ言葉を大事にして、責任を持って発信ができるのだ。
「SNSでの発信を始めてはどうか」と勧めたことがある。

秋山選手は今季からメジャーリーグに活躍の場を移した。
アメリカで本人を取材できる媒体には限りがある。時差の問題もある。国内にいた昨季までと比べれば、おそらくメディア露出は減る。

その分、SNSで発信すればいいのではないか。
コロナ禍のアメリカで自主トレをする彼に、ある日LINEでそう伝えてみた。

既読になってから、しばらく間があった。
言葉を選んでいるのだろう。やがて返信が届いた。

「ありがとうございます。確かに興味深い発信をされている方はたくさんいらっしゃいます。勉強にもなる。ただ僕としては、どなたかの反応を確認できないまま、いきなり世の中に言葉、考えが届いていくというあり方に、少し難しさを感じています」

「話をさせていただいた時の記者さん、ディレクターさんの反応というのが、僕にとっては尺度になっています。不思議そうな顔をされたら『ああ、きちんと考えが伝わってないんだな』と気づける。その場で言葉を選び直すこともできる」

「取材という場では、世の中から自分が求められているところを、質問の内容でフラットに推しはかることもできる、と思っています。『いいね』の数もひとつの尺度かもしれませんけど、そこにはファンの皆さんの優しさが多分に入ってくるのかなと」

うなるしかなかった。
自分に合った形の「責任を持った発信」とは何か。真剣に考えた結果として、秋山翔吾というアスリートはSNSでの発信に手をつけずにいる。

新しいものへのアレルギー反応、などではない。
彼が「今の自分には難しい」と考えているのは、SNS自体というよりも「独白」という形なのだと思う。

現に、前田健太投手のYouTubeチャンネルなどには登場し、見事なまでのトーク回しで見るものを楽しませてくれている。
我々が書いた記事にいち早く気付き、反応をくれるのも、SNSを情報収集のツールとしてうまく活用しているからこそだ。

◇   ◇   ◇



コロナ禍は、既存のあり方を片っ端からひっくり返す。

スポーツ界。自宅で待機し、取材を受けられないアスリートたちは、自らSNSで発信することを始めた。
かねてよりのメディア不信と相まって「これでいいじゃん。メディアはいらない」というファンの声も聞こえてくる。

スポーツ記者が、スポーツのために果たせる役割とは。
そんな命題が突きつけられているように感じている。

秋山選手からの返信には、これからの時代を生きる取材者にとっての「大事なヒント」が込められているように思う。

SNSで発信される当事者の言葉には、かえがたい価値がある。一方で、それらはあくまで「主観」であるようにも感じる。
本人の言葉や考えに、第三者の視点、解釈、尺度、検証などを加えて生まれる「情報」には、主観とはまた違う価値があるのではなかろうか。

アスリートと取材者の協力関係があってこそ生まれる、記事の力。
それを信じてくれる選手がいる限り、スポーツメディアには活路が残されている。

僕はそう思う。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?