塩畑大輔

株式会社Gunosy所属。2017年まで在籍した日刊スポーツ新聞社では浦和レッズやオシ…

塩畑大輔

株式会社Gunosy所属。2017年まで在籍した日刊スポーツ新聞社では浦和レッズやオシムさんの千葉と日本代表、中村俊輔選手、男子ゴルフ、埼玉西武ライオンズなどを取材しました。LINE NEWS編集部、noteの編成チームなどをへて現職。取材現場で学ばせていただいたことを中心に。

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新聞記者最後の日。書けなかったエピソード。

記者をやっていると「書きたいけど書けない」という状況にも出くわす。 大半は「書かれる側」に配慮して、というパターン。 これは読者の皆さんにも想像はつくかもしれない。 もうひとパターンある。 それは「自分が関わりすぎていて書けない」だ。 ファンの皆さんが読みたいのはやはり、アスリート本人のエピソードだと思う。その描写に、あくまで「媒介者」でしかない記者が写り込むのは避けるべき。多くの記者がそう考えている。 ただ、記者が写り込むことによるマイナスと、書いた時のインパクトと

    • 2007年のスクランブルアタックと、命ある限りの愛と。

      2006年1月、東戸塚トレーニングセンター。 日刊スポーツの記者だった僕は、横浜F・マリノスのクラブハウスで、GMの小山哲司さんに呼び出されていた。 取材エリアから別室に移る。 差し向かいに座ると同時に「今朝の記事はないよ」と詰め寄られた。 その日の朝刊。サッカー面には、吉田孝行選手の横浜加入を伝える記事が掲載された。 文中、経緯を伝える部分で、僕は「松田直樹の要望もあって獲得した」と触れていた。 「確かにマツは大事な選手で、意見を交換することもある。とはいえ、だよ。ひ

      • あの夜、僕は「一生に一度の原稿」を全部消した

        特別な取材ができた。 そんな手応えがあるときほど、かえって記事を書くのが難しくなる。 あのときは、まさにそうだった。 2018年1月18日、僕はPCとメモ帳を前に、頭を抱えていた。 サッカーの歴史に残る。 そう思いたくなるほどの取材成果があったからだ。 ◇ 2017年の年末、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボ。 僕は浦和レッズの阿部勇樹選手と、元日本代表監督イビチャ・オシムさんの対談をセッティングし、現地で取材をした。 オシムさんは在任中に脳梗塞で倒れ、志半ばで

        • オシムさんは僕たちに「魔法」をかけて去っていった。

          2009年1月4日。成田空港。 搭乗ゲートへと続くコンコースには、最終の搭乗案内が鳴り響いていた。 空港の係員が「そろそろ機内へ」とうながしてくる。 その場にいた僕も、気が気ではなかった。 だが、その人はかまわずに、僕に向かって語り続けた。 「選手たちに対して、言い続けてほしい」 「もっと走れ、もっと戦え、もっとリスクを冒せ、と」 決して流暢ではない英語で、懸命に話す。 それは、相手が自分の母国語を解さない、と分かっているからだ。 車椅子に乗ったその人は、元サッカー

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        新聞記者最後の日。書けなかったエピソード。

          経理担当は100万再生連発のYouTuber。僕に革命を起こし、サラエボへと送り出した

          仕事というのは、ひとりではできないものも多い。 自分がかつて経験した新聞記者の仕事もしかり、だ。 取材をして書くのが仕事。だから事象なり人物なり、取材して描く対象がいなければ始まらない。 相手に取材を受けてもらえること自体も、新聞社に所属しているから。 球団やクラブ、ゴルフツアーへの取材パス申請の手続自体も、すべて会社がやってくれていた。 原稿は書くが、見出しをつけるのも写真をそえるのも「整理記者」と言われる紙面レイアウター任せ。 そうしてできた新聞が、どうやって読者に

          経理担当は100万再生連発のYouTuber。僕に革命を起こし、サラエボへと送り出した

          僕は逃げた。そして、居場所を見つけた。

          2009年の冬。 僕は自宅近くのクリニックで、医師と向き合っていた。 「診断名としては、自律神経失調症です。初期のうつ病と言った方がご理解いただきやすいかもしれません」 ああ、そうなのか。 視野がスッと狭くなるような感覚があった。 その可能性があると思うから、受診をした。 だが、実際に知らされると、やはりショックだった。 「診断書を書きますので、すぐに休職されることをおすすめします」 医師は親身に言葉を続けてくれていた。 だが僕は、生返事を繰り返すことしかできなかっ

          僕は逃げた。そして、居場所を見つけた。

          そうやって僕は、LINEで4年間働いてきた。

          インタビュー取材の朝は、決まって胃が痛くなる。 もう少し場数を踏めば、緊張せずに済むようになるのだろう。 ずっとそう思ってきたが、44歳になった今もまったく改善をみない。 今回もそうだった。 しかも、取材対象は教育関係の方。慣れているスポーツ領域の取材ではない分だけ、さらにナーバスになった。 前の日の晩にリサーチを重ねたが、その程度で安心などできない。 ベッドに入っても、話が弾まないイメージばかりが湧いてくる。 しかたなく、もう一度パソコンを開き、リサーチを再開する。

          そうやって僕は、LINEで4年間働いてきた。

          寡黙なヒロシの「ひと言」次第で、時は止まり、時は動く。

          たった「ひと言」。 それを言ってさえいれば。 そんな切ない思い出がある。 2011年4月30日、国内男子ゴルフツアー・中日クラウンズの第3ラウンド。 日刊スポーツの記者だった僕は、首位を争う最終組に同行し、取材していた。 特に目当てにしていたのは、岩田寛プロ。 シーズン開幕前から、個人的にずっと追っていた。 "事件"が起きたのは、最難関ホールだった14番パー4だった。 物音を立ててはいけないティーグラウンド近くで、僕は思わず「あっ」と声を出してしまった。 岩田プロの

          寡黙なヒロシの「ひと言」次第で、時は止まり、時は動く。

          ハリルホジッチさんに手紙を送り続けた結果、ご自宅の前で起きたこと。

          ヴァイッド・ハリルホジッチさんを取材する機会をいただいた。 熊本地震から5年。 このタイミングにあわせて、被災地の皆さんにメッセージを。 そう申し入れると、元サッカー日本代表監督は快諾をしてくださった。 「そういえば、日本のメディアのインタビュー取材を受けるのは初めてだね。日本を離れてから」 仲介してくださったマネジメント事務所の方は、そう教えてくれた。 ハリルホジッチさんは、モロッコ代表の監督を務められている。 パリの自宅に戻ったタイミングでオンライン取材を、とい

          ハリルホジッチさんに手紙を送り続けた結果、ご自宅の前で起きたこと。

          西川周作選手の"厳命"で、僕はどんどん髪が短くなった。

          浦和レッズのゴールキーパー、西川周作選手が金字塔を打ち立てた。 史上9人目のJ1通算500試合出場。 34歳10か月での達成は、史上最年少記録だ。 大分トリニータでの高卒1年目シーズンから、レギュラーとして試合に出ていた。 2009年以降は、わずか2試合しか欠場していない。だからこそ、年間34試合しかないJリーグで、これだけ早く大台に到達した。 大事なのは、ケガをしないだけではない。 高いモチベーションを持ち続け、体調やプレーの質を常に高く保ち続ける。そうでなければ、試

          西川周作選手の"厳命"で、僕はどんどん髪が短くなった。

          松山英樹プロのラウンドに、8年前の「影」はもう迫らない。

          マスターズゴルフ最終日。 最終組が18番ホールに近づく頃、現地時間は午後7時近くになる。 傾いた日差しが、18番グリーンに差し込む。 周辺に集まったパトロン(観客)は皆、頬を赤く染めている。それはもしかしたら夕日だけでなく、静かな興奮も手伝っているかもしれない。 僕もその現場にいたことがある。 2014年。バッバ・ワトソン選手が2度目の優勝をした大会だ。 最終組を追うパトロンの遠い歓声が、少しずつ近づいてくる。 一方、1組前の選手たちがプレーを終えた18番は、シンと静ま

          松山英樹プロのラウンドに、8年前の「影」はもう迫らない。

          中嶋常幸さんに"ゴルフ記者生命"を救われた日のこと。

          松山英樹プロが、マスターズで優勝をした。 多くの皆さんと同じように、テレビで見届けた。 快挙を伝える映像と相まって、胸にグッと来たのは、TBS小笠原亘アナの涙声の実況だった。 もらい泣きをしながら、ふと思った。 解説の中嶋常幸プロが、なかなかコメントをされない。 きっと、涙で言葉にならないのだろう。 そう思うと、余計に泣けてきた。 中嶋さんについては、一生忘れられないエピソードがある。 それはまさにマスターズゴルフの舞台、オーガスタナショナルゴルフクラブでのことだっ

          中嶋常幸さんに"ゴルフ記者生命"を救われた日のこと。

          尿路結石とクエン酸と背番号18と。巨人キャンプの思い出

          激痛で声も出ない。 そんなご経験はあるだろうか。 僕はその日が初めてだった。 芝生に倒れ込み、うめく僕を見て、みんなが笑っていた。 無理もない。普段からそうやって、笑いを取っていたからだ。 「またやっているよ」 「リアクションがいつも大げさだ」 自分と周囲が入れ替わっても、きっと同じように感じたことだと思う。 一通り笑うと、みんな潮が引くようにその場を去っていった。 次の練習メニューがある。 「いつまでやってんだアイツ?」 去り際の声が聞こえてくる。 僕は立ち上

          尿路結石とクエン酸と背番号18と。巨人キャンプの思い出

          早すぎる引退。「やりなおせるなら」の問いに彼は…中継ぎ投手という生き方

          その喫茶店は、ただただ静かだった。 2020年12月中旬。 その日、仕事がオフだった僕は、吉祥寺の駅前にいた。 クリスマス直前の街は、コロナ禍を忘れたようににぎわっている。 ポインセチア。クリスマスリース。赤と緑が通りを彩っていた。 人が少ない喫茶店に入り、空席ばかりの一角に席を取る。 除菌ティッシュでテーブルをざっと拭くのはもう習慣になった。いすに腰掛け、スマホのメモアプリを開く。 コピペしていたリンクから、記事に飛ぶ。 書かれていたのは、ひとりのプロ野球選手がこの

          早すぎる引退。「やりなおせるなら」の問いに彼は…中継ぎ投手という生き方

          「本のソムリエ」はメジャーリーガー。菊池雄星投手がすすめてくれた1冊

          いいリズムだなと、ほれぼれしながら読む。 これはきっと、書き手がものすごく本を読みこんできたからだ。 おそらく、自分が読んでいて気持ちいいと感じる言葉のリズムが、自然と文章という形になっているのだろう。 それでいて、読み進めるうちに、胸にザワザワとしたものが残っていく。 読みやすいだけではなく、伝えたい内容がしっかりと心にしみてくるからなのだと思う。 僕もそれなりに、書籍は読んできた方だとは思う。 加えて仕事柄、原稿は日常的にたくさん読んでいる。それでも、何かを読んでこ

          「本のソムリエ」はメジャーリーガー。菊池雄星投手がすすめてくれた1冊

          天才にまつわる事実は小説よりも…「最も語らぬ取材対象」の教え

          記者だから、取材の段取りはしても演出はしない。 スポーツ新聞社からLINE NEWSに移ってからも、そういうスタンスでやってきた。 スポーツの世界には、常識の枠におさまらない才能を誇るアスリートがいる。彼らは、凡人の想定を超える「サプライズ」を起こす。 演出には、そうした天才の可能性に凡人がキャップをはめてしまう、という側面もある。取材を重ねるうちに、そこには気を付けるようになった。 だが一方で僕らは「こういうことが起きたらいいのに」と願ったり、あるいは起きる方に懸ける

          天才にまつわる事実は小説よりも…「最も語らぬ取材対象」の教え