松山英樹プロのラウンドに、8年前の「影」はもう迫らない。
マスターズゴルフ最終日。
最終組が18番ホールに近づく頃、現地時間は午後7時近くになる。
傾いた日差しが、18番グリーンに差し込む。
周辺に集まったパトロン(観客)は皆、頬を赤く染めている。それはもしかしたら夕日だけでなく、静かな興奮も手伝っているかもしれない。
僕もその現場にいたことがある。
2014年。バッバ・ワトソン選手が2度目の優勝をした大会だ。
最終組を追うパトロンの遠い歓声が、少しずつ近づいてくる。
一方、1組前の選手たちがプレーを終えた18番は、シンと静まり返る。
この時間が、実にいい。
早く優勝シーンを見たい。でも、大会が終わってほしくもない。
そんな気持ちを、誰もが噛みしめているのだと思う。
ポトリ。
最終組のティーショットが、18番のフェアウェーに落ちた音で、皆が我に返る。
そして、第2打を打ち終え、グリーンへの坂を上がってくる選手を、スタンディングオベーションで迎える。
このマスターズ最終日の光景は、あらゆるスポーツ取材現場の中でも、特別に美しかった。
その景色の中心を、日本人選手が歩いている。
2021年4月12日。
未明からしがみつくようにしていたテレビの画面が、18番グリーンに向かう松山英樹プロを映し出した。
その背中の向こうで、パトロンたちが一斉に立ち上がる。
温かい拍手。最大限の敬意。
ひと組前がホールアウトしてから、だいぶ時間はたっていた。
ラウンド終盤に松山プロと、同組のシャウフェレ選手がともに、池にボールを落とすトラブルに見舞われていたためだ。
だが、その「待たされる時間」も、パトロンにとって幸せなひと時だったのだろうと思う。オーガスタの18番ホールは、そういう場所だ。
その光景を見ただけで、涙が出てきた。
そして8年前の、ある出来事を思い出した。
2013年7月20日、全英オープンゴルフ第3ラウンド。
マスターズと同じメジャーの舞台で、日本のメディア関係者が色めき立っていた。
21歳の松山プロが、優勝争いに割って入ったからだ。
後半に入った11番パー4、130ヤードの第2打を50センチにつける。
3連続バーディー。この時点で、トップと1打差にまで迫った。
この年の4月にプロ転向したばかり。
だが日本ツアーでは5戦2勝、2位が2回と圧倒的な強さを発揮。世界の舞台でも、6月のメジャー大会、全米オープンで10位に入っていた。
このまま、全英オープンを制してしまうのか。
そう予感させるだけの力と勢いを、すでに持ち合わせていた。
ただ、ラウンドに同行している僕らは、あることが気になっていた。
首位に迫ったあたりから、松山プロの組は「監視」されていた。
カートに乗った競技委員たちの姿が、やたらと目につくようになった。
「スロープレー、ってことなのか?」
報道陣の誰かがつぶやく。
ゴルフでは「自分のプレーに時間をかけすぎて、同伴競技者や前後の組に影響を与えてはいけない」とされている。
予定されているスケジュールよりも進行が遅れる。前の組との間隔が空きすぎる。あるいは、1つのショットに一定以上の時間をかけてしまう。
そうした選手に対しては、競技委員から警告が与えられる。さらに、これが重なると、ペナルティーが科される。
ただ、同行する僕には、松山プロの組のプレー進行が極端に遅いようには感じなかった。後ろの組が迫ってきている様子もない。なのに、なぜ…。
全英オープンの会場は、アメリカや日本のコースとは見た目から違う。
林や植栽に彩られてはおらず、荒涼とした海辺の原っぱに広がっている。
だから、監視する競技委員の姿は、どうしても目に付く。
これはさすがに、彼らのプレーに影響する―。そう思った。
順調だった松山プロが、にわかにつまずきだした。
13番、14番とバンカーにつかまり、連続ボギー。
打数がかさめば、自然と前の組との間隔も開いてしまう。15番終了後にはついに、競技委員が「警告」を突き付けてきた。
16番パー3。
松山プロのティーショットは、3メートルのバーディーチャンスについた。
だが、プレーに時間がかけられない。
いつものようにラインを読むルーティーンをとれないまま、パットを打つ。外した。
続く17番。本来ならスコアを伸ばしたいパー5。
松山プロはティーショットを左に大きく曲げてしまった。
打球は付近を歩いていた観客の背中に当たったという。
松山プロはつけていたグローブを外して、サインをする。
打球を当ててしまったお詫びとして、その観客に渡すためだ。
観客は快く、謝罪を受け入れていた。
だがまたしても、時間がかさんだ。
進藤大典キャディはすでに、100ヤード前方へと走っていた。
草むらの向こうにあるフェアウェーまで、ボールを戻すのに必要な距離を測るためだ。
ここでショットの準備に時間がかかるのは、さすがに仕方ないだろう。
そう思って見ていたが、ついに「その時」が来てしまった。
第2打をうまくフェアウェーに戻した松山プロだが、直後に競技委員から2回目の警告を受けた。
ルール上、1罰打のペナルティーとなる。そう通告されてしまった。
ホールアウト後。
スコア申告エリアが騒然となっていた。
ある人物が、競技委員に抗議していた。
松山プロではない。同じ組でプレーしていたジョンソン・ワグナー選手だった。
彼はその後、世界から集まっている報道陣の取材に応じた。
抗議の内容を「松山選手に対するペナルティーについて」と明かす。
「前半はむしろ、僕らの組が前の組に待たされていた。後半も、後ろの組を待たせてしまうことはなかった。むしろ1.5ホール分くらい離れていた。今回の裁定には疑問がある」
「僕もスロープレーは嫌いだ。でも17番時点での松山選手の順位や、直面していた状況を考えれば、彼が時間をかけすぎたとは思えない。ペナルティーを科されてしまったのは、ひどいとしか言いようがない」
そんな内容だった。
同じプレーヤーとして、この裁定は看過できない―。語気は強かった。
海外のメディアからも疑問の声は上がった。
競技委員に対して「選手を動揺させたくてやっているのか」と問い詰める記者もいた。
松山プロは、最終的に6位タイに入った。
全米オープンに続くメジャーでのトップテン入り。
アメリカツアーの順位ポイントを重ね、シード権獲得につなげた。
だが、現地で見ていた僕は思った。
あの第3ラウンドの裁定がなければ、勝っていたのではないか、と。
こうむった実質的なペナルティーは、1打だけではない。
海外の記者が指摘したように、競技委員の姿がちらつくだけで、選手たちのプレーリズムは乱れてしまう。
後半のボギーも、バーディーチャンスを決めきれなかった場面も。
あの理不尽にも思える「監視」さえなければ、それぞれがまったく違う結果になったのではないか。
そんな思いは、ずっと胸に引っかかっていた。
翌2014年の年末、僕はゴルフ担当から外れることになった。
松山プロは「送別会を」と言って、僕を食事に誘ってくれた。
宮崎市の中心部から離れた居酒屋。
「代行タクシー使わせちゃってごめんなさい」と言いながら、彼は杯を掲げてくれた。
いろいろなことを話した。
プレーの話だけはない。ゴルフファンを増やすアイデアなども、彼はたくさん持っていた。当時から、業界を俯瞰できていた。
せっかくの機会だと思った。
僕は全英オープンの話を持ち出した。
彼は食い気味に答えた。
「強くなる。それだけが根本的な解決策と思うんですよ」
不可解なペナルティーを受けても、バーディーを取り返す。
そんな力をつける、ということだろうか。
あるいは、ショットの精度を上げてトラブルを減らし、プレー時間を短くする、ということか。
そう問うと、松山プロは首を振った。
「うーん、ちょっと違いますかね」
ウーロンハイに手を伸ばそうとしていたが、すぐに話を続ける方を取る。
「極端な話、タイガーが僕と同じ状況だったとしたら、です。おそらく、ペナルティー自体を取られないと思うんですよね」
タイガー・ウッズはトラブルへの対処でも、世界中のファンを魅了してきた。
常人では思いもつかないようなショットで、ピンチをチャンスに変えてしまう。
だから、タイガーがショット前に時間をかければかけるほど、ファンは胸を躍らせる。果たして、どんなショットが飛び出すのか、と。
「僕も強くなります」と、松山プロは言った。
世界中のファンが「ずっと松山を見ていたい」と思う選手になる。
そうなれば自然と、あの日のような微妙な裁定を受けることもなくなるはず。
見据えているレベルが違う。そう感じた。
鳥肌が立った。ウーロンハイ3杯分の酔いが、一瞬で醒めた気がした。
マスターズ最終日の18番ホール。
松山プロのパーパットは外れ、優勝決定まで少し間ができた。
テレビの前の僕は、それも幸せな時間だと感じた。
コロナ禍で入場制限のかかる中で、それでもオーガスタに入れたパトロンは、なおさらだろう。
18番ホールに達するまでの時間。
フェアウェーに上がってくるまでの時間。
それらすべてを世界中のファンが味わい、楽しむ。
そこまでの存在に、松山プロはなった。
あの日の言葉通りだ。
◇ ◇ ◇
順応をしていく、というのはとても大事なことだ。
組織を何度か渡り歩き、実感をしている。
ただ、その中でもきちんと考えを伝える。自分の価値を示す。
そうすることではじめて、本当の意味での「可能性」は広がっていくのだとも思う。
松山プロが教えてくれたことだ。
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