中嶋常幸さんに"ゴルフ記者生命"を救われた日のこと。
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中嶋常幸さんに"ゴルフ記者生命"を救われた日のこと。


松山英樹プロが、マスターズで優勝をした。

多くの皆さんと同じように、テレビで見届けた。
快挙を伝える映像と相まって、胸にグッと来たのは、TBS小笠原亘アナの涙声の実況だった。

もらい泣きをしながら、ふと思った。
解説の中嶋常幸プロが、なかなかコメントをされない。

きっと、涙で言葉にならないのだろう。
そう思うと、余計に泣けてきた。

グリーン


中嶋さんについては、一生忘れられないエピソードがある。

それはまさにマスターズゴルフの舞台、オーガスタナショナルゴルフクラブでのことだった。

2012年春。僕は記者人生の中で、後にも先にもないほどの苦境に直面していた。
憔悴しきって迎えた、マスターズの週。選手たちの練習ラウンドが行われていたコースを、ただふらふらと歩いていた。

肩をたたかれるまで、人が近づいてきているのにも気づけなかった。
「大丈夫か?」。そう言って、顔をのぞき込まれた。

中嶋常幸さんだった。
日本ゴルフ界のレジェンド。見まごうはずもない。

マスターズの中継で解説やラウンドリポートをされているから、そこにいるのは不思議ではなかった。
だがなぜ、駆け出しのゴルフ記者に声をかけてくるのか。面識などまったくないのに。

戸惑う僕にかまわず、中嶋さんはおっしゃった。

「聞いているよ。詳しく事情を教えてくれないかな」

ペン


その3週間前。
僕はある選手の陣営から「出禁」の通告を受けた。

書いた記事が原因だった。

そういうことは、ないわけではない。
記事の内容以前に、記事が出たこと自体に驚く。そうした方面から強めの反応をもらう、ということはたまにある。

書いた中身には自信があった。早々に確証に至ったが、念のためと複数の情報源から裏を取って書いた。
前向きな内容で、誰かを傷つけたり、選手のブランドを棄損するような余地があるわけでもなかった。

だから事実関係については譲らないが、一方で説明も重ねて、その選手の陣営との関係修復に努めるつもりでいた。
だが、残念ながら僕には、身内からの信頼がなかった。「揉めても分が悪いから、その方面の取材からすぐに撤退するように」と命じられた。

ペン


記者をやっていれば、うまくいかずに落ち込むことは多々ある。

マリノス担当をしていた2006年には「中澤佑二選手が代表引退をサッカー協会に申し入れている」という特ダネを抜かれた。
どこか1紙に、ではない。数紙に、である。つまり、他の記者はみんなとっくに知っていて、タイミングをはかって出してきたということだ。

僕はまったくそれを知らなかった。
あまりにも恥ずかしすぎて、しばらく現場で口をきけなかった。

ただ、それは単に自分の努力が足りない、ということだけだ。
必死になって取材を重ねればよい。だからほどなく、気持ちを切り替えられた。

このゴルフの現場での出来事は、まったく意味合いが違った。

たくさんの失敗を糧に、詰めた取材をしたつもりだった。
現場からの撤退は、その自信ある取材が実は間違っていた、と認めるようなものでもある。

「ぜひ前向きな記事を」と正確な情報を提供してくれた情報源にも、あわせる顔がなかった。

グリーン


「関係をこじれさせるから」と、先方との連絡も禁じられた。

その選手は、ゴルフ界にとってとても大事な存在だ、と僕は思っていた。だから取材に入れ込み、記事も書いた。
何としても陣営との関係を修復して、再び取材をしたかった。「業界のために」と思って書いたと、重ねて説明するつもりだった。

その機会すら許されなくなった。
それから僕は、同じゴルフ取材でも、まったく違う方面を回ることになった。現場では、気をつかってなのか、誰も話しかけてこない。

「ガセネタを書く記者、と思われている」
「関わり合いになりたくない、と避けられているのか」

勝手に、そんな気持ちになった。
誰にも会いたくなくなった。

飛行機


マスターズの前週。
僕はカリフォルニア州のパームスプリングスで、女子のメジャー大会「クラフト・ナビスコ選手権」を取材した。

そこから空路、マスターズの取材へと移動した。
会社は違う記者に差し替えたかったはずだが、何か月も前に取材申請が済んでいたため、僕が取材することになった。

パームスプリングスの空港を夜の8時くらいに出発し、アトランタへ。
3時間の時差もあいまって、到着する頃には現地時間は午前3時を過ぎる。「レッドアイ」と呼ばれる夜行便だ。

そこからオーガスタのホテルまで、レンタカーで約2時間。
夜は明けてしまう。眠れないまま、マスターズの練習ラウンドの取材に向かわなければならなかった。

精神的にも疲れ切っていた。
眠れないまでも、早くホテルについてシャワーぐらい浴びたい。そう思って、ついアクセルを踏みすぎた。

真っ暗な夜道で、パトカーに止められた。

大柄な警察官に「70ドル」と言われ、罰金を支払う。
後に「その場で現金で徴収されるのは手続き的におかしい」と知らされたが、その時はとにかく早く事を済ませたかった。

すべてが、どうでもよかった。

グリーン


記者やっていても、いいことなんか何もないな。

翌日。僕はそんなことを思いながら、オーガスタナショナルゴルフクラブのコース内を歩いていた。

13番パー5の右サイドは、林のようになっている。
中嶋さんに肩をたたかれたのは、そこをふらふらとティーグラウンド方向に向かっている時のことだった。

「事情を話してほしい」

そう言われたが、ためらわれた。
内情を明かしてはいけない、というような殊勝な考えからではない。

中嶋さんは伝説的な存在だ。
そういう方を取材することはあっても、こちらから自分のことを話すような経験はなかった。だから単純に、どうしていいのか迷った。

「いろんなところでしゃべっちゃうとか、そういうつもりはないから、どうか信用して話してほしい」

そこまで言われれば、話すしかない。
僕は事情を伝えた。緊張していたので、要領を得ない話し方になってしまったが、中嶋さんは辛抱強く聞いてくださった。

ペン


「なるほど」

話を聞き終えると、中嶋さんは小さくうなずかれた。

「実はほかの人からも、この件については聞き取りをしてきたんだけど、結論としてオレも君の取材は間違っていなかったと思う。そこはプロとして、毅然としていた方がいい」

ただ、と続ける。

「ちゃんと関係は修復してもらいたいな。その選手もゴルフ界の宝だし、スポーツ新聞もゴルフ界にとってとても大事な媒体。協力し合っていい発信をしていかないと、日本のゴルフに未来はない」

そこまで言うと、中嶋さんはこう提案をしてくださった。

「オレに任せてくれないかな」

グリーン


中嶋さんは、手を振って僕の前から立ち去った。

僕はしばらく、その場から動くことができなかった。
あの中嶋さんが、見ず知らずの僕のために、長いこと時間をとってくださった。何かの間違いじゃないか、とすら思った。

いや、僕のため、ではなかった。
ゴルフ界のために、よりよい発信を。いつも真剣にそう思われているから、イチ記者の動向までもがアンテナにかかったのだろう。

鳥肌が立った。

ガラケー


しばらくして、僕の「出禁」は解けた。

聞けば中嶋さんは、僕から聞き取りをした直後から動かれたそうだ。
「ある選手」の陣営に掛け合ったり、説得をしたり…と。

やがて、その選手の陣営が、僕に電話をかけてきてくれた。
「またいい関係でやりましょう」と。

おかげで僕は、元の現場で再び取材できるようになった。
そうならなければ、おそらくさほど時間がたたないうちに、ゴルフ担当から他の競技担当に移されていただろう。

グリーン


中嶋さんにお礼を言えたのは、1年以上も後のことだ。

茨城・大洗ゴルフ倶楽部で行われたダイヤモンドカップゴルフ。
練習ラウンドの日から、プロ転向直後の松山英樹選手に報道陣が殺到していたが、僕は中嶋さんのもとに直行した。

「おお、元気だった?」

中嶋さんは笑顔を向けてくださった。
緊張しながら、僕は何とか「おかげさまで、ゴルフの取材を続けられています」と伝えた。

「そうか。よかったじゃん。これからもよろしくね。ゴルフ界のために」

グリーン


オレも頑張るよ。
そう言って、中嶋さんは練習ラウンドの次のホールに消えられた。

頑張る、という言葉に偽りはなかった。
大会が始まると、中嶋さんは松山プロと熾烈な優勝争いを演じてみせた。

当時58歳。すでに解説業のイメージが強かった。
だが、レジェンドはレジェンドだった。最終組での直接対決となった最終日には、8番で単独首位にまで立った。

最終的には6位に終わったが、若きホープとの名勝負は話題になった。
まさに「ゴルフ界のために」の大活躍だった。

ペン


オーガスタで僕に話しかけてこられたのは、あくまで「ゴルフ界全体のことを考えて」だと思う。

ただそれでも、中嶋さんが僕のゴルフ記者生命をつないでくださった、という事実に変わりはない。

僕は2014年まで、4年間もゴルフ担当を続けることができた。
所属していた会社では、とても珍しいことだった。

すべて、中嶋さんのおかげだ。
だから「中嶋さんに見られても恥ずかしくない仕事を」の一念で、取材を続けた。

その結果、谷原秀人プロ、池田勇太プロ、石川遼プロ、松山英樹プロなど、たくさんの魅力的な選手とご縁ができた。
そして、あの素晴らしいオーガスタナショナルゴルフクラブで、2回もマスターズを取材させてもらえた。

グリーン


松山英樹プロの優勝を伝えるテレビ中継。

しばらくコメントできなかった中嶋さんが、ようやく「ごめんなさい」と涙声を絞り出された。

「本当によかった…」

もちろん、松山プロの苦労を間近に見てきたから、というのもおありだったと思う。
ただ、それだけではないところもあるのかな、と僕は考えた。

ゴルフ界のために。
その思いをずっとお持ちになって、マスターズの中継に携わられてきた。

ゴルフ界のために。
マスターズの舞台で、いつか日本勢が優勝を、と願い続けてこられた。

だからこそ、感極まられたのかな、と思った。
テレビの前で涙を流す僕を、5歳の娘が不思議そうにみている。

僕は彼女の耳元にささやいた。

「お父さんもこの人のおかげで、ずっと頑張れているんだよ」




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note株式会社。2017年まで在籍した日刊スポーツ新聞社では記者を12年間、カメラマンを3年間。記者として浦和や、オシムさんの千葉と日本代表、中村俊輔選手、男子ゴルフ、西武ライオンズなどを取材しました。取材現場で学ばせていただいたことを中心に。