見出し画像

アパート

 引っ越した町を久しぶりに歩いていたら、随分と町の景色が変わっていた。表通りに限らず、ちょっと奥の道に差し掛かっても、それは同じだった。

 随分前から建っていた古いアパートが、とうとう取り壊されてしまった。住む予定もないアパートだが、やはり見慣れていただけあって姿を消してしまうと、それは何とも寂しいものである。 

 取り壊されたアパートは、昭和も終わりの頃に建てられたのではないだろうかと思わせる、そんな趣のあるアパートだった。一体、このアパートの一室一室に、その完成から取り壊しの間までの数十年間、一体何人の人生をこのアパートは見てきたのだろうと思ったら、私は妙な寂しさに襲われた。

 真新しいそのアパートに、ある若者は貧しくとも親元を離れて大学生活を送るために、希望を持って入居したであろうし、ある人たちはこのアパートの一室で数年の間、一定の時間を共に過ごし別れたかもしれないし、結婚を機にこのアパートから人生をスタートさせた者たちもいれば、マイホームを手に入れて、長年住み慣れたこのアパートに礼を言って、出ていった者たちもいただろう。

 台所の窓の向こうでうっすらと、食器洗い洗剤の容器がぼんやりと姿を見せていたが、もう誰も住んでいないような人の気配のないアパートではあったが、様々なドラマがこの一室一室にはあった筈である。

 私はいつか、そんな数々の人生模様を見つめて来たこの部屋の内部を見てみたいと思っていた。これほどまでアパートにこだわる私はやはり、ひとり暮らしというものをしたことがないせいかもしれない。アパートの部屋の間取りやそこにあった人々の人生ドラマが、気になって仕方がないのである。

 痴情の縺れで心中を図った部屋もあるかもしれないし、ひとり孤独に死んでいった部屋もあるかもしれないし、人生を思い悩んだ挙句に国へ帰って生きていこうと決意した、そんな部屋かもしれない。複数人の人間の出入りがあるアパートというものは、やはりどこか恐ろしく、そしてまた、どこか浪漫があり面白い場所でもあるのだ。

 日本はとかく地震の多い国である。この地震のせいで取り壊された古い建物は枚挙に暇がない。

 関東大震災後に建てられた日本初の鉄筋コンクリートのアパート、同潤会アパートも老朽化を理由に全てが取り壊されてしまった。一〇〇年前と一〇〇年後の現代では、人も住まいも変わって当然だとは思うのだが、やはり、当時の建築設計のまま再現した建物というものも、図面が残っているならば今の時代に蘇らせるのもかつての日本を知る上で、それも一つの素敵な事業だと思うが、戦争に負けて日本は大切なものを置き去りにしてきてしまった。

 その大切なものが何だったのかさえ、もう、覚えている人も少ない。

 アパートの取り壊しから数日後、今は更地になったアパート跡の前にじっと佇む老女がいた。彼女も、かつての住人だったのだろうか。声をかけてみたかったが、他人の思い出に土足で入り込むようで気が引けた私は、佇む老女に背を向けて、足早にその場を駆け出したのだった。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?