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おみおつけ

 先日、珍しく朝食を抜いた。
 健康診断以外、何があっても朝食を抜くことはなかったのだが、前日、いささか食べ過ぎたせいか、朝になっても腹が空かなかったのである。

 傷むといけないからと、おはぎを一個、夕食後に無理矢理食べたのがいけなかった。おやつに芋羊羹を食べたのも、普段食べないものだから胃がビックリしたのかもしれない。毎朝、決まった朝食を食べているから、膳に並ぶのも決まったおかずなのだが、どうしても食べる気がしない。

 とりあえずお茶でも一杯飲んでから、膳に並んだおかずを下げようと思っていたら、長葱と豆腐のおみおつけが目に留まった。
 昨日の芋やおはぎが居座って重たい腹だったが、おみおつけだけは何だか飲みたくなった。一口飲むと、何とも言えない味噌の塩味が舌にしみ、喉を通ると、凝り固まった胃にしみ渡り、ジーンと体中に広がる温もりに、気がつけばおみおつけを飲み干していた。
 こんな時、自分はやっぱり日本人なのだなぁとしみじみ感じるのである。私は日本人に対して質問される味噌か醤油、どちらが好きかと問われると、迷わず醤油を選ぶのだが、おみおつけだけは別格である。

 豆腐とわかめ、豆腐となめこ、新玉ねぎとわかめ、大根やじゃがいも、舞茸やえのきだけ、茄子と茗荷、実は何であれ、鰹や昆布から取った出汁に解いた味噌の風味は、平和な日本、平和な家庭の暮らしの象徴である。おかずも大事だが、おみおつけがないと何だかさびしい。実がたっぷりのおみおつけでなければおかずにはならないが、ご飯だけが膳に上がっても何だか物足りない。やはり、汁物は大事である。

 そんな平和の象徴であるおみおつけの味噌を、私は先日初めて作った。昨年までの私であったら、いくらまめな私でも味噌を作るなんてことは考えもしなかっただろうが、からだのことを考えたら味噌を作ってみるのもありだと思ったのである。

 たまたま、某番組を観ていたらおからで作る味噌というのがやっていた。米麹とおから、塩と豆乳を混ぜれば出来上がりという、非常に簡単なものだった。こんなに簡単に作れるのなら作らない手はない。早速、業務スーパーに材料を買いに行き、材料を揃えて作ってみた。出来上がるまでに一年という長い時間を要する味噌であるから、ちょっと多めにしたら数に弱い私の目算は見事にハズレて、予定していた量をはるかに超え、手間取ってしまい完成までに二時間かかってしまった。食い意地がとんだ災いを招いてしまった。

 出来上がりまでひたすら放っておくしかない味噌。甘くても辛くてもどちらでもいい。来年、無事に出来上がったら、好きな実でおみおつけを作りたい。

2024年6月19日 書き下ろし。




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