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メドレー退職によせて

はじめに


みなさんこんにちは。
私、田中は2022年12月23日を最終出社日として、2016年5月から約6年半在籍したメドレーを退職することになりました。

自分自身のキャリアを振り返っても、最も長い期間を過ごした会社であり、嬉しいことも、大変なことも、公の場で言えることも、ちょっと人前では話せないようなことも、本当に色々なことを経験させてもらいました。ビジネスマンとしても、一人の人間としてもメドレーでの様々な経験を通じて大きく成長させてもらいました。

今までお付き合いいただいた多くのお客様、パートナー様、一緒に働いた仲間たち、そして僕をメドレーという船に誘ってくれた社長の瀧口には感謝してもしきれません。みなさん、本当にありがとうございました。

僕が入社した当時のメドレーは、社員数二桁、遠隔診療(オンライン診療)事業を立ち上げたばかりで、古いオフィスビルの一部フロアに入っている、まだまだそんな状況でしたが、今や、東証プライム上場で時価総額は1,000億円を大きく超え、社員数はグループ会社含めて1,000名超、事業の数も規模も当時とは比べ物にならないほど大きくなり、オフィスは六本木ヒルズ、海外進出なども含めて、引き続き事業は絶賛拡大中…と何もかもが大きく変化しています。

そんな大きな変化の中で僕自身も様々な経験や学びを得ることができました。個人的な人生の節目でもあるので「メドレーでどんなことがあって、僕がどんなことをしてきたのか?」「メドレーで働く中で得た学び」についてこのnoteで少し振り返ってみたいと思います。

メドレーに入社するまでのキャリアと入社のきっかけ

僕はメドレーが4社目で、わりと一貫性のないキャリアをたどってきているのですが、過去の投稿で自分のキャリアについて振り返っているので、もし興味がある方は読んでみて下さい。

メドレー入社までのキャリアをまとめた記事
メドレー入社理由ブログ(通称筋肉ブログ)

メドレーでどんなことがあって、僕がどんなことをしてきたのか?

メドレーに入社してからの僕のキャリアは「4つの期間」に分けることができると思っています。ここではそれぞれの期間でどんなことが起こったのか、どんなことを考えていたのかを徒然と書いてみたいと思います。

1. 2016年〜2017年:新規事業立ち上げのイケイケモード

  • CLINICS(オンライン診療)事業が立ち上がってすぐのタイミングで入社

  • マーケティング責任者、というオファーで入社することになったものの、今までのキャリアではあくまで「演者」としての仕事しかしたことがなくて、マーケティング実務は未経験。ぶっちゃけ結構不安なままスタートした

  • 一番最初の仕事は、LPに資料請求フォームを作ったこと。まだ正式入社前のタイミングだったんだけど瀧口から「CLINICSのマーケティング、何やればいいかな?今こういうの考えてるんだけど意見ちょうだい」と話をされた時に、LPに問い合わせのメールアドレスしか記載されていなかったので「リード獲得するならせめて資料請求とかデモ視聴用のフォーム作った方がいいと思う。マルケトとかPardotとかでライトにフォームとLP作れると思うけど、俺情報集めてどのツールがいいのか瀧口が判断できるようにしよっか?」と言ったら「いや、情報集めるとかじゃなくて、田中がツール入れるかどうかも含めて決めて、それで導入もやっちゃって。必要な予算だけ教えて」と言われて「おお…これがスタートアップのスピード感か…Googleのゆったり感とは違う…でも、ここでビビった感じのリアクションしたらダサいから、何食わぬ顔しておこう」と瞬時に考えて「あ、導入までやっちゃっていいのね、オッケー了解やっとくね」とリアクションしたときのあの気持ち、結構今でも覚えてる

  • 瀧口から「彼が事業部長やる予定の島ってやつね。ちなみに理Ⅲ卒のドクターだから。」と島(現取締役医療プラットフォーム第二本部長)を紹介される。「めちゃくちゃ早口で人の話最後まで聞かない奴だな」というのが第一印象だったんだけど、冷静に考えたら僕自身も「早口で人の話最後まで聞かない奴」なので完全にお互い様だった。ただ島と会話すると普通なら30分かかることが3分くらいでお互いに意思疎通できるので、それはそれでなかなか新鮮な感覚だった

  • 今思うと結構斬新だな、と思うんだけど、一番最初のオンライン診療のセールスは全員「ドクター」だった。「ドクターにはドクターが説明した方がいいでしょ」という瀧口の方針だったんだけど「それ、思いついたとしても実際にドクター集めてセールスにするんだ。半端ねぇな」と思った。当時のドクターでありながらセールスをやっていたメンバーには現在ドクターズプライムの社長である田真茂、AMI社長の小川晋平(彼は業務委託でしたが)、少し後のタイミングになりますがデータテック社長の二宮英樹などがいて、次世代のヘルスケアスタートアップ人材をかなり輩出しているなと今思うと感じる

  • ぶっちゃけ入社した当時はSlackの殺伐とした雰囲気にビビった。殺伐というか油断したら切られる、というか。 もちろん具体的なエピソードについてはとても外では言えませんが新規事業を勢いよく始めるときにはあれくらいのピリピリ感も大事なんだろうな、と今振り返るとそう思ったりもする

  • 瀧口から「紙のダイレクトメール効くと思うんだよね。ダイレクトメール作ろうぜ」と言われる。今までDMなんて作ったことなかったけどもちろん何食わぬ顔で「あ、 DMね。オッケー。ちょっと見繕うわ」と仕事を請け負う。その直後に「DM 作り方」でググって5社くらいに会って一気に相場感を掴んで頑張った。

  • 立ち上げからずっと目標達成していたこともあり2016年の8月に葉山にプチご褒美合宿にいった。Airbnbで超でかい別荘借りたり、クルーザー借りたり、とめちゃくちゃイケイケスタートアップっぽいこともした。

  • ガチ喧嘩もよくしてた。でも、仕事のことで喧嘩できるってのはみんなが真剣に取り組んでいる証拠だし、まあいいもんだよね

  • 2016年後半からマーケティング、セールス全般を田中が見るような形に変わっていった

  • Googleのエバンジェリストをやめてメドレーに入社した僕が6つに割れたバキバキの腹筋を手に入れるまでに実行した7つのステップ、というせめまくった入社理由ブロクを投稿。これがめちゃくちゃバズる。筋トレしててよかったなと思った瞬間。ああ、あの筋肉の人ですね。という謎の認知を獲得できるようになる

  • ちなみに↑のブログを企画してたときの裏話ブログ、まだのこってます。あれはおもしろかった

  • 2016年の年末にCLINICSサミットというイベントを開いてドクターを250人くらい呼んだ。東京ガーデンテラス紀尾井町のでっかいカンファレンスルームにCLINICSロゴをバーンと出した時は感慨深かった。あとセールス&マーケの実務やりつつ、このカンファレンスほぼ一人で企画して実行した当時の自分を褒めてあげたい。人間やればできるもんだ

  • ただ、2016年最終月は予算がとんでもなくきつすぎて未達になった。年末に瀧口から「どうなってんの?」的なDMが来てて「ウッ…」となったのは今となってはいい思い出

  • 2017年に入って、インターンを死ぬほど増やした。最大30人くらい在籍していたんじゃないかな?僕のチームはまるで学校、そして僕は担任の先生みたいな感じになっていた

  • 「商談獲得できたら銅鑼をならそう」みたいな話になったんだけど、銅鑼はうるさすぎるってことで何故かハンドベルを僕が自腹で買った。ただ、ベルも意外とうるさかったのでアポが取れたらみんな控えめにベルを鳴らしていた。仕事は楽しまなきゃ

  • 義理の妹を採用したのも2017年だった。最初は距離感がうまくつかめず「大ちゃん」「エイミ」とお互いを呼び合っていたので、それをみた管理部の人が田中がいきなり会社に愛人を連れ込んできたと勘違いしていたらしい(その後、会社ではお互い名字で呼び合うようにアジャストした笑)

  • 今思うと2017年はイケイケ感のピークだった気がする。良くも悪くも怖いもの知らずだったし、僕も幹部陣もみんな若かったので、「守り」の意識が希薄だった。これは反省。もっと謙虚にもっと丁寧に、という雰囲気が作れていれば色々なことがもっとスムーズにすすんだよなという反省もある

  • 2017年後半から電子カルテ事業の仕込みが始まる

2. 2018年〜2019年:診療報酬改定の影響を受けた停滞期からの上場

  • 2018年4月の診療報酬改定でオンライン診療が一気に盛り上がる、という前評判にも関わらず、結局診療報酬改定はオンライン診療の実質規制強化となり、それまで「高い期待値」をベースに受注していたお客様からかなりの数の厳しいご意見を頂くことになる

  • この頃、一時的に事業部長に就いていた豊田(現取締役)はほぼ毎日色々なお客様に謝罪の訪問や電話をしていた。あのときは本当におつかれさま

  • プライシングの変更なども急ピッチで行ったけどまさにカオスという状態だった

  • 2017年半ば以降仕込んでいたカルテのパイロット販売が2018年4月から開始した。電子カルテは電子カルテでかなりのカオス状態だった

  • 2018年後半から採用のためにTwitterを本格的にやり始めた。採用定例で「Twitterやってみたら?」と言われて「とりあえず1000フォロワー目指して頑張るよ」といってスタートした。情報発信したら逆に色々な情報が集まるってのはすごく実感してるので始めてよかったなーと思う

  • 2019年にはSalesforce道場という謎の企画を勝手に企画し、人を集めまくっていた。気づいたらSalesforce業界のプチ有名人になっていた。なぜかマーク・ベニオフの本の出版イベントに呼ばれてコメントしたりした

  • Salesforce道場きっかけでの入社(通称門下生採用)メンバーが今でもわりと各所で活躍してくれていてうれしい。なんで自社と全く関係ないイベント勝手にやってるの?という各所からの冷たい視線を見返すことができた

  • 2019年から正式に事業部長に就任。ただ僕的にはけっこう「もがいている」感覚だった。この事業でどう数字を作るか、どう会社に貢献するのか、あーでもないこーでもないとずっと考えていた

  • 2016年〜2017年の時期は、組織に不思議な勢いがあったので誰かが辞める、みたいな悩みはあまりなかったものの、大きな勢いを失っていたこの時期、やはり結構人の入れ替わりが発生した。人が辞めるたびに「もっと面白い環境をつくれなかったのは責任者である自分が悪いんだ。申し訳ないなぁ」とことあるごとに感じていた

  • 2019年後半の上場直前タイミングはみんなかなりピリピリしていた。そんな中僕のみている事業領域で立て続けにトラブルが発生し、全社的に大きな課題となる。 あの頃は本当に色々な事件が起こった。とても公の場では言えないので僕と会った時に直接聞いて下さい

  • 2019年12月12日に上場。東証の鐘を鳴らせたのは嬉しかったけど、上記の通り「もがいてる」「事業としてもっと貢献できたはずだ」 という思いも強くて、個人的には心の底から達成感があるという感じではなかった。あの微妙な心境、今でも覚えてる

3. 2020年〜2021年:コロナ禍におけるオンライン診療の熱狂

  • 新型コロナウィルスの感染拡大からオンライン診療が一気に脚光を浴びることになった

  • 特に一番初めの緊急事態宣言の時はすごかった。事業スタートから今までこんなに世の中から求められたことはない、というくらいの問い合わせがきた

  • テレビなどにもこの時期出まくった

  • 問い合わせが来すぎて、あらゆる部署で業務がパンパンになって、採用しないと死ぬ!となったのでしばらくの間一日10人くらい面接してた

  • 緊急事態宣言で完全在宅に切り替わったタイミング×空前絶後の忙しさというのは今思うとすごい経験だった

  • みんなめちゃくちゃ働いてた。大変だったんだけど、悲壮感のある大変さではなく、なんか組織全体ですごい青春してるというかトランス状態になってた的な感じがした。そんな中でもとても公には言えない様な事件がそこかしこで起こったりして、仕事が終わったあと夜10時くらいから現場のみんなと「田中さん!こんなんじゃ私達もうやっていけません!」みたいな電話をめちゃくちゃしていた気がする

  • まじでみんなの残業時間がやばくなって、経営陣で緊急ミーティングが開かれたりした

  • Pharmsのリリースと初期の圧倒的な伸びもすごかった

  • コロナ禍のブーストを経てようやく事業として会社に貢献できている感が自分の中にも湧いてきて少し安心したのもこの頃

  • 文春事件もあったなあ。これについては色々話したいことがある(笑)。一つ言うとしたら、あれちょうど節分の時期だったんですよ。僕家で子ども達を驚かすために鬼の全身タイツを着てアフロのズラをかぶってクローゼットの中で待機していたんだけど、子ども達いつかえってくるかな、とクローゼットの暗闇で息を潜めながらSlackで各ステークホルダーとの文春案件に関するコミュニケーションプランをやり取りしてて、「え?なにこの状況?」と思っていた

  • ドコモさんとの資本業務提携話もこの時期。これはこれでまた色々あったし面白かった

4. 2022年〜:アフターコロナから現在へ(辞める理由なども)

  • もっと事業を上手く進めるためには、頑張ってるみんなをもっと楽に勝たせるためにはどうすればいいんだろう。このチームの頑張りはもっともっと定量的にも定性的にも評価されるべきだ、というのは2022年に入ってもずっと考えていた

  • そんな課題感の中、自分で新規事業的に売上を作ったりもしてみた。というか↑はこの時期だけじゃなくて、思えばずっと考えてた

  • 新プロダクトの企画会議で僕がずっとなぞのこだわりを見せて深夜2時くらいまで「納得できない、納得できない」と駄々をこねてチームのみんなを困らせていたのが今となっては懐かしい。でも納得できないものはちゃんとそういった方がいいよね

  • 実は春先くらいから田中は事業部長から降りて新しいことにチャレンジした方が組織にとってよいのではないか、とうっすら考え始めていた

  • 昔からいるやつがずっとトップにいるよりも、どんどん新しい人に入れ替わって、昔からいるやつは別のチャレンジをしている姿をみんなに見せていく。こういう組織こそが健全だと思っていたので↑のようなことを考えていた

  • メドレーの中での新しいチャレンジの案はいくつか上がっていたのだけど、同時期に本当にたまたま出会った「社外でのチャレンジ」を結果としてわがままを言って選ばせてもらう形になった

  • 辞めると決めて、色々な人と会話する中でかなりセンチメンタルな気持ちになっている自分がいた

  • メドレーは、本当に色々な経験をさせてくれた会社だし、思い返すと大変なことばかりだった気がするけど、めちゃくちゃ成長できた実感がある

  • なによりいろんな仲間達とワイワイ仕事ができて本当に楽しかった。僕にとっては第二の青春を過ごせたような感覚の場所だった

  • 自分で辞めると言っといてなんだけど、本当にさびしい。これは本当にそう。だけど、冷静に考えると別に死ぬわけじゃないし、どんな組織にいたってお互いに刺激は与え合うことはできるよね、と思っている

  • 僕自身、メドレーが4社目なんだけど、今でも前の会社の人とは繋がれるし、仕事で助けてもらうこともあるし、縁があって一緒に働いたりもするし、どこにいたって人と繋がれたご縁は消えることはないんだよね

  • だから、僕がメドレーで少しでもつながることができた方々とのご縁は本当に一生モノの宝だと思っています

メドレーで学んだ5箇条の仕事論

↑で、徒然なるままに僕がその時々で考えたことややったことを記載させていただきましたが、僕がメドレーで仕事をする中でこれは特に大事だなと自分なりに思ったポイントを5つ上げてみたいと思います。ほんとは20個くらい列挙したかったんですが、頑張って5つに絞ってみます

1. 元気と笑顔を過小評価するな!

「論理的思考力」や「ドキュメンテーション能力」といった実用的なビジネススキルはもちろん大事なのですが、長期で見ると「元気と笑顔」以上に大事なものはないと思います。仕事は、一つ一つのタスクレベルで冷静に考えてみると大変なこと、辛いこと、退屈なことばかりだったりするのですが、そんな中でもどんな時も「元気と笑顔」で楽しく仕事に取り組んでいる人がチームにいると、大変な仕事もなんだか楽しく感じたりする。「元気と笑顔」には本当にそんな力があります。だから「元気と笑顔」を過小評価しないで下さい。もしあなたが「元気と笑顔」を与えられるキャラクターなのであれば、ぜひそのキャラクターを存分に活かして仕事をして下さい。もしあなたが「自分はそんなキャラじゃない…」と思うのであれば無理に笑顔を作れ、とは言いません。ただ周りにいる「いつもなんだか元気な人」を大事にしてあげてください。辛い時、大変な時、そういう人が必ずチームを助けてくれるので。元気があれば何でもできる。これ、本当にそうなんですよ。

2. 今の仕事の「オタク」になれ!

今やっている仕事、関わっている業界、使っているツール…どんなことでも構いません。今あなたの目の前にあるものをとにかく深堀りしてみて下さい。深堀りしろ、と言われても最初はピンと来ないかもしれません。ピンとこなくても構いません。とにかく調べる。使ってみる。人に話を聞く。騙されたと思って自分の目の前にあることに関心を持って「オタク」を目指して下さい。あるものの「オタク」になると何が起こるのか?気がつくとそれが大好きになっているはずです。「好きだからオタクになる」もちろんそういうパターンもありますが、実は人間って、あるものについて関心を持って詳しく調べれば調べるほどそれが好きになる生き物なんです。つまり、今あなたの目の前にあるもののオタクになれれば、あなたはそのことが大好きになっているはず。そして、目の前にあるものが大好きになれたとしたらしめたもの。好きなものだからもっと調べる。もっと詳しくなる。詳しくなるから成果があがる。人から聞かれるようになる。気がついたらあなたが「第一人者」になれるかもしれない。深堀りすること、オタクになることには、そんな大きな可能性があるんです。

(田中の例:SalesforceのオタクになりきることでSalesforce界隈での有名人になってそこからものすごく採用につながった。医療業界は全くの門外漢だったんだけど、色々な会社と話したり発信しまくることで気がついたら医療IT業界での有名人的なポジションを獲得することができていた…など)

3. 常に自分なりのポジションを取れ!

「人間は意思決定の数だけ成長する」というのが僕の持論です。仕事をしていると「A案とB案、どちらが正解かはわからないけどどちらかに決めなければいけない」というシーンがよく出てきます。そういうシーンで意思決定をするというのは、慣れていない人にとってはとてもストレスがかかります。どちらかを選ぶということは「選ばなかった案にした方がうまくいったのかもしれない」という不安と常に戦わなければいけないからです。だからこそ、自分で意思決定をするという経験はその分大きな成長につながります。そんなこと言っても自分は管理職でもないし「意思決定」をする機会なんて与えられていない、と思う人もいるかもしれません。そういう人も「A案とB案がありますがどうしますか?」ではなく「A案とB案がありますが、自分はA案がいいと思います。なぜなら〜」というコミュニケーションをすることを意識してみて下さい。自分はこう思う。この施策は失敗すると思う。あの会社はうまくいくと思う。このニュースはこうだと思う。テーマは何でも構いません。自分はどう思うのか。評論家でもなく、傍観者でもなく、必ず自分なりの「ポジション」を取るようにしてみて下さい。どんどんポジションを取って、誰のせいでもない、全部自分の責任なんだ、という状況を自ら作る。それが、どんな勉強をするよりもあなたを成長させてくれるはずです。

4. 弱みを開示できる強さを持て!

組織で仕事をする際、成果を最大化するためには組織に所属するメンバー同士で得意な所と苦手な所を補完し合うということがとても大切です。こう言われるとものすごく当たり前のことのように聞こえますが、自分が苦手なことや弱みを認めてそれを周囲に開示するということは実は思ったより簡単じゃありません。あなたがまだ現場の一メンバーだ、という場合は比較的簡単に弱みを開示できるかもしれません。ただもしあなたが、リーダー、マネージャー、部長…だったらどうでしょう?組織における「立場」が上がれば上がるほど、「自分はこれが苦手だから助けてほしい」こんな風に弱みを開示することには勇気が必要になってきます。弱みを開示したらみんなから「仕事ができない奴」と思われてしまうんじゃないか?「仕事ができない奴」だと思われたら誰も自分の言うことを聞いてくれないんじゃないか?こういう恐怖感から自分を必要以上に大きく見せちゃうことは、思ったよりも多かったりします。だけどそんな風に虚勢を張った状態で仕事をしていても、あなたが本来苦手なことを誰かが助けてくれるわけではありません。そして、それだと組織としての成果も最大化されません。だから、どんな立場になっても「弱みを開示できる強さ」を持って下さい。これは単純に「勇気を持て」と言っているだけではありません。弱みを見せても周囲から信頼を失わないあなたなりの「強さ」を磨いて下さい、という話です。あなたなりの強さがあれば、それが自信につながって堂々と弱みを開示することができるようになります。あなたが弱みをきちんと開示することができれば、あなたの弱みをカバーしてくれる人がきっと見つかります。そんな風にお互いが弱みをカバーしあえる組織を目指して下さい。そうしたらその組織はきっと今よりももっともっと成果があげられるようになるはずです。

5.Think outside the box!

僕は"Think outside the box"というフレーズが好きでよく使っています。要するに「頭を柔らかくして枠にとらわれずに考えろ」みたいな意味なのですが、仕事をするときは常に"Think outside the box"を意識することがとても大切です。上司がこうやれと言っていたから、前任者がこうやっていたから、昔からこうやっていたから、ではなく「そもそもその仕事って何のためにやるんだっけ?」「今の形でやるのが適切なんだっけ?」「そもそもやめちゃってもいいんじゃないの?」と常に本質に立ち返り前提条件を疑う。また、一般的にこうする、他社はみんなこうしている、常識的にこうする、ではなく常識そのものを疑うようにする。これは、何か新しいアイデアを出さなきゃいけない人だけがそう考えればいい、というものでもなくて、万人にとって大切なことだと思っています。それはなぜか?それは仕事には「慣性の法則」が働くからです。仕事における「慣性の 法則」とはなにか?それは、「ある目的を達成するために作られた仕事はその仕事そのものが目的化する傾向がある」と言いかえることもできます。そして「真面目な」人が集まれば集まるほど本来の目的が達成された、もしくは前提条件が変わって不要になった仕事をしっかりと、一生懸命にこなそうとする傾向があります。だから、頭を柔らかくして、前提条件そのものを疑い続けること。これ、すごい疲れますよ。疲れるけど、仕事そのものが目的化した仕事、ではなく本当に達成したい目的に近づくためには、常に"Think outside the box"し続けなきゃいけないんです。前提条件や常識を疑って、そして常にゼロベースで考え続ければ、今あなたが悩んでいて絶対に解決できないと感じていることだって、きっと解決できるようになるはずです。Let's think outside the box!!

最後に

僕は「思い出理論」という行動原理にのっとってあらゆる意思決定を行っているのですが、こうして過去のことを振り返ってみると、思い出に残っているのって本当に大変だったことばかりなんだと改めて思うんですよね。

だから、今もし現在進行系で大変な思いをしている人がいるとしたら、それは確実に「未来の自分への思い出というプレゼント」になるはずです。そう思って頑張りましょ!

メドレーのみなさん、今までいい思い出をありがとう!これからも引き続きよろしくお願いします!!

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