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誰も興味がない、北原大資の自分史。リスペクト社長の独り語り

どうも、リスペクト代表の北原です。
前回の更新から少し間が空いてしまいました。

まめに記事を投稿するって、簡単じゃないですね(笑)。せめて月2回投稿は、頑張ってやっていきたいと思っています!ちなみに私がノートをやってみようと考えたのは、以下の目的です。初心を忘れず、さぼらないためにも明示しておきます。

【目的】
1. Webでの情報発信
2. 振り返りの習慣
3. 言語化力・文章力の向上

それでは今回は、自分史を書いてみたいと思います。わかってます!自分のこれまでの歩みになんて、ニーズがないことは理解したうえで書いてみます(笑)。

まさに”自分史”を振り返るなかで、改めて自分自身で自己理解を深めたいのです。よろしければ、覗かれてみてください。

はじめに. 自己紹介に対するスタンス

まずはじめに、自分は自己申告の自己紹介には懐疑的です。例えばやさしい、怒りやすい、はっきりものを言う、などの主観的な情報は基準が人それぞれだからです。

皆さんは日々の中で、こんな経験をしたことがないでしょうか?

・他人に指摘した事が自分も出来ていなくて、ブーメランした
・自分のことだけ棚上げした
・自分は特別だと思った
・自分のことを他人はわかっていない
・他人のことを、自分は本人以上にわかっている

こんな思考癖がある人間(少なくとも自分)が考える自分の情報なんて、胡散臭すぎます。だからこそ、この自己紹介ではあくまで「わたくし北原大資は、どんな人生を歩んできた人間か」を”事実ベース”で書いてみました。

0歳〜13歳まで

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この時期は、ブラックボックスです。正直、あんまり覚えてないんですよね(笑)。今思い返してみても、「自分の頭で考えて行動してる」「理性的に判断してる」って自覚したのは、実は中一の頃から。

それまでは、「考える」という行為が意識的にできておらず、とにかく本能的に、脊髄反射的に、動きまわる子どもだったような思い出です。まあ、幼稚園〜小学校のころですから、記憶が曖昧なのですが(笑)。

いわゆる、「相手の気持ちを考える」みたいなコミュニケーションで重要な『思考』は、中学に入ってから。そのためか、国語の現代文は学校でも一番苦手な教科でした。

「登場人物Aの心情としてふさわしいものを選べ」みたいな問題は、やたら手こずりました。その分、暗記重視の理数系教科で点を稼ぐ戦略でした(笑)。

14歳〜21歳

中学・高校時代はもっぱら部活動に打ち込む日々。「陸上部」「サッカー部」に所属していました。

高校を卒業後、大学に進学。部活や受験から解放された大学生あるあるかもしれませんが、大学で出会った「ギャンブル」に「お酒」……これらの強い誘惑が世の中に溢れていることをこのとき知りました。

まさに、”ヒトの人生を狂わすほどの魅惑・誘惑”。「ギャンブル」に「お酒」に「女性」。このあたりの煩悩には、一通りイタイ経験をさせられました(笑)。

22歳・獣医師を目指すが受験失敗。大きな挫折

22歳の時、はじめての挫折経験がありました。

大学時代に偶然、河原で脚にケガをした犬を発見し、動物病院に連れて行ったことがありました。しかし、脚の傷口から蚊に卵を植えつけられていて、もう手の施しようがないという診断を受けました。その犬は翌日亡くなってしまいました。

この犬が亡くなってしまった体験から、動物のケガや病気を治せる人になりたいと思い、「獣医師」という仕事を目指す決心をしました。

それから、大学の制度にある「学資編入」という制度を利用し、獣医学部への編入試験を受けたのですが……希望叶わず、残念ながら試験は不合格。これが最初の挫折経験です。

22歳・就職する

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獣医学部への編入試験で自分の貯金と母親に借りたお金を使い果たしたこともあり、獣医師になる道は諦め、就職活動を開始。新宿にある通信関係の代理店に営業職で就職しました。

新卒1年目は、社会の厳しさを骨の髄(ずい)まで実感する1年でした。営業成績が芳しくなかったため、毎日のように上司から叱られる日々。あの時は怖かった……。毎日が自己否定でした。

叱られる日々を過ごしながらも粘り強く取り組み、次第に成績がでるように。そんな最中、会社の上層部が不正を起こし、多くの従業員が退社するという事件が発生。会社倒産の危機のムードが社内を覆うようになり、しばらくして私も転職を決意しました。

23歳・創業メンバーとして転職

次に入社した会社は、3人の会社。前職の上司2人にお誘いいただき、その上司と私の計3人で新しい会社を創業しました。事業内容は「法人顧客へのオフィス機器販売」。資本金はわずか10万円、豊島区の1Kマンションからのスタートです。

小資本での立ち上げでしたが、メンバーは前職からのよしみなので気心が知れた仲。私は営業部門のリーダーとして、前職と比べると伸び伸びと仕事に打ち込むことができました。そのモチベーションもあってか、会社は順調に成長していきました。

27歳・独立。リスペクト株式会社 創業

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27歳になったころ、2番目の会社を円満退職し、現在のリスペクト株式会社を弟(現 部長)と同僚の一人(なんと、現在の妻です)の3人で創業しました。今回は、私が代表です。

事業は前職と同じような「法人顧客へのオフィス機器販売」。ひたすらにテレフォンアポイントメントを行ない、顧客開拓するという営業スタイルです。

創業5年目に始めた自社サービス「ひかりプラス」に顧客がつくまで、正直、自転車操業の日々が続いていました。テレアポが得意なメンバーが病気してチームから抜けてしまった時には、売上目標が達成できず、会社の口座残高は減るばかり。深夜にお金の不安で目が覚めてしまうことも、よくありました。

そんななか、なんとか踏ん張ってリスペクトを存続させることができたのは、創業メンバー(現在の妻)のおかげです。苦しい時に私にかけてくれた「お金がなくてもあなたと一緒なら楽しいよ」「商売がダメになったら、田舎で畑でもやろう」という言葉で、随分と勇気づけられたのを覚えています。

同じく創業メンバーの弟からも「借金ができたら半分は俺がもつ」「俺がマグロ漁船に半年行けば借金は返せるから」という言葉もありました。まあ、マグロ漁船は冗談半分とはいえ、こんな兄貴にいつまでもついて来てくれる弟の覚悟が嬉しかったです。

29歳・結婚、父になる

まだまだ、自転車操業の日々が続いていた29歳の頃。当時の創業メンバー、現在の妻にプロポーズをしました。

事業の光がはっきりと見えていなかった時期ではありますが、三十路を前に結婚を決意。翌年には、待望の第一子(娘)が誕生。さらに3年後に、第二子(娘)も授かりました。

32歳・ひかりプラススタート

事業の転機だったなと今振り返って思うのが、創業5年目に誕生した「ひかりプラス」。この「ひかりプラス」とは、NTTの光コラボレーションモデルで提供している自社光回線のサービス名です。小資本で自社光回線サービスを提供できるようになりました。

当社では、「NTT東日本よりも10%安く使えるプラン」「オフィス機器の保守が無料で受けられるプラン」を準備し、既存のお客様に対してご案内を開始。

おかげさまで「ひかりプラス」は、多くの既存顧客に支持されました。その結果、当社は一定の固定収入を得ることができるようになったのです。

そして、現在。勉強の毎日

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「ひかりプラス」導入のおかげもあり、少しばかりではありますがキャッシュに余裕が生まれた弊社。次はさらに会社組織を筋肉質に変え、新しい時代の変化にも対応できるように、新規サービスの企画に現在は注力しています。

わたくし北原個人の現在の課題は、『ITリテラシーの向上』。これからの時代、オフィスや働き方のあり方を語るうえで、ICT(情報通信技術)は外すことができませんから。

恥ずかしながら、これまでずっと営業畑で、壁にブチ当たれば「気合いだ!根性だ!」という思考で乗り越えてきた部分が大きいので、IT技術を用いた業務改善や効率化は苦手分野でした。

これからは、ITリテラシーを高めることを主眼に入れ、事業をさらに加速させていきたいと思っています。

(おわり)


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