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絵画歴史のイノベーション その2キュビズムの誕生

これまで絵画の大きな歴史の変遷「絵画の歴史その1」を振り返り、絵画でのイノベーションの第一弾として、「印象派の誕生」を取り上げました。

印象派の次のイノベーションと言えば、やはりピカソのキュビズムだと思います。印象派までは言っても何が描いてあるかはなんとなく分かりますが、キュビズムは何が描いてあるが分かるようで分からない、どう見たらそう見えるのかが全く分からない絵になっていきます。例えば、キュビズムの代表作であるピカソの「泣く女」は確かに泣いている女性であることは分かりますが、実際のモデルをどうすればこのように見えるのかは全く分からないと思います。キュビズムにはそういうすごさがあります。

ピカソ「泣く女」(1937年)

ピカソの人生を振り返る

キュビズムの誕生を振り返る前に、まず、ピカソの人生を振り返りたいと思います。ピカソの絵を見た人たちは、恐らくピカソは絵が下手くそなのではないかと思うのではないでしょうか。ピカソは25歳(1907年)に「アビニヨンの娘たち」で初めてキュビズムで描いた絵画を発表しますが、それまではちゃんとした?絵画を描いています。ピカソの青年時代と呼ばれています。あと、有名なのは、ピカソが19歳の時に友人が自殺し、その影響から鬱屈した気持ちを青色の染料で表現した絵画「青の時代」と呼ばれる時期もあります。
ピカソの年表を以下にまとめました。(こちらも芸大の課題ですね(笑))

ピカソ年表(筆者作成)

ピカソの高い写実能力を示した作品としては、「科学と慈愛」があります。ちなみにこの作品は15歳のときです。中学生3年生でこの絵を描けます?すごいですよね・・・

ピカソ「科学と慈愛」(1897年)

青の時代の作品をいくつか紹介しておくと、20歳前後で描かれた作品ですが、どちらの作品のその画面に引き込まれてしまいますよね。素晴らしい作家の絵は、若い時からそのすごみがあることが分かります。

ピカソ「自画像」(1901年)
ピカソ「人生」(1903年)

キュビズムの誕生

ピカソがキュビズムを発表したのは、1907年の「アビニヨンの娘たち」でしたが、この時期に何があったのか、覚えていますでしょうか。そう絵画の歴史にでも話していた通り、カメラの登場です。カメラ(写真)の誕生によって、写実的な絵画の必要性が薄まっていくなかで、多くの画家が新たな表現方法を模索していた時期で、ピカソも新しい恋人ができ、鬱屈した青の時代を乗り切り、新しい表現方法を模索している時期でした。
そして、パリの民芸博物館でアフリカ彫刻に接したことをきっかけに、1つのものを様々な視点から見た面を平面のキャンパスに表現するというキュビズムという表現方法を新たに生み出すのです。

ピカソ「アビニヨンの娘たち」(1907年)

印象派がそうであったように、発表当初の評価は散々なものでした。アンリ・マティスは腹を立て、ジョルジュ・ブラックは「三度の食事が麻クズとパラフィン製になると言われたようものだ」と言い、アンドレ・ドランはピカソがそのうち首を吊るのではないかと心配したそうです。しかし、ジョルジュ・ブラックはキュビズムの重要性に気付き、自身もキュビズムの作品を発表します。イメージとして、キュビズム絵画と言えば、ピカソとブラックではないでしょうか。

キュビズムの絵画は遠近がなく、極端に形がデフォルメされたものですが、日本の浮世絵の特徴にも似ています。印象派に浮世絵が影響を与えたように、キュビズムにも浮世絵の影響があるのではないかと思います。

あとは、アフリカのお面をいろいろな角度から見て、キュビズムという技法を生み出したピカソはやはり天才ですね。

キュビズムの模写

芸大の課題でキュビズムを模写するというのがあり、実際に模写してみたですが、いざ、はじめると結構、いろいろと発想が深ります。模写したのはピカソの「女の頭部」(1939年)という2012年に盗難にあった作品なのですが、シンプルな構図の割にはこれってどの部分を描いているのだろうかと思いながら描くとなかなか面白いのです。次は実際のモチーフをキュビズム風で描いてみたいと思います(笑)

ピカソ「女の頭部」の模写(筆者作成)

キュビズムを生み出したピカソのその後

ピカソ作品におけるその後の大きな転機は、第一次世界大戦という大きな社会的な変化によります。暴力的な戦争に対する反対の意を示すために作品を作成し、「ゲルニカ」が誕生します。表現としても、キュビズムは専門的な前衛美術の世界のなかで、専門家の画家として、どのように表現すべきかと考えるなかで生まれたものと思われますが、「ゲルニカ」はそうではなく、戦争という社会問題を大衆に向けて、反戦のメッセージを打ち出すために作成したものです。そのピカソも晩年は故郷に思いをはせて、スペインの巨匠の作品のオマージュを発表しています。

ピカソ「ゲルニカ」(1937年)
ピカソ「ラス・メニーナス」(1957年)

また、ピカソはその生涯(1973年に91歳で亡くなる)で数多くの作品を残しています。その数、15万点ほど(油絵など1万3500点、版画10万点、挿絵3万4000点、彫刻や陶器300点)で、最も多作な芸術家です。

次は、「絵画歴史のイノベーション その3抽象絵画の誕生」を紹介します。

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