【特集】大阪市住吉区のかわいい洋館の謎に挑む!
【2022年7月1日/大阪歴史倶楽部】
大阪歴史倶楽部です。
大阪市住吉区にあります、小さな洋館をご紹介致します。今回はこの洋館の謎にも迫ってみました。
1.はじめに 〜小さな洋館〜
今回ご紹介致します洋館は、大阪市住吉区墨江1丁目8(住吉大社から細井川という川を隔ててすぐ南側)にあり、大阪府下で唯一残っている路面電車の阪堺電車(阪堺電気軌道)「細井川」電停から東へ約150mのところに位置しています。
この小さな洋館は、インターネット上でもいくつかのサイトで簡単に写真だけ紹介されていて、その存在はわりと知られている建物です。一筆(ひとつの区画の土地)のなかに和風の建物とこの洋館とが隣接して建っていて、和風建築が西側、洋館が東側の配置となっています(写真01から03)。
この洋館について、大阪歴史倶楽部は2015年にその存在を知り、今年(2022年)1月から調べ始めました。
2.建築年代
この洋館についての正確な建築年代は、現在のところよく分かっていません。銅板葺きの屋根や玄関横の窓の形などから、相当古いような印象を受けます。そしてこの屋根のタイプなら明治か大正時代にまで遡る可能性もあると思うのですが、そうするとこのタイプの屋根に対しては外壁が煉瓦積みか石積みがしっくりくるように思います。
しかし現状では、外壁は新しいもの(戦後のもの?)ではないかという印象を受けます(ただし基礎から窓の下あたりまでは石材?の積み方が上部とは異なるようですので、もしかしたら窓から下は古いのかも知れません)。このような点などについて大阪歴史倶楽部は少し違和感を抱いているのですが、もとは煉瓦積みか石積みなどの外壁だったものを後に新しくしたのかも知れないなとも思います。その他に大阪歴史倶楽部がこの洋館の現状について違和感を抱いている点を挙げますと、
(1)屋根と較べて外壁がきれいすぎる。
(2)銅板葺きの立派な屋根をもっているにも関わらず建物が小規模である。
(3)窓が建物正面の玄関脇に1箇所しかない。これでは建物内が非常に暗いと思われる。したがって電灯(室内灯)がある程度普及してからの建物になると思うが、しかし銅板葺き屋根のスタイルが電灯(室内灯)が一般に普及する時期の建物と較べると古すぎる印象を受ける。
以上の点などから、現状では建物の外観から年代を推定することは難しのではないかと考えています(写真04 , 05)。
ただ、これらの疑問点については、大阪歴史倶楽部は建築の専門家ではありませんので、専門的な知識がなくて何も分かりません。ですから、もし可能でしたら建築の専門家様などからのご教示を賜われれば、嬉しく有り難く思います。
3.もと郵便局?
さて、この洋館について大阪歴史倶楽部は長い間、民間の建物(一般住宅)の一部分だと認識していたのですが、調べ始めて約1ヶ月が経った2022年2月に近隣のかたから「もと郵便局の建物らしい」という情報を頂戴いたしました。
もし、もと郵便局であるとするならば国や自治体などによる公的な記録が確実に残っているはず(記録が残っていないほうがおかしい)ですので、大阪歴史倶楽部はその方面からこの洋館の建築年代等についてのアプローチを試みました。
まず最初に、1935(昭和10)年発行の『大阪市域編入十周年記念住吉区略誌』の記録を見ました。ここには、郵便・電信・電話(昭和9年12月末日現在)の「郵便局」の項目に、
との記載があります(写真06)。
次に、その5年後の1940(昭和15)年発行の『大阪市住吉区々政概况』における「郵便局」の項目には、
と、当時の住吉区内の郵便局一覧が記載されています(写真07から09)。
この『大阪市住吉区々政概况』には現存していない郵便局がいくつか掲載されているようですが、問題の洋館は「住吉川郵便局(濱口町443-1)」ではないかと大阪歴史倶楽部はいちおうの仮定をしてみました。
しかし住吉川郵便局の当時の所在地は上記の如く「濱口町443-1」となっており、この洋館の現在の所在地は墨江1丁目8ですから現在の地図と戦前の地図とを比較しても位置的に合わないようです。それでも他に該当する郵便局と思われるような記載がないため、またこの洋館の敷地のすぐ裏(北側)を流れている細井川は少し西へ行くと住吉川とも呼ばれていたるめ、住吉川郵便局だと強引に仮定して『官報』第3879号(昭和14年12月9日 土曜日)を閲覧しますと、
とあり、仮に住吉川郵便局であった場合には1939(昭和14)年12月11日の設置と判明致します(写真10)。
4.専門機関に調査を依頼
この洋館がほんとうに住吉川郵便局なのか、または別の(上記の記録にはない)未知の郵便局なのかについて、日本郵政史の専門の調査研究機関である「郵政博物館」さまに調査の依頼を致しました。
以下は郵政博物館さまから頂戴したそのご回答です(要旨)。
大阪歴史倶楽部の調査依頼に対する郵政博物館さまからのご回答は以上の通りです。
この郵政博物館さまからのご回答を得て、さらに大阪歴史倶楽部は以下の文献の調査も行いました。
『東成郡誌』大阪府東成郡編(1922年)
『今宮町志』大阪府西成郡今宮町(1926年)
『住吉村誌』住吉常盤会編(1928年)
しかしながら、当該の(現住所:大阪市住吉区墨江1丁目8の)洋館が郵便局であったという痕跡を見つけることはできませんでした。
この問題について、上記のように郵政史の専門家である郵政博物館さまの調査でも分からなかったということで、これは非常に難問でした。いちおうの大阪歴史倶楽部としての結論と致しましては、もと郵便局の建物である可能性は低いだろうと思います。
周辺地図
周辺略図
5.おわりに
今回ご紹介致しました大阪市住吉区の細井川河畔に佇むこの小さな洋館については、外観からも、また「もと郵便局ではないか」という情報からも、結果としては何もわからなくて建築年代やその用途を解明することはできず、謎のままとなりました。お許しください。
いちおうの大阪歴史倶楽部としての結論と致しましては、もと郵便局である可能性は低いのではないかと思います。
なお、ここでご紹介いたしました洋館は民間の個人所有の建物(個人の住宅)の可能性があります。ですからこの建物を見学したり写真などを撮影されるときには、所有者の方および周辺の方々に不快感を与えたりご迷惑にならないよう充分なご配慮をお願いいたします。
また許可なく他の人の敷地内に入ったりはしないようお願いいたします。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
【謝辞】
今回、この大阪市住吉区の洋館について調べるにあたり、郵政博物館さまには大変お世話になりました。ここに記して感謝の意を表します。
【参考にしたおもな文献】
◎大阪府東成郡編『東成郡誌』(1922年)
◎『今宮町志』大阪府西成郡今宮町(1926年)
◎住吉常盤会編『住吉村誌』(1928年)
◎『大阪市域編入十周年記念住吉区略誌』(1935年)
◎『官報』第3879号(昭和14年12月9日 土曜日)(1939年)
◎『大阪市住吉区々政概况』(1940年)
【図・写真の出典】
〔図〕
(図01)「洋館周辺の略図」2022年6月 九條正博 作成
(図02)「図1の部分拡大図」2022年6月 九條正博 作成
〔写真〕
(01)住吉洋館(西から)2022年6月 九條正博 撮影
(02)住吉洋館(洋館に隣接する和風建築)2022年6月 九條正博 撮影
(03)住吉洋館(南から)2022年6月 九條正博 撮影
(04)住吉洋館(南から/建物下部)2022年6月 九條正博 撮影
(05)住吉洋館(南から/建物上部)2022年6月 九條正博 撮影
(06)『大阪市域編入十周年記念住吉区略誌』(1935年)九條正博 蔵/パブリックドメイン
(07)『大阪市住吉区々政概况』その1(1940年)九條正博 蔵/パブリックドメイン
(08)『大阪市住吉区々政概况』その2(1940年)九條正博 蔵/パブリックドメイン
(09)『大阪市住吉区々政概况』その3(1940年)九條正博 蔵/パブリックドメイン
(10)『官報』第3879号(1939年)九條正博 蔵/パブリックドメイン
(11)住吉洋館(東から)2022年6月 九條正博 撮影
(『大阪歴史倶楽部』第1巻 第4号 通巻4号 2022年7月1日)
※次号は2022年8月1日に投稿する予定です。
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