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エピソードとは何か? あらすじとエピソードは違う? いい作品に必要なキャラクターの立ち上げ方@「ここ何会議」

コルクの佐渡島庸平さんが「小説を書かせたい!」というカフェマメヒコのオーナー井川啓央さん
ここに角田陽一郎さんと約30人のお客様をお迎えし、毎月行われている小説の公開編集会議「ここから何か生まれるかも会議」(ここ何)。名幹事の辻さん主催の「ここ何会議」。
第九回目の今回は、「ストーリーとは何か」「キャラクターとは何か」「作品の中で人物を立ち上がらせるとはどういうことか」が語り尽くされます


ストーリーとは「あらすじ」の連なりではない。エピソードの繋がりこそがストーリー

井川:半年ぶりに見返したら直しておかなきゃという気持ちが大きくなった。作品の中で主人公の朋美がすごくグズグズしているんだけど、それは彼女の家族に対するトラウマが原因かもしれない。だけどそこにフォーカスすると話として進まないなと思い、登場人物を女だらけにして、作品に肌触りを出したかった。
最初の頃に書いたものはシーン割がすごくハッキリしていたが、「ここ何会議」を何度かやっているうちに、小説はそうでなくてもいいと覚えたので、落とすところは落としてまとめるところはまとめ、作者の視点を入れた。前に比べたらそういう意味の進歩はあるかと自分では思うんだけど、次に何書くかをすごく考える。残り数本、企画として書くとしたらどう書けばいいのかなと思う。企画があって、プロットがあって書くんだろうから。今までの二本はなんとなくそこらへんにあるものをすくい取ってる感覚で書いていた。

角田:まず文章がすごいうまくなった。文章がうまいから、状況が頭に入りやすい。スキーでいうとパラレルが出来るようになった感じ。逆に言うと、主人公を動かしていくのがうまくいから、要素が多いように感じた。

井川:要素は元々の直しだから、もっとあったんだよね。すごく減らしてるんだけど、前はもっとザラザラしてたから今回のほうが多く感じたのかな?

角田:あとは、作品の中の校長先生とのやりとりが労働文学のようだった。大正時代の文学感があって、それは今の時代にあえてあっても面白いかもと思った。

佐渡島:文章に色気が出てきてるから読みやすくなって面白くなった。部分部分のシーンが際立ってきたので、ぶつかり合いが起きて強く感じた。5つくらいの物語の要素が、ヨシノ(作品に出てくる鍵を握るキャラクター)の「まもる」(文中に出てくるセリフ)が串刺していればいいんだけど、串刺し出来る程の強い言葉ではないから、不思議な感じがしている。「幸福とは何か」が一番強いメッセージになってしまっている。そこに一本綺麗な筋を通せるといい。

あとは、朋美のキャラ・魅力がよく分からなくなってしまっている。井川さんの中でまだ朋美や恭子のキャラが決まってないのかもしれない。キャラクターを立てていかないといけない。前作のLESS IS MOREでは井川さんの文章力を上げることに注力していた。無駄な文章を弾いていって、魅力的なストーリーの繋がりで物語を見せるということが前回で出来たよね。今回はその次のステップ。

「ストーリー」という言葉は人によって解釈が違うから、その定義を合わせていきたいんだけど、ストーリーというのはあらすじの連なりじゃないんだよね。人は「あらすじが面白い!」とはほとんどならない。そうじゃなくて、人物が立ち上がってくるエピソードの繋がりが面白いんだよね。
例えば、マメヒコは調度品一つ取ってインスタにあげてもどういうカフェかイメージが出来る。一つ一つにセンスとこだわりがあるから。

角田:それが作品でもあるということ?

エピソードの積み重ねにストーリーを被せていく

佐渡島:そう。「これって全部一つの小説の中に入ってそうだな」というキャラクターに対するエピソードを積み重ねていくことで作品ができる。そしてエピソードの積み重ねに、感情が動くストーリーをもう一つかぶせてあげる
前回のLESS IS MOREでストーリーの作り方を学んで文章力が格段に上がって、今度ここにキャラクターの立ち上げ方を足していくイメージ。
キャラクターをいきなりは立ち上げられる人はいないんだけど、僕が井川さんならいい小説を書けるんじゃないかと思うのは、井川さんにはこの店にあっちゃいけないものを弾く力があるということをマメヒコで証明しているからなんだよね。

井川:佐渡島は合ってると思う。だけど、言うのは簡単だけど、そのエピソードを見つけて、乗せていくって手間がかかるのよ…。(笑)お店だって10何年、日々の営業の中で「これ違うな」と思ったものを一つずつ弾いていったっていう作業があるから、積み重なって今残っているものが正しいけど、最初からそれが見つかってるわけではないんだよね。ウナギのタレみたいに、つぎたしつぎたしして出来てるという感じだから。小説だと、自然に増えてるということは無くて、自分が足さないと継ぎ足されない。3日くらい経つと自然にエピソードが増えてて、「これ違う、これ違う」と言っていけばいい訳じゃない。否定の連続ではエピソードを増やせない。足してくよりは一個コレというのがどんと見つかるまで待つしかない気がする。

佐渡島:あと一年くらいやってると、「今回コレ書こう!」と思うとそれに合うエピソードがパッと見つかるようになると思う。

井川:エピソードに当て書きしたほうが書きやすいね。先にプロットを書いちゃってたから、それに合わせるキャラを後付けするほうが難しい。

佐渡島:はじめはみんな、あらすじを考えるんだよね。でも、慣れてくると「このエピソードいけるな」って感覚が出てくる。「このエピソードに最適に合わせるためには、前後にこれとこれが必要だな」という感覚でストーリーが出来上がる。あらすじありきかエピソードありきかでは作り方が全く違う
連載をやってると、エピソードを切り出す訓練がすごく出来る。自分が一週間あったことの中で、「これ面白いかな」と感じたことをキャラにかぶせられるようになるんだよね。

角田:連載ってビジネス側面でメリットがあることだと思ってたけど、作家さんにとって訓練できるというメリットがあるんですね。

キャラクターやエピソードは過激である必要は無い

佐渡島:そう。連載は作家にとってもすごくいい鍛錬になる。新人の時は「エピソードを書いて」と言っても、出来ないからね。キャラクター、エピソードと意識すると過激なキャラクター、エピソードにしようと考えてしまいがちなんだけど、過激である必要は無いんだよね。日常のさりげないことでいい。さりげないことからそのキャラクターが分かるようなエピソードということ。エピソードを一回ストーリーに変えちゃうとまた違くなってしまうから、そこは難しいところなんだけど。エピソードはエピソードのまま残さないといけない。

辻:エピソードを見つける力はやってるうちに高まっていくものなんですか?

佐渡島:「これはエピソードになる、これはエピソードにならない」っていう感覚は、やっているうちについてくると思う。人物が立ち上がるエピソードとは何なのかって、例えば、『講演会場では佐渡島が喋っていた。一人だけ、「へぇーっ」と全員に聞こえるような声を出して聞いている女性がいた』と書くと、観客側だけど「へぇーっ」と声を出して聞く女性のキャラクターが立ち上がってきそうな気がしない?これが立ち上がりの萌芽の部分。…その後に2、3行、この女性がどういう性格の女性かという描写を続けられたら、それだけでこの人は職業はこれじゃないかな、家族はこうじゃないかな、とか読者が想像がつきやすくなる。
例えば、「すごく美しい女性だが、パスタを食べる時になぜか両肘をつく」っていう描写をすると、その女性ってどんな女性なんだろうと、その人の性格も含めて興味持つじゃないですか。そういう仕草から描写しだして、その後もう少しその人がどんな人かを描いていく、みたいな感じ。
井川さんは人に興味があるから、人のちょっとした仕草とか、面白そうな個々のエピソードをいっぱい持ってるはずなんですよ。人のまばたきや姿勢とか、そういったものを思い出そうと思ったらもう一回再現できると思う。その描写でキャラクターが立ち上がってくるかなぁというのを作品に入れてみて欲しいんですよね。そういう行為を自分の過去の記憶に対してずっとやっていくんですね。その中で伝えたいことを拾い上げていって、物語にしていく。

頑固な人を「頑固」という言葉を使わずに、その人の言動で頑固さを表す

角田:「頑固なオヤジ」って書かないで、どう頑固を伝えるかみたいな感じかな?

佐渡島:ある人が頑固だとしたら、自分が「この人頑固だなぁ」って一番感じた言動をエピソードとして入れるんだよね。

井川:知り合いで焼肉屋行っても、絶対焼かないで食べる人がいるんだよね。せっかちで。

佐渡島:それ僕じゃないですか(笑)

井川:佐渡島もそうなの?(笑)

佐渡島:僕、限りなく生肉が好き。

井川:そう、こういう人。(笑)焼肉を焼かないで食べようとするのを見ると、思わず「これしゃぶしゃぶじゃないんだから!」って言っちゃうよね。(笑)その人に「それ平気なの?」って聞いたら、「気にしないでください、最悪体温で焼きますから」って言うんだよね(笑)。

角田:それ面白い(笑)

井川:そこから、焼肉を生で食べる、せっかちな総理大臣の話、とかにも出来そうだもんね。

佐渡島:そうそう、そんなイメージ!今の焼肉の話って、点なんですよ。点に見えるエピソードを三つ並べた時に、でもなんか繋がってるよなという形になってストーリーになっていくと面白い作品ができる

井川:肉を焼かなかったってことが一国を救うことになった、みたくオとせたらいいよね。(笑)

エピソードを重ね、そこに設定を被せていく

佐渡島:この場合、焼肉っていうのはエピソードで、総理大臣っていうのは設定なんですよ。だから、焼肉みたいなエピソードを三つ重ねて、その上でその人物が総理大臣になっていくっていう設定を被せると、どんな物語になるだろうって言って、それを描いていくっていう感じ。

井川さんが本当に把握しているキャラクターって「ヨシノ」だけなんですよね。だから、ヨシノが軸になっていったら、どんどん新たに魅力的なストーリーを描けるかもしれない。みんな小説とはストーリー、あらすじのことだと考えているが、あらすじで書いちゃうと、キャラクターが持ってる魅力が薄れちゃう

井川:難しいね。

佐渡島:エピソードがしっかりと立ち上がりながら小説を書ける小説家はほとんどいないからね。それくらい難しい。

角田:エピソードの定義を佐渡島さんに聞いてみたい。

「エピソード」、「キャラが立つ」とは何か?

佐渡島:エピソードとアイディアっていうのは違って、その描写から人間が立ち上がってくるのがエピソード。例えば写真で考えてみると、一枚の写真があるとしたら、その一枚から、周りの風景や世界観、そこにいる人とかが予想できるかどうか。フェルメールの絵って、その一枚の絵から、描かれている女性がどんな女性か想像できるじゃないですか。ちょっとした小話がそこから立ち上がってきそうというか。それがエピソードがあるかないか。

キャラが立つっていうのは、その人がどんな風に行動できるか想像できるということ。例えば、「このキャラクターはバレンタインでチョコを貰う人かどうか。貰うとしたらどんな風に受け取るか」が推測出来るキャラクターだったら、それはキャラが立ってるってことなんだよね。
スラムダンクのキャラがコンビニに行ったらそれぞれが何をどういう風に買うか推測できるでしょ?それがキャラが立ってるってことで、一つのエピソードを元に、なんらかのそういった推測が出来るところまでいっていたら、「キャラが立ち上がるエピソード」と言えると思う。

井川:難しいけど、エピソードを見つけながら書けたらいいっていうのは、書きながらも思う。実際に喫茶店をやっていると、そんなにエピソードってなかったりもする。「何でもない」っていう風に見える時代じゃない。その温度の無さの積み重ねが、いいと思ってる人もいるっていう風にも感じる。

作家とは、誰も気づかないところに面白さを見つける人

佐渡島:作品を作り出した初期って、強烈なエピソードを求めてしまうけど、エピソードは強烈だったらいいという訳ではなくて。「ドラゴン桜」を描いている三田紀房さんが、羽賀翔一さんに「作家とはすごいエピソードを見つけてくる人じゃない。誰も気づかないところに面白さを見つける人のこと」と話されていて。その言葉がすごく印象的に残っている。

今回参加した読者の声:
「優しさ」が作品全体から伝わってきた。人の完璧じゃない部分を温かく見守ってる感じがした。設定にもすごくリアリティがある。キャラクターに親しみが湧く。どの人物にも隙があるところに作品の優しさを感じる。「ヨシノ」のお客さんに対する距離感がすごく好き。このシリーズが沢山出来ていくのが楽しみ。


佐渡島:カフェマメヒコってこだわりの集積じゃないですか。他人はあまり興味を持たないだろうが、井川さんが目をつけてる観点があるだろうと思う。それらは全部エピソードになると思う。井川さんが持ってるんだけど、勝手に井川さんが捨ててるような。

角田:今まで出尽くされてきたような言葉を使ってもいいんですか?僕はそれに抵抗を感じてしまって…。

佐渡島:そういう言葉って、自分の中で飽きるくらい考え尽くしてきたことだから、そのくらいを語った時にやっと人に伝わる。自分の言葉になってるかどうかだよね。最もみんなが感じてることだし、井川さんも感じてることを井川さんの言葉で言えればいいよね。自分の言葉で語れるには書き手は自分のことをよく分かっていたほうがいい

あと、書き言葉と話し言葉って違うじゃないですか。会話の中だと声のトーンや表情などで伝わることも文章にすると違ったりする。例えば「感動した」という言葉を使う時は、自分の感情の中のどの感情を指して使うのか。「嬉しい」「楽しい」「胸が踊った」など、「感動した」の中にも色々な感情があって。それらの感情を全部理解した上で言葉を使っていく中で、言葉を操って使える人になっていく

井川:僕自身が言葉を操れているかどうかは分からないけど、現時点での最大限はこれだから、足りないところは修正していく。書いて直していくと、毎回その時のベストを出しているんだけど、それでも直すべきところは毎回見つかる。書き続けていく中で、それでも辞めずに続けていくモチベーションを保つことが重要だなと感じる。

佐渡島:作品を見ると確実に成長していってるしね。それに、ほとんどの喫茶店って、「渋谷にあるパルコのお店で待ち合わせようよ」みたく、場所で言われるけど、マメヒコは違うじゃないですか。喫茶店の名前バイネームで言われるところって日本中探してもそんなに数ないと思う。チェーン店になると「スタバ」とか「マック」って名前で言われるけど、数店舗しかない店でバイネームで「あのお店に行こう」ってなることは、なかなかない。カフェマメヒコを考えてみると、マメヒコのメニューの中で、ぶっ飛んだものって無いよね?こだわってはいるけどぶっ飛んでいる訳ではない。それでも「マメヒコに行こう」ってなる訳じゃないですか。

カフェマメヒコのメニューの中で井川さんが味を深く理解していないものって無いんですよ。ここのバターはどうあるべきだとか、塩加減はどうあるべきかとか、全部把握してるじゃないですか。言葉も文章も同じで、いい作品を描こうとすると文章を全部把握していないといけない

辻:僕は井川さんの作品は、毎回言葉や文章を把握してる度合いが上がってきいるように感じます。それと、井川さんには、僕自身が言葉にはしていないけれど、どう感じているか、どう感じてきたかが分かっているなと思わせる何かがあるんですよね。

角田:それを会話や関係性を抜いて作品の中で出し切るということですか?

正しい言葉で、描くに値する人間の感情を描き、そのことにより人間を立ち上がらせる

佐渡島:太宰治の作品とかは、中学生が読んだらみんな「これは僕の気持ちだ」ってなるじゃないですか。

井川:比較で出す人のレベルが高過ぎだよ(笑)

佐渡島:(笑)井川さんはそのくらいのレベルになれるっていう風に思ってるからですよ。目指すべきレベルはそのくらいってこと(笑)読んだ人が「全部のキャラクターが、自分が言いそうなことを言っている」ってなるレベル。それを徹底的にどこまでやれるか。トリックやアイディアを楽しむような作品ももちろんあるんだけど、今井川さんがやろうとしているのは、細かい人間の定義を入れた作品正しい言葉で、描くに値する人間の感情を描いて、そのことによって人間を立ち上がらせるっていうこと。関係性が無く、初めて読んだ人にもその感覚を味わってもらうっていうのが目指しているところ。

井川:太宰治を目指すのか…(笑)ずいぶんハードルが高い…。手間がかかるし、難しいことをやろうとしてるね。

辻:でもその難しく手間がかかることをやろうとしている井川さんと共にする仲間がこれだけ毎回集まる訳ですからね。

佐渡島:そう。しかも、僕はこの会では、他では滅多に出来ない深い創作論をしていると思う。

角田:してますよね。これは佐渡島さんはすごい誉めてるっていうことだと思う。

井川:すごい分かりにくい誉められ方だな(笑)

佐渡島:通常は同じアドバイスの繰り返しをすることが多いんだけど、ここではアドバイスの中身がスライドしていってるじゃないですか。井川さんはすごく成長している。

角田:思ったんですけど、井川さんがやろうとしていることよりも、ストーリー展開を考えるほうが簡単なんじゃないですか?

佐渡島:そうです。ストーリー展開っていうのは作家は編集者との打ち合わせでしていくけど、エピソードを探したり、キャラクターを作っていったりするところは作家が一人でやる。文章でそれが出来るようになると、再現性が上がって、井川さんがやってる演劇やライブの作品度もさらに面白くなると思う。
一つのテーマに関して深く掘り下げて書ける人ってなかなかいない。井川さんはカフェマメヒコで再現可能なサービスを生み出してるじゃないですか。だから、このカフェマメヒコという成功体験をスライドする感じで、再現可能なストーリも生み出せると思っています。

次回は3月24日(日)10時〜、市ヶ谷で行われる『本のフェス』にてこの「ここ何会議」が公開されるそうです!普段マメヒコでの「ここ何会議」に来られない方でも、井川さん、ヨシノ、角田さん、佐渡島さんの文学論を味わう大チャンスです!

小さい頃から小説が好きだった私にとって、「ここ何会議」でのお三方による文学論や小説が生み出されていく過程を生で見ることが出来、作品を味わえるのはものすごく贅沢・貴重な機会で、毎月この会議に参加出来るのを楽しみにしています。
是非みなさまにも味わって頂きたい公開小説編集会議「ここ何会議」。
ご興味のある方は是非是非チェックしてみてください(^^)!!

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