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音楽は人を癒すか 〜 本当に 「音楽は人を癒す」 か?

音楽は人を癒すか。癒す時もあれば癒さない時もある。音楽を忘れる時もある。「本当に」へこんだ時は、音楽は力にならない。これは自分の場合、だけど音楽は自分にとって個人的な体験だから、これが全て。

本当にへこんだ時、ある一線を超えて(越えて)落ち込んだ時、音楽は自分の傍らになかった。というか、聴く気にもならなかった。この世に音楽があることを忘れていた。

「本当に」落ち込んだ時は、音楽すら傍らにない。音楽はその時、力にならない。音楽が癒しになる時は、いずれ再び立ち上がる可能性を秘めている。

というわけで、先に結論を書いてしまったけれど、今日の note 投稿の本題として載せるのは、2002年10月27日に書いて(キーを打って、html で書いて)自分のホームページ上に掲載した日記。

こういうことにその時の年齢がどれだけ影響するかというと、それは大きな影響というほどのことではないものの、まぁ少なくとも人生のどの辺りにいるのかという程度の意味では多少の関係はあるんだと思う。1960年911生まれの自分は、当時42歳だった。いわゆる「厄年」だったというのは当然ながら単なる偶然ではあるけれど(ただしあれは普通「数え年」で言うんだね、だからあの年は「後厄」というやつだったんだろう、となると自分が「不惑の四十」であるはずの 40歳、それも元々は「数え年」か、面倒くさいな、ともかくそういう時期を過ぎてから職業人生上大きく惑ってしまって、そこから長い長い「人生のポケット」期に入ってしまった時期が「数え年」で言うところの「本厄」の年齢だったことになるのかな、長い長い括弧だな)、以上、括弧書きのなかに書いたような、そんな人間としては、あの頃の自分は、年齢に対する相応の意識を持っていたんだろうと思っている。

音楽は人を癒すか

2001年8月、「完成まで立ったの 3日間 - ゼロからのホームページ作り」という本を買い、html を文字通りゼロから独学して、いわゆるホームページ作成簡易ソフトのようなものを使わないで、基礎的 html だけで自分のホームページを立ち上げた。「3日間」は流石に誇大広告だったとは思うけれど、確かによくできた本で、本を開いて一人で html を「書く」(キーを打つ)練習をし始めてから 1週間以内、確か 5日目ぐらいでとりあえずホームページを始めることはできたと思う。

それから 10年以上そのホームページの更新を続けていたけれど、中身は趣味でやる「洋楽」の歌の歌詞の和訳だったり、音楽や映画の私的レヴューのような「批評」だったり、私的なものから「社会批評」的なものまで何でも書いてアップするような「日記」だったりした。

以下はその「日記」コーナーに載せた 2002年10月27日付「日記」で、当日アップロードして掲載したもの。字下がりの形式を変え、段落間のスペースを一箇所だけ増やし、あとは数ヶ所、文字を太字に変えた。当時の日記をあらためて載せるんだから当たり前だけれど、文章自体は一字一句変えないで転載する。

2002年10月27日(日)   音楽は人を癒すか

昨日、amazon.co.jp でカーク・フランクリンの新譜を注文した。CD はもう長いこと買ってない、久しぶりの買物だ。新譜と言ってもアメリカでは既に今年2月にリリース、日本盤がこの8月ぐらいだろうか。The Rebirth Of Kirk Franklin 、タイトルもいい。

よく音楽は人を癒す、って言う。本当だろうか。自分はおそらく大の音楽好きで、音楽のない人生なんて考えられない。自分の人生と共に音楽があり、実際、節目節目に記憶に残る音楽がある。しかし、本当に音楽は常に傍らにあるのか。音楽は人を癒すのか。

本当にへこんだ時、ある一線を超えて落ち込んだ時、音楽は自分の傍らになかった。というか、聴く気にもならなかった。この世に音楽があることを忘れていた。意識に無かった、そう言えば正確かもしれない。それが今回よくわかったことだ。

これは経験が全てだ。好きなことなど、何もする気にならない。意識にも上らない。「本当に」落ち込んだ時は、音楽すら傍らにない。あなたに「本当に」愛する人がいるとしよう、しかしそれは犠牲的な愛だけではない、人生を共にしたいと考えるような・・・。そういう人があるのなら、傍らにあることを求めるのはそれだけだと思う。音楽はその時、力にならない。音楽が癒しになる時は、いずれ再び立ち上がる可能性を秘めている。しかし「本当に」落ち込んだら、音楽は傍らにすらない。

好きなクラプトンもブルースも聴かなかった。今も聴かない。こんな時、コアなブルース・ファン(リスナー)なら、やっぱりブルースを聴くんだろうか。自分はとても聴く気になれなかった。というより、音楽があるってこと自体を忘れていた。

ようやく音楽を聴こうと思うようになった時、最初に聴いたのはサイモンとガーファンクルだった。最初はそればかり。それも、どちらかと言えば、デビュー作の「水曜の朝、午前3時」を含む初期の作品の方に手が伸びる。そのうち、カーク・フランクリンのゴスペルも聴くようになった。とりわけ、気が向いて久しぶりにかけた God's Property の中の My Life Is In Your Hands には直ぐにはまった。今もサイモンとガーファンクル、ポール・サイモン、カーク・フランクリンしか聴かない。たまにクルマに乗る時は U2 の ONE をかける時もある。それが全て。

音楽は人を癒すか。癒す時もあれば癒さない時もある。音楽を忘れる時もある。「本当に」へこんだ時は、音楽は力にならない。これは自分の場合、だけど音楽は自分にとって個人的な体験だから、これが全て。

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上の日記は今もネット上にあって、場所は以下のリンク先。ただ、このホームページは立ち上げた当初の原始的 html のみの仕様から一切変えておらず、現在スマホから閲覧すると OS 次第で文字化けする。PC からだと殆どのブラウザで問題なく閲覧できる模様。閲覧する人がいるか分からないけれど(笑)。

(左側のホームページ「メニュー」部分を外した「日記」部分のみへのリンク)

付録 1: 人生のポケットから出る方法はどこかにある

2001年の晩秋頃もしくは2002年初夏辺りから、長い長い「人生のトンネル」の暗闇の中を歩いていた。立ち止まってもいた。眠ってもいた。「人生のポケット」に嵌まり込んでいた。そして、2016年1月末か2月初め頃、脱出した。もう戻ることはない。

付録 2: 日記の中でゴスペルのことを書いていたので

自分はクリスチャンじゃないし、そもそも「無神論者」。まぁ当時はイチイチそういう言葉で自身にラベルを貼ったりしていなかったけれど、基本は昔から変わらない。ただ、音楽としてのゴスペルは好きで、縁(は元々は仏教用語かな、笑)あってゴスペルをキリスト教会でクワイアの一員として歌ったことがある。

以下の過去の note 投稿、主題はクリスチャンでない人間が(とりわけキリスト教会で)ゴスペルを歌うことに関してだけど、今日の note 投稿の中に転載した 2002年の日記の中で言及しているカーク・フランクリンについても触れている(1つ目と2つ目)。3つ目のリンク先にあるのは実はゴスペルでなく、しかし音楽ルーツ的には関係あるブルーズをキリスト教の教会で家族で歌った、演奏した時の話。おまけ!

付録 3: 音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。

"Without MUSIC, LIFE would be a mistake." と言ったのは、ニーチェ。実際には聞いてないから、言った「らしい」(笑)。ってか英語で言ったはずもなく、ドイツ語だよなぁ(大学時代「第二外国語」はドイツ語選択したのにほぼ忘れた)。ニーチェの本は「ツァラトゥストラ(はかく語りき)」(手塚富雄訳, 中公文庫)については二度読みして細かいところはもはや憶えていないにもかかわらず読後の感動がいつまでも続いて(読点無し一気!)今も好きな一冊、読んでから40年近く経ってまだその本は持っているけれど、彼の他の著作は読んだことがない。

「音楽がなければ、人生はただの間違いだろう」というのは、わりと近年になってからニーチェの言葉として知って、気に入っているもの。

本当にへこんだ時、ある一線を超えて落ち込んだ時、音楽は自分の傍らになかった。聴く気にもならなかった。この世に音楽があることを忘れていた。

そうではあるけれど、しかし、確かに、音楽とは、「音楽がなければ、人生はただの間違いだろう」、そう表現されるに相応しいものではあると思う、自分にとって。

付録 4: Lyrics 歌詞の翻訳 〜 趣味シュミ「和訳歌詞」集

Bonus track 1 〜 "Bleecker Street" from "Wednesday Morning, 3 A.M.", the debut studio album by Simon & Garfunkel (1964)

今日の note 投稿で取り上げた 2002年の日記の中に、「ようやく音楽を聴こうと思うようになった時、最初に聴いたのはサイモンとガーファンクルだった。最初はそればかり。それも、どちらかと言えば、デビュー作の『水曜の朝、午前3時』を含む初期の作品の方に手が伸びる」というくだりがあるけれど、例えばこの曲。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

Bonus track 2 〜 "The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)" from "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme", the third studio album by Simon & Garfunkel (1966)

Bonus track 1 で載せた、サイモンとガーファンクルのデビューアルバムに収録されていた "Bleecker Street" の歌詞の最初のラインに出てくる East River, ニューヨークの街を流れるこの East River に架かる橋 59th Street Bridge がタイトルで使われているのがこの歌、"The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)",

というわけで、

ただ、今日の note 投稿で取り上げた 2002年の日記の中にある「ようやく音楽を聴こうと思うようになった時、最初に聴いたのはサイモンとガーファンクル」の曲であるものの、この曲、"The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)" については、あの当時聴く歌としては明る過ぎるムードの曲だった。要するに、聴けなかった。

この曲が入っているサイモンとガーファンクル 3枚目のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme" に関して言うと、その収録曲の多くは当時、つまり「ようやく音楽を聴こうと思うようになった時」に聴くことができた曲だけれど、

その多くとは具体的には "Scarborough Fair/Canticle", "Patterns", "Cloudy", "Homeward Bound", "The Dangling Conversation", "Flowers Never Bend with the Rainfall", "For Emily, Whenever I May Find Her", "A Poem on the Underground Wall", "7 O'Clock News/Silent Night",

一方で、"The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)" の他、"The Big Bright Green Pleasure Machine", "A Simple Desultory Philippic (or How I Was Robert McNamara'd into Submission)" といった賑やかめの曲調の歌については、当時まだまだ聴くのはキツかった。

さて、冒頭で書いたように、59th Street Bridge (正式名称は Ed Koch Queensboro Bridge または Queensboro Bridge) は、ニューヨークのイースト川 East River に架かる橋。

橋のマンハッタン側が 59丁目 59th Street と60丁目 60th Street の間に位置するために、ニューヨーカーの日常会話の中では 59th Street Bridge で通っているらしい。「らしい」というのは、「米英」中心の「洋楽」を聴いて育ちながら、イギリス以外のヨーロッパ諸国や中東、アジアなど 20ヶ国以上を旅した経験があるくせにアメリカ合州国(あの国は「合衆国」じゃなくて合州国!)とイギリスには行ったことがないのだ。なぜかと言うと、人生 にはそういう不思議はつきものらしい。「憑き物」ではなくて付き物! .. しかし、ならば 60th Street Bridge でもよかったのか? 俺は去年「還暦」だぞ、関係ないか(笑)。橋は 1909年完成のものということなので、この歌が作られた頃は築57年程度、今はもう100年超えてる、俺らも目指せ身心「フィーリン・グルーヴィー」な 100歳超え!!

以下はその 59th Street Bridge なんだけれど、写真の真ん中やや右寄り下の方でお姉さんが本被ってうたた寝してるその姿はまるで, 

"I got no deeds to do, no promises to keep. I’m dappled and drowsy and ready to sleep. Let the morning time drop all its petals on me. Life, I love you, all is groovy" ♫

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とここまで、今年 1月21日付、直前 note 投稿「フィーリン・グルーヴィー(歌詞和訳) 〜 サイモンとガーファンクル」の中の自分の文章の一部からほぼ転載。

ではでは、上記リンク先 note 投稿より、"The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)" の音源、歌詞、筆者による和訳歌詞を、以下に。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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スピード落とせよ 急ぎ過ぎだぜ
朝の気分を楽しまなきゃ
敷石を踏みつけながら
楽しいことを探すんだ
そうすりゃいかした気分になれるよ
全くいかした気分さ

街灯さんよ元気かい 何かニュースはあるかな
僕は君の足下に花が咲いているのを見に来たんだ
何か韻を踏んでみせてよ
ハハハ
本当にいい気分さ
全くいかした気分さ

気乗りもしない義理はないし 約束なんか何もないのさ
僕はふらっとまどろんじゃって すぐに眠れそうだよ
朝のひとときさんよ その花びらをみんな僕に降りかけてくれないか
生きてるって最高さ
全くいかした気分だよ

Bonus track 3 〜 "Listen to the Music" from "Toulouse Street", the second studio album by The Doobie Brothers (1972)

Bonus track 2 同様、この曲も、今日の note 投稿で取り上げた 2002年の日記の中の「ようやく音楽を聴こうと思うようになった時」になっても、まだまだ聴けなかった曲。

とはいえ、イントロのギターのカッティング、歌のメロディ、リズム、歌詞、そのどれをとっても、音楽の楽しさが思い切り伝わってくる曲。

ある意味、「音楽がなければ、人生はただの間違いだろう」という言葉が相応しい典型的な曲、音楽の一つと言えるかもしれない。今や何度でも繰り返して聴ける曲。

(album version)

(single version)

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

付録 5: モノクロだった世界に「色」がついた時、音楽は

「人生のポケット」にいた時、身の回りの多くのものの色合いはモノクロだった。

モノクロというのはつまりモノクローム monochrome, 単色ということ。とはいえ厳密に言うとここでは必ずしも正真正銘「単色」というわけではなく、いわゆる白黒の他、とにかく色の種類が極めて少ないという感じで使っている。

モノクローム monocrome という言葉から、その単調の色合いの世界から「色 のある」世界に移った時の気分を思い起こさせるようなポール・サイモンの曲 "Kodachrome" とか、あるいは音楽がどれだけ人生に欠かせないものなのかというそんな気分が満載の同じくポール・サイモンの "Late in the Evening" とか、ここでさらにその音源や歌詞を載せたくなってきたけれど、今日はここまで、

「人生のポケット」から脱出したら、周囲はあっと言う間に色がついて、こんな感じになっていた、そうなると、今日の note 投稿の中の Bonus track 2, 3 のような明るい曲調のものも当たり前のように、というより以前に増して聴けるようになっていた、投稿タイトルの上に載せたイメージに対比させるとこんな感じ。

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