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IMAGINE (John Lennon) 〜 Neil Young (歌詞和訳)

1. 前説

本投稿では、ニール・ヤングが 2001年の 911 アメリカ同時多発テロの後に歌ったジョン・レノン「イマジン」のカヴァーを取り上げる。今日のこの投稿は、最近フランスで起きている、イスラム教という一つの「宗教」への「狂信」を背景とした「憎悪」的感情に「動機付けられた」(少なくともそれを主因の一つとした)一連の残忍なテロ行為に関するニュース記事複数を観たり見たり聴いたり聞いたり読んだりしているうちに、筆者の頭なのか心なのか、とにかく筆者の中で形成された感情と思考に「動機付けられた」もの(一文、長い!)。

911 アメリカ同時多発テロの直後にニール・ヤングが歌った「イマジン」を取り上げる本投稿のタイトル上で "IMAGINE NO RELIGION" と銘打ちはしたけれども、筆者は別に「宗教」さえ無ければあの 911 テロは無かったと言いたいわけではない(要するにそう思っていない)。

ただ、今、2020年の 9月から今月10月にかけてフランスで起きている(残念ながら来月11月になっても続いて起きかねないと懸念される)一連のテロ事件に関しては、「宗教」さえ無ければという想いが強い。いやあれは一部の「狂信」的信仰をする信者がやっていることであって、「宗教」そのものに原因があるわけではないですよ、と思う人は少なくないかもしれないが、筆者自身はその考えに与しない。

「宗教」にその因果関係の「因」があり、また、とりわけその「宗教」(ここではイスラム教)の世界においてその信者に対する強い影響力を持つ「宗教」指導者たちの責任は、非常に大きいと思っている。ただ、そのことに関して具体的に触れるのは今日の投稿の目的ではないので、それはそれで別の機会に譲りたい。

なお、911 アメリカ同時多発テロとニール・ヤングの「イマジン」選曲に話を戻せば、勿論のことではあるが、ニール・ヤング自身、「宗教」さえ無ければと言いたくて、"Imagine there's no countries. It isn't hard to do. Nothing to kill or die for. No religion, too .." という歌詞を含むこの歌を歌ったわけではない(面識も機会も無いし尋ねたわけではないが、そんなふうにはニール・ヤング自身たぶん思ってなかっただろう)。そして、この歌が元々、ジョン・レノンがことさらに「宗教」だけをターゲットにして作った歌でないことは、その歌詞全体を見るなら一目瞭然、「一読」瞭然である。

ただ、一方であの 911 アメリカ同時多発テロがこの間に言われてきたように、アルカーイダ系のイスラム原理主義者たちの仕業であるとして、彼らの中にあった「宗教的」熱情みたいものに動機付けられた「信念」や憎悪といったものが彼らにあのおぞましい犯行を計画させ、実行させたと思えば、「宗教さえ無ければ」彼らによるあのテロ行為は起きなかったという、そんな仮説を立てることは可能である気がする。

ただし、テロは言うまでもなく全てが全て「宗教」を背景とするわけでは全く無いし、仮にこの世にいま「宗教」というものが存在していなくても、後段の幾つかの章で取り上げるような、アメリカ合州国(以下、アメリカ)の過去数十年間もしくはそれ以上の長きにわたる他国介入・政権転覆・侵略といったアメリカ「帝国主義」暗黒史を振り返るなら、別の集団によるアメリカを標的とした同種・同類の大規模テロ行為が行なわれた可能性はあると思う(当然ながら筆者自身はいかなるテロ行為も是としないけれども)。

以下、第2章は、本投稿タイトルにある通りの、ニール・ヤングによる「イマジン」と筆者によるその歌詞の和訳、第3章は歌詞を訳した日の筆者の日記(その時に訳したのはジョン・レノンのオリジナルの方の歌詞で、次章で触れるが、ニール・ヤングが歌う歌詞は一箇所だけオリジナルと異なる)、第4章, 第5章, 第6章は、2001年の 911 アメリカ同時多発テロと前段で触れたそこに至るまでのアメリカ「帝国主義」暗黒史「の・ようなもの」に触れた内容(「の・ようなもの」は 1981年の日本映画のタイトル .. を引いてしまったのはただの癖 .. だと思う)。

第7章では、"IMAGINE", 「イマジン」の作者、ジョン・レノンによる "GOD", つまり「神」というタイトルの歌を取り上げる。

最後に第8章で「宗教」に的を絞り、イギリスの生物学者(進化生物学者, 動物行動学者)である Richard Dawkins, リチャード・ドーキンスによる "Militant Atheism" (言わば「闘争的、積極的な無神論」) と題した講演のヴィデオを取り上げて、本投稿を了とすることにした。

本投稿の内容の全てに目を通してもらえたら嬉しいけれども、ヴォリュームが大きいし、関心が向かいそうな章見出しのところだけ拾って読んでいただいてもいいと思う。ただ、こうして内容的にもメディア的にも色々な種類のものを集めて一つの投稿の中に入れたのは、筆者としては自分の頭の中でこれらを繋いで総合的に考えたりしているから(脱線するけど、菅ソーセージ大臣による日本学術会議会員候補6名任命拒否問題で政府側が煙を巻くように矢鱈と使い倒した言葉「総合的、俯瞰的」って、あれは心底笑えたね、連中あの言葉を使っている時もそうじゃない時もそうだけど、頭の中、空っぽだと思う。つまり、ば、か、ばか、莫迦)。


2. "IMAGINE" by Neil Young, LIVE on September 21, 2001 〜 歌詞和訳

2001年の 911 アメリカ同時多発テロの犠牲者への追悼と(遺族や被災者と被災地復興のための)寄付を目的に、アメリカの ABC, CBS, NBC, FOX の 4大テレビネットワークが共同で制作し、現地時間で 2001年9月21日に生中継・放映された(日本でも日本時間 9月22日午前10時から2時間余にわたって生中継された)番組の中で、ニール・ヤングが歌ったジョン・レノン作の「イマジン」。

ニール・ヤングはこの時、一箇所だけ、ジョン・レノンのオリジナルとは違う歌詞で歌っていて、レノンが "Imagine no possessions. I wonder if you can" と歌っていたところを、彼は "Imagine no possessions. I wonder if I can" と歌っている。

以下は、その時の模様と、筆者による歌詞和訳。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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想像してみよう、天国なんてないってことを
やってみれば簡単なことさ
僕らの足下には地獄なんてなく
頭上にあるのはただ空だけなんだ
想像してみよう、全ての人が
今日のために生きているってことを

想像してみよう、国も国境もない世界を
想像するのは難しいことじゃないさ
人を殺す理由もないし、自分が死ぬ理由もない
そんな宗教だってない
想像してみよう、全ての人が
平和な人生を生きているってことを

きみは僕を夢想家だと言うかもしれない
だけど僕一人だけじゃないんだ
僕は希望を持ってるのさ
いつかきみ達も僕らのように想う時が来るってね
そうしたらこの世界は一つに結ばれるんだよ

Imagine no possessions
I wonder if I can
想像してみよう、所有するものなんてないってことを
僕に出来るだろうか

欲張ったり飢えたりする必要もない
人はみんな兄弟なんだ
想像してみよう、全ての人が
この世界を分かち合っているってことを

きみは僕を夢想家だと言うかもしれない
だけど僕一人だけじゃないんだ
僕は希望を持ってるのさ
いつかきみ達も僕らのように想う時が来るってね
そうしたらこの世界は一つに結ばれるんだよ

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*1 上の和訳歌詞は自分のホームページに掲載してきたもの(ただし上記の通りで、ニール・ヤングによるカヴァーの際の歌詞は一箇所だけ異なる)。近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている。

ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつもこれ書いてるんだけど、でも初めて筆者の note 投稿を見る人には「初めて」なわけで、笑)。

*2 なお、ニール・ヤングによる作詞作曲、そして自身が歌う歌に、日本語に直訳すれば「神が僕を創った時」ということになるタイトルの歌がある。この歌と筆者による歌詞の和訳を投稿の中で取り上げたものがあるので、その note 投稿へのリンクをここに付しておきたい。


3. アメリカ同時多発テロ、犠牲者追悼チャリティ番組を見て (2001年9月23日)

以下は、ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞を和訳した日の筆者の日記。当時、同日、自分のホームページ上に掲載したもの。

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2001年 9月23日(日) アメリカ同時多発テロ、犠牲者追悼チャリティ番組を見て

アメリカ同時多発テロの犠牲者への追悼と(遺族や被災者と被災地復興のための)寄付を目的に、アメリカの ABC、CBS、NBC、FOX の 4大テレビネットワークが共同で制作した番組が、日本時間では昨日の朝10時から 2時間余にわたって生中継された。私は生では最後の一部以外見逃してしまい、日本時間の夜放送された再放送を録画して観たのだが、以下に簡単に感想を記しておきたい。

ミュージシャンではブルース・スプリングスティーン、スティービー・ワンダー、U2、トム・ペティ、ニール・ヤング、ビリー・ジョエル、ボン・ジョヴィ、シェリル・クロウ、スティング、ポール・サイモン、などなど・・・。俳優ではトム・ハンクス、トム・クルーズ、ジャック・ニコルスン、アンディ・ガルシア、アル・パチーノ、ウーピー・ゴールドバーグ、キャメロン・ディアス、ジュリア・ロバーツ、ロバート・デ・ニーロ、などなど・・・。これだけの短期のうちに 4大ネットが協力し、しかもあれだけ多くの大物スターを集めたのは驚きだ。アメリカが惨劇の犠牲者を追悼し、今も救援活動を続ける人々と共にありたいという一つの意思にまとまっている証であり、協力するスターの側にも確かな志しがあってのことだろう。途中、モスレム (転載にあたっての注: 当時はこう表記することが多かったけれど、あまり拘りはないものの、だいぶ以前から筆者は英語の Muslim のカタカナ表記として「ムスリム」を使うようにしている) の学校での子供たちのインタヴューがあり、「元のノーマルな世界、一緒に笑いながら過ごせる平和な世界に戻ってほしい」という少女の声などが紹介され、モスレムである元ボクシング・世界ヘビー級チャンピオンのムハマド・アリのスピーチもあったのは、良い企画だったと思う。

まともなリハの余裕など無かったはずにも関わらず、ミュージシャンのパフォーマンスはことごとく見事なもので、「妙に」センチメンタルに過ぎる表情も見せず、完璧な演奏をしてみせたのは反って感動的だった。印象に残るパフォーマンスばかりだったが、とりわけスティービー・ワンダーの LOVE'S IN NEED OF LOVE TODAY と、ポール・サイモンの BRIDGE OVER TROUBLED WATER は、もともとの楽曲の素晴らしさと共に、これらの歌の詩の意味を知りながら、そのパフォーマンスがあの悲劇の被災者と復興のために捧げられたことを考えれば、心を大きく動かさずにはいられない。

ここでもう一つ特筆しておきたいのは、ニール・ヤングの IMAGINE だ。言わずと知れた、20年前に凶弾に倒れたジョン・レノンの作。今、少なくともブッシュ政権下で報復の武力行使に向かって戦意高揚ムードが高まりつつある中で、同時多発テロの後、一時は放送で流すことが控えられた代表的な曲である IMAGINE をニール・ヤングが敢えて、明らかに「敢えて」選曲したことには、彼の明白なメッセージがある。 IMAGINE のメッセージ (転載にあたっての注: ホームページ上ではこれを筆者による IMAGINE の歌詞和訳ページにリンク) を知らずに彼が選曲したことなど、有り得ないことだ。

最後にやや蛇足とも思えるが、その他に感じたことのうちの一点だけを記したい。ワイクレフ・ジーンという(私は知らない ... note転載に当たっての注:これはワイクリフ・ジョンのこと。筆者は当時、既にファンだったローリン・ヒルがかつてフージーズというグループにいたことは知っていたが、そのリーダーであったワイクリフ・ジョンについては全く知らなかった)ミュージシャンが、ボブ・マーレイの REDEMPTION SONG を演ったのだが、そのパフォーマンスはかなり良かったにも関わらず、このミュージシャンに星条旗を身にまとったかに見えるジャケットを着て歌われてしまったこの曲は、ここでは何か場違いな印象が残った。本来ボブ・マーレイは全ての人民の解放のために作ったかもしれない(?) REDEMPTION SONG だが、この曲が星条旗にまとわれて、最後には「アメリカ、アメリカ」と叫びつつ歌われてしまうと、いや、 REDEMPTION SONG は、アメリカを中心とする世界から見放され続けているパレスチナの民のためにこそ歌われるべきだと言いたくなってしまう・・・。歌を奪い合うなんて悲しいことだけど。

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*1 日記は上記の通りで、自分のホームページに掲載してきたもの(近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている)。

ただし、前章でも書いた通り、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつも、しかも繰り返しこれ書いてるんだけど、でも初めての人には「初めて」なわけで、笑)。


4. アメリカ合州国による他国への介入と政権転覆の前科、その一部 〜 「例えば」 47年前の 911 は、 アメリカがチリの民主主義を殺した日

この章に関しては、本年2020年の 911 に筆者が note に「シリア、パルミラの古代都市の遺跡で 23歳の誕生日を迎えた、37年前の 911 ... ってことはナニ? 今日、還暦かよ。」という長〜いタイトルで投稿した、何でもありのカオスな内容のテキストの中の「47年前の 911 は、 アメリカがチリの民主主義を殺した日」というタイトルの章のために自分が書いたテキストを、以下にそのまま転載する。

アメリカ合州国の殆どの人は、自らの国が災難に遭った 2001年の 911 は忘れなくとも(まぁ忘れてる人もいるんだろうが)、自らの国が他国の政権転覆を図った 1973年の 911 については知らない。関心も持たない(持つ人もいる、少数)。

遥か昔っから、他国の政府の転覆が殆ど趣味のようになっているアメリカ合州国。

そんなアメリカ合州国の政治権力が、チリの、民主的な選挙で選ばれた大統領、要するにチリの人々が自らの国の元首として自由選挙で選んだ大統領、サルバドール・アジェンデに対する、チリの軍隊によるクーデター、将軍アウグスト・ピノチェトによるクーデターをアメリカ合州国大統領直属・直轄の監督下にあるアメリカ中央情報局 (Central Intelligence Agency)、つまり CIA を使って背後から演出・支援し、ピノチェトのクーデターを成功させ、チリの民主主義を殺したのが、1973年 9月11日。

サルバドール・アジェンデは、自身に対するクーデターを図った軍と大統領警備隊の間で銃弾が飛び交う最中、チリ国民に向けて 6度ラジオ演説を行なった後、自死した。

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以下は、バーニー・サンダースがまだ今年のアメリカ合州国大統領選における民主党からの候補を争っていた時の論戦から(拙者が Facebook でシェアしたヴィデオ)。

バーニーはこの時、1973年のチリ(サルバドール・アジェンデ大統領)、1954年のグアテマラ(ハコボ・アルベンス・グスマン大統領)、1953年のイラン(モハンマド・モサッデク首相)の例を挙げ、自分の国であるアメリカ合州国の政治権力が、他国の政権を転覆させた過去を明言した。

これらはアメリカ合州国による外国政府転覆例の一部だが、因みにこの三例について言えば、全て、その国、アメリカ合州国にとっての外国の国民が民主選挙、自由選挙で選んだ自国、アメリカ合州国にとっての外国の政府。

バーニー・サンダース以外に、こんなことを、かつてアメリカ大統領候補のレースの中で公の場ではっきりと言葉にして明らかにした人は、アメリカ合州国にいただろうか。

勿論、いない。いなかった。少なくとも、いわゆる「泡沫候補」的存在でなく、選ばれる可能性が十分にあった有力候補の中で、こうしたことを明言した人はいない。バーニー・サンダース以外には。

加えて言うなら、ユダヤ系アメリカ人であるバーニー・サンダースは、アメリカ合州国の対イスラエル一辺倒の中東外交を批判し、パレスチナ人の人権を擁護することの重要性、必要性にも、大統領候補のレースの最中でたびたび触れた人だった。

バーニー・サンダースが民主党の大統領候補となり、最終的にアメリカ合州国大統領となっていたら、あの国に真の「変化」が訪れた可能性は大きいのだが、もはや後の祭り、民主党の莫迦幹部連中は彼を嫌い、中にはイスラエル・ロビーの力を借りて反バーニーのキャンペーンを張る連中まで出て、最終的に民主党の候補は「現状維持」の権化みたいな(しかも徹頭徹尾イスラエル支持派の)ジョー・バイデンとなった。

ジョー・バイデンが仮に大統領選でトランプに勝ったところで、あの国はオバマ以前に戻るだけのこと。バイデンに期待は全くしない。

このヴィデオ、左側で喋っているのがバーニー・サンダース、その右で「バーニー、何を言い出すんだ」ってな調子で茫然自失(してたに違いない)の顔を見せているのがジョー・バイデン。

次。

以下の拙者の Facebook post では、上の post と同じヴィデオをシェアしつつ、Instagram 上でこのヴィデオのオリジナルが投稿された際のコメント欄で拙者がアメリカ合州国の人たち 3人と議論した時の内容、そのコメント欄・会話の一字一句をそのまま転記してある。

アメリカ人のそれぞれの名前は匿名にしたが、A1 はちょっと「困った」人(結構こういう人っていると思う、あの国は)、A2, A3 は話が通じる人だった。

以下の Instagram post がそのヴィデオのオリジナル。このコメント欄で、まぁ note は日本社会の中のもののようだし、そもそもが本名じゃなくてハンドル・ネイムであるところのアカウント名だからいいでしょう、A1 は dennis_king_art というアカウントで、彼の "Honest about american imperialism?????? Why hasn't Bernie moved to cuba yet?" というコメントの下に 76 replies が連なるスレッドがあって、その中に、拙者と A1 であるところの彼、そして A2, A3 (勿論、固有のアカウント名がそれぞれある)との間の議論、というか、コメントのやり取りがある。

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*1 本章の冒頭で触れた通り、この章に転載したテキストの元テキストは、本年2020年の 911 付の筆者の note 投稿、その何でもありカオスな内容のテキストの中の「47年前の 911 は、 アメリカがチリの民主主義を殺した日」というタイトルの章に、筆者が書いたもの。


5. アメリカ同時多発テロ (2001年9月11日) 前史 〜 「ボウリング・フォー・コロンバイン」(マイケル・ムーア, 2002年) より

マイケル・ムーアのアカデミー賞・長編ドキュメンタリー映画賞受賞作品「ボウリング・フォー・コロンバイン」(2002年)は、ドキュメンタリーにおける手法・演出等の観点から批判される場合はあるが、以下にリンクを貼る、アメリカ合州国の歴代政権による世界の広範な地域における外国の政治への介入、政権転覆、侵略等の歴史の「一部」について描写している部分、これ自体は歴史的事実の羅列である。

以下の英語字幕の日本語訳については、筆者が 2016年11月11日、Facebook に投稿する際にザクッと訳したもの。ザクッと訳して推敲などしてない乱文の日本語だが、意味は伝わると思うので、当時のまま、ほぼそのまま転載。

1点だけ更に補足しておくと、英語字幕にはチリのアジェンデ大統領が「暗殺された」とあるが、その後の 2011年の鑑定の結果、彼は (1973年9月11日) ピノチェトとアメリカ CIA の合作によるクーデタのなかで自死したということが事実となったもの。

<< 以下、英語字幕の日本語訳 + 一部補足 >>
 
1953年 アメリカは、イランの (自国内の石油資本を独占していたイギリスの石油資本 Major, Big Oil の一つを排除して国有化しようとした) モサデク政権を転覆し、独裁者 シャー・パーレビ を Install インストール、つまり、「任命」 した。

1954年 アメリカは、民主的な選挙で選ばれた (って意味では上記のモサデクもそうだったけど) グアテマラのアルベンズ大統領を政権から引きずり下ろし、その際、20万人の市民が殺された。

1963年 アメリカは、当時の南ヴィエトナム大統領 ディエム の暗殺を (背後から) 支援した。

1963年 ~ 1975年 アメリカ軍は、東南アジアで 400万人を殺した。

1973年 9月11日 
アメリカは、チリのクーデターを Stage つまり企て、計画し、やってのけた。
そして、チリの民主的に選ばれた大統領 サルバドール・アジェンデ が暗殺された。<<後の同国の調査で「クーデタを起こされた最中に自死した」と認定されたが、事実上「暗殺」のようなものだとも言えるだろう>>

そして、代りに、独裁者 アウグスト・ピノチェト を Install 「任命」 した。
その際、 5千人のチリ人が殺された。

1977年 アメリカは、エルサルバドルの軍事政権を支援した。
7万人のエルサルバドル人と 4人のアメリカ人の修道女が殺された。

1980年代 アメリカは、ウサマ・ビン・ラディンとその仲間のテロリスト達を、彼らに当時のソ連軍 (アフガニスタンを侵略していた) の兵士を殺させる為に訓練した。

その際、 CIA は、彼らに 30億ドル分の援助をした。

1981年 アメリカ (レーガン政権) は、ニカラグア (当時の政府はサンディニスタ社会主義政権) における反政府軍兵士を訓練し、彼らに資金を与えた。3万人のニカラグア人が死んだ。

1982年 アメリカは、(イラン・イラク戦争中の) イラクのサダム・フセインに数十億もの援助をし、その兵器で、多数のイラン人が殺された。

1983年 アメリカのホワイトハウス = アメリカ大統領府 は、秘密裏にイランに兵器を提供し、その兵器で多数のイラク人が殺された。

1989年 アメリカの CIA Agent (秘密情報員, スパイ) だったマニュエル・ノリテガ (当時パナマ大統領) が、 ワシントン = ホワイトハウス = アメリカ大統領府 からの指示に従わなくなった。

その為、アメリカは、パナマを侵略し、ノリテガを Remove つまり排除、撤去、「解任」、「解雇」 した。その際、 3千人のパナマ人の市民の死傷者数を数えた。

1990年 イラク が クウェイト を 侵略した。それは元々は (イラン・イラク戦争の際に) アメリカから提供された兵器によって行なわれた。

1991年 アメリカは、イラクに Enter 入り、入り込み、つまり押し入った。結果、アメリカのブッシュ政権は、クウェイトの独裁者を独裁者として Reinstate 復帰、復職、復位、復権させた。

(補足:当時、アメリカ在住のクウェイト高官の娘がアメリカ議会で「証言」し、 「イラク兵は酷い酷い残酷なやり方で私たちクウェイト人を殺したの!!」と実は見てもいない嘘の目撃談を話した。もちろん嘘だってのは、後日バレバレになった。あの件はよーく記憶してる。アメリカはヴィエトナム戦争の時に北ヴィエトナムが砲撃してきたと嘘のトンキン湾事件をでっち上げ、それを理由に北爆したし、そんな嘘や芝居、でっち上げは「朝飯前」なのかもしれない。もっとも旧日本軍も「満州」で似たようなことをやっている。)

1998年 アメリカの (ビル・) クリントン政権は、スーダンの 「兵器工場」 を爆撃した。その工場は、なんと実際には、医薬品であるアスピリンを製造していた工場だった。

1991年 ~ 現在
アメリカは、アメリカの空軍機は、毎週のように イラク を爆撃している。

国連の被害評価によれば、50万人のイラクの子ども達が、爆撃と経済制裁によって死んだ。つまり、殺された。

2000年 ~ 2001年
アメリカは、タリバンが支配するアフガニスタンに、 2億4,500万ドルの援助をした。

2001年 9月11日 
ウサマ・ビン・ラディンが、 かってアメリカの CIA が訓練した、彼の支配下の専門家集団 を使い、 3千人を殺した。

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*1 以下は、本章の冒頭で書いたようなドキュメンタリー映画における手法・演出上の観点から批判された一面について触れなさ過ぎたきらいはあるが、筆者が今から 16年以上前、2004年2月1日に書いて自分のホームページ上に掲載した、映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」についての映画レヴューもどき。

ただし、前の前の章でも書いた通り、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつも、しかも繰り返しこれ書いてるんだけど、でも初めての人には「初めて」なわけで、笑)。


6. アメリカ同時多発テロ (2001年9月11日) に関しての、筆者の過去の note 投稿

以下、本章の見出しに書いた通りの投稿 3点。

なお、1つ目の投稿のタイトル上の写真は 1983年9月11日にシリアのパルミラの遺跡で筆者が撮ったもの、2つ目の投稿のタイトル上の写真は 1983年10月3日に、イスラエルが 1967年の第三次中東戦争以来、同年11月22日採択の国連安保理決議242号を始めとする複数の国連決議に違反しながら占領し続ける違法占領地内にある東エルサレムで筆者が撮ったもの、3つ目の投稿のタイトル上の写真は 1983年9月21日にヨルダンの首都アンマンにあるパレスチナ難民キャンプでパレスチナ人一家と一緒に撮った写真。

言うまでもなく、911 アメリカ同時多発テロはアルカーイダ系のイスラム原理主義者たちによる犯行とされており、これらの写真は同テロ行為とは全く関係ない。

ただ、それぞれの投稿テキスト内に記述した理由により、投稿タイトル上の写真として使ったもの。


7. "GOD" written, sung by John Lennon (Oct 9, 1940 – Dec 8, 1980)

"GOD" ー John Lennon (born in UK John Winston Lennon, October 9, 1940 ~ killed in USA, John Ono Lennon*, December 8, 1980)

*Lennon didn't like the middle name "Winston", and changed his name by deed poll on April 22, 1969, adding "Ono" as a middle name. Although he used the name John Ono Lennon thereafter, official documents referred to him as John Winston Ono Lennon, since he was not permitted to revoke a name given at birth per British statute.

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部(最初のヴァース)のみの掲載に改めました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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God is a concept by which we measure our pain
I'll say it again
God is a concept by which we measure our pain..

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** 歌詞の中で登場する "Zimmerman" は Robert Allen Zimmerman のことで、これは Bob Dylan の出生名。

もちろん、ジョン・レノンはボブ・ディランを批判するために彼のこの名前を歌詞の中で使ったわけではないが、本投稿テキストの筆者、私は、ボブ・ディランに対して極めて批判的なので、筆者の過去の関連 note 投稿 3点へのリンクを以下に貼っておくことにする。


8. How September 11 (2001) changed me, "Militant Atheism" by Richard Dawkins 〜 リチャード・ドーキンスによる「闘争的かつ積極的な無神論」

「利己的な遺伝子」("The Selfish Gene") などの著作で知られるイギリスの生物学者(進化生物学者, 動物行動学者)リチャード・ドーキンスが彼の無神論について語るこのヴィデオを本投稿の中で取り上げるのは、一つには本投稿の筆者、私自身が無神論者であり、かつ私自身、彼の考えに同意するという理由があるが、直接的には、彼がこの講演の最後において、"How did September 11 change you?", 「9.11 はあなたをどう変えたか?」という問いに答えているから。

彼はシンプルに、"Let's all stop being so damn respectful", 「ばかばかしい敬意を払うのは皆さん もうやめにしましょう」と語っている。

彼のこの回答だけ聞くとシンプル過ぎると思われるかもしれないが、その前の28分強にわたる講演の中で、ドーキンスは具体的に様々な切り口から宗教の「ばかばかしさ」に迫っている。 

タイトルの "Militant Atheism" は何も「好戦的な」無神論というわけではなくて(比喩としては日本語でそう言っていいかもしれないが)、(無神論という)大義のために闘志を持って論ずる、闘争的かつ積極的な「無神論」という理解でよいだろうと思う。

以下のウェブサイト上では、42言語の中から選んで日本語の字幕を付して、ドーキンスの講演を聴くことができる。

なお、以下は、字幕は無いけれども YouTube 上の同じ内容のヴィデオ。


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