見出し画像

イスラエル批判を「反ユダヤ主義」として封じようとすることの度し難い愚かさ

前説

タイトル上の写真は、今月6日、アメリカ合州国(以下、アメリカ)の議事堂を一時占拠して気勢をあげた(かつ「奇声をあげた」)トランプ支持者たちの様子(この下にあらためて掲載)。

ご覧の通り、少なからず、イスラエル国旗を掲げる人間もいた。つまり、彼らの中には現在のアメリカ国旗を掲げる連中もいれば、アメリカが南北戦争をした当時の南部連合国旗を掲げる連中もいれば、更には外国である「イスラエル」の国旗を掲げて雄叫び(写真の人物は女性だから「雌叫び」とでも呼ぼうか)を上げる連中もいた、というわけだ。

画像4

次、同じく議事堂を占拠したトランプ支持者の一人。南北戦争時の南部連合国旗(!)を担いで議事堂内を闊歩。

画像1

以下は、世界最大の国際人権団体(NGO)アムネスティ・インターナショナル Amnesty International のインスタグラム投稿。

「白人至上主義を終わらせることは、人間の権利=人権の要請するところである」

彼らの多くはいわゆる White Supremacist 要するに「白人至上主義者」だと見做されつつ、かつ少なからぬユダヤ系アメリカ人やユダヤ系アメリカ人の団体からは、その大部分が「反ユダヤ主義者」でもある一方で実はイスラエルを賛美するような感情もしくは思考回路を併せ持つ人間だと疑われている。

思い出すのは、スティーヴ・バノン。

画像2

スティーヴ・バノンは 2016年のトランプの 1回目の大統領選の際、選挙戦略の最高責任者を務めた後、トランプ新政権のチーフ・ストラテジストに任命されて、当初、アメリカの対イスラエル/パレスチナを含む外交戦略上の思想的バックボーンを担った人物(トランプが政権を支える閣僚等の多くの重要人物と様々な事情で対立し彼らを「切って」きたのはつとに知られる事実だが、バノンもその一人)。バノンは基本的に極右とされるような人物であるが、当時、イスラエルの政策に批判的なユダヤ系アメリカ人やユダヤ系アメリカ人の団体から「バノンは反ユダヤ主義者だがイスラエル支持者でもある」と目されていたような人物。彼の場合、まるでオーウェルの「1984年」の二重思考(Doublethink)を地で行くようなところがあり、捉えどころのない人物とも言えるような面があるが、兎にも角にも、反ユダヤ主義者であって且つユダヤ人が国民の多数派である 1948年に建国された国「イスラエル」を支持する、あるいは賛美するような人間は、実際に存在する。

今月6日にアメリカの議事堂を一時占拠して世界中の多くのメディアに取り上げられたトランプ支持者たちの中にも少なからぬ「反ユダヤ主義者」兼「イスラエル支持者」が存在するものと思われるが、その動機は様々であろう。

実際、トランプ支持者の多くを占める福音派キリスト教徒(Evangelical Christian, アメリカの人口の実に1/4を占める、つまり約8,000万人いるとされる)の大部分はその信仰を背景とした熱烈な「イスラエル」支持者もしくは「イスラエル」擁護者であるという事実は既に有名だが(ここで言う「イスラエル」とは古代の王国でなく 1948年「建国」の現代の国家「イスラエル」である、念の為!)、そうしたキリスト教徒としての宗教的熱情を伴わずとも、彼らが仮に「白人至上主義」の国を理想とし、彼らも(彼らとは逆にイスラエルに対して批判的な人たちと同様に)現代のイスラエルが「ユダヤ人至上主義」的な国であるとみているのであれば、そのことが理由で彼らの場合は「イスラエル」を理想的な一国家であると高く「評価」し支持もしくは賛美しているのだとしても、それは(彼らにとっては)自然な思考回路によるものなのかもしれない。

因みにタイトル上の写真は、以下の記事に掲載されていたもの(Mondoweiss は反シオニストのユダヤ系アメリカ人で且つパレスチナ人の人権・民族自決権を擁護する人たちによる独立系メディア、この記事は本年 1月10日付)。

イスラエル批判を「反ユダヤ主義」として封じようとすることの度し難い愚かさ

前章「前説」でみた、白人至上主義者で且つ「反ユダヤ主義者」であると目されるアメリカ人たちの中に、ユダヤ人が多数を占めるイスラエルを支持もしくは賛美するような人間が少なからず(かなり多いのではないかと推測するのだが)含まれるということ、そのことがイコール「イスラエル批判を反ユダヤ主義として封じようとすることの度し難い愚かさ」を示している、と私は主張しているのではない。

ただ、イスラエルの政策を理由にイスラエルという国を批判する(あるいは差別的な政策の是正を求めて同国をボイコットする運動をする、もしくはその運動を支持する)ことについて、それに対してそれは「反ユダヤ主義」と呼ぶべき人種差別もしくは民族差別的な言動あるいは政治運動であって許容されるべきではないとする主張(イスラエルのロビイストグループなどの組織的な活動によりこうした考えを法律に取り入れて運動を禁止しようとすることまでアメリカやヨーロッパ諸国内で起きている)の度し難い「愚かさ」、「可笑しさ」を考える上で、前章で取り上げたことは鏡の裏表のような関係でそれと繋がっているように見える。そんな考えで、先にそれを取り上げた。

イスラエル批判やイスラエルの政策是正を要求するための同国に対するボイコット運動に対して「反ユダヤ主義」とのレッテルを貼って封じ込めようとすることがなぜ度し難く愚かなのか、その理由は非常にシンプルである。

こんなことは実は、何も複雑なことではなく、少し考えれば簡単に理解できるはずのことであって、要するに「子どもでも」分かるようなことである。

イスラエル批判やイスラエルの政策是正を求めるボイコット運動が「反ユダヤ主義」だとする考えは、全くの誤り

以下、本 note 投稿の最後にリンクを置く昨年12月4日付の note 投稿 〜 イスラエル批判、反シオニズム、BDS を 「反ユダヤ主義」 と見做す思考の、度し難い愚かさ 〜 の中の 筆者自身のテキストより、冒頭「はじめに」をあらためて引いておく。

すなわち、

「反ユダヤ主義」, anti-Semitism という言葉は、今やまるで魔法の言葉のようにイスラエルに対する「批判」封じのための道具となっている。言わば、言葉が武器化されていると言ってもよい。
イスラエル(*1) は Jewishness(*2) とイコールではない。Judaism(*3) ともイコールではない。Semitism(*4) ともイコールではない。当たり前のことだが。
シオニズムも Jewishness とイコールではない。Judaism ともイコールではない。Semitism ともイコールではない。当たり前のことだが。
本来これで、イスラエル批判も、反シオニズムも、ひいてはイスラエルに対する BDS (Boycott, Divestment, Sanctions: 以下の 2) 及び次章参照) 運動も、「反ユダヤ主義」(*5, anti-Semitism) とイコールだなどということは有り得ないということの説明として十分である。

(*1~5 については本章の最下部に「脚注」を置く。)

本来、これでもう十分なのだが、さらに別の視点から、簡単な例を挙げる。例えば、あなたが日本人であれ、非日本人であれ、日本という国の何らかの政策に反対し、それに抗議するために日本をボイコットする(日本製品をボイコットする、あるいは例えばあなたが非日本人のミュージシャンならば日本でのコンサートをキャンセルする、等)として、そのこと自体が即「反日本主義」もしくは「反日本人主義」という名の Racism 人種差別の行為と見做されるなどということは有り得ない。これはボイコットの他に、資本撤退、制裁、経済制裁といった他の抗議・抵抗・懲罰のための方法を採用したとしても、同じである。要するに、それで即、あなたが「反日本主義」者もしくは「反日本人主義」者という名の Racist 人種差別主義者、人種差別論者であるということにはならない。あなたが日本の政策を批判し、日本の政策に反対し、その是正を要求するために、あるいは是正をかちとるための方法としてそれが必要だとあなた自身が判断し、もしくはその目的のためにその運動に賛同して、そうした抗議や抵抗の行為・運動を行なっている限り、あなたが「反日本主義」者、「反日本人主義」者であるということには全くならない。
具体的事例の批判に立ち入ると本投稿の本題からやや「脱線」するが、もう一点、加えておく。しばらく前、フランスにおけるイスラームの預言者ムハンマドの戯画化やこれに反発したイスラム原理主義者によるテロ行為を受けたフランス大統領のイスラーム批評(もしくは批判)を含む声明などに抗議して、世界の多くのイスラム圏の国々の指導者やムスリム達から、「フランス(製品等)をボイコットせよ」という抗議の声が湧き上がり、それは大きな国際的キャンペーンに発展した。筆者は(自分がムスリムでないという理由からではなく)あのフランス・ボイコットの声は支持しないし、あのキャンペーンに合理性や正当性を感じないが、しかし一方で、彼らがフランスをボイコットしたければボイコットする、そのこと自体は彼らの社会的行為として自由であり、したがってそのボイコット運動は例えば法律などによって禁止されるべきものでなく、そもそも、彼らのボイコットは「反フランス主義」、「反フランス人主義」と呼ばれるべきような言わば人種差別的思想に根差したものであると見做されるようなものではない。実際、国際社会において、あのフランス・ボイコットの声を支持する、しないの議論とは別に、あれに人種差別だ、「反フランス」あるいは「反フランス主義」だなだというレッテルを貼ってフランス・ボイコットを禁止しようとする動きは、一切見られなかったと言ってよいだろう。
イスラエルがターゲットになった時だけそれを「反ユダヤ主義」だとして批判し禁じようとする動きは(近年は法律で禁止しようとする動きすら活発である)、ただ単に、イスラエル批判の声を沈黙させ、抵抗や抗議の運動を封じるために、「反ユダヤ主義」という言葉が便利に使われている現象に過ぎない。

昨年12月の投稿の際には、この後、「上記のことのばかばかしさを示す例は多数あるが、以下はそのうちの 2例」として 2例を挙げたが、今日は更にもう 1点 3) を加え、計3例としておく(挙げ出すと事例はキリがないほどある)。

1)
2) BDS 運動というのは、イスラエルによるパレスチナ人の土地の違法占領や違法入植を止めさせるために、イスラエルの圧倒的な軍事力を前にして軍隊を持たず抑圧され続ける非占領地のパレスチナ人から国際社会に要請された声に応じ、イスラエルが国際法を遵守して違法入植や違法占領を止めるまでイスラエルへの抗議として Boycott, Divestment, Sanctions, つまりボイコット、資本撤退、制裁の運動をしようという非暴力の国際的な運動であるが、近年、イスラエルのロビイスト・グループが活発に働きかけたことによって、この運動 BDS を「反ユダヤ主義」と不当に見做して、法律で禁じようとする動きが、アメリカ合州国やヨーロッパ各国で急速に広まってきた(アメリカ合州国の動きについては次章参照)。
以下は 1ヶ月ほど前、2020年11月3日付の記事だが、ここでリポートされている件は、いわゆる 反 BDS 法 なるものがいかにばかばかしいものかを示す典型例。
ドイツにおける 反 BDS 法 で最初に標的となったのが、ベルリン在住のイスラエル人アーティスト達だったという話である。
本投稿の冒頭でも書いたように、Jewish, Jewishness ということはイコール、1948年に「建国」されたイスラエルと呼ばれる国ということでは勿論ないし(そもそもあの国にはアラブ系の市民、つまりパレスチナ人もいるのだが)、Semitism イコール、イスラエルということでも勿論ない。BDS を「反ユダヤ主義」つまり anti-Semitism という一種の人種差別主義と見做すのは、完全な没論理なのである。
そんなことはちょっと考えれば分かるはずのことであって、これも既に述べた通りであるが、仮に日本の政策を批判して日本をボイコットする運動があっても、それはイコール「反日本主義」もしくは「反日本人主義」といった人種差別には当たらない。
イスラエルだけが、anti-Semitism, anti-Semitic, anti-Semite といった言葉を便利に使って、自国の政策に対する批判やその政策に抗議するためのボイコット運動を封じることなど、本来できない注文というものなのだ。

3) 超正統派ユダヤ教徒の平和的デモを暴力的に弾圧するイスラエル当局 〜 「皮肉」

以下はインスタグラム上の投稿 4点。(1) Activestills は、パレスチナ/イスラエルにおいてドキュメンタリーの写真や動画を撮ってリポートするフォトグラファーたちの共同体。(2)~(4) の Oren Ziv は、Activestills の創立メンバーでもある、イスラエル人(ユダヤ人)のフォト・ジャーナリスト兼「反占領」活動家(彼ら自身は超正統派ユダヤ教徒ではない)。

上から順に、昨年 2020年12月21日(写真4枚とテキスト)、12月23日(写真10枚とテキスト)、さらに 12月24日(動画とテキスト)、12月28日(動画とテキスト)。

超正統派ユダヤ教徒の教義について詳しいのではない筆者だが、彼らの信仰自体は保守的もしくは超保守的なものであって、具体的中身は違うにしろ、イスラームにもある保守的な信仰がそうであるように、日常生活における戒律などが厳しい人たちである。筆者はそもそも無神論者だし、一般論として、宗教に対するとりわけ保守的・原理的な信仰を支持するものでは全くない。

ただ、こうしたユダヤ教徒の一派による、パレスチナ人(は多数派はムスリムだがキリスト教徒もいるし無神論者もいる)への連帯や「占領」反対あるいは絶対的な平和主義に基づく主張をするための「平和的な」デモンストレーションを、ユダヤ人が多数派で当然ながら敬虔なユダヤ教徒も多い「イスラエル」という国が時に暴力的に排除している事実を取り上げるのが、ここでの趣旨である。

因みに、彼らは政治思想である「シオニズム」に反対しており、パレスチナ「占領」に加担するものでもある軍務に反対しており、「イスラエル」という名の1948年「建国」の国家の存在にも反対している。イスラエルの政権にとって苦々しい存在であるのは間違いないが、彼らがこのような主張をすること自体は少なくとも(表現の)自由であり、暴力的に弾圧・排除されることがあっていいとは思わない。*このデモは昨年12月下旬であり、コロナ禍においてリスクが大きい示威行動であることは確かだが。

(2)~(4) では、彼らが、"water cannon" (デモ鎮圧用として強権的な政府がしばしば使う高圧放水砲)を使って排除される様子がリポートされている。

(1) 

Members of the Ultra-Orthodox anti-Zionist Jewish group Neturei Karta hold their monthly protest in Jerusalem against Zionism and the state of Israel, and in support of the Palestinian people.

(2) 

Israeli police disperse Ultra orthodox Jews as the demonstrate against the arrest of ultra orthodox Jewish youth who refused army draft, in West Jerusalem.

(3) 

Yesterday in Jerusalem: Israeli police used water to disperse Ultra orthodox Jews, as they protested following the arrest of an ultra orthodox youth, who refused to cooperate with the military system.

(4) 

Israeli police used water cannons to disperse Ultra orthodox Jews, during a demo in BneiBrak following the arrest of an ultra orthodox youth, who refused to cooperate with the military system.

<以下、本章における脚注>(昨年12月4日付の note 投稿中の 筆者自身のテキストより

*1 1948年、それまで「イギリス委任統治領パレスチナ」(British Mandate for Palestine, Mandatory Palestine: 1920-1948年, それ以前は16世紀以降オスマン帝国の支配下)だった土地の一部(といってもかなりの比率を占めるが)を領土として「建国」された新興国家、イスラエル。正式名称はイスラエル国(英語名 State of Israel)。
(1947年のパレスチナ)

画像3


*2 Jewishness とは「ユダヤ人であること」を指す。
*3 Judaism の意味は「ユダヤ教」。
*4 Semitism とは「ユダヤ主義」を意味し、その他、セム(語)風、ユダヤ(人)風、ユダヤ人気質などを指す言葉。なお、「セム」はユダヤ人だけを意味する言葉ではなく、セム人・セム族には現在のパレスチナ人を含むアラブ人の他、広範な範囲の人々が含まれる。「セム語」も同様で、これはヘブライ語とアラビア語を含む複数の種類の言語の総称である。
*5 本 note 投稿の冒頭で書いたように(注:今日の note 投稿においては本章の上部で引用)、anti-Semitism という言葉は、今やまるで魔法の言葉のように、イスラエルに対する「批判」封じのための道具となっている。言葉として武器化されていると言ってよい。その他に、同様に使われる言葉として、反ユダヤ主義(の)、反ユダヤ主義者(の)といった意味になる anti-Semite, anti-Semitic (前者は名詞および形容詞、後者は通常は形容詞のみ)といった用語がある。そもそも Semite とはセム人、セム族の人を指し、その意味は Semitic (languages) すなわちセム系の言語(ヘブライ語、アラビア語、ほか)を使用する人々の総称であるから、これには当然ながら、ユダヤ人だけでなく、現在のパレスチナ人を含むアラブ人の他、広範な範囲の人々が含まれる。にも関わらず、anti-Semite, anti-Semitic, anti-Semitism といった一連の言葉は、ユダヤ人「のみ」に対する差別的な思想や行動を意味するものとして使われており、それがこれらの言葉の使用を巡る歴史であり、現状である。

「反ユダヤ主義」という言葉の政治的濫用 〜 IHRAによる定義の欺瞞(BDS運動に対する歪曲)

IHRA (International Holocaust Remembrance Alliance) とは、イスラエル・アメリカ合州国・ヨーロッパ諸国を含む34か国が加盟する組織、日本語では「国際ホロコースト記憶アライアンス」。

イスラエル批判やとりわけ BDS運動(イスラエルの占領政策・アパルトヘイト政策を是正させるため、イスラエルがそうした政策を止めるまでイスラエルに対するボイコット Boycott、資本撤退 Divestment、制裁 Sanctions の運動をしようという趣旨の国際的な政治運動)に対し「反ユダヤ主義」(という名の差別主義)とのレッテルを貼ってこうした政治的運動や主張を封じ込めるために、IHRA による「反ユダヤ主義の定義」が利用されてきた。このことについては、次に紹介するインスタグラム投稿 6点の後でリンクを貼る BDS Japan Bulletin の note 投稿(関連投稿を含む 3点)および アムネスティ・インターナショナル の声明を参照されたい

以下、まずはインスタグラム上の投稿 3点へのリンクを置き、その後で、3点目の投稿主であるイスラエル人(ユダヤ人、現在アメリカ在住)Miko Peled についての解説と彼の最近のインスタグラム投稿 3点を付す(その下に上記の太字の件)。

最初の 3点については、投稿主は上から Jewish Voice for Peace (パレスチナ人の人権擁護を訴える活動をするユダヤ系アメリカ人の組織), Mondoweiss (反シオニストで進歩主義者 progressive を自任するユダヤ系アメリカ人による独立系メディア), Miko Peled の順(順不同)。Miko Peled は上に書いたように現在アメリカ在住、イスラエル生まれのイスラエル人(ユダヤ人)。彼については以下のインスタグラム投稿 3点の下に詳しい注釈を置くこととする。

1) Jewish Voice for Peace

2) Mondoweiss

3) Miko Peled* (この下に注記)

*Miko Peled は、1961年エルサレム生まれのイスラエル人(ユダヤ人)で現在アメリカ合州国在住のイスラエル系アメリカ人の活動家・作家である(ここでは全くの「ついで」ながら、彼は空手の有段者・六段の黒帯保持者で来日経験もある)。

彼は著名なシオニストの家庭で生まれ育った人物。彼の祖父はイスラエルの「建国」宣言=イスラエル言うところの「独立宣言」に署名しており、父親は 1947年から 1949年にかけてのイスラエル「建国」前後の第一次中東戦争(the 1947–1949 Palestine war)に従軍し、更には 1967年の第三次中東戦争(いわゆる「六日戦争」、イスラエルが第一次中東戦争後にも領土としていなかった東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区およびガザ地区、加えてエジプトのシナイ半島、シリアのゴラン高原の一部を占領する結果となった戦争)には General (大将、将軍、もしくは軍司令官、筆者はイスラエル軍の階級に通じていないのでどう訳すべきか不詳)として戦争を指揮している。ただ、父親はその後、その「六日戦争」におけるイスラエルの戦争犯罪について調査し、それがイスラエル政府によって無視された後、イスラエルと PLO, パレスチナ解放機構との対話の主唱者となった。彼はかつては自身が従軍、また指揮したイスラエル軍について、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原を占領し、領土拡張のための戦争をしたのだと非難するようになった(父親は 1995年死去)。

上記のような家庭環境で育った Miko Peled は父親が軍人であったように当初はイスラエル軍の軍務に就くようになるが、徐々に後悔するようになり、自身が獲得した軍における階級を放棄し、看護兵(衛生兵)となる。その後、最終的には 1982年のイスラエルによるレバノン侵攻・侵略戦争を眼の当たりにして軍務に嫌気が差し、軍人であることから足を洗うこととなった。

Peled は 1997年、彼の当時13歳だった姪が、エルサレムにおけるパレスチナ人のいわゆる自爆テロのために命を落とすという悲惨な経験を持つが、彼はその際、こうした悲劇が起きるのは、我々が他の民族を支配し彼らの土地を占領しているからだ、失われていく命を救うために行なう正しいことは、占領を止め、ただパレスチナ人たち、一方の当事者である彼らとの平和を築くための話し合いをすることだといった趣旨のことを話した(英語版 Wikipedia より)。

今、Peled はパレスチナ人の人権を擁護し、彼らの民族自決権を支持する、そして俗な言い方をするならば「熱烈な」パレスチナ支持者だと言ってよい。シオニズムを批判し、BDS 運動を当然のように支持する彼だが、因みに、上に書いたパレスチナ人による「自爆テロ」で命を落とした姪の母親、Peled の姉である Nurit Peled-Elhanan (1949年エルサレム生まれ、Peled より12歳年上)も、シオニズムに対する徹底した批判者であり、また、BDS 運動(イスラエルによる占領をやめさせるためのイスラエルに対する Boycott, Divestment and Sanctions, すなわちボイコット、資本撤退と制裁を行なう国際的な運動)の支持者で、彼女はエルサレムにあるヘブライ大学の教授(専門は教育学など)を務め、翻訳業や活動家としての一面を持つが、2001年には欧州議会から思想の自由に関わる賞(サハロフ賞、最初の受賞者は 1988年に受賞した南アフリカのネルソン・マンデラ)を授与されている国際的に著名な人物である。Nurit Peled-Elhanan はまた、イスラエルでの教育において使われる教科書の中で描かれるパレスチナ人のイメージについて研究し、その描かれ方は偏向したもので「反パレスチナ」的なものであるとの批判をしていることでも有名

筆者自身は、これまで、Miko Peled の姉である上記の Nurit Peled-Elhanan については詳しくなかった。したがって彼女の日頃の主張を詳しく知っているのではないのだが、Miko Peled については数年前から SNS 上でフォローしてきた。

彼のツイッター・アカウントは @mikopeled, インスタグラムのアカウントも上のインスタグラム投稿の通りで同じく @mikopeled である。

以下、参考まで、Miko Peled のインタスタグラム上の最新投稿 3点。

(1)

(2)

(3)

.......................................................

「反ユダヤ主義批判」の政治的濫用、ここに極まれり? ―「IHRA定義」の欺瞞性(BDS Japan Bulletin の note 投稿より)

本章の最後に、BDS Japan Bulletin の note 投稿 3点と、アムネスティ・インターナショナルの関連する声明へのリンクを掲載する。

以下、本来もっと読まれるべき、BDS Japan Bulletin の note 投稿による解説。BDS Japan Bulletin は日本における BDS 運動の掲示板的な役割を目指すアカウントだが、筆者はその管理者ではないし、メンバーの一人でもない、念のため。

上記リンク先のテキスト中に「ポンペオ国務長官の主導で、このIHRA定義にもとづき、アムネスティ・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、オクスファムの3団体を『反ユダヤ主義団体』であると指定する動き」とあるが、参考まで、以下は、昨年 2020年11月19日に世界最大の国際人権団体(NGO)である アムネスティ・インターナショナル Amnesty International が発表した、アメリカ国務省の BDS 運動を封じる動きに対し、表現の自由、政治活動の自由、そして人権擁護の活動自体を攻撃するものとして批判する声明

なお、BDS Japan Bulletin の note 投稿による解説をもう 2点、紹介しておく。

一つは BDS運動に対する歪曲 についての記事、もう一つは、BDS運動に対する「法律戦」を世界各地で仕掛けるイスラエルの組織の代表の夫であり創立者の一人でもあるイスラエル人が 1980年代にパレスチナ人に対するテロによりイスラエルで実刑判決を受け投獄されていたことが判明した件に関する記事。

「決して忘れはしない」 〜 ナチスによるユダヤ人虐殺の記録

最初にことわり書きしておきたいのだが(念のため)、ユダヤ人が過去にどのような差別や弾圧を受け、さらに前世紀20世紀の前半期においてはナチスによって虐殺(ホロコースト)もされたという、その歴史的事実にそれほど詳しくない人は、パレスチナ問題、パレスチナ/イスラエル問題においてイスラエルの政策やシオニズムなどを批判する資格がない、などということはない。それは、全くない。

知っていた方がいいし、当然ながら、パレスチナ/イスラエル問題とはまた別に、世界の多くの人が知るべきであり、今後も人類が忘れてはならないことの一つであることは確かだろう。

ただ、念には念を入れて、もう一度書いておくが、このことに詳しくない人はパレスチナ/イスラエル問題を語る資格はないとか、イスラエルを批判する資格がないとか、そんな莫迦げた話は有り得ない。知っていた方がよく、21世紀の世界を生きる人間として知るべきであるとは思うが、これに詳しくなければイスラエルを批判するな、などということを言う人がいるとしたら(筆者の場合はそのようなことを言う人と会ったことはないが、誤解を招かぬよう今これを書いている)、それは完全に誤りだ。

さて、以下に載せる写真 8枚とそれに纏わるテキストは、筆者個人の私的な記録。

この私的記録を述べるためのこれら 8枚の写真の後に、ユダヤ系アメリカ人の学者ノーマン・フィンケルスタイン(*1: 彼の両親はワルシャワ・ゲットー、ワルシャワ蜂起、そしてホロコーストの生存者であり、また親族の多くはナチス・ドイツによる処刑・ホロコースト等つまりユダヤ人弾圧・虐殺の犠牲者)の発言と、パレスチナ系アメリカ人の学者エドワード・サイード(*2: 1935年、イスラエル「建国」[1948年]の前の「イギリス委任統治領パレスチナ」であった時代のパレスチナ、エルサレムの生まれ、2003年ニューヨークで死す)の言葉 を掲載する。

以下の 8枚の写真は、たった今、これをいま私が書いている(キーを叩いている!)自宅の居間で撮った。

決して広くない居間の、いつでも直ぐに手が届く場所に置いてある書籍の中に、この一冊がある。

ナチス(による)虐殺の記録「決して忘れはしない」〜 WE HAVE NOT FORGOTTEN: 1939-1945

1959年にポーランド、ワルシャワで出版された、極めて貴重な、かつ大量の写真(見るに堪えない残忍で惨たらしいナチスの蛮行が記録された写真の数々)が掲載され、その解説が書かれた、"WE HAVE NOT FORGOTTEN" というタイトルの書籍の日本語版である。

日本では、8枚目の写真にあるように、昭和36年(1961年)2月12日に発行されている。

私は 1960年9月11日生まれなので、この本が日本で発行された時は、まだ生後 5ヶ月ほどだった。買ったのはもちろん私ではなく、昭和3年(1928年)生まれで、昨年の同じく(日は違うが)9月の誕生日に 92歳になり、幸い今現在も遠く離れた別の県の田舎町で元気に暮らしている、筆者の父親である。この本を手にした時、父は 32歳だったことになる。

極貧の家庭に生まれ育った父は、本人の言によれば実際「学校での勉強は嫌い」で友人といたずらばかりしていた子どもだったとのことだが、そもそもカネというものがなく時として醤油や米なども近所の家から借りてくるしかない(どれだけ返せただろうか)、そんな家庭環境が進学を許すはずもなく、学歴はいわゆる小卒、当時の尋常高等小学校しか出ていない。

その後、職を転々としたが、第二次世界大戦の「敗戦」時は、海軍工廠にいた。当然、「ボクラ少国民」(山中恒の著作のタイトル、私の父は山中恒の 3学年年長に当たる年齢である、同郷ではないが)の戦前の教育を受けた人だった。

戦後も金はなかったが、本は好きで、田舎町の書店のオヤジさんに気に入られ、立ち読みしたり、働いて得た「なけなしの金」で本を買って読むこともあった。その後、職業人生の後半では中小企業の役員を務めるようになり政治的にもおそらく「保守的」な一時期がありながら高齢になってから再びと言うべきかどうか例えば安倍政権(今は後継の安倍菅政権のような「菅政権」になっているが)を辛辣に批判するようになった父親、若い頃は小林多喜二の「蟹工船」を読んだり、雑誌はと言えば、当時岩波の「世界」よりもラディカルだったという改造社の「改造」(大正8年=1919年創刊, 昭和30年=1955年廃刊)を読んだりもしたということである。

そんな父が母(昭和6年, 1931年生まれ、幸い今89歳の母も健在)と結婚して二児(私には昭和32年, 1957年生まれの兄がいる、本題と全く関係ないが筆者の音楽好きは兄譲り、ミュージシャン!)をもうけつつも、まだまだ生計を立てるのに苦労の連続であった時代、父はこの本、

ナチス(による)虐殺の記録「決して忘れはしない」〜 WE HAVE NOT FORGOTTEN: 1939-1945

を買って読んだ。

田舎の小さな、借りた土地の上に建てた長屋の一角のような我が家で私がこの本に興味を持ってこれを手にし、読んでみたのは、小学校高学年ぐらいの年齢の時だったと思う。あるいは、父が私に「読んでみろ。見てみろ」と薦めてくれたのだったかもしれない。

とりあえず、まだ中学には入っていなかった時だったと記憶している。

衝撃だった。大人が見ても衝撃を受ける数多の写真の数々と記録文だが(上にも書いたが、とにかく、見るに堪えない残忍で惨たらしいナチスの蛮行が記録された写真の数々と解説のキャプション、そして歴史的背景などを記した記録なのだ)、まして、ませガキだったとはいえまだ文字通り「子ども」の心と頭脳には、とりわけ大きな衝撃を与えるものだった。何度も書くが、「衝撃」という表現がまさに相応しい、そんな「読書」体験だった。

その後、何度も読み返したこの本だが(極めて非人道的なナチスの蛮行の記録写真も繰り返し見ることになる)、大学に入学する時にそれまで18年間暮らした田舎町を発つ時、父は「持っていけ」と言って筆者に渡してくれた。あるいは私が父に「持っていっていいか」と訊いたのかもしれない(細かいことまでは既に記憶から消えている)。

兎にも角にも、この本はその後も当然のように私の手元にあり、数年前からは書棚から下ろして居間に置いている限られた書籍の中の一冊となっている。

本章の冒頭で書いたように、ユダヤ人が過去にどのような差別や弾圧を受け、前世紀20世紀の前半期においてはナチスによって虐殺(ホロコースト)もされた、そういう歴史的事実にそれほど詳しくない人は、パレスチナ問題、パレスチナ/イスラエル問題においてイスラエルの政策やシオニズムなどを批判する資格がない、などということはない。それは、全くない。

しかし、私がここで言いたいことは、私自身のことに過ぎない。要するに、こういうものを子どもの頃に読み、写真を見、衝撃を受け、何度も見返しながら育った人間が、「反ユダヤ主義」者になるはずがない。

1) 表紙

画像5

2) 裏表紙

画像6

3) 中表紙

画像7

4) 中表紙の裏

画像8

5) 目次

画像9

6) (開高 健が文章を寄せている。)

画像10

7) 巻末

画像11

8) 巻末

画像12

■ ここから先は、筆者の私的記録のためのテキストなどではない。もちろん、ない。

*1 

ノーマン・フィンケルスタイン(Norman Finkelstein, 1953年ニューヨーク生まれ)は ユダヤ系アメリカ人の政治学者で、反シオニストの活動家であり、作家でもある。

ノーマン・フィンケルスタインの両親は共にナチス・ドイツによるワルシャワ市内のユダヤ人隔離地域であったワルシャワ・ゲットー、そしてユダヤ人がナチスに対して絶望的な蜂起をしたいわゆる「ワルシャワ蜂起」の生存者で、母親は更にナチス・ドイツがポーランドに建設したマイダネク強制収容所の生存者でもあって、父親は更にアウシュヴィッツ強制収容所の生存者でもある。

その彼が、(反)ナチス、(反)ホロコースト等に言及してイスラエルを「擁護」する人たち、そんな特にイスラエル人もしくはユダヤ人に向けて語った言葉。

(英語、英語字幕付き)

*2

次に、パレスチナ・エルサレム生まれのパレスチナ系アメリカ人で、文学・比較文学研究者であった故 エドワード・サイード Edward Said (1935年11月1日「イギリス委任統治領パレスチナ」エルサレム生まれ、2003年9月24日ニューヨークにて死去:著書「オリエンタリズム」でポストコロニアル理論を確立した学者として世界的に著名) が語った言葉について掲載して、この章は終えることにする。

"You cannot continue to victimize someone else just because you yourself were a victim once.", つまり、「あなた方自身が かつて 犠牲者だったという理由で、他の誰かを犠牲にし続けることは出来ない」。

画像13


イスラエル批判を「反ユダヤ主義」と見做す没論理 〜 日本にもある例

最初に書いておくと、この人はおそらくこう言うんだろう(既に言ってるんだが)。「私のツイートは自分の体験・感想と友人や主流メディアのリツイートです。もちろん誰の為にも働いていません」。本人によれば自身の体験・感想と友人や「主流メディアのリツイート」、「主流の人々の意見を紹介」しているだけとの由。

以下のツイート 2点のうち、後者はパレスチナ/イスラエル問題や BDS運動などとの関係自体はなさそうなツイート。「正確で」はともかく、「主流の情報」とは、いったい何を言いたいのやら。「正確で」あることを期すのが重要であることは論を待たないが、とりあえず、「主流」=「正確」とは限らない、というシンプルなこと自体はこの人も理解されていることを期待したい。少なくとも今や世の多くの人々の共通認識になっていることではあると思うが。

この人は、以前の BDS Japan Bulltein の note 投稿テキスト(本章の脚注 *2)で紹介された際の解説によれば、「米国の有力シオニスト組織サイモン・ウイーゼンタール・センターの日本窓口を長年務め、2016年からはブログ・SNSでイスラエルのプロパガンダ・マシーンとなっている徳留絹枝氏」ということのようだが、さて。

本章の本題に入ることにする。

前々章 〜 イスラエル批判を「反ユダヤ主義」として封じようとすることの度し難い愚かさ 〜 で述べた通り、イスラエル批判やイスラエルの政策是正を求めるボイコット運動が「反ユダヤ主義」だとする考えは、全くの誤りである

こんなことは実は何も複雑なことではなく、少し考えれば簡単に理解できるはずのことだ。要するに「子どもでも」分かるようなことである。

Israel (イスラエル, 1948年「建国」の中東に存在する国)は Jewishness (ユダヤ人であること) とイコールではない。Judaism (ユダヤ教) ともイコールではない。Semitism ともイコールではない。当たり前のことだが。

因みに Semitism はセム(語)風, ユダヤ(人)風, ユダヤ人気質, ユダヤ主義といった訳され方をする言葉で、実際そういう「ユダヤ」系に偏った使われ方が為されてきた歴史があるが、しかし実は「セム」, Semite にはユダヤ人だけでなくアラブ人を含む多くの人々・民族が含まれ、Semitic language の一つである Arabic を話すパレスチナのアラブ人である「パレスチナ人」も Semite である。

話を戻すと、政治思想の一つである Zionism も Jewishness とイコールではない。Judaism ともイコールではないし、Semitism ともイコールではない。当たり前のことだが。

したがって、イスラエル批判も、反シオニズムも、イスラエルの政策是正を要求するための BDS (Boycott, Divestment, Sanctions) 運動も、そのいずれについても、「反ユダヤ主義」(anti-Semitism) とイコールだなどということは有り得ない。

その理由は上の説明で十分なのだが、前々章ではさらに補足して書いた。

さて、本章で取り上げたいのは、日本でも散見される「イスラエル批判やシオニズム批判を『反ユダヤ主義』と見做す没論理」の例である。

以下、昨日 note 投稿したテキスト(本章の後の、本 note 投稿「付録1」)の中でも書いたことなのだが、「言論の自由」は当然ながら認めるものの、ああいう言説が広まることは非常に問題であり、また今日のこの note 投稿テキストのテーマに即したものでもあるので、ここであらためて記しておきたい。

この「ユダヤ人と日本」なるツイッター・アカウントは、イスラエルの政策を理由としたイスラエル「批判」や、イスラエルが国際法を遵守し半世紀以上続ける違法「占領」やアパルトヘイト政策を止めるまでイスラエルに対するボイコット Boycott, 資本撤退 Investment, 制裁 Sanctions による抗議をしようという趣旨の国際的な政治運動である BDS運動などを「反ユダヤ主義」だと見做す没論理の主張を広めている、SNS上のアカウントの一つである

以下、ツイート 4点(イスラエルの政策を理由としたイスラエル「批判」のみならず、シオニズムという一つの政治思想を批判する/これに反対することも「反ユダヤ主義」という名の差別主義と見做す、この没論理。この理屈だと、膨大な数の「反ユダヤ主義」のユダヤ人が世界中にいることになるのだが)。

1)

2) 有力な国際人権 NGO の一つである Human Rights Watch もイスラエルを批判したから「反ユダヤ主義」だという。「ユダヤ人自決権否定」など誰もしていないが、彼らイスラエル「擁護」自己目的化人士たちによれば、他にもアムネスティ・インターナショナル Amnesty International なども時として「反ユダヤ主義」と見做される(なお、このツイートを BDS Japan Bulletin が引用ツイートしているのが 4) で、また、IHRA については下部の *1 の note 投稿に詳しい)。

以下、愚の骨頂、いや 没論理の骨頂 というべきか。

3) 以下の 2つは、BDS Japan Bulletin のツイッター・アカウントが過去に引用ツイートしたもの。

4) 以下のツイートで言及されている IHRA については、この下の BDS Japan Bulltein の note 投稿(*1)が詳しい解説をしている。

IHRA については、以下の *1 の note 投稿に詳しい。以降の *2, 3, 4 では「米国の有力シオニスト組織サイモン・ウイーゼンタール・センターの日本窓口を長年務め、2016年からはブログ・SNSでイスラエルのプロパガンダ・マシーンとなっている徳留絹枝氏」(*2 より)、つまり「ユダヤ人と日本」なるツイッター・アカウントによるツイートが紹介されている。

*1, 2, 3 は BDS Japan Bulltein による note 投稿で(筆者はそのメンバーでもアカウント管理者でもない、念のため)、いずれも前々章でもリンクを貼ったもの。

*4 は本 note 投稿の筆者による過去の note 投稿である。この他、本 note 投稿・本章の後の「付録1」および「付録3」でそれぞれリンクを付す筆者の過去の note 投稿においても、この「ユダヤ人と日本」氏のツイートについて紹介している。

*1

*2

*3

*4

付録1: イスラエルはヨルダン川と地中海の間に存在する 「アパルトヘイト」 レジームである(イスラエル最大の人権擁護NGO) 〜 これに対しイスラエル「擁護」専門家の抗弁は?

因みに、上のリンク先の note 投稿の中で取り上げた日本人のイスラエル「擁護」専門家は、イスラエルの政策を理由としたイスラエル「批判」や、政治思想の一つであるシオニズムに対する批判、「反シオニズム」の表明、イスラエルが国際法を遵守し半世紀以上続ける違法「占領」やアパルトヘイト政策を止めるまでイスラエルに対するボイコット Boycott, 資本撤退 Investment, 制裁 Sanctions による抗議をしようという趣旨の国際的な政治運動である BDS運動などを「反ユダヤ主義」だと見做す没論理の主張を広めている人物の一人でもある。

その没論理については、リンク先の筆者の note 投稿でも紹介しているが、今日の本 note 投稿においても、この「付録1」の直前の章「イスラエル批判を『反ユダヤ主義』と見做す没論理 〜 日本にもある例」の中であらためて取り上げている。

付録2: イスラエルのメディカル・アパルトヘイト 〜 あらためての ユヴァル・ノア・ハラリ批判とともに

付録3: イスラエル批判、反シオニズム、BDS を 「反ユダヤ主義」 と見做す思考の、度し難い愚かさ

以下のリンク先は、本 note 投稿において取り上げた主題に関しての、前回の筆者の note 投稿である(昨年 2020年12月4日付)。

うち、「はじめに」と「『反ユダヤ主義批判』の政治的濫用、ここに極まれり? ― 『IHRA定義』の欺瞞性 〜 BDS運動に対する歪曲」については、今日の本 note 投稿において、その 内容を拡充した上で あらためて掲載した。

その他の内容としては、残る章のタイトルを挙げておくと、

イスラエル擁護が自己目的化しているとしか思えない日本人の例 〜 『ユダヤ人と日本』 という名のツイッター・アカウント」、そして、「イスラエルの政策を批判する、反シオニズムの姿勢を鮮明にする、あるいは BDS 運動を支持するユダヤ人、もしくはイスラエル人たち」、「付録: 自由に機会を 〜 Give FREEDOM a Chance」。

なお、イスラエル擁護が自己目的化しているとしか思えない日本人の例 〜 「ユダヤ人と日本」 という名のツイッター・アカウント については、今日の本 note 投稿の「付録1」の直前の章で紹介し、また、「付録1」でリンクを貼った昨日 2021年1月19日付の筆者の note 投稿「イスラエルはヨルダン川と地中海の間に存在する 『アパルトヘイト』 レジームである(イスラエル最大の人権擁護NGO) 〜 これに対しイスラエル『擁護』専門家の抗弁は?」においても例示している、件の「イスラエル『擁護』専門家」のアカウントのことである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?