フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 シネイド・オコナー, 結局「宗教」 〜 一方で リチャード・ドーキンスもただの「無神論」カルト偏屈爺いだった
フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世
1) ガリレオ・ガリレイ, そして ヨハネ・パウロ2世
以下の note から, この下に転載。
第2章「フィレンツェと言えば 〜 ルネサンス」の次の, 第3章「フィレンツェと言えば 〜 ガリレオ・ガリレイ」より(絵を挟んで計4段落)。
2) ヨハネ・パウロ2世
以下の note から, この下に転載。
第1章「ヴァチカン市国 〜 写真 3枚」より(1段落分), その下の ヨハネ・パウロ2世 の写真のさらに下は, ここではおまけの転載, プラス α ♫ ... 因みにウィキからの受け売りだけど, アルファ α(古代ギリシア語: ἄλφα アルパ, ギリシア語: άλφα アルファ, ギリシア語ラテン翻字: alpha)は, ギリシア文字の第1番目の文字(ギリシアの数字の数価としては1を表す; ラテンアルファベットの「A」や キリル文字の「А」は この文字を起源とする)。最後の括弧の中はともかく, ギリシア, ギリシャは, ちょっとプラスα 部分に関係ある。
(St. Vincent 命名の背景については歌詞の後で)
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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ここからは本 note のトピックからちと離れて, St. Vincent 命名の背景について, それと Dylan Thomas から思い浮かんでしまった Paul Simon のある曲について。
因みに Dylan Thomas はイギリス, ウェールズの詩人・作家(1914年10月27日にウェールズ南部の都市スウォンジーで生まれ, 1953年11月9日にアメリカ合州国ニューヨーク・マンハッタンのセント・ヴィンセント病院で死去, 埋葬されたのはウェールズの墓地とのこと)。
これの,
1.2 2003–2007: Career beginnings and Marry Me によると,
https://ja.wikipedia.org/wiki/セイント・ヴィンセント の「来歴」の項によると,
Dylan Thomas から思い浮かんでしまった Paul Simon のある曲については, 以下の note に載せたことがあって(その時の切っ掛けは Dylan Thomas ではなかったけれど, しかしまぁ歌詞に Dylan Thomas が出てくるので),
ただしその曲はこの note のタイトルにある「アメリカの歌」(American Tune)ではなく,
以下は, 上掲リンク先 note 第8章「Mayflower とは何か? (簡単で散漫な攻撃的演説)」に載せた, "A Simple Desultory Philippic", 邦題は「簡単で散漫な演説」。
その章からの転載。
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部のみの掲載に改めました。歌詞・全編に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部のみの掲載に改めました。歌詞・全編に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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上掲(最早だいぶ上の方のことだけど, 笑)リンク先 note ではこの後, 「ボブ・ディラン?」という見出しの章を置いて,
と続けてるんだけど, この続きはまた今日のこの note フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 シネイド・オコナー, 結局「宗教」 の中, その後段にて。
さてさて, 些かの脱線が, ボリューム的に長過ぎ!
ガリレオ・ガリレイ 〜 それでも地球は
17年前に自分のホームページ上の「日記」コーナーに書いていたもの, 2本, その 1本目。
2004年 1月25日(日) それでも地球は回っている
*「2本目」というのはその日の2本目の日記ということで, その日の1本目は「アメリカのイラクWMD調査チーム責任者が辞任、曰く 『もともと存在しなかった』」というタイトルの日記だった。
「こんなふうに考える」というところでは, 自分の Paul Simon "Kathy's Song" (And so you see, I have come to doubt, all that I once held as true. I stand alone without beliefs. The only truth I know is you ... And as I watch the drops of rain weave their weary paths and die. I know that I am like the rain. There but for the grace of you go I ... There but for the grace of God go I ではなくて, There but for the grace of you go I ♫) の歌詞和訳, ホームページ上に載せたそれにリンクさせていた。
その後, ホームページ上に載せていた自分の和訳に一部意訳というより誤訳が含まれていることに気づき, 以下の note 内では訂正。この「(拙訳)」という自虐表現はだいぶ前から使わないようにしているけれど(その理由は割愛, ここでは文字数を「節約」するため, 笑)。
「金色の心」では, 自分の Neil Young "Heart of Gold" の歌詞和訳, ホームページ上に載せたそれにリンクさせていた。note では以下。
「自由の値」では, 自分の CSNY "Find the Cost of Freedom" の歌詞和訳, ホームページ上に載せたそれにリンクさせていた。note では以下。
生命 (いのち) は本当にかけがえのないものだから、ずっと生きてゆくことです。そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」
生命 (いのち) は本当にかけがえのないものだから、ずっと生きてゆくことです。とは, 以下からとったもの。
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生命 (いのち) より大切なものはない
生命 (いのち) より大切なものは何もないのだ
生命 (いのち) が生きてゆくために生きている
理想や目標は
地面に手を付き命乞いをしなさい
生命 (いのち) は本当にかけがえのないものだから
ずっと生きてゆくことです
そのかわりと神は言った
おまえたちに空っぽをあげよう
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上に載せた, 2004年 1月25日(日) 付のホームページ上の日記は, 以下のリンク先。ただしホームページは2001年8月に本を買って HTML独学してその基礎だけで立ち上げたホームページで, 以降, 仕様を一切変えておらず, PCからなら今もどのブラウザでも問題なく閲覧できるようだが, スマホからだとOS次第で文字化けする。
ガリレオ・ガリレイ 〜 ローマ教皇(ヨハネ・パウロ2世)が誤りを認め, 謝罪したのは, ガリレオの死から 350年後
前章に続き, 17年前に自分のホームページ上の「日記」コーナーに書いていたもの, 2本, その 2本目。
2004年 1月25日(日) ガリレオの attitude
今あらためて, この現代の誠実なクリスチャンの一人による説明には, しかし些かの無理はあるように思うけれども。
ガレレオの死から数えれば, 350年の歳月。
I am agnostic, 今なら英語で言うなら, I am an atheist と, はっきり言うけれども。
それと, 前章でも書いたけれど, 「こんなふうに考える」というところでは, 自分の Paul Simon "Kathy's Song" (And so you see, I have come to doubt, all that I once held as true. I stand alone without beliefs. The only truth I know is you ... And as I watch the drops of rain weave their weary paths and die. I know that I am like the rain. There but for the grace of you go I ... There but for the grace of God go I ではなくて, There but for the grace of you go I ♫) の歌詞和訳, ホームページ上に載せたそれにリンクさせていた。
その後, ホームページ上に載せていた自分の和訳に一部意訳というより誤訳が含まれていることに気づき, 以下の note 内では訂正。この「(拙訳)」という自虐表現はだいぶ前から使わないようにしているけれど(その理由は割愛, ここでは文字数を「節約」するため, 再笑)。
上掲の 17年前の日記に出てくる「知人のクリスチャン」, 現代の誠実なクリスチャンの一人とは, その人がおられた(今もいると思う)プロテスタントのキリスト教会で行なわれたゴスペル・ワークショップに家族(妻, 息子)と共に参加していたことがあって(2001年-2003,4年頃まで, クワイアで歌うことを楽しんだ), それで知り合った。
そのキリスト教会が招んでくれて, 妻子と3人で共演, その教会の礼拝堂で(昔々だったらキリスト教会にとっては「悪魔の音楽」, 笑)ブルーズを歌ったことがある ♫ 素人の演奏ではあるけれど(筆者のヴォーカルやギターはともかく, 妻のピアノ, 息子のコーラス・タンバリン・ハーモニカは上出来!), 教会の皆さんも聴衆の皆さんも楽しんでくださった。
さてさて,
上に載せた, 2004年 1月25日(日) 付のホームページ上の日記は, 以下のリンク先。ただしホームページは2001年8月に本を買って HTML独学してその基礎だけで立ち上げたホームページで, 以降, 仕様を一切変えておらず, PCからなら今もどのブラウザでも問題なく閲覧できるようだが, スマホからだとOS次第で文字化けする。
次章への「オープニング・アクト」 〜 ボブ・ディラン
ボブ・ディランの不都合な真実 ー 1982年イスラエルのレバノン侵略とパレスチナ難民虐殺事件の直後に書かれたイスラエル支持ソング
ボブ・ディランの不都合な真実(2)ー または 私が 37年余り購読し続けた「朝日新聞」の購読を止めた理由
ボブ・ディランの恥ずべきイスラエル支持ソングと、サブラ・シャティーラ、パレスチナ難民虐殺事件 38周年(2020年9月17日 note 投稿)
これは ディランというよりも, ジミヘン讃歌 note ♫ All Along the Watchtower ー OF COURSE, by Jimi Hendrix (歌詞和訳)
次章は, シネイド・オコナー。
シネイド・オコナー
先に一言, 前章で今日の note と「ほぼ」関係ないボブ・ディランを取り上げたのは, 本章の後段で, ここでの「脇役」ディランへの言及があるから。
前々章に転載した17年前のホームページ上の「日記」の中で, 「... それでいて、クリスチャンでない僕として、報道等で知る限り、現在のローマ法王その人には好印象を持っています(敬虔なカソリックは「好印象」なんて軽い言葉使わないだろうけど) ... 」云々, 書いていた。
350年以上も経ってからのようやくのことではあるが, ローマ教皇庁によるガリレオ「宗教裁判」の誤りを認め, (既にこの世にいない)ガリレオへの謝罪を行なったのは, 当時の「ローマ法王」(しばらく前から「教皇」という呼称が日本での公式になっている)ヨハネ・パウロ2世 だった。
その ヨハネ・パウロ2世 ではあるが,
これ, ロック・ファンなら大抵の人が知っている出来事だけれど, もともと敬虔・厳格なカトリックの家庭で育ちそれに対する反発で少女時代荒んでいたとされるアイルランド人ミュージシャン, シネイド・オコナー(Sinéad O'Connor, 1966年12月8日生まれ)は, 1992年10月にアメリカ合州国の「サタデー・ナイト・ライブ」に出演, その生放送中, ボブ・マーリー(Bob Marley; 1945年2月6日生まれ, 1981年5月11日他界)の歌 "War" を歌った直後, カトリックのキリスト教会における, 聖職者による長年の児童への性的虐待問題への対応(の無さ, あまりの不十分さ)に抗議, 当時のローマ教皇を "Real Enemy"「真の敵」だとして非難し, ヨハネ・パウロ2世 の写真を破り捨てたのだった。
"War" を歌うパフォーマンス全編を含むのはこれ("War" の歌詞は本章の後段で掲載する)。
そしてその後, 1992年10月16日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行なわれたボブ・ディランのレコード・デビュー30周年を記念したコンサートに出演した際は, 直前の「サタデー・ナイト・ライブ」での ヨハネ・パウロ2世 の写真破り捨て「事件」によって超満員の聴衆から大ブーイングを浴び, そこで当初はディランの歌のカヴァーを歌うはずだったところ, 急遽ボブはボブでもボブ・マーリーの歌, それも件の「サタデー・ナイト・ライブ」の時と同じ "War" をやはり伴奏無しで歌った, あの一件。
あれは ロック史に残る,
見事にパンクな数分間 だったと思う。筆者, あの シネイド・オコナー には拍手喝采を送った(MSGの聴衆は大ブーイングを続けていたけれど!)。
因みに元歌, ボブ・マーリーの "War" はこれ。
War 〜 from Bob Marley and the Wailers' 1976 album "Rastaman Vibration"
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部(最初のヴァース)のみの掲載に改めました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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Until the philosophy which hold one race
Superior and another Inferior
Is finally
And permanently
Discredited
And abandoned
Everywhere is war
Me say war
...
シネイド・オコナー, しかし結局は「宗教」回帰(嘆息!)
前章で取り上げた通りの シネイド・オコナー だけれど, もともと厳格なカトリックの家庭に生まれたという彼女, 結局は「宗教」なるものに回帰 してしまったのだった。
1999年にはキリスト教系新興宗教団体「独立カトリック教会」の「女性司祭」となり, その後, なんとなんと, 2018年には イスラム教への改宗 を公表。
ほんと, なんとまぁ。カトリックに「洗脳」され, しかし カトリックに反発し, そのうち「独立カトリック教会」なる組織に加わり, それから20年ぐらい経ったら, 今度はなんと イスラーム だという。
宗教と表現の自由に関するメモ 〜 フランス文化・宗教学者によるフランス「斬首事件」論考の読後感想と私見
3.11 と、そしてこの日に絡む 「宗教」 に関わる思い出と
自然災害の犠牲者を「彼らは神を信じてないからその報いだ」と語る(一部)宗教信者の愚劣さ
自分はパレスチナ/イスラエル問題において, イスラエルのパレスチナ人に対するアパルトヘイト政策, そして「民族浄化」政策を批判・非難し, パレスチナ人の人権擁護や民族自決権支持の立場ではあるけれど, イスラームの原理主義など, とても支持なり賛同なりできるものではない, 当然ながら!
女性は男性保護者の許可なく旅行することはできない 〜 ガザ地区をサウジアラビア化しかねないハマースのイスラム法廷の愚
この際, キリスト教 の方にもちょっとね(笑)。クリスマスの真実 〜 イエス・キリストのこと知ってる?
無神論者 が好きな クリスマス・ソング 〜 7時のニュース/きよしこの夜, ハッピー・クリスマス(戦争は終った)
もうこの辺にしておくか, この無茶苦茶な組み合わせ ♫ 911 〜 ハナミズキ(一青窈), リチャード・ドーキンス 〜 Teach Your Children (CSNY) 〜 ハナミズキ, Our House (CSNY) ... 以下リンク先 note の第3章を, 本 note の次章に転載。
911 はあなたをどう変えたか? 〜「ばかばかしい敬意を払うのは皆さん もうやめにしましょう」(リチャード・ドーキンス) 〜 しかし斯く言うドーキンスもただの「無神論」カルト偏屈爺いだった
とりあえずの ドーキンス
前章の最後に書いた通り, これは前章最後にリンクを置いた note の第3章からの転載。
以下のウェブサイト上では、42言語の中から選んで日本語の字幕を付して、ドーキンスの講演を聴くことができる。
しかし 斯く言う ドーキンスも, 実はただの「無神論」カルト偏屈爺いだった
ここの小見出しのセクションはですね, 2024年7月5日, 今更ながら「おっと どっこい, ここにもドーキンス載せてたか」と気づいて加えた, 後付けセクションです。
(多少とも)詳しくは, 以下の note の 無神論者の一部(元ムスリムを含む) 批判, イランのイスラム共和国政府に反対の人の一部 批判 という見出しの章に記載。その筆頭のセクションが さらば, リチャード・ドーキンス だけど, その後 以降のセクションも, 密接に関連するトピックについて記述している。
ではでは, 次へ。
付録 〜 ガリレオ・ガリレイ と ルネサンス について
まさしく, 付録。
ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei: Galileo di Vincenzo Bonaiuti de' Galilei; 1564年2月15日生まれ, 1642年1月8日他界)はルネサンスと関連付けられて取り上げられることがしばしばあるが,
以下, 年代などはこれを思い切り安直に(笑)参照,
ガリレオが生まれた 1564年はシェークスピアの生まれた年であるとともにカルヴァンが死んだ年。「地動説」のコペルニクスは1543年に死んでいて, 彼と同時代ではない。17世紀前半はフランシス・ベーコンやデカルトの活動と重なり, 彼が死んだ 1642年には, ニュートンが生まれている。したがって, ルネサンスの時代の次に現われ, 科学革命の時代を切り開いた人物とみるのが妥当。
ガリレオは 16-17世紀のイタリア, フィレンツェで活躍した。その時代のヨーロッパは最大で最後の宗教戦争であった三十年戦争(1618 -1648)の最中。また, 幾度目かのペストが流行し ー MEMENTO MORI ー イタリアという国自体も分裂抗争の最中であって, 中世から近代への過渡期にあった。
ガリレオは コペルニクスの「地動説」を観測によって実証し, 科学革命を代表する人物となったが, 異端扱いされて訴えられ, ローマ教皇庁による宗教裁判が 2度にわたって行なわれた結果, その学説と主張は異端と判断されて彼は有罪となり, 終身禁固刑を宣告された(後に軟禁刑に減刑)。それは科学が宗教の名によって抑圧された最後の事件であり, その後は新たな発見が相次ぎ, 科学が革命的に発展, 西欧における「科学の時代」の幕が開くこととなった(もっとも宗教, 少なくともその「部分」は今も科学を抑圧し続けていると思うが)。
ところで,
本 note 第1章の冒頭で, 自分のフィレンツェ note からの転載をしたけれど, その 1段落目は以下の通り。
つまり, ガリレオ・ガリレイの父親は, ルネサンス の時代に活躍した「ルネサンス音楽」の音楽家の一人, リュート奏者の ヴィンチェンツォ・ガリレイ だった。
の 3 ルネサンス史, 3.1 イタリア からの受け売り!
古代ギリシア音楽の復興 かぁ。「デモステネスのフィリッポス王攻撃演説, 紀元前351年からアテネの雄弁家 Demosthenes が行った, マセドニア王 Philip II(Philip the Great)の独裁を非難し自国民のふがいなさをなじった激しい演説」に関連する「簡単で散漫な演説」つまり "A Simple Desultory Philippic" については, 本 note 第1章の終盤にて ... とめっちゃ強引に繋げる!
それともう一つ, ギリシア悲劇を思想上の範としてオペラを創出, そうなのかそうなのか, というわけで,
の第3章「ローマ, フォロ・ロマーノ(古代ローマの遺跡群)など 〜 写真 8枚」の最後の2枚の写真, それから第4章「うたかたのオペラ 〜 加藤和彦, 1980年9月25日リリース ♫」に, オペラ が登場するのだった ... と, またまためっちゃ強引に繋げる!
「強引」祭りはこれにて。次章では再び ガリレオ, でもハムスターのガレレオ。
一息入れる付録 〜 ガリレオ, 我が家のハムスターの「ガリレオ」
20年前に飼っていて, 2001年11月28日に短命の生涯を終えた, 我が家の ガリレオ。リス輪でひたすらグルグル 回っている 様子を見て, ガリレオ と名付けたのだった, 何故って 〜 その昔はあの ガリレオ 曰く, とされていた「それでも地球は回っている」。直訳は「動いている」だったかもだけど, ま, いいっしょ。
懐かしい!
ほとんど「家族」同然の存在だった。
ガリレオ「他界」の日の日記。2001年8月に本を買って HTML独学, その基礎だけで立ち上げ, 以降は仕様を全く変えてないホームページ上, PCでのブラウザなら問題ないけれど, スマホだとOS次第で文字化けする(リンク先はホームページの左側メニューの方をカットした部分)。
何となくこれ 〜 Teach Your Children (CSNY), 歌詞和訳
ってか, シネイド・オコナー, しかし結局は「宗教」回帰(嘆息!) の章の中の最後にリンクを置いた note, これ
の終わりから数えて 3番目の章の転載。
上掲リンク先 note は「前説」の後,
ハナミズキ (歌) 〜 一青窈
ハナミズキ (花)
911 はあなたをどう変えたか? 〜「ばかばかしい敬意を払うのは皆さん もうやめにしましょう」(リチャード・ドーキンス)
Teach Your Children (CSNY) 〜 歌詞和訳
我が家のハナミズキ
Our House 〜 CSNY
以下は, 今日のこの note の中で既に転載した 911 はあなたをどう変えたか? 〜「ばかばかしい敬意を払うのは皆さん もうやめにしましょう」(リチャード・ドーキンス) に続く章。
Teach Your Children 〜 from Crosby, Stills, Nash & Young 1970 album "Déjà Vu", and recored live & included on their 1971 live album "4 Way Street"(*1), and (studio version) played in a 1971 film "Melody" starring Tracy Hyde and Mark Lester(*2)
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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この世界でいま歩みを進めている君たちには
これで生きていくんだという道標が必要に違いない
だからこそ誰でもない 自分自身になることさ
なぜって 過去はいつも過ぎ去っていくものだからね
子供たちにはよく教えてあげることだ
父親たちの苦悩が ゆっくりと消えていったことを
子供たちには 君らが見た様々な夢を伝えるんだ
子供たちが何かを掴んだことを 君はきっと知ることになるよ
でも何故だなんて訊かないことさ、もし彼らが答えれば 君はただ泣くだけなんだ
だから彼らをただ眺めていればいい、それで ああ彼らは自分を愛してるんだって分かるから
感じやすい年頃の君たちは (聞くことができるかい, 気に掛けてるかい)
でもまだ恐れというものを知らない (分かるかい)
年嵩のいった人たちは その恐れによって大人になったんだ (僕らは自由でなくちゃいけない)
だから 君らは助けてあげてほしい (君の子供たちに教えるんだ)
その若い力で彼らをね (君が信じることを)
彼らは真理を探し求めてるんだ (世界を作るんだ)
死ぬその時まで (僕らが生きることができる世界を)
親たちにはよく教えてあげることだ
子供たちの苦悩が ゆっくりと消えていくことを
親たちには 君らが見た様々な夢を伝えるんだ
親たちが何かを掴んだことを 君はきっと知ることになるよ
でも何故だなんて訊かないことさ、もし彼らが答えれば 君はただ泣くだけなんだ
だから彼らをただ眺めていればいい、それで ああ彼らは自分を愛してるんだって分かるから
*1
*2
*3
*4 歌詞の解説めいたことと、世界の子供たちの写真と映画と。
*5 シンプルに .. 歌詞和訳。
*6 これ、前に載せてるじゃん。
*7 どうして突然これを?(笑)
*8 というわけで、その他、自前の「洋楽」和訳歌詞を載せたりリンクさせたりした note投稿のマガジンは .. (宣伝だ!)
長い長い note でありました 〜 "Long Train Running" by The Doobie Brothers ♫
Long Train Runnin' 〜 from The Doobie Brothers' 1973 album "The Captain and Me"
この LIVE 最高 ♫
*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。
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