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体温が感じられない日本 ー 日本の船の座礁によるモーリシャス環境破壊とレバノン爆発にみる、日本の国と社会の凄まじいまでの冷たさと他者への無関心

今日5本目の投稿。雑文に終わりそうだが、取り急ぎ。で、急いで投稿したくて、慌てて書いた。結局、投稿タイトルに見合った内容にまで完全に書き込んでいるとは言えないが、今日はこれで投稿してしまう。

日本時間の先月26日にモーリシャスの沖合で、日本企業が所有し別の日本企業が運航する貨物船「わかしお」が座礁して、1000トンを超える大量の燃料油が流出し、同域の美しい海の環境に壊滅的な被害を与えた(これは現在進行形で、今現在も与え続けている)、その事故が起きてから、既に3週間以上が経過した。

この船は船籍自体はパナマということだが、これはよくあることでさして意味はない。乗組員はインド人の船長等らしいが、しかし船主は日本企業(長鋪汽船)で、運航していたのは商船三井だ。故意によるものであるはずはなく、事故には違いないが(しかし WiFiに繋ぎたかったから同海域に近づいたという報道があり、事実ならその原因について相当に非難されて然るべきことだが)、船主も運航の主体もそれぞれ日本企業、要するにこの近年稀に見るレベルの海の「環境破壊」「壊滅的な環境破壊」の加害者は、日本の企業だ。

現地モーリシャスでは、日本(国・政府)側に対し、失われた、破壊された環境の回復まで、長期的に支援する取り組みをしてほしいとの声が上がっていると報道されている。当然のことだろう。

たまたまコロナ禍のもとで観光収入が激減している時期とはいえ、コロナ終息もしくは収束後に同国経済を支えるはずの観光が、外国人観光客の受け入れが、このままではままならない。自然環境だけでなく、つまりは同国の経済や国民の生活に与える影響の甚大さも、おそらくは大方の想像を超えるレベルだろう。

また、地球環境という面で非常に重要なことの一つには、この事故で同海域のサンゴ礁が全滅する、あるいは同海域の生物の生態系が破壊される恐れすらあるとの専門家のコメントもある。また、人的被害の一つとしては、いま現地で油の除去を懸命に行なっているボランティアを含む人たち、彼らの深刻な健康被害も懸念されているという。

投稿タイトルでは「レバノン爆発」(8月4日にレバノンの首都ベイルートの港で起きた大規模爆発の事故)にも言及したが、以下の投稿文の中では特に触れない。

ただ、世界の多くの国がレバノンに救援の手を差し伸べようとしてきている中で、こちらの件でも、日本政府の動きは非常に鈍いように映る。実際あまり大した救援活動も、また救援策の表明もしていないのではないかと思うが、実は「結構やっている」としたら、それはそれで日本政府の外交上のアピールは相変わらず稚拙、アピール力がないと言ってもいい。

日本企業が船主で日本企業が運航する船による座礁事故でモーリシャス沖の海域が壊滅的な環境破壊、しかし現地への救援・支援の動きの中で存在感が皆無の日本

で、このモーリシャス沖での船の座礁による環境破壊。これに関しては、上記の通り、環境破壊の原因を作った(今現在も作っている)のは、日本企業が所有し、日本企業が運航していた船だ。この件における日本からの支援・救援の内容の乏しさは、より深刻だと見做されて当然だろう。

「レバノン爆発」の例でも同様だが、やはりここでも旧宗主国であるフランスによる救援活動、支援策などがとりわけ目立つ。しかしそれだけでなく、隣国のインドを始め、多くの国々がモーリシャスを支援し、助けようとしている。

当の日本はというと、非常に動きが鈍く、鈍いどころか、この国の政治のトップである総理大臣、安倍晋三によるメッセージすら、ほぼ無い。

「ほぼ」無い、というのは、筆者の記憶では、確か事故の翌日か翌々日ぐらいのタイミングで、安倍晋三が官邸辺りで立ったまま短時間この事故について ー 何か喋った ー のが、チラッとテレビのニュースで報道されたような、そんな薄らとした記憶があるからだ。それだけだ。

環境破壊と言えば、日本には小泉進次郎という名の環境大臣がいるが、彼がこの間やったことで目立ったことと言えば、3日前の8月15日、大日本帝国の敗戦75周年の日に靖国神社に参拝しに出向いたという、ただそれだけなのではないか。

日本として何もしていないわけではないが(一昨日、8月17日の報道によれば、日本政府は「モーリシャス政府からの要請」を受け、19日に国際緊急援助隊の専門家チーム第2陣を現地に派遣することを決めている)、印象としては、よく言われる英語の言葉で言えば、要するに too little, too late, 事故から3週間以上経った今になってそれだけかよ、それだけではどうにもならないよね、手遅れにならないうちに加害企業の国の政府としてもっと本格的な支援をしなくてはいけないのではないか、支援策を実行するのが遅すぎ、今から何とか事態を改善しようとするにはその努力量があまりに少なすぎる、そんな感じだ。

Twitter で探ってみると、佐藤正久という名の、あの元自衛官、イラク戦争時のサマワ派遣「ヒゲの隊長」自民党・参議院議員が、コロナ禍の限界の中で日本政府はよくやっています、という必死の釈明投稿を連投しているが、「加害」企業の国の政府として、とても「よくやっている」とは思えない。

商船三井も、事故直後に、型通りの口頭による謝罪や、誠意ある対応をする旨の会見を行なったことは報道されたが、その後、どうなっているのか、さっぱり見えてこない。

政府や「加害」企業だけではない。日本の社会の全体から、極端な無関心という印象を受ける。

ほんの一,二例を挙げても、検察庁法「改正」問題とか最近の香港の民主活動家(知日派の女性)らの逮捕の件で(もちろん共に重要なことなのだが)SNS上で著名人から市井の人まで、非常に多くの人が声を上げていたわけだが、この、日本の船の座礁によるモーリシャス沖の壊滅的な環境破壊に関しては、そちらの方面も、事故以降この3週間以上にわたって、かなりの「静けさ」を感じる。

そもそも、ことの重大さ、深刻さと比べたら、テレビ・新聞等のメディア、報道機関が、この件で大した取り上げ方をしていない。

以下、本投稿の主題に関わるものというより、参考資料として、最近の内外の報道から幾つか。

A Japanese bulk carrier has broken apart off the Mauritius coast after spilling hundreds of tonnes of fuel oil.

A Japanese bulk carrier that has leaked hundreds of tonnes of fuel oil off the Mauritius coast has broken apart, authorities in the island nation say.

This Japanese ship, that has already leaked hundreds of tonnes of oil into the ocean off Mauritius, has broken apart. The MV Wakashio ran aground on a coral reef on 25 July with 4,000 tonnes of the fuel, causing an ecological emergency. The ship got into trouble at Pointe d'Esny, a known sanctuary for rare wildlife. The area also contains wetlands designated as a site of international importance for conservation. About 90 tonnes of fuel were believed to still be on board when the vessel split apart. Tap the link in our bio for more on how the ship is impacting a uniquely bio-diverse marine ecosystem, and what is being done to contain the pollution.

Japanese Tanker Splits in Two After Creating Environmental Disaster for Mauritius

インド洋の島国モーリシャスで(日本時間の先月26日に)座礁した日本企業の大型貨物船の船体が15日、二つに割れた。船内に残っていた油の一部が再び流出したとみられている。船体の処分は困難が予想される。現地では日本側に対し、失われた環境の回復まで長期的な取り組みを求める声が上がっている。

安倍首相だんまり 日仏落差「モーリシャス史上最悪」の環境危機に。

昔の日記からの転載、「体温が感じられない」日本の国と社会 ー その1

以下、思うところあって、2001年9月11日のいわゆる「アメリカ同時多発テロ」の後の自分の日記、9月15日付と9月16日付の2つの日記から、それぞれの一部を転載。

文脈上、今日の投稿と直接的に関係しない部分も併せて転載するが、その部分は括弧で囲むことにする。

2001年 9月15日(土)   アメリカ同時多発テロについて

......... 前略

(アメリカは報復する。多くの国々が協調する。一部は共同行動する。
日本は集団的自衛権を憲法が認めないとして、しかし、何らかの後方支援はするだろう。)

(ところで、集団的自衛権の行使に対して後方支援することは、イコール集団的自衛権の行使でないのか。そうでないとすると、それは単なる言葉の遊びでしかない。目的が明らかに同じなのに、後方支援は別の行動形態です、だなんてブラック・ユーモアにしか聞こえない。)

かと言って、パキスタンやアフガニスタンに対する外交努力もしないし、その能力もない。何もしないし、出来ない。何かする術がない。お金は出せる。

おそらく日本はまた世界から軽蔑されるだろう。
軽蔑されるのは「意気地無し」だから、ではない。特定の意思が感じられないからだ。悪意も善意も希薄だ。

欧米で、アジアで、アフリカで、世界の多くの国々で、今回の悲劇に対する公式の意思表示が行なわれた。犠牲者に対する公式の黙祷や追悼が、また国によっては追悼式典が、テロに対する抗議集会が行なわれた。

確かにこれまで、アジアや中東、アフリカの悲劇は軽視されてきた。世界は明らかに不公平だ。

しかし、やはりそれにしても、だ。日本はあまりに、感情がない。社会として、体温を感じられない。公式な哀悼もない。自然な集まりもない。原因なのか、結果なのか、そのどちらでもないのか、日本は蚊帳の外だ。いいことなのか、悪いことなのか、そのどちらでもないのか、そして、これからもそうなのか、そうい続けられるのか。

......... 後略

昔の日記からの転載、「体温が感じられない」日本の国と社会 ー その2

19年前の日記から、もう一つ。途中、転載に当たって、前章に書いた趣旨により括弧で囲んだ部分がかなり長い。そこは今日は飛ばし読みしてもらって構わないが、文脈上ここでも残しておきたいので、括弧書きした上で掲載しておく。

途中、括弧で囲んだ多くの段落の後の、「ただ、日本については、もう一つ思うことがある。戦後の日本というより、現代の日本といった方がいいだろうか」以降が、今日の投稿の本題により近い部分。しかし、途中の括弧囲み段落の前の部分も、ある程度繋がりはあると思う。

2001年 9月16日(日)   再び、アメリカ同時多発テロについて

......... 前略

日本は遠い。日本人は今も地理的な距離のままに「遠い」と思っている。しかし、実は、グローバリズムという言葉が世界に普及するずっと以前から、日本は世界の隅々にまで侵入している。99%経済の話だけどね。

しかし、経済が、ジャパン・マネーが一人歩きしているのではなくて、もちろん日本人が、そして日本製品が、世界中を駆け回っている。

俺みたいな仕事をしていて時々驚くのは、え?こんな国名知らなかったな、この国どこにあるんだっけ? え?こんな極小の島国にも日本企業の代理店があるわけ?・・・というようなことだ。

関心や経験、業務上の必要により、平均的な日本人よりは世界の地理や国名を知っているはずの俺も、未だ驚く時がある。つまり、そういう国々に、日本企業の子会社や合弁企業や代理店や得意先があり、日本人が商売している。

日本人駐在員が数多くいる例も少なくない。世界の隅々まで・・・。

結局、我々日本人の生活水準や経済の条件は、そうした企業活動に直接携わっていない多くの日本人が好むと好まざるに関わらず、世界の隅々まで侵入する「日本」を大前提として出来上がっている。

しかし、世界との結びつきがあまりに「経済」だけに限定されている為、我々は日本と世界との距離を測るのに必要な想像力を持てない。政治や文化には顔があるが、金には顔がない。少なくとも見えにくい。結局、世界の中に日本の顔は見えない。

日本から見ても世界は遠いが、世界から見ても日本は遠い。金や高品質の製品は身近に感じられるが、それ以外の世界に対する意識、意思が感じられない。悪意も見えないが、思想も感じられない。メッセージが感じられない。経済の力だけは圧倒的にある。おそらくこれは不気味だ。経済力もない「弱小国」であれば、不気味さなど全く感じられないと思うが。

(日本は50年余り前に原爆を落とされた。10万人が死んだと言われる東京大空襲もあった。他の地方都市でも、民間人が無差別に殺戮される大空襲があった。)

(確かに先日のアメリカ同時多発テロは大惨事であり悲劇であって、本来は比較することに意義はないのだが、あれが大惨事だとすれば(に間違いないのだが)、一つの都市をほとんど壊滅させた(そこで一般市民が無差別に殺戮された)原爆や、逃げ惑う多くの市民を何時間もかけて殺戮し焼き殺した大空襲は、一体なんと形容したらいいのか。)

(しかし、日本人のほとんどに、アメリカに対する憎悪は残らなかった。少なくとも継続しなかった。)

(アラブ諸国もしくはイスラム圏とアメリカとの間にそんな関係がありうるか? それはやはり無いだろう。)

(日本には基本的に憎悪を継続させるような「大義」はなかった。逆に言えば、戦前「大義」とされていた「大東亜共栄圏」もその程度だった、ということだ。そもそも、そんなものは日本の伝統や歴史に根ざしたものではなく、明治維新後の日本が国家戦略として急造したものに過ぎない。)

(アラブ諸国もしくはイスラム圏には、本来はどこから見ても正当であるはずの「大義」と、彼らにとっての悠久の「大義」がある。前者は不当に占領されたパレスチナをパレスチナの民に取り戻すこと、後者は聖地エルサレムの奪回である。)

(しかし、もちろん彼らも今は、一部の原理主義者を除けば、50年前に欧米世界の支援によって突然建国された(それ以前からユダヤ人によるシオニズム運動はあったが、これに拍車をかけたのも欧米世界でのユダヤ人に対する偏見と迫害だろう)イスラエルを消し去るということを求めてはいない。既に、並存し、共存する道しかないと考えている。)

(エルサレムについて言えば、現在は全土をイスラエルが支配しているが、そこが3大世界宗教の聖地であることからすれば、現在の深刻な紛争を解決に導くには、特定の国に帰属させることをやめ、国連による管轄下に置くというような方策しかないのではないか。)

(しかし、いずれにしても、欧米を中心とする世界は、イスラエルに有効な圧力をかけようとしない。ヨーロッパには、アラブ側の声に耳を傾ける国々もあるが、とりわけアメリカはイスラエル寄りの姿勢を改めようとせず、ブッシュ政権になって反ってその姿勢を強めていた。)

ただ、日本については、もう一つ思うことがある。戦後の日本というより、現代の日本といった方がいいだろうか。

今回のニューヨークの惨状を見て、原因は全く違うものとは言え、その悲惨さから、6年前の阪神大震災を想起することは、それほど突飛なことではないと思う。犠牲者数も大体同じ程度だ。しかし、それにしては、今回の大惨事に対して、政府レベルも含め、日本社会の感情の動きが感じられない。体温が感じられない。

一人一人の日本人は、おそらくは多くが、テレビで映像を見て、少なくとも短時間でも悲痛な心持ちになったのではないかと思う。しかし、日本社会には何かまとまった意思や悲嘆や体温が感じられない。

日本は遠い。少なくとも日本人の意識は世界に遠い。しかし、それ以上の何かがあるような気がする。国家にも、社会にも、何かはっきりしないが、決定的な何かが欠けてはいないか・・・

時間の軸に対しても、空間の軸に対しても、もしかしたら日本は、おそろしく狭い範囲の意識下で存在しているのではないか・・・

......... 後略

なお、上に一部を転載した日記2つについては、それぞれ、以下の2つの投稿の中で全文掲載した。



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