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カルカッタ(コルカタ), インド, 1984年1月6日 〜 トーキング・ヘッズ "Road to Nowhere"

前説

タイトルで組み合わせた2つには何か理屈っぽい背景のある特別な関係が存在するわけではない。自分としては全く理由がないわけでもないが、まぁほぼ思いつき、インスピレーション的なものに過ぎない。

タイトル上の写真は、37年前の今日、1984年1月6日に、筆者がインドのコルカタで撮った写真4枚のうちの1枚。コルカタは英語で書くと Kolkata, これは2001年からの呼称だ。コルカタはインドの西ベンガル州の州都だが、以前は、インドがイギリスの植民地だった時代の名残だと思うが、英語化された呼称である Calcutta という呼び名が使われ、日本語のカタカナ表記ではカルカッタだった。1960年生まれの筆者のような世代や更に年配の世代には、今もカルカッタの方が馴染みがある名前だろうと思う。この都市の正式名称は今世紀に入ってから、2001年になって、住民の多くにとって母語であるベンガル語の呼称「コルカタ」に変更された。だから、筆者がこの都市を訪れた時は、まだ、呼称は軽かった(しょうもないオヤジギャグ!)、カルカッタ。

タイトル上の写真は、New Market の入り口のところで撮った。

遥か昔の海外「放浪」もどきの旅

この章をじっくり書く暇が今日なくて、はたと思いついて急ごしらえで作ったマガジンが以下。

カルカッタ(コルカタ), インド 〜 1984年1月6日

当時の日記によれば、1983年1月3日のうちにブッダガヤを発つつもりだったのだが、列車が50分ほど遅れ(当時のインドでは数時間遅れなんてこともザラにあったからこれはマシな方, 近頃はその辺りどんな感じか拙者は知らない, そこそこ「改善」されているのかもしれない)、拙者であるところの筆者が乗った二等列車がブッダガヤのガヤ駅を発ったのは 1984年1月4日午前0時半、つまり真夜中過ぎ, After Midnight ♫

写真は、ガヤ駅で列車を待つ筆者(笑)。

とりあえず筆者はクラプトン・ファン歴、半世紀近い。ライヴも何度も観た ♫

それは兎も角(ところで兎、つまりウサギにも角、つまりツノがあるのか?)、

拙者、つまり筆者が乗った列車(韻を踏んでる、拙者は詩人なのだ)、1984年1月4日の朝9時前にカルカッタ(当時の呼び名!)に着いた。で、1月7日の午後1時45分発の飛行機でタイのバンコックに向かったから(あの時の海外「放浪」もどき旅は出発も飛行機でなく横浜港から当時のソ連のナホトカに向かっていて、旅の間に飛行機を使ったのはカイロ〜イスタンブール間に次いで、そのカルカッタ〜バンコック間が 2度目)、カルカッタはほんの3泊4日。

インドは旅の目的地として非常に魅力的な国ではあったのだが、ソ連、欧州、中東(トルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプト、再びトルコ、イラン)、パキスタン(も中東の匂いがするがまぁ南西アジアと言えばいいのかな)を経てインドに入り、それから更に 1ヶ月余り経過して、やや疲れていたこともあったのだろうと、いま振り返って、そう思う(まぁ書けばいろいろあるが、今日はそのくらいで)。

1984年1月4日、カルカッタに着いたその日の夜に書いた日記によれば(原文ママ)、「カルカッタの街並み、カイロによく似てる。この街並みはイギリスによるものだろう。ロンドンもおそらくこんなではないか。もっと洗練されてるだろうが(note 転載に当たってこの括弧は加筆:後に後悔することになるが、英米のロックで育った筆者、あの旅では中東やインドを一番の目的地にしていて欧州ではユーレイルパス2ヶ月有効期間のギリギリでギリシャ(駄洒落言いたい、笑)に辿り着くことに拘った結果、イギリスを「パス」してしまった、つまりイギリス、ロンドンに行ってない、長い括弧だね!)。カルカッタはその混乱状態も、カイロと似てる。人間のしつこさ等も考えると、カルカッタの方が混乱してる。老朽化したビル、道路、カイロにそっくりだ。ここカルカッタは相当おもしろそう。モダンロッジ(この括弧も note 転載に当たっての加筆:これは泊まった安宿の名前)にいれば長居も可能。もう1度くる機会あれば じっくり見たい。best condition で。今回は早く発つ」。

パキスタンのラホールから陸路、国境越えて(当たり前か、笑)インドのアムリトサルに行ったのが 1983年11月29日だったから、インドの旅は40日間だったことになる。これまでちょくちょく(note 外を含めて)インドは 1ヶ月半旅したなんて言ったり書いたりしてきたが、それよりちょっと短めだったなぁ。

あの旅で長かったのは、ギリシャが 1ヶ月ほど、トルコが 2回の合計で約5週間、だからそれでもインドが一番長かったのか。まぁとにかく、インドは住むのは楽じゃないに違いないし、極貧の存在やカースト(や近年だとヒンドゥー至上主義)などいろいろ深刻な問題ありの場所ではあるけれど、言語も文化も宗教(の種類や中身)も何でもかんでも「いろいろ」ありのインドが、旅人にとって超絶魅力的な国であったことは確か。

カルカッタでは強烈な思い出があって、その思い出とは、街を歩いていた時に、身体不自由な人(この文脈において性別はさしたる意味がないとも言えるが男性だった)が自分のその身体をぐるぐる回転させ、同時に、美しい歌声で歌を歌いながら、道端を前へ前へと進んでいた、それを有無を言わさず(まさに!)見せつけられて、圧倒されたこと。

文字通り「凄まじく」圧倒されたこともあって、且つそもそも肢体不自由なその身体をぐるぐる前回り回転させて前方に進んでいたので、不自由は間違いないのだが、何処がどう不自由なのか正確に分からないくらいだった(少なくとも手足があらぬ方向に曲がっていたと思う)。

乞食(この漢字で書くとこれはもともとは仏教用語なのだが、まぁ彼はたぶんヒンドゥー教徒だっただろうなと思う、バラモン教のカースト的にどうだったか知る由も無いが)だったのだが、とにかく、圧倒された。

それはインドでの忘れられない思い出の一つでもあるのだが、超絶久しぶりにカルカッタ滞在時の旅日記を捲っていたら、何となんとナンと(インドのパン、ナンは美味い!)そのことが書いてなくて、これはこれで、驚いた。

間違いなくこの眼で見たのだが、はて、カルカッタでなく、インドの他の街だったのかどうか。当時の日記を捲ると、後になって遡った前の方の時期のことをあらためて書いていることがわりとあるので、もしかしたらタイや韓国で書いた日記の中に、それについて何か書いてある箇所があるかもしれないのだが。

今日は note 投稿書き始めの時間が遅く、もう晩飯前の妻とのナイト・ウォーキングの時間が近づきつつある(投稿主題とは関係ないけど!)。

というわけで、今日のところは取り急ぎ、37年前の今日、1984年1月6日にインド、カルカッタで撮った写真4枚を、ざくっと掲載。

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さてさて、付録は何となんとナンと、インドのパンのナンは美味い、なんと ゴーギャン のあの絵(タイトル長いし、笑)と トーキングヘッズ の "Road to Nowhere"

どうしてこれが今日のインド、カルカッタ投稿の付録なんだ?

どうしてゴーギャンとトーキング・ヘッズの組み合わせなんだ?

なぜ「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」と "Road to Nowhere" の組み合わせなんだ? 

問答無用。ナンでだ? ... ナンだ? (しつこいけど、ナンって美味いなぁ)。まぁ筆者、ブッダガヤの日本寺で座禅組んだわけだし、ここはナン、じゃなくて、アレ、禅問答。

筆者、ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」にそう詳しいわけでないが(「紙幅」を端折って、ウィキペディア!)、

D'où Venons Nous / Que Sommes Nous / Où Allons Nous (Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?) 〜 Paul Gauguin (June 7, 1848 – May 8, 1903), a French post-Impressionist artist

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トーキング・ヘッズのこの曲は奇しくも(とは大袈裟な!)、1983年から1984年にかけて海外「放浪」もどきの旅をした、その更に次の年、1985年リリースのアルバムの中の曲なのだった。

Road to Nowhere ー from Talking Heads' 1985 album "Little Creatures"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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