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ピアソラ と サラサーテ と 鈴木清順 「ツィゴイネルワイゼン」

ピアソラのリベルタンゴに歌詞をつけてレゲエとシャンソン風味を加えた独特の世界にしたグレイス・ジョーンズの1981年のヒット曲を取り上げて、そのピラソラ「リベルタンゴ」のリメイク版の更なるカヴァーや原曲であるピアソラの「リベルタンゴ」の本人他の演奏なども加えて投稿したら、とりあえず読者反応がこれまでのところ, たったの 3, 「注文の多い料理店」ならぬフォロワーの少ない note アカウント(関係なかった、笑)、珍しいことではないのだが。3日前, 2021年4月9日に note 投稿したヤツ(今 4月12日の昼現在 4 なのはいつも通り筆者本人が入ってるから!)。

というわけで、ピアソラさんに申し訳ないので、今日はピアソラをもう一度。と思ったんだけど、ピアソラは偉大だけど(でも筆者、さして詳しくない!)、何となく何か加えたい気分になって、同じく明治時代から大正時代にかけて聴いていた サラサーテ御大に登場願おうかと。

グレイス・ジョーンズのあれは 1981年のヒット曲。サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を題材にした鈴木清順の映画「ツィゴイネルワイゼン」を観たのは 1980年。

あ、大正時代じゃなくて札幌時代だった。そんな年号はありません。そして、「はないちもんめ」はピアソラ や サラサーテの曲ではありません(笑)。

ピアソラ 〜 リベルタンゴ ♫

アルゼンチンの作曲家・バンドネオン奏者, アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla, 1921年3月11日 - 1992年7月4日)が作曲、1974年にリリースした "Libertango" ♫

Libertango という単語は合成語で、自由を意味する Libertad と tango, つまりタンゴとを組み合わせたもの。作曲した時期は、ピアソラが母国アルゼンチンにおいて軍人・独裁のフアン・ペロンが大統領に返り咲くことに嫌気が差し、イタリアで音楽家としての活動をしていた時期だったとか。

ではでは、ジャマイカ系アメリカ人歌手・モデル・女優の Grace Jones がアルゼンチンの Astor Piazzolla の "Libertango" をリメイクして 1981年にリリースした "I've Seen That Face Before (Libertango)" を聴いて、そんでもって、その後、今度は Piazzolla の "Libertango" 収録アルバム "Libertango" (1974年) を聴いてみよう ... 何の意味があるのやらだけど ♫

あ、この人は Grace Jones じゃなくて Teela LaRoux ... 音も綴りも違うか(笑)

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I've Seen That Face Before (Libertango) 〜 Grace Jones (1981), reworking of Astor Piazzolla's 1974 tune "Libertango"

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた 英語および一部フランス語 の歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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これだけではないのだ ... しつこいのだ, これでいいのだ, バカボンのパパなのだ ♫

では、行ってみよう、ピアソラ「リベルタンゴ」収録フル・アルバム。

Libertango 〜 Astor Piazzolla (1974)

1. Libertango 00:00​
2. Meditango 02:45​
3. Undertango 08:24​
4. Adiós Nonino 12:33​
5. Violentango 18:10​
6. Novitango 21:43​
7. Amelitango 25:17​
8. Tristango 29:15​

何だったんだ、この章は ... 深く考えるのはやめよう ♫

サラサーテ 〜 ツィゴイネルワイゼン ♫

パブロ・デ・サラサーテ, フルネームはパブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス(Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz, 1844年3月10日 - 1908年9月20日)。スペイン出身のバスク人の作曲家、そしてヴァイオリン奏者。バスク人については詳しくないが、ビスケー湾岸(ビスケー湾は北大西洋の一部, イベリア半島北岸からフランス西岸に面する湾)でピレネー山脈(ユーラシア大陸西端部イベリア半島の付け根付近に位置する山脈)西端部にある「バスク」地方に居住してきた系統不明(らしい!)の民族。ウィキペディアによればだけど、その具体的な定義は「具体的な」という形容を控えた方がいいほどに曖昧。あまり書くと話が飛んでしまうが、アルゼンチン生まれの革命家、キューバ革命の指導者の一人であったエルネスト "チェ" ゲバラ(Ernesto "Che" Guevara, 1928年6月14日 - 1967年10月9日)もバスク人らしい。

あ、手が滑った(笑)、兎にも角にもバスク人、チェ・ゲバラ。

あ、また手が滑った、これは大和系日本人 @「ベルリンの壁」時代のベルリン。

ゲバラに話を戻すと、

「バスク」生まれでなくとも、バスク語を話すことができる、あるいはバスク民族であると自己認識・自己定義している人物はバスク人と見做されるということなので、ゲバラもこの範疇ということなのだろう。

さて、パブロ・デ・サラサーテ。スペイン・パンプローナ出身ということなので、この人の場合は、バスク地方生まれ(あるいは少なくともバスク地方在住)であって自身を 非バスク人であると自己定義していない人物はバスク人と見做すという、もう一方のバスク人の(些か消去法的な)定義に当たるということになる(バスク生まれや在住であっても自分はバスク人ではなくガリシア人であるとかフランス人であるとか自己認識・定義している人物はバスク人と見做されないとのこと)。

民族の話はややこしい。

サラサーテという人はどうも天才肌の人だったらしく、8歳で最初の公演、10歳の時には当時のスペインの女王イサベル2世の前で演奏、その後はフランスの名門、パリ音楽院(パリ国立高等音楽院もしくはパリ国立高等音楽・舞踊学校, フランス国立高等音楽院の一つ)で学び、13歳でヴァイオリン科の一等賞を受賞。後にフランスの作曲家・ピアニスト・オルガニストであるサン=サーンス(クラシックそこそこ音痴の筆者がまず思い浮かぶのは「動物の謝肉祭」ぐらいだけど!)と親しくなり、演奏旅行を共にしたりもしている。サラサーテ自身はチャイコフスキーやブラームスなどにも影響を与えた音楽家だったという(ウィキ思い切り参照!)。

そのサラサーテが、30歳代前半で作曲、1878年というから 34歳辺りで完成させた管弦楽伴奏付きヴァイオリン独奏曲が「ツィゴイネルワイゼン」。

ダイナミックなメロディラインである一方で独特の哀愁を感じさせるこの曲、曲名の意味は「ジプシー(ロマ)の旋律」。原題 "Zigeunerweisen" 自体はドイツ語。

1904年、60歳の時の本人による演奏が録音されていて、それが以下。あ、60歳、いま俺が 60歳。当たり前だけど、なんという違い(笑)。曲全体の演奏時間は約8分ということなので、以下の作曲者サラサーテ自身の演奏は本来よりも2分半ほど短い(当時のレコードの録音許容時間による制約が理由と思われる)。

途中、サラサーテの声とされる謎の呟き声が録音されて(しまって)いることはあまりに有名(日本でそれがよく知られているのは次章で取り上げる鈴木清順の映画「ツィゴイネルワイゼン」のお陰)。

上のクリップでは 3:25~ の箇所で、下のクリップでは 3:38~ の箇所で、上述のサラサーテのものと言われる「謎の呟き声」が聞ける。

蓄音機の動きも眺めつつ ♫

ウィキの解説から引用すると、

一説によれば、サラサーテ本人がレコードの録音許容時間をオーバーしそうなことに気付き、伴奏のピアニストに途中を端折って演じるよう指示したものという(20世紀初頭のレコード吹込み時間は短く、また録音原盤自体が修正録音のできない一発録りのディスク媒体であった時代で、後年なら雑音としてカットされるような小声もカットできないまま販売に至ってしまった)。

以下、曲全編を演奏している例を 4つ。分かる人には分かる(筆者にはあまりよく分からない、笑)「協奏曲の3楽章に相当する3部」についてのウィキ解説を転載しておくと、

Moderato - Lento
ハ短調、4分の4拍子。悲しげながらも堂々とした旋律。管弦楽の斉奏のあと独奏が主題を表す。非常に装飾音符が多く、見せ場には事欠かない。
Un poco più lento
ハ短調、4分の2拍子。いわゆる逆付点(16分音符+付点8分音符のリズム)が印象的な旋律を、弱音器を付けたヴァイオリンが奏でる。ハンガリー民謡にそのまま題材をとっている。「ジプシーの月」というタイトルでポピュラー・ソングとしてもヒットしている。
Allegro molto vivace
イ短調、4分の2拍子。いきなり急速なテンポとなる。通常の右手のピチカートと技巧的な左手のピチカートを併用する。日本では商業放送にまれに登場する。この部分の旋律は、フランツ・リストが『ハンガリー狂詩曲第13番』で用いている。

3つ目は 1988年モルドバ(モルドヴァ, Moldova: 西はルーマニア, 北東南の三方はウクライナと国境を接する国, 1988年はまだソ連の構成国家だった時代で「モルダビア・ソビエト社会主義共和国」、同国は 1991年に「モルドバ共和国」として独立)生まれのヴァイオリニスト, Rusanda Panfili, 

2016年のライヴ録音のようなので、これは比較的 近年。

4つ目は、1959年アムステルダム生まれのオランダ人ヴァイオリニスト, Rudolf Koelman による 2013年の録音。オーケストラと共演している。

というわけで、ヴァイオリンど素人の筆者でも思わず唸ってしまう技巧派ヴァイオリン曲、且つドラマティックでありながら静けさを伴った哀しさを漂わせる名曲、「ツィゴイネルワイゼン」でありました ♫

ツィゴイネルワイゼン 〜 鈴木清順監督作品(1980年) 🎬 

これ、強烈な印象を残した映画だった。1980年4月1日公開、「ツィゴイネルワイゼン」。監督は鈴木清順(1923年5月24日 - 2017年2月13日)。

主演俳優が(キャスティングにしろそれぞれの演技にしろ)素晴らしく、原田芳雄、大谷直子、大楠道代(安田道代)、藤田敏八。他に、舞踏家でもある麿赤児、さらに山谷初男、樹木希林なども出演している。スチル(スチル写真, still picture, still photo)はアラーキー、荒木経惟。

これは藤田敏八と大谷直子。大谷直子と大楠道代(安田道代の頃から!)は、好きな女優だったなぁ!(お二人とも健在です。お元気であれば嬉しい)

このクリップの 2分過ぎ辺りで聞けるのが、前章で取り上げたヴァイオリン曲「ツィゴイネルワイゼン」の作曲者サラサーテ本人による 1904年の演奏の録音で聞ける サラサーテのものとされる「謎の呟き声」「謎の呟き声」が入ったサラサーテのその時の録音全編は前章に載せたクリップにあり)。

その「謎の呟き声」を物語の核に置いて書いた内田百閒の1947年の小説が「サラサーテの盤」ということで(これは筆者、読んでない)、その小説にインスパイアされた映画がこの「ツィゴイネルワイゼン」ということらしい。

因みに上にリンクを貼った YouTube 上のクリップ、上記箇所の直後辺りのセリフがミュートされているのかな。後の時代の「差別用語」自粛によるものだとしたら、嘆息。

当時、札幌で観た時に買ったパンフレットのようなものが 60ページにわたる充実した内容のものなんだけど、この映画の「完成台本」まで掲載されているから、それをじっくり見ればどの箇所か分かるのかもしれない。

表紙に掲載されたスチル写真に写っているのは、大楠道代。

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裏表紙。

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上の映画「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)パンフ裏表紙 ... ちょっと藤原新也の「メメント・モリ」(1983年)や「全東洋街道」(1981年)を思い出させたりもする。

「飛びます、飛びます」(合掌, 坂上二郎)。

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「全東洋街道」については、例えばこの note 投稿, 1984年のカルカッタ(コルカタ)見聞記の中、「37年前にカルカッタで見た(はずの) 『火の車』 のような乞食 〜 そして 藤原新也著 『全東洋街道』」という見出しの章で言及した。

Memento Mori と言えば対になる(しかし反対とは言えない, つまり「生」の延長にあるものが「死」であるという意味において)Carpe Diem, となれば、これも, いや、これらも。

.. と繋がっていく、飛んでいく「宇宙の旅」、坂上二郎(合掌, RIP意訳!)の言葉、お借りします、「飛びます、飛びます」の note 投稿 2本, YouTube クリップ 1本、最後にまた note 投稿1本。

"I've seen things you people wouldn't believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched c-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. .. Time to die."  

映画の話。


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