都会は何をするにもシャープじゃないといけない感じがした。
出張で実家に滞在中。
駅に行く道で家族の車を運転させてもらう。
車の多さや人の多さ。
なんだかずっと流れていて、その流れを止めないように、ゆっくり安全で確実な判断をしながら進むことはできない感じがして、それこそが恐いなと思う。
自分そのものでいる、ひとりを補給するというのは、惰性の流れを止められるということかもしれない。
お店でいろいろ訊ねた時にも「何を知りたいんですか」みたいな感じで、
自分の切り出し方が今一つだったのはあるけれど、都会は何をするにもシャープじゃないといけない感じがした。
僕が移住した地域だったらおしゃべりがあってから本題の確認になるだろうなあと思う。
シャープにいるときっと削られる部分が出る。
そういう流れはなんだか目まぐるしく忙しい気がする。
今の自分は素直にそう思うから、素直にそう思うことに抗わず「そうかあ」と感じてみる。
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お読みいただきありがとうございます。
毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。
明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。
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