自分オリジナルじゃなくても「あの人と同じ」でも、それでも幸せになれそうだ。
自分の形がある人や自分の形を作りつつある人、方向性を見つけて進んでいこうとする人を見て「自分も何かしないと」と思う。
何か自分の形をつくって名を成すことが幸せの条件と思っているということだ。
それによって幸せのハードルが上がっているのかもしれない。子育てをしないと人生が完成しない気がする…、お金がないとダメだ…ということとも通じる考え方。
でも自分の場合、考えていくと「人生は生きるに値する」「それを信じ切ってみたい」「人生を肯定したい」ということになっていく。
何度読んだか分からない武者小路実篤と同じ。彼の言葉が自分の言葉のように当たり前になっている。
同じならわざわざそこに「自分オリジナルの形」を作るのも不自然だ。オリジナルかどうかにこだわりを持つ必要はないんじゃないか。同じ発想を自分はできるんだ、ということで良い。
「自分の形なのかどうか・オリジナルかどうか」は幸せには本質的な関係がない。どちらであっても幸せにはなれる。
であればあまり気にしなくていいのだろう、少なくとも一番の関心を置く必要はない。
いつか自分も…と前向きな希望があればそれで幸せなのだろう。
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お読みいただきありがとうございます。
毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。
明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。
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