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数学の、授業にてって話

数学が苦手な人は多い。
数という漢字を見た瞬間に「あっ無理」って思ったり、
数式を見たとたんに脳にシャッターが降りてくる人もいるだろう。

あたしも別に数学科の出身って訳じゃないし、 すげー数学ができるというわけではないが、 まーいちおうそれなりに仕事でも使ったりするわけで、 一応一通りのことはできるし知識もある。というわけで、職場では数学を教える授業も担当したりしてる。

教員も10年ほどやってればいろんな学生に出会うが、 残念ながらこれまで数学好きの学生にはほとんど会ったことがない。

もちろんこういう話は大学のレベルにもよるし、学部にもよる。 だからあたしの経験はかなりバイアスがかかっているのは十分自覚している。 とはいえ、世の中の一般的なイメージとあたしの経験は、おそらくそんなに離れてないとおもう。 世の中の人は結構数学が、嫌いだ。

【なぜそういえるかという部分を書いてみて、なかなかに身も蓋もない話になりそうだったので消した】

さて、そんな世間のイメージとあまり遠からぬところで学生相手に授業をして10年も経つと、学生が何を苦手にしているのかがある程度わかるようになる。

苦手なことは様々あるが、ひとつ彼らに特徴的なこととしては、彼らは概して「グラフが読めない」。

苦手にしていることは他にもたくさんあるのだろう。 公式を覚えていないとか、四則演算が怪しいとか、文字を使った計算が苦手、とか。

でも、そういう知識の有無から来る苦手意識と、この「グラフが読めない」問題とは、直面しているものが根本的な部分でちょっと違う気がする。 というわけで、今回ちょっと深く考察してみた。

グラフは「関数」の単元で登場する。何やら式が与えられて、それに応じて十字に切られた謎の領域(座標軸)の上にその式に対応する線を描く。まっすぐになったりななめになったりぐにゃっと曲がっていたり、いろいろだ。

グラフを習うときには、あたしたちは「どんな線になるか」という視点でグラフを見る。まぁグラフは線だし、それはある意味当然だ。そして、線を描くために必要な情報を式から読み取る方法や概念について学ぶ。例えば、一次関数なら「傾きと切片」、二次関数なら「頂点の座標を求める方法(平方完成)」などだ。

こうして、線さえ描ければOKだし、グラフと言えば線、なんとなくこんな線を描いたなーという記憶だけがのこり、「そもそもグラフとは何か」という一番大事な問いがすっぽりと抜け落ちてしまう。

グラフとは何か。

それは数値の組み合わせの集まりだ。

関数のxに何かの数値を入れると、自動的にyが数値として計算されてくる。
y=x+1という一次関数において、x=1ならy=1+1=2だ。
そして、ここに【x=1とy=2】というxとyについての数値の組み合わせが1つ生まれる。この作業を異なるxについて何度も何度も繰り返せば、そのそれぞれのxについて異なるyが計算されてくるだろう。それらのxとyの組み合わせを書き出せば、xとそれに対応するyの組み合わせがセットになった表ができあがる。

グラフとは、こうやって作られた数値の組み合わせを、表とは違う形で表現したものである。つまり、グラフとは最初から線なのではなく、計算によって得られた数値の組み合わせなのだ。数値の計算は式から与えられ、数値の組み合わせは計算から得られる。したがって、式と数値の計算とグラフとはすべて同じことの異なる側面にすぎない。だから、式から計算ができるなら、傾きやら切片やらのグラフにまつわる知識がなくてもグラフ自体は描けるはずだし、グラフから数値の組み合わせを読み取ることもできるはず(大変だけど)で、その組み合わせから式を求めることも頑張ればできるはずだ(簡単な式なら)。

数学が苦手、とくに「グラフが読めない学生」はこの点がほとんど理解できていない。「グラフとは線のこと」と頭から思い込んでいる、というか、おそらくそれ以外の考え方を教えられてきていない(?)ので、グラフは数値であるという概念自体を持っていない。したがって、じぶんの記憶にある線の形をなんとなく思い出してみたりすることはできるが、何かのグラフを見て、そこから適切に情報を読み取るということが難しくなる。

ところで、この問題はおそらくグラフより以前の段階ですでに発生している。

グラフを数値と捉えるためには、座標軸として描いているあの謎の十字に切られた領域を数値と結びつけて理解することができていなければならない。さらに、座標軸を数値と結びつけるためには、座標軸を構成する要素である数直線についても理解していなければならない。

これまで学生を見てきた限りで言えることは、彼らのほとんどは「数直線が何か」ということをおそらく理解していないということだ。数直線は、線ではない。あれは数の集まりだ。何か規準になる数値を表す点を決めて0(ゼロ)と名前をつける。そして、次に1を表す点を0とはべつの場所に取ると0を表す点と1を表す点を表現することができる。これが決まれば、あとはどんな点でも(有理数であれば)それを使って表せる。0.5なら0と1のちょうど中間にある点だし、2なら0と1の距離を倍に伸ばした延長の点だ。 つまり、数直線もまた線ではなく、数値の集まりなのである。

これは四則演算ができないとか、因数分解の公式を覚えていないとか、そういう知識の多寡に関することではなくて、数値と線、代数と幾何という「世界観の往来」の問題だと思う。数学は往々にしてこうした世界観を自由に行き来して問題を考えることが多い。そして、多分気づかないうちに、そうした頭の使い方をするようになるのだと思う。これは完全な憶測なので全く根拠はないのだが、同じ問題を色々な角度から検討して考えるこうした作業に、クリエイティブや問題解決能力の重要な部分があるのではないかとすら思う。そして、こうした世界観の行き来を数学以上にナチュラルに実行できる学校教育上の科目はおそらく、ない。

ところが、数学が苦手、という学生の多くがこうした世界観の移動について苦手にしているようだ。因数分解はできるのに、グラフの意味についての理解が不足しているとか、解の公式は覚えているのに二次関数のグラフがなぜ直線にならないのかという説明はいまいちピンとこないというような場面によく出会う。

これが教え方の問題なのか、もっと違う何かなのか、あたしにはよくわからない。そもそも自分もどうやって習ったのかよく覚えていないし。ただ、すくなくともこういう苦手意識を持っている学生が多くいるのは確かだし、実社会でグラフが読めないというのは結構おおきな問題だ。

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