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!が重要だと思うって話

別に特別好きなわけではないが、一応それなりに工夫はしているつもりである。

授業の話だ。

一応これでも大学教員なので、学生相手に授業をする。

小さな私大あるあるで、いろんなジャンルの授業をやることになるのだが、どの授業でもどうやって教えたもんだかあれこれと考えるわけだ。

教員も10年以上やっていると、どんなことに学生が食いつくかそれなりに当たりはつくもので、やっぱり学生自身が「!」と思うときに、それは強くなる。

その「!」はどこからやってくるかというと、少なくともあたしの経験では、日常で出会うモノや体験の中に授業で習う話が意外な形で含まれている、というのが一番引きが強い気がする。やっぱり人間誰しも具体的なイメージの中で考えるのがわかりやすいし、そこに授業内容の知識が引っかかってくると、「!」となって知的好奇心が駆り立てられる。

ただ、そうはわかっていても、実際に授業の中で「!」を実現するのはやっぱり難しくて、これにはある意味職人芸的なところがあると思う。

授業ごとにジャンルが決まっているし、全15回の中の現在位置によってトピックも決まってくる。例えば金融がらみの授業でパソコンの話をメインにはできないし、金利の話をする回なら内容は金利の周辺の話がメインになるからビットコインの話を中心に据えることはあまりよろしくない。

しかも、「!」のためには受講している学生が共有可能な経験やモノなどをベースに話を展開する必要があるが、ジェネレーションギャップがあるのでこの「共有可能な」という部分がこちらが年齢を重ねるごとにどんどん狭くなる笑(なお向こうはいつだって大学生だ)。

そして、「!」と知識を結びつける話の展開を考えるには、専門的な知識と「共有可能な体験」を結びつけるためのエピソードや一般常識、時には全く違うジャンルの学問の知識なんかも必要になってきて、狭い範囲の専門的知識をできるだけ深掘りすることを求められる「研究」というスタイルにはどうしてもそぐわない部分がある。

んーなかなか。これはなかなかな仕事なのだ。だからこそ工夫が必要で、事前の設計が地味に重要だったりする。

そういう時に役に立つのが「乱読」で、あたしも癖なのかやたらと自分の専門外の本を買っては読んだり読まなかったり半分だけ読んで止まっていたり買ったことすら忘れたりして大変なのだが、

こうやって色々手を出してはさまざまな理解度で頭に入っている雑多な知識というか記憶というかなんかそういうものが、ふといい感じに降りてきて授業中の話の中に「!」を作ってくれたりすることが多々ある。

まさに乱読のセレンディピティだ笑

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