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悩める時代に生きる私達

久しぶりの投稿となりました9時寝4時起サラリーマンです。
有難いことに以前投稿した「転職活動 若手社員にとって」(https://note.com/daiki1121___/n/n87a4a2f79791)で沢山の好きを頂きました。私としては読んでいただけると人がこんなにもいて嬉しい限りなのですが、一方で改めてキャリア・人生について悩んでらっしゃる方が多いのだなと感じました。
そんな私もここ1−2年は悶々としながら日々のサラリーマン生活を過ごしている訳なんですが、この一ヶ月弱ほどで少しずつ心に変化が生まれ始め、一時期のような「何かに追われているような」切迫感から抜け出すことが出来ました。恩着せがましく悩みを解き放つ術を教えてます!!なんてことは言わないですが、どうすれば悩み・切迫感・脅迫感から抜け出せるかチップス的なものを共有し、少しでも日々の生活に活力を見出せるようなきっかけを作り出せればと思います。

私達が悩む時代背景

また最近は新卒して入社する会社に生涯勤め上げる感覚を持って入社する人はほぼ居ないといったことも耳にすることが多くなっては居ないでしょうか。特にコロナやZ世代といったワードとくっつけられて出来た比較的最近の概念・価値観といった文脈で捉えられている気がします。なぜこのような価値観が生まれたのでしょうか。皆さんはどう考えられますでしょうか。
私が考える背景には、社会の動きが大きく関与しています。
転職については昔から3年で3割が辞めるといった概念が引き継がれており、転職すること自体は珍しいものではないと考えています。一方でベンチャー企業への転職や起業といった自己実現に忠実になれ的な転職・起業活動はここ最近の新しい概念だと思っています。自己実現を目指すムーブメントが波のように押し寄せ、ある意味そのムーブメントが一つの新しいレールになりつつある感覚を持っています。今までのような有名な大学に入り、有名な大企業に入り、出世を目指して日々成長しながら家庭を作り、安定した生活を送るといったレールだけが全てではないということ、つまり人生を送るレールは一本の直線だけではないということを認識できた時代が現れたのだと思います。
これは1:1の因果関係では説明ができず、色々な要素が複雑に絡み合うことで発生したものだと思いますが、私也の解釈では中世ヨーロッパで起きたルネサンスのような感覚を持っています。つまり、上述のレールしか知らない・見えていない人たちが多い世の中において、別のレールで走る人が相対的に多くなり、かつそのような人がワクワクしながら走り続けていることが公に現れ始め、自分が乗っているレールを再認識する人が同時多発的に発生している気がします。ある意味ルターが唱えた95箇条の議題(宗教改革)のように、識字率もほの100%に近くコミュニケーション手段も多種多様になったこの世の中において、既存のレールを運転する運転手に自我が芽生え、既存ルートに疑念をたくさん抱き、同じレール(=自分の人生(キャリア))を見直す人が増え始めているのではないでしょうか。

誰でも世界は変えられる

私達は自分で自分の人生を決めることができると考えているのですが、恐らくそれは間違っています。唯識論に近い概念かもしれないですが、私達はあくまで社会を構成する要素のごく一部であり、尚且つ社会が構成する要素の一部でもあるのです。前者は理解し易いのですが、後者はパッと聞いてスッと理解できるものではない気がします。例えば、この記事を読んでらっしゃる方の多くは当然のように文字を読め、パソコンや携帯を購入して使用できる能力を備えてらっしゃると思います。そのような能力は両親が私たちを産んでくれ、生まれながらにして人権をもち、他人と平等に義務教育を受けることが出来た賜物だと考えるとせば理解しやすくなるのではないでしょうか。
宗教じみた内容にしたいのではないのですが、私は本気で誰でも世界は変えられると考えています。理由は簡単で、例えば上述のように、私達がみる世界観(価値観、概念)を私達自身で変えられるためです。
普段何気なく過ごしながら歩み続けるレールも然り、自我に対する認識も然りで、いつでも如何様にでも自分の好きなように変えることができるのです。

勿論、悩むことは大切ですし、どの決断をとるにしても良い面・悪い面があると思います。と、同時にどの決断を取るにしても結果がどう出るかわかりませんし、上述の通り自分でコントロールできるものでも無いと思います。
そのような視点になって考えてみれば悩むこと自体幸せだと感じることができるかもしれません。私達が歩みを進めているレールに何ら疑問を持たずただただひたすらに突っ走っていると悩まずには済むので充実感が漂いますが、ある意味で自己認識を見つめ直し、変えることが出来る機会を失っていることにもなります。
とは言いつつも実際に悩み続けることは辛いと思います。斯く言う私も悩みに悩み続け、挙げ句の果てには9時寝4時起生活をする習慣を築き上げる謎行動をとっています。
ただ悩み続けもがき続けた結果、特に新しい目標が出来たとか、悟りを開いたわけでは無いですが、自分の認識を正確に把握することができ、その認識を変え、今ではスッキリした気持ちで日々の生活を過ごすことが出来ています。
皆さんも悩むこと=辛いこととだけ捉えるのではなく、自己認識を変えるチャンスだと捉え、前向きに悩んでもいいかもしれません。


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