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つぎはぎだらけの友情

私が18歳の頃から愛用している巨大なクッションは
友達から誕生日プレゼントにもらったものだ。
時と共に劣化し、布が裂け、そのたびに縫ったり、つぎはぎをして、今でも捨てられない。

 
それは、かわいいとか、プレゼントだからとか、使い勝手がいいとか
そういった理由を挙げる気になればたくさん挙げられるけど
多分私はこれが、形見に近いものだからだと思っている。

 
 
 

 
私が高校に入学した頃、座席は出席番号順で
私は近くの席の人達と6人グループで最初は行動していた。

大抵、クラス替えをしたら、いつもこのパターンだ。
近くの席の人達と、成り行きでグループになる。

 
高校生活に慣れ、クラスメートの性格や関係性が徐々に見えてきて
グループはやがて自然と形を変えていく。

 
 
そして私は彼女に、出逢った。

 
体育の際、身長順に並んだ時に私の隣にいたのが彼女だった。
愛想がいいタイプではなく、人見知りするタイプだった。
一方私は女性相手なら人見知りせず、ベラベラ話しかけるタイプで
私は隣だということもあり、彼女に話しかけた。
話してみたら、私は彼女に急速に惹かれ
また意気投合し
私は彼女のグループに入ることにした。

 
私は女子の中では珍しいタイプで
何か違うと思ったら
タイミングを見計らってグループを移籍するタイプだった。
大抵は、グループ移籍はそうそうできないし
移籍する時は内部でケンカしたり、気まずくなった時だ。
私は人間関係が良好だが、更に気が合う人を見つけたらグループ移籍をするタイプだった。
グループ内で人間関係がごちゃごちゃしていても耐えて、陰口を叩いている場合も
女子は非常に多い。
私は陰口を叩くような人間関係なら、友達じゃないと思ってるし
そんな思いをしてまでグループで一緒に行動し、仲良しこよしはしたくない。

 
 
親友の名前をAちゃんとする。

Aちゃんとは仲良くなり、毎日メールをし、時に長電話をし、休日は遊んだ。
Aちゃんは授業中に私に手紙を書いてくれたりもしたし
基本的に毎日一緒に帰った。
Aちゃんちが私の帰り道の途中にあったので
私はいつもAちゃんちに寄り、Aちゃんちの近くの空き地で話し込み
それから別れた。

 
 
一緒に帰っていた時に、変質者があらわれ、「ブラが透けてるよ。ねぇパンツ何色?」とハァハァしながら言われた時
私は完全にビビってしまったが
Aちゃんは「サッサと失せろ!バーカ!」と流れるように言った。
そんじょそこらの男子よりよっぽどかっこよく、頼もしかった。

 
そのくせ、バレンタインデーでチョコを渡したり、告白する際は
私に付き添いを頼むという可愛らしさがあった。
「一人じゃチョコを渡せないから、ともかも一緒に渡してほしい。」と言われ
私も義理チョコを用意した。
私はその人のことを、友人の好きな人としか認識していなかったし
恋の応援をしていた側だし
誤解されては困ると、う○ち型のチョコを渡した。
いかにもな義理チョコにしたのだ。
だが、今にして考えると、内向的な彼に悪いことをしたなと思える。
露骨な義理チョコなら、チロルチョコ位が妥当だった。
O君、ごめんなさい。

 
Aちゃんはかっこよかった。
女子高でモテそうなタイプだった。
長身でスタイルが良く、髪も薄く染めていて
一見するとクールだが
話すと面白いし、恋には奥手な乙女という
ギャップがたまらなかった。

 
  
私達は仲がよかった。
それは一目瞭然だった。
私が好き好き大好き言っていて
周りからは私の気持ちの方が強そうに見えたろうが
本当のところ
Aちゃんの方が私を求めていた。

 
 
 
高校二年生になり、私とAちゃんはクラスが別れた。
当然である。
Aちゃんは頭が良く、私は頭が良くなかった。

 
新しいクラスでは、一年の時に同じクラスの女子は私ともう一人しかいなくて
彼女を含め
またも出席番号が近い子達6人で行動した。
私は人見知りしないので
新しいクラスでもすぐに馴染み、友達は簡単にできた。

 
更に、二年生の時、クラスにはAちゃんと同じ中学校の子がいた。
Aちゃんが忘れ物をした時に、よく付き添いで行っていて、顔見知りの子がいた。
Bちゃんである。

「Aちゃんの友達……ですよね?これからは同じクラスでよろしくね!」

あの時、声をかけた日は教室で、お互いにジャージ姿で、掃除場所に向かう途中だった。
今でもよく覚えている。
 
 
 
AちゃんがきっかけでBちゃんに話しかけたわけだが
Bちゃんとは気が合い
これまた急速に仲良くなった。
そして私は、Bちゃんのグループに移籍した。

 
余談だが、そのBちゃんこそが
今一番私と仲が良い親友で
万が一の際を考え
私の家族はBちゃんの連絡先を控えているし
Bちゃんの旦那さんは私の連絡先を控えている。
Bちゃんは結婚前に婚約者(現・旦那さん)を我が家に連れてきたりと
家族公認の仲なのだ。

 
 
そんな感じで、私は順調に新しいクラスに慣れていった。
一年生の時より男女仲も良かったし
グループ移籍したといっても
もちろん元グループの子とも仲が良かった。
他の女子とも関係は良好だった。
担任の先生も優しく、一年生の時の担任より波長は合い
学級委員の庶務にも任命され
クラスのランクが下がったことから成績も上位をキープし
私は二年生のクラスでも自分の居場所を作れていた。

もちろん、Aちゃんが一番大切な親友であることは変わらない。
クラス替えしても、変わらずにAちゃんと一緒に帰っていたし
クラスの子とも仲良くしつつ、放課後はAちゃんと仲良く過ごしたい。
それが私の願いだった。

 
 
だが、Aちゃんは違うようだった。

Aちゃんはクラスに馴染めなかった。
休み時間に見掛けると、グループに所属はしていたが
本人曰く無理をしていたようだ。

  
Aちゃんは私のクラスに昼休みにしょっちゅう遊びに来ていた。

私「いいの?クラス…。」

A「いい。お前といる方が気を遣わないし、楽しい。」

 
確かに私もAちゃんは親友だし、一緒にいると楽しい。
放課後を待たず、お互いに携帯でメールのやり取りもしていたくらい仲は良い。
だが、そうなると、Bちゃんのことが気がかりだった。
Bちゃんはサッパリしていたが、私がAちゃんと話していることで
私は私でクラスの子達との付き合いが上手くいかないような気がした。
BちゃんはAちゃんが来ると、気を利かせて他のクラスメートと過ごしていた。
Aちゃんの縁で私とBちゃんは繋がったが
もはや私とAちゃんの絆の方が強くなり
また私とBちゃんの絆の方も強くなりつつあった。

Aちゃん、Bちゃん、私の3人で仲良く話したくて
Aちゃんは昼休みに来ているわけではなかった。
あくまで、私目当てだった。

 


どんなにお互いに仲良くしていようが
私達は所詮他クラスで
他の領域で
それぞれのクラスで居場所を作らないといけない。

 
私はそう思っていた。
だから基本的にAちゃんのクラスには行かなかったし、他に仲が良い子がいるクラスにも行かなかった。
例えAちゃんのクラスに、一年生の時に仲良かった友達が何人もいても
それはそれ、これはこれだ。
もうクラスは変わったのだ。
二年生のクラスは三年生に持ち上がりだし
今のクラスで上手くやらないと、高校生活は成り立たない。

 
 
だけどその価値観はあくまで私の価値観で
Aちゃんはそうは思わなかったようだ。

Aちゃんは相変わらず昼休みは遊びに来たし
文化祭や修学旅行の時でさえ
暇を見つけてはクラスを抜け出して
私のところへ来ていた。

 
 
そんな状態が続いても、私はクラスで上手くいっていた。
Aちゃんが来ない時はクラスのみんなと向き合って過ごしていたし
Aちゃんが来れば、Aちゃんと過ごした。
放課後や休日はAちゃんとも遊んだし、クラスの子や他の子とも遊んだ。

 
今でこそBちゃんは唯一無二の親友だが
当時、私はBちゃんよりもAちゃんや他の友達と仲が良かったし
BちゃんはBちゃんでたくさんの友達がいた。 

 
 
  
私はこの関係がずっと続くと思っていた。

私はAちゃんもBちゃんも他の友達も
私なりに大切にしている
つもりだった。

 
 
 
高校三年生の途中から、Aちゃんは昼休みに遊びに来なくなった。
Aちゃんもクラスに馴染んできたのだろう、と思った。
休み時間にすれ違った時、他の子と笑っている姿を見て
少し寂しく思いながらも、私は安心した。
これでいいのだと思った。
お互いにクラスの子とは上手くやるにこしたことはない。
そうして同じクラスの子と仲良くした上で、お互いに親友であれたら、それが一番いい。

そう思っていた。

 
思っていたのは、私、だけだった。

 
 
 
私は思い当たる節がないが、何かが彼女の勘に触ったのだろう。
 
いつからか、彼女は冷たくなった。
私といても、笑ってくれなくなった。

一緒に帰っていても素っ気なくなり、以前は私が彼女を家まで送っていたが
帰り道の途中で別れるようになった。
空き地で長々とおしゃべりしたり、長電話することもなくなっていった。
メールのやり取りも減っていった。

彼女は以前より、「クラスの子と一緒に帰る。」と言い
一週間に一度くらい、私と帰らなくなった。

 
高校三年生は受験生だ。
昼休みも放課後も休日も受験勉強に充てていた。
時間が有効的に使える。それはいい。
だが

なんで急に冷たくなってしまったの?
私といると、なんで笑ってくれないの?

 
 
私は辛かった。
話し合いをもとうとしても、「別に。」と言われてしまう。
拒絶されてしまう。
あんなに上手くいっていなかったクラスの子と、今では楽しそうに話している。
なんで。
クラスが合わないって言っていたのに。
なんで。

 
私は嫌われている。

 
それは分かっていた。
だけど、ケンカにさえならない。
冷戦状態だ。
彼女は何も言わない。心を閉じて、何も言わない。
そして嫌われてるだろうことは分かっても
帰り道は一緒なのだ。
なんで。

 
いっそ、私から「一緒に帰るのはやめようか?」と言えばよかったのだろう。
だけど、私はAちゃんが好きだった。
悪いところがあるなら、直したかった。
友情をやり直したかった。
クラスが違い、メールが激減している今だからこそ、一緒に帰ることさえ
私からやめてしまったら
私達の繋がりは何もなくなってしまう気がして怖かった。

 
 
 
そんな状態が、何ヶ月も続き、私は18歳の誕生日を迎えた。
学校から家に帰ると、玄関に巨大な包み紙が置いてあった。シルバーの包み紙で、リボンは赤。
本当に本当に巨大である。

父「ともか宛てだよ。Aさんからだ。」

 
慌てて袋をあけると、そこには巨大なプーさんのクッションがあった。メッセージカード入りだ。
私がディズニーキャラクターなら、一番プーさんが好きだと知っていて
こんなクッションをくれたのだろう。

 
A「売り場からレジまで手だと運べないから、かついで行ったよ。気に入ってくれた?」

 
私がお礼を伝えると、Aちゃんはそう言ってくれた。
私はレジまでかついでいったAちゃんを想像すると、笑ってしまった。
今まで生きてきた中で、一番大きなプレゼントをもらった。
おそらく高かっただろう。
嫌われてると思ったからこそ
まさかこんな誕生日プレゼントをもらえるとは思わず
私はそれが嬉しかった。
関係が修復できるのかと思った。

 
だが、関係は何も変わらなかった。

 
 
お互いに推薦で大学合格を早々と決め、高校はやがて自由登校に入る。

Aちゃんは遠くの大学に進学する。
こんな状態でAちゃんと離れるのが嫌だからか、私は卒業式前日に体調を崩し、式直前まで保健室で寝て過ごしてから参列という
グダグダな状態だった。

 
学校を卒業したら、もうAちゃんと繋がりがなくなってしまう。
嫌だ。

 
そう強く思っても、もうどうしようもなかった。
卒業式後、私はクラスや仲の良い友達と写真を撮りまくり、卒業アルバムに寄せ書きを書いたり、書いてもらった。
Aちゃんにも書いてもらった。
写真の私は友達と、たくさん笑っている。
だけど心の中は引き裂かれそうな思いだった。

 
 
 
卒業式後、一週間後くらいだろうか。
Aちゃんからメールアドレス変更のメールが届いた。
近々引っ越すことも書かれていた。

最後の別れだと思い、私は引っ越し祝いを持って
Aちゃんの家を訪ねた。

 
私「遠くに行っても、頑張ってね。」

A「お前も頑張れよ。」

 
私は涙目で無理矢理笑い、Aちゃんはぶっきらぼうにそう言った。
引っ越し祝いを渡してすぐ帰ったので、会っている時間は5分にも満たない。

 
 
 
それがAちゃんとの最後であった。

 

 
  
その後、メールを送ったら、エラーで返ってきた。
メールは拒否設定にされていた。
 
ガタガタと震えた。
新しいメールアドレスを教えてもらった三日後に
私は拒否設定にされたのだ。
何度何度メールしても
メールはエラーで返ってきて
私は涙が止まらなくなった。

 
 
 
諦めきれない私は、共通の友達に経緯を話し、私の思いを間接的に伝えてもらった。 
そして友達越しに、Aちゃんからの伝言を聞いた。

 
 
「もうアイツとは友達付き合いできないと思った。いつかこの選択を後悔する日が来ると思うけど、今は自分のことでいっぱいいっぱいだから……。」

 
私はそれを聞いてなお、涙するしかなかった。
最後の最後まで、私は自分の何が原因で彼女との関係性が崩れたのか分からなかった。
ただ、友達から「Aちゃんを思うなら、もうこれ以上は何もしない方がいい。ともかにとっても、その方がきっといい。」と言われ
私もその通りだと思った。

終わった、と思った。

これ以上、私は何もできない。
Aちゃんに対して私ができる最大限のことは
もう二度と関わらないことだと
私は思った。

 
 
 
だけど、理屈で分かっていても、心は簡単に整理はつかない。
大学生活が始まり、新たな生活がスタートしても
その生活が忙しくも充実し、楽しくても
私はAちゃんを忘れたことはなかった。

私が頑張っていたら、いつか再会したら、またやり直せるだろうか。
新生活を頑張ろう。
いや、無理だ。
もう無理に決まってる。
どんなに頑張っても、Aちゃんは戻ってこない。
私も何をどう直したらいいかが
未だに分からない。

分からない。

 
 
 
……Aちゃんとサヨナラして一年後、私は急にご飯が食べられなくなり、一ヶ月に7kg痩せた。

記念日反応、というらしい。

 
臨床心理学を大学で専攻していたことが、皮肉にも役立った。
人は大切な何かを失った時、現実感がない。
なくしたことを、本当の意味では受け入れていない。
まだ希望や期待が捨てられない。
そういった期間を経て、「あぁもう無理なんだ。頑張っても何しても戻らないんだ。」ということを
心身が徐々に理解して

 
ある日いきなり、壊れる。

 
そういったこともあるそうだ。
特にトラウマになりかねない辛いことがあった日がその次の年に迫ってくると
無意識的に身構え、心身が著しく調子を崩す。
それが記念日反応と呼ばれると
私は学術書で学び
実体験からも学んだ。

 
私がAちゃんと、もう友達には戻れないと本当の意味で悟るまで
実に一年もかかってしまった。

 
 
 
 
 
Aちゃんは私だけでなく、他の友達とも次第に疎遠になっていったようだ。

同窓会やクラス会にAちゃんは姿を見せなかったし、仲間内で集まってさり気に話を聞いても、みんな今は連絡をとっていないし、会っていないと答えた。

「ともかちゃんが一番詳しいんじゃない?Aちゃんと一番仲良かったじゃん。」

 
そう言われ、「実はさ…。」と話をすると、大抵の子が驚いた。
それくらい、私達は仲良かった。
仲良く、周りからは見えたのだ。

 
「Aちゃん、あんなにともかともか言っていたじゃん。」

 
そう言われても、私はなんと返したらいいか分からなかった。

 
 


昨日、久しぶりにAちゃんの夢を見た。
本当に久しぶりだった。
夢の中でAちゃんは高校生のままで、私は大人だった。
夢を詳しくは覚えてないけど、最後にAちゃんは笑って私に手を振った。
いつもの帰り道のように、また明日が普通にやってくるように。

ハッとして目が覚めた。
夢だった。
目からは涙がこぼれていた。
なんでまた今更こんな夢を見たのだろう。

 

 
大学時代、風の噂でAちゃんに彼氏ができ、やがて結婚したと聞いた。
その後、Aちゃんがどうなったかは分からない。
高校時代の友人は連絡をもう誰もとっていないという話だった。
もしかしたら、Aちゃんから私には言うなと口止めされていて
話を合わせているだけかもしれないけど
とにかく今、Aちゃんが何をやっているかは分からない。

夢に出てきたということは
今も元気で幸せに暮らしているのかな。
そうだといい。
Aちゃんがどこかで笑っているのなら、それでいい。

 
B「今でも、Aちゃんのこと、忘れないんだね。」

 
私「そりゃそうだよ。特別だったもの。Aちゃんに悪いからもう二度と連絡はしないけど、もしAちゃんから連絡来たなら、何かしら返すよ。
私は高校時代から、携帯番号もメアドも変えてないしね。」
 
 
B「…あんな別れ方でも?」

 
私「私にとっては友達だよ。私は好きだった。」

 
 
Bちゃんとは今でも時折、Aちゃんの話をする。
もちろんBちゃんも、Aちゃんとは連絡をもうとっていない。
記憶の中にしかAちゃんは存在しない。

 
 
 
 
誰かと疎遠になる時は、自然消滅かケンカ別れだと思っていた。
分かりやすい原因があっての別れが普通だと思っていた。

 
そんなことなかった。
ケンカも話し合いも成り立たない生き別れもあった。

  
それを学んだ、18歳のあの頃。
 
 
 









  

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