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入院2日目:絶望

寝不足で疲れがたまる中、翌日職場に行った。

新施設長からすすめられたように、本来ならば休みたかったが
今後がどうなるか分からないし
そうなると休むわけにはいかなかった。

 
同僚や前施設長に、昨日急遽帰った件を謝罪し、事情を説明した。

 
 
夕方、見知らぬ番号から電話がかかってきた。
携帯ではなさそうだったので電話に出ると、母が入院している病院からだった。
心臓がドキッとした。

 
看護師さんの話によると

・右足が昨日より上がらなくなっている。昨日はあおむけになりながら上に足を上げられたが、今日は足の先しか動かない。
・脊髄梗塞か脊髄感染症か脊髄炎症かと思われる。
・血圧は下がった。
・胸の痛みは継続。
・まだ病気の原因はハッキリしない。
・ご飯はいくらか食べられた。  

とのことだった。

(電話で話を聞きながら書いた走り書き)

 
話を聞きながら、絶望的な気分になった。

 
私は救急車搬送された日はまだ楽観的だった。

胸の痛みさえとれれば色々できる、だとか
右手が不自由ならともかく、右足くらいならば車椅子や杖でどうにかなる、だとか
そんな風に考えていた。

仕事柄、様々な障害を抱える人を見てきたし
リハビリで体が倒れた頃より動けるようになった人も見てきた。

 
だが、進行が早すぎる。
原因がまだハッキリしない以上、昨日と今日でここまで症状が悪化しているとなると
私は楽観的過ぎたのかもしれない。

私はその場で父親や姉にメールやLINEをし、一部始終話した。 

 
 
私は昨日冷蔵庫や冷凍庫を確認し
帰り道にスーパーに寄って食材をいくつか買ってきた。

帰宅後はそのまま夕飯作りを開始した。
ご飯作りや食材管理は母親に任せきりだったから、手探りの中の夕飯作りだ。

 
父親は仕事後に面会に行く予定で
私が仕事から帰ってきた時には病院からの電話を受けていた。
どうやら面会時、医師や看護師さんとは話せなかったらしい。

 
面会時、母は落ち込んでいて

・早く入所先を探してほしい。
・運転免許証返納し、車を売ってほしい。
・冷蔵庫や冷凍庫にあるいらないものは捨ててほしい。
・こんな体であと何十年も生きたくない。

と、父に訴えたらしい。

 
二人でどよんとした空気の中、夕飯を食べた。
 
 
私は
「今のレベルでは入所はできない。ショートステイとデイを併用するようだろう。」

 
「運転免許証返納は早いし、車も売るのは早い。まだ原因が分かってからでいい。」

 
「冷蔵庫や冷凍庫の中身は昨日ざっくり見た。捨てていいものはどんどん捨てる。しばらくは新しいものは極力買わない。」

(※母親はものが捨てられない人で、冷蔵庫や冷凍庫、食料庫の中には古いものやいつ買ったか分からないものが山ほどあった。
時折一部捨ててはいたが、勝手に捨てるとあまりいい方向にいかなかったため、あまり私や父はてこ入れできなかった。)

 
「原因が分からないと進行状況は分からないけど、原因さえ分かればリハビリはできる。胸の痛みさえとれれば、車椅子や杖でできることが増える。」

 
と、父に伝えた。

 
 
父はひたすらに、救急車搬送された前日に母と花を見に行ったり、コンサートに行ったことを後悔していた。
自分のせいだ、と。

だから私は伝えた。
あの時行けてよかったのだ、と。次はいつ行けるか分からない、と。それが原因ではない、と。

 
実際花はバリアフリーではない森のような場所に見に行ったし、もう多分退院しても行けない。
コンサートの予定も年内いくつもあったが、多分諦めるようだろう。

今月、スタジオツアー東京やいちご狩りに母と行けてよかった。
足が不調となると、たくさん歩くスタジオツアー東京や足場が悪いいちご狩りは、もう今後一緒には行けないだろう。

 
私も年内いくつかのライブ予定があったが
チケットを売れるなら全て売りたい気分だった。
ライブに行きたい、とは気持ちがならなかった。

 
 
昨日から胃がムカムカしたり、不調な中料理をするのは不快だったが
父には夕飯作りをしないわけにはいかない。
父は料理ができないし、しない。
冷蔵庫や冷凍庫に食材は山のようにあるし、ひたすらに作り、食べ、いらないものは捨てないといけない。

これからしばらくは母の代わりに私が家を守らなければいけないのだから。

 
私は夕飯作りはできたが、ご飯はほとんど食べられなかった。
食べる気がしなかった。
明らかな疲れとストレスだった。

 
 
早く眠りたい。
だけど食器洗いや洗濯やお風呂やお風呂掃除をしないと。

母はいないのだから。

 
いつもなら、母がおいしい料理を作り、洗濯やお風呂掃除をしてくれて
テレビからは賑やかな音が聞こえていた。
母はテレビが好きで、夜遅くまでテレビをいつも楽しんでいた。
大きな笑い声が聞こえた。

 
父は早寝だ。
私も父もあまりテレビは見ない。

家は暗く静まり、私の慣れないぎこちない家事の音が響く。

 
 
「家のことは私が頑張るから、心配しないでね。」

作った夕飯の写真を添付しながら
母親には心配をかけないようにとLINEをした。

 
 
そんな、母親入院二日目の日。




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