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介護福祉士への道~合格~

実技試験免除講習を無事にクリアした後、私を独学での勉強が続いた。
ひたすらにユーキュンである。

あなたはできる!
私もできる!

まるで自己暗示のように、テキストの要点をノートにまとめ、問題を解く。

 
そして夜寝る前はDSで介護福祉士受験勉強のソフトを行い、単語集を見た。

 

 
そんな日々が続き、ようやく一通りの科目の要点まとめが終わった。
ユーキャンは定期的に一科目ずつのテストもあったのがありがたかった。
もちろん、テキストは見ないでありのままの実力で臨んだ。
タイムはマイナス5分で行った。
実際の試験時は緊張もある。集中力の乱れや環境変化も考え、5分少ない時間で慣れていた方がよいと考えた。

 
各科目テストはまぁまぁだったが
一通りの科目勉強が終わり
初めて総合問題…テストに臨んだ時に

私は合格基準ギリギリの点数だったことにショックだった。

 
介護福祉士の試験は総合点も大切だが、一科目でも点数が足りないとアウトである。
更に、科目の問題数はバラツキがある。
バランスよく点数がとれなければいけない中
私はどうにも昔から概論や法律に弱かった。
そこを狙い撃ちされたらアウトだと思った。

 
 
 
11か12月あたりに、実技試験免除講習を受けた専門学校で模擬試験や集中講座があったので受講した。
やはり、模擬試験は余裕……とまでいかなかった。
1月に試験の割に、余裕がないのが悔しかった。
集中講座はそれこそ集中した。

一発合格

しか、私は見据えてなかった。
実技試験免除が三年間有効だからといって、来年まで仕事と受験勉強を両立するのはごめんだ。

 
 
 
ところが、流れが変わってきたのは年末年始の休みからである。
この頃にはひたすらに過去問や問題集を解く日々だったのだが
私はみるみる点数が上がった。

介護福祉士の問題を作るのはユーキャンではないし
問題は作る会社によってクセが分かれる

 
とのネットの書き込みに従い
ユーキャン以外の問題集にも手をつけていた。
段々とパターンが読めてきたのだろう。
私はようやく受験一ヶ月前に手応えを感じてきた。

 
 
 
国家資格の割に、介護福祉士の試験は全都道府県で実施をしていなかった。
私は他県での受験を余儀なくされた。
受験生は受験する都道府県を選べるため、私は2県で迷いに迷った。
ネット情報によると、現住所から一番近い試験会場ではなく

ランダムで僻地に飛ばされる

との情報を見た。
交通の便からどちらの県の方が有利か、非常に悩ましいところであった。
過去の試験会場場所を見比べ、私は某県で賭けに出るように試験会場を申し込んだ。

 
あそこの駅近くの大学がいいなぁ…
あそこなら、電車本数もたくさんあるし、行き慣れているし、我が家からも近いし…………

 
等と夢を見ていた時期が懐かしい。
私が指定された場所は、初めて聞いた場所であり、やはり僻地であった。

 
お、おおう……
なんでまたこんな遠くの試験会場やねん…

 
動揺するとエセ関西人になるのは、関東あるあるである。
 
 
  
 
介護福祉士の試験は朝から午後にかけてであり、車で行くことは禁じられている。
当日の朝、僻地に電車で行くとなるとかなり早起きであり、かつ何らかで電車が遅れたらアウトだ。

試験当日は睡眠時間と朝ご飯をとり
余裕を持って試験会場に向かうのは必須である。

  
 
私は試験会場から近くのホテルに泊まることにした。
人生初の一人でホテルに泊まる体験である。
受験前日、ホテルに一人で初めて泊まるということにドキドキしたが
ホテルで働く方々が優しくてありがたかった。
プレッシャーに弱い私は前日夕飯からあまり食べられず、朝もろくに食べられず
目覚ましよりも早く目を覚ました。

  
私はプレッシャーに弱い。
試験だけでなく、デート等楽しい予定であっても
容赦なく食欲や睡眠が影響に出る。

 
試験一ヶ月前くらいから突如頻尿にもなった。
メンタルが原因だと言われた。
頻尿も人生初であった。
とにかく一時間に何回も何回もトイレに行かずにはいられなかった。
服薬し、試験数日前には落ち着いて本当によかった。

 
試験当日には、頻尿はなかった。

  
 
 
身支度を整え、私はホテルを出発した。
とにかく私は冷え性で、一月末に試験ということがネックであった。
緊張や不安だけでなく、純粋な寒さからトイレがマメになるわけにはいかない。
なんといっても防寒が大切である。

 
 
ホテルを出て10分もしないうちに、張りつめた空気が伝わる。

 
駅のそばには受験生と思われる人達がたくさん足早に歩いていく。
みんなが目指しているのは駅そばにある、試験会場行きのバス停だとすぐに分かった。
バス停には既にたくさんの人が並んでいて、整列を促す、看板を持った方がいた。

……想像以上の、人数であった。

 
私の後ろにもどんどん受験生は並び、バスは忙しなく行ったり来たりを繰り返していた。
バスに揺られて15分後、会場に到着した。
余裕を持って到着した為、まだ会場内には入れない。
バスから降りた受験生が私の周りにはたくさんいたし
次々に人が集まってきた。

 
私は二宮金次郎のごとく、本………ではななく
携帯電話をいじっていた。
特に苦手な分野は携帯に写真を撮っていた。 
今更本を読むまでもない。
どうせ緊張から意識はそぞろだ。

 
「受験日はおにぎりと、一欠片のチョコレートが大切よ。
緊張して食べられないかもしれないけど、山を遭難した時もチョコレートで生き延びられたりするからね。
糖分は忘れずにね。」

 
私は模試の時に先生が言っていたアドバイスを忠実に守った。
おにぎりとチョコレート。
これで今は十分だ。

 
 
 
やがて開場時間になり、誘導に従って会場内に進んだ。
会場内は巨大な体育館のような場所で
深緑色のシートで床が覆われていた。

そこには茶色の長テーブルと椅子が

 
これでもか!

 
というくらい並べられ、ポツンポツンと間に
巨大なヒーターが置かれていた。
私の席からはトイレが遠いのが難点だ。

 
 
以前、最近の法律改正や福祉業界のニュースは試験に必ず出るからチェックするように言われていたので
最後に再びチェックし
携帯電話で撮った要点を見たところで
いよいよ試験に関する説明の時間となる。

 
机の上に受験票と、この日のために買ったマークシート用鉛筆と消しゴムを並べ
私は目を閉じて祈る。

大丈夫。
お前はできる。
今まで頑張ってきた。
絶対に合格する。

 
「始めてください。」

 
私は試験問題の冊子を勢いよく、めくった。

 
 
問題はいくつか迷うものや、初めて見る問題もあったものの
ほとんどは即答であった。
試験はマークシートである。
分からなければ適当に塗り潰せば良い。
試験直前に携帯電話で見ていた要点がまんまと試験に出たり
仕事中に研修で学んだことが試験に出た時はガッツポーズだった。

いける!
いけるぞ、これは!

 
見直しを二回終わっても、まだ時間には余裕があったが
試験は終わった順に帰ってもよかったので
私は席を立った。
既に1/5くらいの人が退出していた。

 
 
試験会場を出ると、予備校の方がURLが載った紙を配っていた。
特定の時間以降にアクセスすれば、今日の自己採点ができるよう、全解答が載るという。  

いいものをもらった。

問題用紙は持ち帰り可だ。
自分の回答は全て記していた。 

 
 
 
 
私は試験会場を後にし、約束の場所へと向かった。

 
「ともかちゃん、試験お疲れ様♡」

 
私が向かったのは友達の家である。
その頃友達は自宅の一室でアロマテラピーをやっていた。
緩やかな音楽を聴きながら、全身を揉まれる気持ち良さよ。
それは至福であった。
友達は受験終了を労い、手作りケーキやハーブティーをご馳走してくれた。

 
 
自宅に帰ってまずすることは自己採点である。
自己採点をした結果、私の合格はほぼ確定した。
ほぼ、というのは
その年の平均点や合格基準点は
その時その時で若干異なるからだ。

結果を見るまでは油断できない。

 
 
試験結果は3月発表であり、約一ヶ月以上待たされる。
学科試験が受かった人が2月に実技試験があるからだ。
実技試験がある人は早めに学科試験合格が告げられるが
私のように実技試験免除組は最終合格発表日までお預けというもどかしさである。

 
合格発表の日、私の合格は確定した。
これで憧れの国家資格、介護福祉士を取得できたかと思うと
嬉しくてたまらなかった。

  
 
 
合格後、私は実技試験免除講習を受けた時に仲良くなった二人と
合格祝いでバイキングに行った。
三人とも晴れて合格し、一人に至ってはケアマネジャーを来年受験しようと
既に勉強に取り組んでいた。
素晴らしい志だ。

 
 
 
介護福祉士の資格証が私の手元に届いた頃には
社会人7年目に突入していた。

社会福祉士受験資格は実務二年。
 
実務経験五年分を介護福祉士で使い果たした私は、あと二年後以降ではないと、社会福祉士は受験できない状態になった。

 
 
 
 
介護福祉士取得後、私は施設長から命じられ、サービス管理責任者の資格も取得した。
サビ管は障がい者福祉施設では力のある資格だ。
障がい者福祉分野ではケアマネは必要ないが
サビ管があるのは強みとなる。

その後、更に強度行動障害の研修も受けた。
こちらも障害福祉分野で働く者にとっては貴重な研修である。

 
更に、去年サービス管理責任者の更新研修も終えた。

  
現在、W福祉士取得には至らないが
実際に現場に働くにあたりとても大切なサビ管も手にいれ
これはこれでよいと思っている。

 
大抵の職場は国家資格いずれか必須、もしくは任意なのだから。

 
 
  
考えてみれば、こうして私の転職しやすい道は着実にできあがっていったと言える。
こうして仕事を辞めた今、コロナが流行っていることもあり
今年度サビ管更新は難しいだろう。

 
振り返ると全てが、次への未来へとつながってさえ見える。

 
 
 
10年以上の経験年数、転職なし、介護福祉士とサビ管その他資格を持っている私は
転職活動中の今、大変重宝された。

大学で心理学を学んでいたことで、他の福祉の資格も取得できることも知った。

 
大丈夫。
今まで歩いてきた道の先に、必ず明るい未来は続いている。

 
そう自分に言い聞かせている。

 

 

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