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姉妹の違いとコンプレックス

私は姉に勝てないと小さい頃から思っていた。

姉のことは好きだが、「負けたくない。」とはよく思っていた。

   
同じ血を分けた姉妹であったとしても
同じ家庭環境であったとしても
能力に差があり
私は姉に劣っていると感じていた。

似ているところもあるが
似ていないところもある。
それが、姉妹だった。

 
姉ができるからといって、私ができるとは限らないし
逆もまた当然ある。

 
私は負けん気が強かったが
姉は私に対してコンプレックスはなかった。
だからこそ、幼稚園以降お互いに全くケンカはなかったとも言える。
勝てないケンカをいちいち売るくらいなら
努力したり
自分の良さを磨いて
何らかの形で姉に対抗したかった。

 

  

 
私には二歳年上の姉がいる。

周りからは私と姉は似ていると言われたが  
姉は母似の顔立ちで
私は父方祖母の顔に似ていた。

身長も姉は女性平均値だが
私は小さい頃から身長は一番後ろで、小学生にして身長は160cmあった。現在は165cmである。

 
お互いに肌が白いことやくせっ毛であること、また声はよく似ていた。
そこはまさに姉妹であるだろう。

 
 
 
姉は小さい頃からマイペースで
私は小さい頃から人の目を気にした。

 
好き嫌いなく、なんでも食べる姉。
特に卵や牛乳が大好きで、朝からモリモリとたんぱく質を摂取する。米で朝を始めたい人だ。
私は朝が弱くて
朝から卵や牛乳なんて胃がもたれる。パンで朝を始めたい人だった。

 
 
姉は天才型で、私は努力型だった。

飲み込みが早く、頭はとてもよかった。
私が落ちた高校に、私より倍率が高かったのに受かった上に、成績は上位だった。
大学も国公立を狙えたが、別に行く気はないと、地元大学に進学した。
そして、父と母が取得していた資格をアッサリ取得した。
姉は父と同じ職業にも、母と同じ職業にもなれる。

一方私は、科目によって得意不得意が異なり、国公立を狙えるレベルではなかった。
父や母が思い描かなかった、心理学や福祉の道を私は歩いた。

 
姉に対して一番コンプレックスに感じたのはそこだった。

  
 

 
たかが二歳差。されど二歳差。

私にはない良さにどれだけ焦がれただろう。
頭が良いのに野心がないことさえ羨ましく感じた。

 
私に姉ほどの学力があったら…
そう思いながらギラギラと負けん気を燃やす私より
実力があってサラッとしている姉の方が
クールでマイペースで
誰の影響も受けずに自分の道を進んでいるようで
かっこ良く感じた。

 
だが、同時に姉に野心がなくてよかったとも思った。
姉に野心があったなら、姉はもっと上の世界に行き
私は更に手が届かない対象になっただろう。

姉はオリジナル小説や二次創作にも手を出していたが
同人誌販売は一回きりで
何回も売ったり、オリジナル小説を何らかのコンテストに出すこともなかった。

 
 
私は文章を書くことに自信があるが
姉も文才に長けていた。
学力だけでなく、文才でまで完膚なきまでにやられていたら
私はとてもじゃないが立ち直れない。

姉は小説や二次創作、私はエッセイや詩と
ジャンルがわかれて本当に良かったし
姉がSNS発表のみで満足しているのもホッとした。

 
 
 
 
そんな姉は恋愛体質ではなく、私は恋愛体質であった。

私は姉よりも先に初彼ができ、優越感に浸る小ささを持っていたが
姉も私に数ヶ月遅れて彼氏ができた。
イケメンである。
しかも付き合って一年でプロポーズされ
そのままゴールインした。

 
姉は24歳で結婚を目標としていて
見事に目標を達成したのだ。
 
 
 
私は悔しかった。

私は初彼ができるまでに、色々な男性と連絡したり、デートしたりして
なかなか彼氏ができなかった。
ようやく初彼ができて、バカップル全開なラブラブイチャイチャだった。

 
 
一方姉は恋愛っ気がなく、母親が「仕事の関係で知り合った人が姉に合うんじゃないか?」と引き合わせたところ、あっという間に波長が合ったのだ。
姉は苦労して出会いを探してさえいない。
 
 
姉の結婚式の頃、私は初彼と別れて、失恋を引きずりまくっているところだった。
いいなぁ…と思った。
初めての彼氏と数年でゴールインなんていいなぁと思った。

 
入社してからいまだに仕事は辞めてないし
旦那さんともいまだに離婚はしていないし
子宝にも恵まれた。
元気な子どもが二人だ。

 
 
 
あまりにも姉が眩しかった。

もがいても、もがいても、姉には届かなかった。

 
 
 
 
三年以上付き合った彼とアラサーで婚約破棄をしてから
私は母親に頼んだ。

私「お母さん、私にも誰か紹介してよ。お母さん、見る目あるじゃん。お姉ちゃんばっかりとんとん拍子で羨ましい。」

 
母は仕事で人事を担当していた。
姉と旦那さんがあっさり上手くいったのは、母親の見る目があったからだと思った。
きっと仕事の人事だけでなく、娘と合う人もなんとなく母親の勘も働いて見分けられるのではないだろうか。

 
 
母「お姉ちゃんは出不精だけど、ともかちゃんは自分で出会いを探しに行くし、ボーイフレンドもたくさんいるじゃない。」

 
私「…でもそのやり方で、ダメだった。三年以上付き合った人と27歳で結婚したかったのに、別れちゃった。もう自分だけだと、何がいいんだか分からない。」

 
私「それに………婚約破棄は、彼の母親と祖母に反対されたからじゃん。友達だって、彼の家族に反対されて婚約破棄だし……。最初からお母さんに気に入られた人なら、婚約破棄のリスクも減ると思ったんだ。」
 
 
私は切実だった。
結婚するために、あの手この手を使った。
婚活を一通りやったし、友達や家族、親戚の紹介にも片っ端から会った。
母親から、やがて該当者があらわれたことを聞かされた。

 
 
 
その人は、仕事関係者の知り合いだった。
姉の時と同様、母の同僚ではないことがありがたい。
さすがにそこまで近しいとやりにくい。

 
母の話によると
私より二歳年上で公務員、趣味がギターとバイクであり
家がお金持ちという話だった。

 
なるほど、条件的に悪くない。
私は前のめりで、「まずは会いたい。」と言った。
基本的に私は誰かに紹介された人とは必ず連絡するし
最低一回は会う。
道はどこで開けるかは分からないのだ。

 
 
その人をAさんとする。
Aさんとはお洒落な喫茶店で待ち合わせをした。
待ち合わせ場所や時間帯から
入り口に立っているのがAさんだと思った。

清潔感があり
洋服もTPOに合わせたキレイめカジュアルであり
スタイルや顔立ちも想像以上によかった。

 
 
あとは話してみてどうか…というところだろう。
話してみても悪くはなかった。
なるほど、やはり母は見る目がある。
見た目も中身もよかった。

ランチをしながら、無難な会話が続いた。

婚活らしい
当たり障りのない会話。
相手の情報を探る会話。

 
何度となく繰り返された。
婚活はどうしても、性格の合う合わないよりも
結婚相手としてどうかという
条件ばかりを見てしまう。

  
職業、年収、家族構成、一人暮らしか実家暮らしか、結婚したら二人暮らしか同居か、家事力はどのくらいか、子どもはほしいか否か。

 
趣味よりも性格よりも
そういったことをさり気に会話から引きだし
頭の中のチェックシートにレ点をつけていく。

我ながら、打算的でいやらしいと思った。

 
 
  
基本的に婚活は、初回はランチ二時間くらいだ。
今日は解散する流れだろうと思ったら
「家、来る?」と言われた。

これは今までにない、予想外な展開だ。

 
私は躊躇った。
男は狼だ。
色んな男性がいる。
むやみやたらに二人きりになってはいけない。

だが、母親とAさんの母親は知り合いだ。
そんな状態で悪さはしないだろう。
何より公務員であり
働いている場所もこちらはおさえてある。
変なことをしたら、そちらにテコ入れもすぐできると思った。

 
…私は彼の家に行くことにした。

 
 
Aさんの家はキレイだった。
いかにも男性らしい部屋で、こざっぱりとしていた。

Aさんはギターを取り出して弾きだした。
どうやら私にギターを聴かせたかったらしい。

弾き語りだった。

 
Aさんはオリジナル曲を歌わず、私でも知っているような有名曲をいくつか弾いた。  
ランチ中に私が好きだと言ったアーティストのシングル曲いくつかを
彼はもともとマスターしていた。
私が歌うと、ハモりを入れたりもした。

一切、手は出してこなかった。

 
   
 
一緒にランチをして、ギターを弾いてくれて、二人で歌って
あとはただ会話を楽しんで
夕方には別れた。
私は別れてから、LINEをした。

私「今日はありがとうございました。また機会があればお会いしましょう。」  

 
彼「そうですね。またランチ行きましょう。」

 
 
それが、私とAさんの最後だった。

 

 
婚活はあくまで友達ではない。
恋愛的にあるかないか、結婚相手の候補としてあるかないかだ。
お互いの条件をお互いに受け入れ
連絡をするまでが第一ハードル。
ランチに行くまでが第二ハードル。
ここまではまだ、いい。

二回目に会うという第三ハードル。
これが実に難しい。

 
 
人は大抵一回会えばおおよそ分かる。
大抵の婚活デートの感想が   

①合わない。最悪だ。早く次を見つけなきゃ。
義理は果たしたし、これで縁を切ろう。

 
②まぁいい人だったけど、可もなく不可もなくだったな。
相手から連絡来たらまぁまた連絡するけど
相手から連絡途切れたら途切れたで別にいいや。

 
③めちゃくちゃ素敵!次も会いたい!

 
だった。
大抵のパターンがお互いに①か②であり、片方のみが③の場合もある。
片方が③の場合、もう片方が①でも②でも面倒くさい。
距離感や熱量は同じくらいの方が
お互いにとっていいバランスだった。

 
 
私とAさんはお互いに②だった。
ある意味両思いだ。
なんて楽だろう。
お互いに感想が一致だと、どのパターンでも極めて気楽だった。
気がない人に片想いしたり、逆のパターンでも
なかなかに断るのは難しい。

 
「もう後がないかもしれないし、そんなに贅沢いってられないし、アラサーだし」
「いやでもなぁ………」

 
大抵、こういった思いに悩まされるのだ。

 
 
 
しかし、私は意外ではあった。

自宅に招いてギターを聞かせるのは多少脈ありとは思ったが
単に私は観客だったのか。

 
 
連絡が途切れても、私は特にショックではなかった。
ただ一回会っただけの知人。いや、他人。
それ程度の人だった。

 
 
 
噂で、やがてAさんは結婚したと聞いた。
私と婚活した人が別の人とは結ばれたことを聞いた時
嫉妬は何もなかった。
ただ

私に足りないものはなんだろう…
また、置いて行かれてしまった。

そう、ぼんやり思った。

 
 
 
 
 
結婚式では普通ブーケトスをするが、姉はブーケトスだけでなく、私用にも花束を特別に用意していた。 
「どうしてもともかには花束を渡したい。次はお前の番だよ。幸せになれる。」と姉は言い、妹の幸せを本気で願った。
新婦からの手紙では私を

まるで唯一無二の親友のような妹です

と表現した。

 
 
…私がいくら負けん気を燃やしても
これだから姉には勝てない。

 
姉は私に嫉妬したりしない。
姉にはない良さを私が持っていても
それが分かっていても
私は私、妹は妹と割り切っている。

全くもって
いちいち嫉妬している私の器の小ささを知る。

 
  
 
姉は結婚するまで実家で暮らしていて
外泊もほとんどなかったから
姉が結婚した時に言いようのない寂しさを感じた。

 
私は姉を親友と思ったことはなかったが
私にとって姉は唯一のきょうだいであり
ライバルであり
負けたくないが、勝ちたいわけでもない存在であり
大好きな人だった。

 

それは、姉が結婚した今も変わらないし
きっとこれからも変わらないだろう。

私はお姉ちゃんが、私のお姉ちゃんでよかった。

 
 
 
姉は嫁いでからも月1回以上は実家に来た。
旦那さんとは盆と正月くらいしか会わないが
普段散々愚痴を言いながらも
姉が旦那さんや子どもといる姿は絵になり
私はそれを見るたびに安心した。

 
なんやかんや言いながら、ちゃんと家族やってるし
母として妻として頑張ってるじゃん。
姉はやっぱり、すごいな。

 
私はいつもそう思う。
 


  

 

















 

 

 








 

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