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母が救急搬送された日

その日はいつもと変わらない朝だった。
風が少し強いくらいで
いつもと変わらない朝だった。

 
冷蔵庫が壊れたから新しい冷蔵庫が届く予定だった。
両親は人事異動発表の予定だった。

私は仕事で打ち合わせの予定だった。

 
特別なことといったら、それくらいだ。

 
 
私はいつもと同じ時間に家を出て
いつもと同じ時間に職場について
今日仕事をするはずだった。

職場に着く寸前、父から母親が救急車で搬送されることになったと連絡が来るまでは。

 
父はとりあえず私に仕事に行くように言った。
だけど、心臓がバクバクして落ち着かない。
病院に行きたい。
だけど、今日は仕事の打ち合わせがある。そして同僚が休みで人手不足だ。
せめて搬送先が決まってから早退すべきか。

でも、お母さんが救急車搬送。
滅多に具合が悪くならないお母さんが、自らお父さんに救急車搬送を頼んだ。
相当だ。
相当悪いに違いない。

 
昨日も出掛けていたのに。
朝は普通だったのに。
でも先週から心臓が痛いとは言っていた。薬はもらって飲んでいた。痛みはマシになったと言っていた。

心臓…。
部位が部位だけに、命に関わる可能性もある。

 
職場まであと3分のところで父から電話だったため
とりあえず職場に行き、新施設長に事情を話した。
私は、父から再度連絡があったら早退したいと話した。

だけど、新施設長は今すぐ向かった方がいいと言ってくれた。
仕事はなんとかなると。

私は新施設長や同僚に頭を下げ、涙を拭いながら職場から駐車場まで走った。

 
その時父から再度連絡があり、搬送先が決まったと連絡があった。
私は仕事は抜けてきたと話し、病院で合流しようという話になった。

 
その病院は私が先月までバセドウ病で通院していた病院で
転院が決まり、もうしばらくは来ない予定の病院だった。
まさかまた今月も来るなんて。

 
その病院には何度も来ていたが、救命救急入口に来たのは初めてだった。
周りの方に聞きながら、救急車搬送された人の身内や関係者が集まる部屋に着いた。

 
そこには父がいた。
そして近くに住む親戚二人も来ていた。一人は看護師の資格を持っていて、我が家で誰かが具合が悪くなると様子を見てくれた。今日も駆けつけてくれた。

やがて姉も仕事を抜け出して来た。
姉は3月は仕事が忙しく大変なはずだが、私と同じように職場の方から早く病院に行くように言われたらしい。

 
その待機室には何組かの家族が来ていて、担当と思われる医師の方が症状や今後の動きについて伝えていた。

だが、一向に我が家の方に医師は来なかった。
途中経過がサッパリ分からないまま、時間ばかり過ぎた。
長い時間だった。

 
話によると、母は気持ちが悪くなり、また心臓も痛く、二階で横になって休んでいた。
父が、母がなかなか台所に降りてこないから不思議に思い、母の元へ様子を見に行った。
父はその日仕事が休みで出掛ける予定だったので出掛けようとしたが、母から「行かないでほしい。救急車を呼んでほしい。」と頼まれたらしい。

 
母は滅多に具合が悪くならないし
通常は具合が悪くなったら看護師の親戚を呼ぶ。
だが、出掛ける父を止めて救急車を要請したなら相当悪かったのだろう。

 
看護師の親戚と、「意識があり、歩けていて、嘔吐や頭痛がないなら命に関わるようなことでは多分ないだろう。」と言い合った。
私も福祉職だ。多少は知識がある。

だが、それにしては医師が来ない。

検査入院だろうか。
それとも入院するほどではないから綿密に調べているのだろうか。
急変や症状悪化なら医師が来るはずだし、私は後者な気がした。

 
3月は母と苺狩りやスタジオツアー東京に行った。
夏には一緒にライブに行く約束もしている。

3月、父も母とよくあちこちに出掛けていた。
前日は父と花を見に行ったり、コンサートに行っていた。

 
前々日は家族三人で外食も行った。母の発案だった。
前日は花を見に行ったり、コンサートに行った。
土日といつもと同じように元気があったのだ。
コンサートから帰ってきた後は姉と私と母で電話もし、今度の休みに甥っ子と姉で遊びに行くと話していたばかりだった。

だから姉は私以上に驚いていた。
姉は母が一週間前から心臓が痛いとは知らなかった。

 
救急車搬送されて三時間以上経過したところで
母は車椅子に乗って医師とやってきた。
他の救急車搬送された患者さんは待機室には一切来なかったので、まさかさんざん待たされたあげく、本人がやってくるとは思わなかった。

母はよくしゃべった。
会話をする元気はあるらしい。
検査をしたが大きな異常はなく、入院はするほどではなく、服薬して様子見になったらしい。

 
医師から別室で話をしたいと言われ
私、父、母、姉で移動した。

医師が母に車椅子を降りるように話すが
母は上手く歩けないと言い、私は車椅子の補助をした。
こんな時こそ福祉職の出番だ。
姉から「さすが手慣れてるな。」と言われた。

部屋の広さの関係で親戚二人は入れなかった。

 
医師の話によると

・血圧が230あり、そこから体調不良が来ているかもしれない。
・肺炎なのか、片方の肺が少し気になる。ほぼ大丈夫だと思うが、癌の可能性もなくはないので、後日検査をする。
・脳や心臓に異常はない。
・薬を処方するので、しばらくは服薬して様子を見てほしい。かかりつけ病院に紹介状を書くのでそちらで今後は診てもらってほしい。

とのことだった。

 
肺炎、というのが私は引っかかった。
熱も咳もないからだ。
だが、肺の片方にモヤのようなものがあるし、心臓ではなく肺が痛かったのかもしれない。

 
そして何より血圧230に驚いた。

母はどちらかといえば低血圧だったはずだ。
いくらなんでも高すぎる。
高血圧からの気持ち悪さだろうか。はたまた、別の何かで気持ち悪くなり、慣れない検査やらなんやらで体調不良なのだろうか。

 
医師からの説明後は帰っていい、とのことだったが
医師は母が歩けないことを気にした。

車椅子から降りて歩いてみようと促すが、やはり母は歩けなかった。
正確に言えば、右足が上手く動かせなかった。

 
高血圧でめまいやふらつきなら分かるが、右足が動かせないことが引っかかった。
通常、片方の足に異常が見られるのは脳の異変だ。

 
 
脳の検査をして異常はなかったが、母が歩けないことを医師は重要視し、もう一度脳梗塞の疑いはないか検査をすると言った。

まだまだ時間がかかりそうだったため、親戚には帰宅を促した。
二人とも用事がある中、時間を作って来てくれていた。

 
救急車搬送された方の身内の方々は、やはり次々に呼ばれていくが、我が家には声がかからなかった。
いつ声がかかるか分からず、その場を離れるわけにはいかなかった。

更に一時間以上が経過し、「脳には異常が見られないので神経内科の先生にも診てもらいますので、もうしばらくお待ちください。」と医師が告げた。
まだまだ長期戦らしい。

 
もうすぐ14:00になろうとしていた。
8:00くらいに救急車を呼んだので、もう6時間が経過していた。
まだまだ時間がかかりそうだったため、私はトイレに行きがてら、自販機でバームクーヘンやせんべいを買った。
私も姉も父もお昼は食べていなかった。軽く何かお腹に入れた方がいい気がしたのだ。

 
私がバームクーヘンを早食いし、待機室に戻ると姉や父の姿はなかった。
どうやら呼ばれたらしい。
近くを探すが、見当たらなかったので待機室で待っていた。

 
父や姉はすぐに戻ってきた。

「検査入院することになったって。」

そうだよなぁ、と思った。
異常はないけど歩けなくなったなんて、おかしすぎる。

 
このまま自宅に戻っても不安だった。
だから検査入院になって、安心した面と
それほどに悪いのか、と落ち込んだ。

 





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