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私とバセドウ病⑨【お盆最終日】

盆と正月。

それは本家の娘であり
実家暮らしであり
30代独身の私にとって
苦痛のイベントである。

 
社会人になった私はお盆休暇が約三日あるのだが
その内二日は家の手伝いと決まっている。

 
一日は父のきょうだい会という名目で
父のきょうだいとそのパートナー、及びその子ども(私にとってはいとこ)、その子どもの子ども(私にとってはいとこの子)が
午前~夕方までいる。

私は買い出しや盛り付け、食器洗い、送迎、接待などの手伝いを余技なくされる。

 
もう一日は姉、義兄、甥が来る日だ。

こちらは比較的気が楽だが
私は義兄とほとんど会話をしない仲なので多少気まずい。

 
お盆休暇の三日間、この二つの予定は確定なのだが
今は亡き祖父母関係の親戚がアポなしでやってくるのも悩みの種だ。

気を抜いてくつろいでいてもチャイムの音で現実に引き戻される。

 
お盆休暇はちっとも嬉しくない。
なんなら仕事でもしていた方がマシだ。

 
最近、年下の従姉妹の結婚や結婚式の日にちが決まり
私の肩身の狭さはさらにひどくなる。

 
そんな憂鬱な気分の中
一ヶ月前の7月に通院先の担当医に言われた。

「次回通院は8月15日ですね。」

その日は父のきょうだい会という一番避けたいお盆イベント日だった。

 
私は一瞬耳を疑い、先生に確認した。
まさかお盆まで病院がやっているとは思わなかった。

確認したが
やはりお盆も病院はやっているらしい。

 
チャンス到来とはこのことだ。

私は今年、バセドウ病と診断を受け、左足を骨折もしてしまい
有給は全て使っていた。

有給を使わずに盆休みに通院できたらとてもありがたい。

しかもその日が親戚集まり日なら最高とさえ言える。

 
通院先は大学病院だし
予約はなかなかとれない。

私はお盆に病院に行く決意をした。

 
お盆と正月は家の手伝いをすることを物心ついた頃から義務づけられていたが
病院という理由は非常に強かった。

手伝いを義務づけた張本人である父親でさえ
予約日を変えるようには言わなかった。
せいぜい、この日は父に頑張ってもらおう。そもそもが父のきょうだい会なのだから。 

 
バセドウ病で嫌な思いや苦しい思いをすることもあったが
まさかこんなボーナスステージが用意されているとは思わなかった。

 
台風7号の影響でお盆休みは四日間全てが雨予報だったが(※今年のお盆休暇は四日ももらえた)
結果的には晴れ渡り
親戚が来ない日はひまわり祭りに行けた。

義兄も仕事の関係で来られなくなったので気楽だった。

 
きょうだい会にしても
今年は来られない親戚が珍しく何人かいて
いくらかは気が楽だった。

 
お盆休暇最終日である8月15日。
台風7号の影響で今日こそは朝から一日雨予報だったが
朝方少し降っただけで
相変わらず予報とは異なり、青空が広がっていた。

ニュースによると、台風上陸により三重県や大阪やその近辺が大変なようだった。
朝から台風ニュースで持ちきりだった。

 
バセドウ病の通院日は採血をする関係で朝ご飯は食べられない。
本来ならば12:00くらいに通院すればいいのだが(診察時間は予約できるが、採血時間は予約できないので、余裕をもって通院が必須)

 
お腹が空いていたし
親戚が10:30から集まりだしたので予定より早めに家を出発しようと企んだ。

そそくさと着替え、挨拶し、実家を逃げるように抜け出す。
11:11着。ぞろ目は縁起がいい気がした。

 
病院駐車場はお盆でも混んでいた。
いつもと変わらない風景だ。

ただ、いつもは15分~1時間待ちの採血が
待ち時間なくできたのはお盆効果だと思う。

 
いつもは採血の方が上手かったが
今回は不慣れな様子が伝わった。
これもお盆ならではの人員配置故かもしれない。

採血を終えて、診察予約時間まで約三時間の時間があった。

 
クーラーのきいた病院で朝ご飯兼お昼を食べ、本を読んだり、スマホを見て過ごせば三時間なんてあっという間だ。

お盆に実家で親戚と過ごす時間を思えば
病院の三時間は天国だ。

 
病院にはレストランやスタバ、コンビニが入っており
気分的にはスタバでお祝いしたいくらいの気分だったが
薬の影響で体重増加が課題になっているため、控えた。

 
お盆休暇中にうっかり太ってしまい
前日YouTubeを見ながら運動したのが効果的だったらしく
採血後に測った体重は先月と変わらない数値だった。

 
ガツガツと少しこげたエビグラタンを頬張っていると
正午に黙祷のアナウンスが流れた。

 
周りの話し声により、黙祷前に何を言っていたかは聞こえなかったが
おそらく今日が終戦記念日だからだろう。

食べるのをやめ、私は黙祷した。

 
戦争を生き残った祖父母がいるから両親が生まれ
今の私がいる。

祖父の兄は遠く外国で戦死した。

今も外国では戦争をしている。 

終戦記念日の日はいつもより平和をより願う。

 
たまたまだが
私の周りには終戦記念日が誕生日の知り合いが三人いる。

 
戦争が終わった日
めぐりめぐって生まれた人達。
そして私と出会った人達。

 
色々な人、出会い、生と死を考えている間に黙祷の時間は終わった。

 
親戚の集まりが嫌で逃げ出した私が
子孫も残せず
薬を飲みながら生き
エビグラタンを食べて空腹を満たしている。

 
次の世代へと繋げない生き方をしていて
申し訳なく思う。

お盆や終戦記念日は特に。

 
予約時間が近づき、私は診察室前に移動した。
余裕をもって診察室前に移動したが、私の番になったのは予約時間の30分後だった。まぁそんなものだ。

 
数値は順調によくなっているのか
薬が変更になった。

ヨウ化カリウム丸という薬が減らされた。

前回はF-T3とF-T4の数値が正常値にギリギリ入ったが
今回は下がったから薬が効きすぎているのかもしれない。

 
最初は薬を毎朝5錠(三種類)飲んでいたが
治療を開始してから五ヵ月後
薬は3錠(一種類。メルカゾール)にまで減った。

 
なお、新たな円形脱毛はできていないし
ちょっとずつ毛は生えているので
こちらは確実に徐々によくなっている。

 

会計を済ませた後、薬をもらいに行き
切手が少なくなってきたので郵便局に買いに行き
ついでにスーパーでパンを買いに行き、時間をつぶした。

 
いつもならばもう親戚は帰る時間だ。

そう思いながら帰宅していると、道中LINEが来た。
追加でお酒を買ってくるようにと。

 
ため息しかでない。
朝からずっとお酒を飲んでまだ居座っているのか、と。

 
帰宅し、腹をくくって手伝った。
荷物を置く間もなく、酔っぱらいが絡んでうるさい。

 
「ともかちゃんにはいい人いないんか?」

うるさい。

 
「うちの子が先に結婚してごめんな。」

別に。

 
「お酒もっと持ってきて。」

自分で運べ。

 
私は盆と正月の親戚も嫌いだが
父親も嫌いだった。

お酒が入った父は気が大きくなり、動きもしないで母をバカにした。

 
そんな器の小さい父も
そうさせるお酒も嫌いだった。

 
それに尽くすしかない母親。
本家の嫁
本家の立場。

結婚に何の夢が持てるのか。くだらない。

 
しばらく手伝っていたが
酔っぱらいのからみがひどかったので
従姉妹の子が別室に行こうと誘ってくれた。

 
盆と正月、姉が嫁いで父のきょうだい会に顔を出さなくなった時から
私の救いは従姉妹の子どもだけだった。

この子ども達とは波長が合い、かわいかった。

 
話によると私がいない間
この子らも酔っぱらいに絡まれたらしい。

私達は同志だ。

 
言い返すことは許されず
こうして別室で肩を寄せ合った。

 
酔っぱらいの飲み会は夜になってようやく終わり
ホッとしたのも束の間
帰り際に「ともかちゃんに優しくていい人がいるから会うだけ会ってみて。」「ちょっと引きこもりの人だけどいい人だから。」と火に油を注がれた。

 
親戚が帰宅後、私は両親にブチ切れた。

結婚相手の最低条件は正職員。

 
そう両親に言われていたのに
まさか5年以上引きこもりの人を酔っぱらいの親戚と父に紹介されると思わなかった。

 
私の稼ぎがいいならまだしも
相手が主夫をやってくれるならまだしも
相手の無職歴が数ヶ月で何らかの理由があるならまだしも
今は引きこもってゲームをしているという人を紹介されるとは。

 
30代女性の独身の価値は
私の価値は
私が結婚するには

引きこもり歴5年以上の人しかもはやいないのか。

 
怒りで泣けてきた。

「相手が定職に就くまでは親がお金を工面する。まずは会うだけ会ってみたら?」「娘に幸せになってほしい。」とさえ父親が言い
私はまたしてもブチ切れた。

 
5年以上引きこもりの方が定職に就くのがどれだけハードルが高いと思っているのか。
両親ももうすぐ70代なのに
一体いつまでいくら工面するつもりなのか。

 
会うだけ会ってみて
そのいい人とやらに私が惚れたら
それこそ地獄の始まりじゃないか。

お金がなくても幸せとでも言うのだろうか。

 
来年はお盆休みに手伝わない、と父にブチ切れた。

 
明日も朝から仕事なのに
食い尽くされて夕飯らしい夕飯もなく
また、食べる気も起きなかった。

予想以上にひどいお盆だった。
久々にガッツリ泣いた。

 
親友が心配して時間を作って電話をしてくれた。
短時間だったけど、話せてホッとした。

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