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お父さんとオヤジ

私の父親は子煩悩だった。

物心ついた時には父親が大好きだという感情があったのだから
きっと私が赤ちゃんの時代や物心つく前も
それはそれはかわいがってくれたのだろう。

 
 
私には二歳年上の姉がいて
母親は姉を産んで早々に仕事に復帰した。
正職員である。

母は仕事や家事が忙しく
小さい頃、平日は、あまり母親と過ごした記憶がない。
母親曰くそんなことはないらしいが
私は父親の記憶の方が濃かった。

 
 
忙しい母に変わって、面倒を見てくれたのは祖母だったし
平日や日曜日は父親が相手をしてくれた。

宿題を見てくれたのは父親だったし
勉強ができなくて悔し泣きをした時に
根気強くそばにいたのも父親だった。

平日夜は父親に馬乗りして遊んでもらったり
日曜日はボール遊びやバトミントンをして遊んだ記憶がある。
小さい頃は一緒にお風呂に入ったりもしていた。

 
 
両親とも土日は休みの仕事だったし
両親と姉と四人で出かけた記憶はある。
旅行にもよく連れて行ってもらった。
毎年どこかしらに行っていた。
両親が旅行や出掛けることが好きだったし
子どもに思い出作りをしたかったのだと思う。

祖父母含めた六人家族でも
たくさん家で過ごしたし
色々な場所に行った。

 
当時の私は、それが当たり前だと思っていた。

サザエさんやちびまる子ちゃんやドラえもんやクレヨンしんちゃんのような家庭が当たり前だと
私は疑問にさえ思わなかった。
母親はサザエさんに似ていて、父親は見た目がマスオさんで中身がマスオさんと波平さんだったから
「私の家はサザエさんちみたいだ。」とよく言っていた。

 
 
小学生の頃、父親は絶対的な存在だった。

怖いと言うより、父親がルールというか
先生みたいな存在だった。
私も姉もワガママを言わない子どもだったので
そんなに派手には怒られなかったが
何かあると怒るのは父親だった。

「テレビゲームは二時間だけ。」

父親から言われた我々姉妹はそのルールを守った。
寝る時間など日常生活のルールも
父親に従った。
嫌々ということはなかった。
親の言葉に従うことは当たり前であった。

 
私も姉も、厳しくも優しい父親が大好きだった。
父親みたいな人と結婚したかったし
そんな人に愛される母親が羨ましかった。

 
普段授業参観は母親が来るが
当時は父親参観というものが毎年冬にあった。
父親はいつも仕事を休み、張り切って来ていた。
子どもに時間を惜しまない人だった。
仕事と家庭しか、父親の大切なものはないとしか思えなかった。
学校行事には必ず来たし、プライベートでも父親は子どもの面倒をよく見ていた。

 
私は全く覚えていないのだが
小学校二年生の授業参観は図工で
私はハサミを忘れたらしい。
内向的な私はソワソワモジモジして
明らかに挙動不審だったらしい。
後ろにはみんなの親がいて、授業参観という空気感の中
先生に「ハサミを忘れました。」と言えず
私は友達が使い終わった後にちょこちょこ借りていたらしい。

授業参観中、先生は全く気づかなかった。

 
「あの担任はなんなんだ!全くともかに気づかないじゃないか!あれしかクラス人数がいないのに、何をやってるんだ!
お父さんは何度先生に言いかけたか……でしゃばったら余計なことになるから言わなかったが、あんなにともかはオドオドしていたのに…。」

 
父親は、いまだにその日のことを言う。
娘がオロオロしているのに手助けできなかったのが相当もどかしかったらしい。
私は全く記憶にないので
ハサミを忘れた私がアホだなぁとしか思わないが
それでも父親が
私のために怒る姿が嬉しかった。

 
 
姉が小学校三年生の頃、グループの子が宿題を忘れた連帯責任として
姉は宿題を大量に出され、24時まで追われていた。
姉がピアノ教室を休んだのはそれ一回きりだ。
私は姉とピアノ教室に行っていたが
その日は私だけ行った。
姉が黙々と宿題をこなす姿は今でも焼きついている。


父親はあまりのことに、学校に苦情を言った。
クソ真面目な姉は、宿題をサボるなんてできなかった。
クラスメートでサボった人もいたし、姉のように深夜まで宿題に追われた人もいた。
妹の私が言うのもなんだが、姉は頭が良い。
その姉が24時までかかったのは相当である。

 
私は父親が怒る理由が好きだった。
父が怒る時は必ず娘のためだ。
私や姉のことを思って怒る人だった。

だから私は父親が好きだった。
父親は絶対的な味方で、私を全力で守ってくれる存在だった。

 
 
 
関係性に変化が出たのは、私や姉が思春期に突入してからである。

父親は私と姉をさん付けで呼ぶようになった。
パンツ一枚で家の中を歩くこともなくなり
朝シャワーを浴びるようになった。

 
後から思うと
父親は思春期の娘に嫌われることを相当恐れていたようだ。
父親は家族の中で一番清潔であり
加齢臭など全く感じなかった。

 
父親は私や姉を昔ほど怒らなくなった。
思春期に入ってから、その役割は母親が担った。
それも、思春期故の父娘の関係を考慮した
両親のはからいらしい。

 
なるほど、その両親のやり方は上手くいったらしく
姉も私も反抗期は全くなかった。
父親がキモいとかウザイとか汚いとか
一度も思ったりしなかった。

思春期時代も、父親は大好きな父親のままだった。

 
 
変化としては、姉が父親を「オヤジ。」と呼び出した。
だから私も真似て、オヤジと呼び出した。
両親は咎めなかった。
私も姉もあだ名感覚で、父親を見下して呼んでいたわけではないが
父親が娘をさん付けした頃に
娘はオヤジ呼びするようになるのだから
この関係性はなんとも言えない。

 
オヤジと呼んだのは三年くらいで、自然にお父さんと呼ぶようになった。  
パパとは呼ばない。
小さい頃からずっとお父さん、三年だけオヤジ、あとはまたお父さんと呼んだ。

 
 
 
私の名付け親は父親だし、姉と私なら私の方がパパッ子だった。

できのよい姉がいて、要領が悪く、顔がそっくりな不細工な私を
父親は自分に重ねたようだった。 

 
「私も母親に似たかった。」

よく私はそう言っていた。
母親に似ていれば、かわいくて、要領が良くて、運動神経抜群だった。
きっとモテモテの人生だった。
父親似は幸せだなんて言うけど
私は母親に似たかった。

 
「お父さんに似ちゃって悪かったなぁ……。」

父親はいつも少しションボリした。
父親がいなかったら、今私はここにいないのに
私は生意気な娘だった。

 
 
もちろん、父親に似て良かったことも多々ある。
それを感じた時は「あ~お父さんに似て良かった。」とも口にすることもある。

 
 
 
父親は、絶対的な私の味方だった。

私が初めて免許を取得してから路上を走る時
助手席に父親が乗ってくれたし
私が通りやすい道を教えてくれたりもした。

 
私が仕事やプライベートで何かあると
玄関先に立って帰りを待っていてくれた。

  
お店でひどい扱いを受けたと愚痴をこぼせば
父親はすぐに苦情を入れた。

 
 
昔、男性を強く優しい存在だと思っていた。
だけど、成長するにつれ、そんなことはないと知る。
恋愛で何度泣かされたか分からない。
友達の彼氏や旦那さんの話を聞いても
あまり夢を見ていられないと感じてばかりだった。

 
だけど、最後の砦は父親だった。
父親だけは絶対的な存在だった。
仕事をきちんとして、浮気をせず、家庭第一で、優しくて、私のたった一人のお父さん。

世界一のお父さん。

 
恋愛でいくら泣かされようが
父親がいたからまだ
男性全てに恐怖感を感じずに済んだのだと思う。

 
 
 
父親はよく、「お父さんが定年退職前に結婚してほしい。」と話していたし
その夢は私の夢でもあった。

私に彼氏ができれば、母親にこっそり様子を聞き、口出しをしないお父さん。
彼氏を家に連れて行けば、二階に上がって逃げてしまうお父さん。
私に似た顔の従姉妹の結婚式で、私と従姉妹を重ねすぎ、「ともかに嫁にいってほしくない。」と酔っ払いながら半泣きで言い出したお父さん。

 
愛しかった。
こんな言動のお父さんを見るたびに、愛されていると感じ
私は幸せな娘だと思った。

  
 
それでいて心底、申し訳なかった。

長年付き合って婚約していた彼氏は、何回も家に来ていて
最終的には父親も顔を合わせ、認めていた。
父親も彼を気に入っていた。
父親に少し似ていた彼氏だった。

 
私が一方的に婚約破棄された時
母親は泣いて、「向こうの家に電話かける!納得できない!」と言い
父親は怒り、「そんな家に嫁ぐことはない!ともかの良さが分からない彼もその家とも、もう関わるんじゃない。」と言った。

 
婚約破棄後、結局私は恋愛が上手くいかず
父親は定年退職を迎えてしまった。
大好きな父親の願いを叶えられなかった時
私はなんて親不孝な娘なんだと自分を責めたし
今でも責めている。

 
 
 
 
 
父親は、子どもの前では親であり続けた。

ケンカをする姿は見せないようにしていたし
私が生意気なことを言っても言い返さなかったが
私がアラサーになったくらいから
お互いに感情をぶつける時が増えた。

 
ある意味、私が大人になったからだろう。
母親も以前より悩みや愚痴を話すようになったし
私は父親と激しくやり合う時もある。

私達が大人だからこそできるやり取りだ。

 
だからといって、父親と仲が悪いというわけでは全くない。
相変わらず父親のことは大好きだし
関係は良好である。

    
 
仕事を辞めると伝えた時も
父親は「今までよく頑張ったな。」と告げた。
転職を急かされたことは全くない。

 
貯金と実家と関係良好な両親がいるからこそ
私は失業保険をもらいつつ
まだ呑気に無職生活ができるのだ。

 
それはとても、恵まれたことだと
私は重々に承知している。

 
 
 
 
 
「私、父親がいないんだ。」

私は友達複数人に言われたことがある。
死別も離別もあった。

 
「私のお父さん、酒乱でさ、怒鳴るし物を投げるんだ。警察にお世話になったこともある。」

そうも、何人かに言われたことがある。

 
 
 
私は高校生以降、自分が家庭環境でどんなに恵まれているか思い知った。

サザエさんやちびまる子ちゃんやドラえもんやクレヨンしんちゃんの世界は
もはや平均的な家庭ではなく、理想的な家族像なのだ。

 
離婚率は年々上がり、父親参観は今はもうない。
母の日や父の日に手紙や絵を描くことも
保育園や学校や施設では取り止められた。

今や非常にデリケートな問題になった。

 
 
 
私が特に仲がよくなる子は、何故か家庭環境が悪い子が多い。
彼女らは私の家族仲の良さに憧れることもあれば、それ故にケンカに発展したこともあった。

 
連日のニュースでは、虐待をたくさん取り上げている。

 
多分、氷山の一角だし
私は本当に、自分が思う以上に
家族に恵まれたのだろう。

両親とも姉とも仲が良いということは
決して当たり前なんかじゃない。

 
 
とにかく私は、恋愛が思うようにいかない。
いかないが
だからなんだという時もある。

家族がいて、友達がいて、趣味がある。
これ以上を願うのは贅沢なのではないだろうか、と。

 
父親がいる。
大好きな父親がいる。
世界でただ一人、信頼している父親がいる。

私は父の娘で、よかった。

 
そんな私が恋愛の先に幸せな結婚を願うなんて
強欲なのかもしれない。









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