見出し画像

1月1日の家族と初詣は譲れない

2021年になりましたね。

皆様、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

 
新年最初のnoteは
私の元旦の過ごし方について書いていきます。 
____________________

 
 
私には譲れないこだわりがある。
それは

1月1日は家族と初詣に行く

である。

 
クリスマスや誕生日当日は恋人と過ごしたいくせに
1月1日に関しては譲れないのだ。
だから私は
1月1日を家族以外と過ごしたことは
人生で一度もない。
更に言えば
12月31日夜を家族以外と過ごしたことも
人生で一度もない。

 
 
私が通っていた幼稚園は
毎年元旦マラソンという行事があり
幼稚園時代は元旦はマラソンだった。

初日の出を見ながら、園児皆で走り
おしるこを食べる行事だったと思う。
朝早いらしいが
私は走った記憶しか残っていない。

 
小学生になってから
毎年元旦に家族で初詣に行くようになった。

 
私の成長と共に
紅白を途中まで見てから
両親と姉と共に車に乗り
ラジオで続きを聞きながら神社に行き

年明けの瞬間は神社

ということが恒例になった。
これは10年以上欠かさずに続いた。

 
 
12月31日と1月1日は家で過ごしたかった。

31日は家族と年越しソバやご馳走(刺身やローストビーフ等)を食べて
普段は控えている、お菓子や果物、ジュース等を食べたいだけ食べながら
紅白を見た。

12月31日は一年の振り返りを日記(後にブログ)に書いて
一枚の絵を描く(後に詩に切り替わる)。

 
そして、年が明ける前に出発して初詣に行き
年明けの瞬間を家族と迎え
神社で買った大阪焼き等を持ち帰り
カウントダウンTVを見ながら
自宅で食べ
1月1日はお節や雑煮を食べて朝を過ごし
みんなからの年賀状を見た。

12月31日は夕飯前に家族一人一人でその年を振り返って一言を言い
1月1日に朝食時に一人一人が抱負を言う。

  
それが恒例だった。

 
 
やがて姉は社会人になって、私達が通っていた幼稚園に就職し
毎年元旦マラソンのために早朝出勤が決まった。
だから姉は初詣の後はオールし
そのまま出勤するようになった。
「一度寝ると、もう起きられない。」と。

確かに私も若い頃は
朝が苦手で夜行性で
2~3時に寝ていたが
さすがに仮眠もしないでオールで出勤するのは真似できない。
私は姉をリスペクトした。

 
姉が嫁いでからは家族三人で初詣に行くようになった。
私がアラサーになった頃から
段々家族みんなで夜通し起きているのがしんどくなり

1月1日に朝ご飯食べてから、午前中に初詣に行けばよくない?

ということで満場一致し
それからは毎年紅白とガキ使を交互に見て
カウントダウンTVを少し見て寝るようになった。
父親は早く寝るので
大抵、母親と二人でテレビを見ながら過ごし
年が明けた瞬間に母親と「あけましておめでとうございます。」と直に言い合った。

 
 
私の中で、年末年始を恋人や親友と過ごすという発想は全くなかった。
実家暮らしで家族仲が良いからだろう。
家族以外と過ごすことがあるとしたら
それは結婚相手以外にはいないと思っていた。

 
だから恋人から海外旅行を誘われても
ライブ仲間から年越しライブを誘われても
私は断り続けた。
年越しでなければ魅力的だったかもしれないが
年末年始は家で過ごしたい。
まして我が家は本家で、1月2日は親戚が集まるから私は手伝いのため
遊びに出掛けるのは禁止されていた。
4日から仕事だし
1月は毎年仕事が忙しいので
そうなると
年末年始は睡眠を十分にとりたかったし
様々なことをやって過ごしたかった。

 
社会人になってから
オールや夜遊びをすると
疲れが抜けなくなってしまった。
寝不足でグダグダうだうだして過ごす正月休みは
もったいなさすぎる。

 
とはいっても
年明けの瞬間に親友や恋人と電話をして過ごすことは何回かしている。
家族と年末年始は過ごしたいが
年明けの瞬間に大切な人と繋がっていたい欲求は強かった。

今でこそ心配はないが
私が学生の頃は、年末年始はピッタリメールや電話が大流行し
携帯電話がなかなか繋がらなくなる事態になりがちで
各携帯会社が対策をしたり、毎年ニュースになっていた。

あの頃はまだ私も若かったから
仲が良い人や恋人にピッタリメールをすることにこだわり
何回も何回も送信ボタンを送っては
ピッタリメールを届けられるように頑張った。

もしくは
紅白を見ながら、親友や恋人と電話をした。

 
 
若かったなぁと思う。

今はもう、31日夕飯後にお菓子などは食べないし(基本的に20時以降飲食しないようにしているから)
23時30分前に寝る。

そう、12月31日だけど、サーカディアンリズムが狂わないようにと
体が自然にそうなるのだ。
もう無理はしない。

 
30歳を過ぎてから
12月31日だからといって夜更かしはしなくなった。
仕事があろうとなかろうと
基本的に毎日同じ時間に寝て、同じ時間に起きる。

 
大人になったなぁと感じる瞬間だ。

 
昔はあけおめメールをピッタリに送ったり
送られたり
誰からメールが来るか、何人から来るか
何時に来るかなんて
いちいち気にして一喜一憂していた。

 
今はもう、基本的に受け身である。
あけおめLINEが来たら返すが
自分から積極的には送らなくなった。

昔より、携帯電話に振り回されなくなってきた。
これまた、大人になったということだろう。
今の方が、そういった意味では生きやすくてありがたい。

 
 
 
周りの人と、元旦の過ごし方の話になった。

友達と過ごす人、恋人と過ごす人、実家で過ごす人、家族と過ごす人、仕事の人、一人で過ごす人、オールする人しない人

人によって本当に色々である。

 
私が面白いな、と思った人は二人いた。
私のように、毎年元旦の過ごし方が決まっている人だ。

 
 
一人は、元利用者。
その利用者は毎年年末年始は家族で海外で過ごすと決めていて、紅白は見ないと言う。
花火を見ながら海外で年明けとはリッチだなぁと
私は毎年感心していた。

「今年はどこの国で年明け?」

と、12月に私が尋ねることが恒例だった。

 
 
 
もう一人は、元同僚である。

その同僚は12月31日と1月1日は刺身を食べるというこだわりがあり、毎年1月1日は海に行き、初日の日の出を見に行くらしい。

だが、ある年に奥様が「元旦にお刺身食べるんだから、31日は刺身がなくてもいいじゃない。」と言ったことで、大ケンカになったらしい。

 
職場忘年会で同僚は夫婦喧嘩を暴露し
みんなでワイワイその話題で盛り上がった。
私はその同僚が大好きだったので

「私が奥様なら、刺身を年末年始買ってあげるのに。」

と、言って慰めた。
 
 
 
だが、他の同僚(女性)とこっそりと言い合ったりもした。

私「でも実際、12月31日と1月1日に刺身用意はちょっと手間ですよね…面倒くさい。」 

 
同僚「子ども二人いて、子ども小さいし、そこまで旦那にかまってられないわよね。」

  
私「大掃除やお節作り、雑煮作りもありますし、初日の出を海に見に行ったりもするんですよね…奥様もハードスケジュールですよ。
刺身だと鮮度が命だから、なかなか大変ですよね。」

 
同僚「食べるのは勝手だけど、自分で買ってきてって話よね。」

 
私「“実家では用意してくれた!俺が買うんじゃなくて、妻なら用意しろ。”がケンカの発端でしょ?……正直、面倒くさいですわ。奥様に同情します。

そんなにうちの職場、給料高くないし、二日連続年末年始刺身用意は、なかなかにキツい……。」

 
 
恋愛と結婚はまた別だよなぁと思った。

職場で憧れの男性が
恋人としていいか、結婚相手ならいいかは
また別問題である。

 
恋愛も結婚も、なかなかに難しい。

 
 
  
 
今年はコロナ禍であり、年末年始の外出は控えるように言われている。
我が県でも、感染者数が増えてきた為、父親は今年は行かないと言った。

今年は初めて、母親と二人だけの初詣となった。

 
 
私の運転で母親と二人で出掛けるのはかなり久しぶりだ。
母親と二人で出掛ける時は基本母親が運転するし
私は父親を乗せることの方が多いからだ。

 
神社の駐車場はガラガラで空いていた。
例年で言えば、1月4~5日くらいの混み具合だ。

ほとんど並ぶことなく参拝は終了し
御守り等購入した。
ソーシャルディスタンスを保つべく
御守り売り場や出店の配置は変わり、御守りは見本だけ置かれ、番号で買うシステムになっていた。
売り場にはビニールの膜があり
巫女さんと私達の間にはビニールで仕切られた。

 
その後はおみくじを引いたり、食べ物を買った。

そしたらおみくじは大吉で、内容も非常に良かった。
特に気になったのが仕事だが
【文字に縁のある仕事が良い】らしいから
引き続きnoteを更新したいし
【転職も今が良い】なら
それが本当なら

ありがたさしかない。

どうか当たってほしい。
 
 
単純なもので
おみくじの内容に朝からハイテンションになってしまった。


 
 
初詣の後は地元の神社の初詣にも行き
今は家で過ごしている。

 
今日の夢は好きなアーティストのライブに行く夢だったし
懐かしい人からの年賀状を見て嬉しくなったり
従姉妹からのLINEにお腹を抱えて笑ったりと
幸せな元旦だ。

 
 
2021年1月1日。

明るい気持ちでスタートしました。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?