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入院90日目:父の日

日曜日。
今日は父の日だ。

以前はネクタイやら洋服やら色々あげていたが
最近はビールか外食奢りが多い。
それが一番お父さんが喜ぶのだ。
もう家にものは溢れているし、洋服類は自分で好みのものを買うだろう。

昨日一緒に外食し、今日ビールを渡す。
お父さんは喜んで仏壇に供え、夜美味しそうに飲んでいた。

 
午前中スーパーに行くとものすごく混んでいた。
父の日だからかと思ったが
今日抽選会をやっているのと、お買い上げ金額に応じて卵などのプレゼントがあるからだった。
駐車場は満車だし、店内は混み、レジは長蛇の列だった。
母の日に比べると、店内はあまり父の日では盛り上がっていなかった。

 
 
お母さんの面会は午後だったため
それまで料理をしたり、買い出しをしたり、断捨離をしていた。

目玉焼きを作ったらきみの中に誰かいた。
誰だ。

 
お母さんの退院まであと約二ヶ月。
そろそろ片付けを強化しないとまずい。

片付けをサボッているわけではないが
なんせ物がありすぎて、捨てても捨ててもキリがなかった。

 
とりあえず、自分の部屋の洋服や下着等衣類系や使っていない電気製品をまとめた。
袋四つ分だ。
退院後、お母さんの部屋になる予定の場所は家族の物置になっている。
とりあえず手をつけやすい自室を片付け、キッチンを片付け、空間を作り、そこに物置から運んだ荷物を入れる作戦だ。

 
 
 
片付け後、一時間、ウトウトして昼寝をした。
目覚ましに起こされ、眠い目をこすりながら荷物を持って病院へ出発だ。

 
お母さんは車椅子に乗っていた。
ヒョイとベッドに移動した。

どうやら血圧が再び不安定になり、今日のリハビリの予定が変更になったらしい。
昨日LINEした時は血圧安定していたと言っていたのに。
昨夜の話では30分面会できそうだったが、時間が変更になったことで今日は20分しか面会できなくなった。

 
「血圧恐怖症だよ。」

お母さんが言う。
今は夜も追加で血圧の薬を飲んでいるらしいが、それでも血圧は150以上になってしまう時もあるようだ。
やはり、筋肉強化トレーニングが相当ハードなのだろう。リハビリ時間以外でも、お母さんは自主トレもしている。

  
湿布を貼ったり、アンメルツヨコヨコを塗ると
体がカァーッと熱くなり過ぎてしまったり
リポビタンDもタイミングや量を誤ると強すぎると漏らす。
右足がカッカッすると、温感や痛覚が鈍い左足にもその影響が来るらしい。
また、便や尿がたまっているとその影響で足も圧迫されている感覚や、手が軽く痺れることもあるとか。

数日前まではヨーグルトを食べて便通を調整していたが、今は服薬をしている。
服薬をすると排便が頻発のようだ。
便意があり、失敗はなく、普通便らしいので一安心した。

 
お母さんは血圧の件が相当ショックらしく、まくしたてるように体についてベラベラ話した。
入院前、お母さんは弱ったところを見せない人だった。
相当不調なのだろう。
毎日かわすLINEでは元気そうにしていても
口にはしないだけで、家族と離れて暮らす中、どれほどの不安や恐怖と戦っているのだろうか。

 
「ほら、お母さんって、明るいけど繊細だからさ。」

力なく笑う。

 
「誰が繊細よ、誰が(笑)」

私がツッコむとお母さんも笑った。

   
 
お母さんのリハビリ仲間は明日退院らしい。
退院後は入所が決まり、リハビリにも消極的で毎日涙が止まらないらしい。
そんな仲間を励ましたとか。
その方からもらった手紙はお母さんは病室に飾られていた。

 
同室の人も複数人退院らしい。
一人、また一人と去って行く中、お母さんは何を思うのだろう。
早く帰りたいと願っているのだろうか。

 
未だにお母さんは一言も「早くうちに帰りたい。」とは言わない。
一言も、だ。

 
 
ひとしきり話した後、話題は私の腰にうつった。
コルセットをしろだの、姿勢が悪いだのなんだの言うので
コルセットは夏は蒸れるし、姿勢が悪いというよりリーダーが抜けて体の負担が大きいからだろうと伝えた。

 
 
そんな会話をしていると、同室の方が声をかけてきた。

  
同「こんにちは。真咲さんに息子に挨拶しろって言ったのに帰っちゃったよ。いつもお世話になっているのにさ。」

 
私「こんにちは。次女です。いつも母がお世話になっています。」

 
同「あらあら、こんなに立派なお嬢さんがいらっしゃるのね。娘はいいわねぇ。全くうちの息子は。」

 
私「小さい母からこんなに大きな娘が生まれました(笑)」(身重差16cm)

  
母「身長高いからスチュワーデスになってお母さんを旅行に連れて行ってって言っていたのにならなかったのよ。」

 
私「乗り物酔いしますから(笑)今は福祉施設で働いています。」

 
同「いい娘さんね。」

 
私「あまり普段褒められないので嬉しいです。」

 
母「そんなことないわよ。いい娘よ。」

 
そんな風に雑談をしてその人は去って行った。
同室の方と関係性はよいらしく、ホッとした。
お母さんは同室の方の愚痴は一つもこぼさない。

 
病院に行く前のことだ。
 
お父さんは今日テレビでYouTuberの人が貯金を崩して見知らぬ他者の家に泊まるドキュメンタリーを見て、「よく見知らぬ人を泊めるなぁ。よく見知らぬ人んちに泊まるなぁ。老後はどうするんだ?30代で貯金が150万しかないなんて。」とこぼしていた。

だから私は「私なんて39歳で独身で実家暮らしで、人様に何か言えるほど立派じゃないよ。お母さんは、車椅子生活だし、他人ちに何か言ったらうちも言われちゃうよ。その人が選んだ生き方なら好きにしたらいいんじゃない?」と、伝えた。

 
そう、私はちっとも立派じゃない。
結婚できず、家を継げなかった。
だけど結婚できず、実家暮らしだからこそ
皮肉にも今、お母さんをサポートできる。
障害福祉歴10年以上だから、知識や覚悟はある方でもある。
皮肉か。はたまた、運命か必然か。

 
 
「ともかに作ったんだよ。あげる。」

お母さんはリハビリでかごあみをしている。
私の好きな緑色で二つ作ってくれた。

かごは紙袋いっぱいにあった。
お世話になった人一人一人に配っているようだ。

 
紙袋いっぱいになるほどリハビリしていると思うと涙が込み上げた。

 
「ともかと話していたら元気出てきた!」

そうお母さんが言って間もなくして
スタッフの方がやってきた。
イケメンだった。
この病院のイケメン率は異常だ。しかも美人率も高い。
その方がお母さんのリハビリ担当は初めてらしいが
担当者から色々話を聞いているらしく
フレンドリーに話していた。
私も挨拶をした。

 
三人で笑いながらの血圧測定のせいか、上は165だった。
話したり笑っていたせいだ、と慰め
はかりなおすと150だった。

 
二回150以上だったため、リハビリ内容は変更になり、ベッドで行うことになった。
なお、安定時は血圧は120くらいらしい。

ベッドのリハビリは見学可らしく、私は15分見学させてもらった。

 
以前見た時よりも足の可動域は広がっており、また動きも滑らかだ。
脚気検査も問題なし。
やはり一番気になるのは血圧だ。

 
明日は病院で面談だ。
また明日ね、と別れを告げる。

 
 
帰宅後、私は気合いを入れて物置の片付けを行った。
明日の面談では、自宅訪問の日程を決める話になりそうだとお母さんが言ったからだ。
まずい、まだ物が溢れすぎている。

私は慌てて捨てたり、寄せたり、片付けた。
夕飯作りまでの1時間半で、段ボール三つ分片付いた。
お父さんはせっせとそれを分別していた。

 
 
 
お母さんが入院してからお父さんが野菜作りを少し行っている。
キュウリが2本なったらしい。

「やるじゃん。」

お母さんからLINEが来た。

 
他の野菜は上手くいっていないようだ。
おばあちゃんとおじいちゃんは農家で、お父さんはそのせがれだが
お父さんは農業ができないし、興味がない。

おばあちゃんは長男に継がせるからと、おじさんに手伝いをさせ、知識をしこみ
他の子ども達には「手に職を。資格をとれ。」と言い、農業をやらせなかったからだ。

 
結果的には、お父さんのきょうだいの中で長男……おじさんが一番できがよく
最初は農業を継いだが、やがて起業してしまう。
社長になって子育てが落ち着いてから大学にも入り、経営学を学んだ方だ。

 
お母さんの実家は酪農家で、小学校3年生から料理作りを担当していたらしい。
50年以上ほぼ毎日料理をしていたお母さんが、今はもう90日も料理をしていない。

農家を継がない予定のお父さんが野菜を作り
農業や花を育てるのが好きだったお母さんが入院し
家を継ぎたかった私がまだ独身なのだから
人生とは、分からない。

 
 
 
もしもお父さんがいなかったら、とてもじゃないが耐えられなかった。
お父さんがいたから、お母さんが入院してもまだ倒れずにやっていられる。

父の日に改めて、お父さんに感謝する。


 



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