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あたまの中の栞 - 水無月 -

前略:
随分前に投稿しようと思ってそのままおざなりになっていました。ちょっと文章の季節感が全くバラバラです。

 今でも思い出す景色がある。なんてことはない、東京の日本橋駅近くにあるドトール。私はMサイズのコーヒーを注文して、道ゆく人を眺めている。外は大ぶりの雨だった。この後、友人と映画を見にいくことになっていて、でもこの雨の中だとたとえ傘をさしたとしてもずぶ濡れになってしまうのだろうなと少し憂鬱な気分になっていた。

 去り行く人たちは、急いでどこかに向かう男性の姿もあったし、一つの傘を男性が持って女性が体を縮こませて楽しそうに歩く姿もあったし、子どもが傘を持たずにぴしゃぴしゃと走る姿もあった。もちろん嫌な顔をして歩く人もいたけれど、それと同じくらい楽しそうに歩く人たちもいることが少し意外だった。

 ぼんやり眺めていると、それまで自分が読んでいた本をどこまで進めたかがわからなくなる。みんな、雨の下で、一人一人異なる物語がある。私は、そうした自分とは異なる人たちの物語が読みたくて、きっと本を読んでいるのだと思い知った。

 さて気がつけば、すっかりいくつも季節が超えてしまいました。ここから少しずつ、6月以降に読んだ本について振り返ってまいります。

*

1.文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室:アーシュラ・K・ル=グウィン

 ちょうど今年の折り返し地点くらいのタイミングで、もっと言葉をきちんと語れるようになりたいと思って手に取った本。ル=グウィンさんといえば、アメリカのファンタジー小説の名手で、日本では言わずと知れた『ゲド戦記』の生みの親でもあります。

 一通り読んで感じたことは、やはり小説って主要人物にフォーカスを当てて物語を展開することはもちろんだけど、その周りを固める脇役も同じくらい重要だということ。そして文章を連ねる上では、筆者の感情を込めるという行為が先に来るものであり、結果としてそれに見合った言葉が自然とついてくるということ。

 最近つらつらと韓国ドラマを見ることが多いのですが、確かに周りの人たちの行為一つひとつが、やがて大きな物語の軸に大きく関わってくるということを痛感しています。

 誰かの文体に耳を澄ませることは、誰かの声のひびきに惚れ込むことと別物なのである。誰かの文体に耳を澄ませることは、誰かの声のひびきに惚れ込むことと別物なのである。

『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』p.60


2.香港少年燃ゆ:西谷格

 こちらは確か、以前連載していた『愛について語ること』というシリーズの中でも触れていました。私はこの本を読んでいて改めて感じたことは、日本人の若者の多くが(私も含めて)、日本に生まれたということに対してアイデンティティをあまり持っていないのではないということでした。

 日本人として生まれてよかったと私自身はしみじみ思っているけれど、そしたらあなたは日本のために命を投げ出すことはできますか? と言われたら尻込みしてしまう。それに対して、香港人は自らの出自を守るために、巨大な敵と戦う覚悟を持っている。それがたとえ半ばお祭り騒ぎに乗じることだとしても。私という個は、一体何によって成立しているのだろう。そんなことを考えてしまいました。

曖昧な箱のなかに自己を規定する人々は、むしろ多数派なのではないか。アイデンティティーとは、本来は揺らいでいる状態が当たり前なのかもしれない。

『香港少年燃ゆ』p.177

3.レジェンドアニメ:辻村深月

 『ハケンアニメ』の続編。なのですが、前作を読んでからあまりにも時間が経ちすぎて、もはや内容をほとんど覚えていなくて読みながらこんなだったかなーと思いながら読み進めました。

 ハケンアニメ、とは一瞬漢字の変換に悩むところですが、実際は「覇権アニメ」と変換されて、その時期ごとに最も成功したアニメの称号を意味しています。たくさんの人たちの話題に取り上げられるために、裏では監督含め大勢の人たちが推敲しているという空気を感じることができました。

 とても印象的だったのは、「ハケンじゃないアニメ」で、長いシリーズものとなっている『ニイ太』のOPを任された斎藤監督、七海、作者である左近寺との関係性。恐れをなさず、対等に話せるって大事だと思いました。でもこれがなかなか一筋縄ではいかないんですよね。

仕事否定されたら、自分が全否定された気持ちになるし、そんなめんどくさいとこもあるから、絵なんか描いてるんやろなって我ながら思う

『レジェンドアニメ』p.264

5.独り舞:李琴峰

 第60回群像新人文学賞優秀作を受賞した作品。李さんは元々、ふと手に取った『ポラリスが降り注ぐ夜』という本を読んで以来すっかりハマりました。人が生きる上で抱える葛藤をうまく掬い上げて、それが痛みとともに痛烈に頭の中にインスピレーションとして残るんです。そして、読みやすい。

 本作品では生きることに深い価値を見出すことができない台湾の女性が主人公として描かれています。きっかけは密かに憧れていたクラスメイトの死でした。マイノリティとして生きていく上で、折り重なっていく自分自身との乖離。次第に深い海の底へ沈んでいくような感覚を受けます。それでも、最後には一間の救いが見えたのは私的にとてもホッとしました。

頬を伝う一滴の雫を感じ取るのと同時に、彼女は初めて気づいた。自分がどれほどこの世界の美しさに魅了され、どれほどこの世界を愛しているかということに。生きるには窮屈すぎるが、死ぬには未練が多過ぎる。

『独り舞』李琴峰 p.168

6.家庭用安心坑夫:小砂川チト

 第65回群像新人文学賞受賞作。ある日、日本橋三越の柱に、幼少期実家に貼ったシールがあるのを見つけたところから始まります。テーマパークにあった坑夫人形が父親だと教えられて育った小波。記憶の扉を開いたことをきっかけにして、小波は坑夫人形ツトムに会いにいくという話です。

 おそらくこのあらすじを読まれた方は、もう何を言っているのかさっぱりだと思います。同じく私もそうでした。ここから感じるのは、ある種サンタクロースは本当にこの世界に実在するんだよ、ということをいい歳をした大人になってもいまだに信じ続けているかのような一種ぬるっとした違和感を感じるのです。

 主人公の行動の一つ一つが見方によってはとても狂気じみていて、それがある意味斬新であり新鮮であるのですが、私はいささかこの作品の向かう方向性がわからなくなり、ちょっと読むのが途中辛かったです。

この洞穴のなかで感じる耐えがたいほどの心細さが、小波と母とを親子としてつなぎとめるなにか、結束のひとつの理由になっていたような、いまとなってはそういう気がした。

『独り舞』小砂川チト p.76

7.サイコパスの真実

 これはなんで手に取ったのか、確か図書館でふと目にして思わずタイトルに惹かれて借りた気がします。本作品のエピソードに出てくるのは、通常人が持っていると思われる社会性のメーターを振り切った人たちばかりです。有名企業の御曹司でありながら暴力団のメンバーとなった男性、自分の正しさに酔いしれて犯罪を繰り返す人。

 普通の人であれば、悪いことを考えただけでも不安や恐怖を抱くものなのですが、過去にこだわらず将来のことを考えずに無鉄砲に生きる人たちがいる。常に刺激を求め、スリルと冒険を求める。感情的欠陥、共感性欠如、注意の欠陥といった特徴が彼らには見られるようです。

 こんなふうに書いてしまうと、サイコパスはいかにも狂人じみた人として描かれているわけですが、中には頭の切れるサイコパスもいて、そうした人たちは昔であればある意味ものすごい原動力によって勇敢さや冷酷さなどを武器に、優秀な指導者や英雄になることもあったそうです。有名なところだとヒトラーなどですね。

 それはかの画期的なスマホを作った天才にもその傾向が当てはまるようですが、それだけ聞くと本当に何が正しいかの善悪の判断がわからなくなります。

8.読者に憐れみを

 カート・ヴォネガットさんは戦後のアメリカを代表する作家だそうです(すいません、未読なのですが)。そして本作品では、著者が作品を執筆する上での心構えといったものが微に入り細に入り語られています。決して小説の書き方ではありません。

 実は6月くらい、なぜか個人的に書くモチベーションが下がっていたのですが、そもそも私自身何のために小説を書きたいと感じているのか、原点に立ち返させてくれた本でした。確かに不特定多数の誰かではなくて、私が自分の文章を届けたい人って明確に頭の中に存在しているんですよね。今も、昔も。

成功する芸術家はみな、たったひとりのファンを念頭に置いて創作をする。それが芸術作品に統一性を与える秘訣だ。それは、たった一人の人間を念頭に置きさえすれば、誰にでもできる。

『読者に憐れみを』カート・ヴォネガットp.262

9.もしもし下北沢

 タイトルの通り、下北沢に住む母と娘、それからその周りで関わりを持っている人たちの話。よしもとばななさんのエッセイについては昔読んだことがあったのだけど、小説を読んだのはこれが初めてかもしれない。内容としてはイラストの印象からほのぼのした筋書きなのかなーと思ったけれど、決してそんなことはなかった。

 残された人たちの思いだとかやるせなさみたいなものを想像してしまいました。でも主人公から感じ取れたのは決して諦念ではないのです。絶望しているわけでもありません。日々の日常をひたすら懸命に生きて、そして自分の気持ちに正直に生きようとする。

 生きていくたびに、ますます人生というものがわけがわからなくなってしまうけれど、もしかしたらそうした「わからなさ」のようなものを楽しめるようになったら本当の一人前なのかもしれないですね。

人を殺すのも人だが、人を救うのも人の力だ、そう思う。

『もしもし下北沢』よしもとばななp.122

10.熱帯:森見登美彦

 森見登美彦さんの作品は、かねてより『夜は短し歩けよ乙女』を読んでいた頃から好きで、本作品も発売と同時に買っていたのですが、実はちょっとバタバタしていたこともあって放置しておりました。それでちょうど6月は旅へ出る機会もあって、意を決して読み始めました。

 最初から森見ワールド全開! マジックリアリズム的な語り口で、よもや現実と幻想が入り乱れたかのような物語展開は健在でした。内容としては、一冊の幻の本を巡った結果、主人公がさまざまな不可思議な出来事に出くわすというストーリーです。それが半ばパラレル的な時系列に伴って、読者自身もどこにいるのかわからなくなる、という感じで、旅行中に読むにはちょうど良いモヤモヤ感でした 笑

本というものは、現在の我々自身との関係においてしか「実在しない」といえるだろう。

『熱帯』:森見登美彦 p.40

11.ヘヴン:川上未映子

 気が重たくなる。それでも、ページを捲る手が止まらない。同級生から苛めを受ける主人公。日常に耐え忍ぶ中で、同じ状況で苦しんでいるという人から手紙を受け取る──。少年は考える。なぜ、なぜ自分は他の同級生から苛められるのだと。思い悩んだ末に、主人公はその思いを、いじめっ子にぶつけるのですが……。

 普段、私たちが通り過ぎて目を向けようとしない真実のようなものが映し出されているように思いました。主人公の気持ちを考えると、とても胸が苦しいはずなのに、でもたとえば自分がいざその立場になると果たして正しい行動ができるかどうか自信がない。みんなそれぞれ異なる考えを持っていて、それがたまたま歯車がうまく噛み合わなくなるなんてことは確かに世の中にあるのですが、それでもどうにかしてその歯車を正しくしたいと思うのは、傲慢なのでしょうか。

……それに、いつなのかってことはあまり重要じゃなくて、大事なのは、こんなふうな苦しみや悲しみには必ず意味があるってことなのよ

『ヘヴン』川上未映子 p.118

12.六人の嘘つきな大学生:浅倉秋成

 こちら、今年読んだ中でも特に印象に残った作品の一つです。物語の舞台は、就活における集団面接。その時時流に乗ってもてはやされていたIT企業に、優秀な6人の人材が面接を受けにきます。グループディスカッションをやっているときに、置かれた個人名の書かれた封筒。それを空けると「●●は人殺し」だという告発文が入っています。

 そこから、表面上仲の良かった6人が、一つの内定をかけてお互いが腹の探り合いをするようになります。物語が展開していくにつれて、6人それぞれの裏の顔が見えてくるようになります。最後の結末についてもどんでん返しとなる筋書きで、読み終わった後思わずため息を吐き出してしまいました。

強引にコンセントを引き抜かれたようにすべてが唐突に終わりを迎え、手元には行き場を失った言いようのない熱量だけが残っている。

『六人の嘘つきな大学生』浅倉秋成 p.46

*

 なぜだか最近特に本を読むことが習慣化されていながらも、アウトプットがなかなかできないというか、振り返る時間をあまり設けていないため、もう少し自分の中で読んだ感想を話せるように定着化できればと思う今日この頃です。

 今月は雨も多いし、読む時間たくさんありそうでちょっとワクワクしています。確かに雨だとうんざりするけれど、そう悪いことばかりでもないよなと思いながら静かに本を開いてサラサラと読んでいます。


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