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キャリアとメンタル不調になった時のこと

はじめに

うつになった時のこと…と過去のことのようですが、まさに今のこの時のことです。このようにオープンにするかどうかは悩みましたが、多くの人に同じような境遇の人がいるんだと思ってもらえるだけでも、精神的に安心してもらえるかなと思い、今に至ります。

いつから?

いつからと言われると明確には分かりません。ただ状況や自分の精神状態を考えると2017年~2018年頃からちょっとおかしかったなぁと思うことが節々にあります。ただこの頃は社会保険労務士試験に向かっていたため、勉強をすることで紛らわしていました。そして、きちんと心療内科に初めて行ったのが2019年の3月末頃でした。診断名は適応障害でした。それから通院をしながら仕事をしていましたが、当時の医師はほとんど話を聞くこともせず、薬を出して終わり、とそんな感じでした。自分のキャリアと共にまとめてみたいと思います。

学生時代のアルバイト

高校3年生の部活を引退してから、社会人になるまで飲食店でアルバイトをしていました。約5年も同じところで働いていたので、任されることも多くなります。特に土日、ランチタイムやディナータイムは、ウェイティングができるほど。朝から8時間のシフトが、なかなか忙しい時間に上がる事もできず、いつになったら上がれるんだ…と思う事もしばしば。今振り返るとこの頃から、社会や働くことに不安を抱いていたのでしょう。また店長の働きぶりを見ていると朝の開店から深夜の閉店まで店にいたり、アルバイトが欠勤すると、急遽出社してきたりと、仕事で色々なものを犠牲にしていて、これが社会のあるべき姿なのかと疑問を持っていました。そしてエリアマネージャーから、社員にならないかと誘われますが店長の姿を見ていると、そうはなりたくないと思っていたのでお断りしました。

新卒SE時代

新卒での就職先は渋谷にあるSIerになんとか内定をもらい、就職しました。当時は就職氷河期で内定も2社のみでした。ですが、今のように働き方改革などと言う時代でもなく、IT業界はプロジェクトを転々とし、忙しいプロジェクトとなると泊まり込みや残業も長くなる、そんな体質でした。そして最初に配属されたプロジェクトがまさに、そのようなところ。帰れても終電、泊まり込みは当たり前。そしてCOBOLという言語を学生時代に勉強し、研修でも扱っていましたが、実務ではJava。自分で覚えていくしかない環境。アルバイト時代の「いつになったら…」この気持ちが焦りや不安のようになって日に日に大きくなり、半年で退職を決めます。

医療機関で経験したこと

その後1社挟んで、医療機関に転職します。しかし転職してすぐ体調を崩しました。持病の悪化でしたが、原因としては夜勤が嫌で仕方なくストレスになっていたのだと思います。当時男性のみ週に一度は当直があり、当直の日は朝から普通に出社し、夕方まで皆と同じように働き、そのまま次の日のお昼まで約36時間勤務。入社してから知ることになりました。これは完全な労基法違反です。結局長期に入院することになり、一旦退職することに。母親が手続きや、職場とのやりとりは全てやってくれていました。どうやら入って間もないから有給もないとのこと。確かにその通りでした。しかしだからと言って、そう簡単に辞めさせることは出来ないことは、今であれば分かりますが、当時は知識も何もなく、言われるがままでした。「体調が戻ったら、復帰してもいい」と言う言葉を信じて、退院後職場に連絡をしてみることに。しかし、復帰はパート勤務からとのこと。驚きもありましたが、周りからの理解や、通院との両立などメリットもあるじゃん、と母親の言葉もあり、社員として転職を考えていましたが、そのままパートで復帰することに。

大きく成長した医療系企業での10年

それから1年と少しが経過した頃、以前転職活動で面接を受けた企業から突然連絡があります。面接を受けた時は不採用でしたが、法改正への対応や社内整備のためにシステムに明るい人材を探しており、ぜひ来てくれないかとの連絡でした。医療機関でも電子カルテ導入などに携わっていた事を買ってくれてのことです。
最初は胡散臭いとも思いましたが、話をしていくうちに熱意を感じたのでお世話になることに。この決断が自分を成長させるきっかけになります。仕事を通して物事の考え方や、捉え方が大きく変わりました。しかし、周りはそういう人たちばかりではありません。自分の中の常識が通らない事もしばしば。仕事を投げ出す部下を持ったり、会議で決められた事が何故か無視されていたり、上司も複数の部署を持っており、相談にはのってくれるものの、具体的な手助けはありませんでした。システム関係に詳しいのが自分だけということもあり、社内改革にも携わります。しかしリテラシーのない人たちを相手に進める難しさなども合わさり、おそらくかなり疲弊し、ストレスを感じていたのだと思います。とても保守的な環境でした。辞めたいと思う気持ちと、自分の考え方を変えよう、任されている責任があるから乗り越えていかないと…と自分を追い込んでしまいます。この頃からメンタル面がおかしい…と思うようになります。徐々に人間関係も悪くなり、社労士試験合格が退職の引き金となりました。

社労士試験に合格して見た世界

2018年の年末を持って10年勤めた医療系企業を退職します。独立も考えますが、やりたいことはそこにはないと感じ、転職をします。しかし転職した企業は社長のワンマンな企業で、やりにくさを感じていました。また前職でかなり人間関係に疲弊し、人間不信のような状態になっていました。追い討ちをかけるように、この頃に初めて心療内科を受診します。職場近くのクリニックでした。しかし医師は全く話を聞くことはせず、薬を処方して終わりでした。
そして、上司も上の顔色ばかり伺っているような人で、その中で社内改革のような事を進めていかなければならず、とうとう限界を迎えてしまいました。3ヶ月の休職後、退職をします。この時、クリニックを自宅近くの医療機関に変えます。ここでは薬より心理士さんによるカウンセリングを中心に治療が進められ、色々な思いが打ち明けることができました。休職する時に、この期間に転職活動をして、次にいくと決意し休職したのですが、無事内定をもらい転職を決めます。

焦りと不安の中で決めた転職

休職期間はとにかく焦りと不安しかありませんでした。休職よりずいぶん前から転職活動はしていたものの、全く手応えがありませんでした。ですが、休職期間に何とか転職先を決めることができました。
そして休職期間満了と共に退職し、次に移りますが頑張ろうという気持ちに全くなれませんでした。
今振り返ってみると、きちんと休むことをしないまま、転職を決め、目先の安心感を得たものの、そこで何をするのか、全く考えないままだったと思います。無職になることへの不安が大きく、焦りばかりでしたが、きちんと休む事が必要だったように感じます。フルリモート、フルフレックスで働く環境でなかなか人を理解する事も難しい環境でした。結局長続きはせず、精神的に限界を超えてしまいました。

法的な知識がなかった若かりし頃

社労士試験を最初に受けたのは、30代前半でした。
職場に対する不信感と、過去ありきの判断をすることに納得がいかなかったから…という理由です。
しかしそれまでは、全く知識はありませんでした。
新卒で入った企業の求人票には「残業代は30hまで」と書かれていたり、退職時に失業手当を受けられるから…と言われました。法的には残業は全額払いが突然義務ですし、失業手当は1年勤務しないと受給する権利は得られません(新卒の場合)。無知なあまり怪しい点に気づく事ができませんでした。また医療機関を辞めることになった時も、有給がないからと、すぐさま退職させるような事はできませんし、1.5日の連続勤務は明らかに労基法違反。途中待機時間があったとしても、それは労働時間です。医療系企業ではトップの交代とともに、管理職手当の一部が固定残業代に看做されることもありました。
このように法的な知識がないがあまり、会社の言うがままという事がありました。

5回の転職で感じたこと

過去に5回ほど転職をしています。その都度インターネットの媒体だったり、紹介会社を使ったりしました。転職は、今の職場に不満があってのことだと思いますが、なかなか不満はあるものの、どこをどうすれば良いのか、次に向かう際にどのような方向性でいけば良いのか、自分で整理し、伝えていく難しさを感じました。また人生という広い視野で考えた時、メンタルを崩している場合休む事が必要な場合もあります。しかし、エージェントはそんな提案はもちろんしてはくれません。また会社には休職制度があるはずなので、一度休職することで、逆に会社側も真剣に向き合ってくれる場合もあり、辞めずに済む場合もあります。転職は人生の大きなイベントです。ですから転職は転職ありきでなく、もっと広い視野で考える必要があるのだと思います。

10年働けた理由

医療系企業には10年お世話になりました。なぜこんなにも長い期間働けたのか考えた時、上に立つ人の人間性だと感じます。自分自身、人生の中で3本の指に入るほど尊敬する社長との出会いがありました。社長だからと上からモノを言う人ではありませんでした。むしろ常に謙って「教えて欲しい」という姿勢があったり、「早く帰って家族を大事にしろ」と利益ばかり追いかけて、人を粉にするような人でもなかったです。何より話を聞いてくれる人でした。私自身、毎日のように悩みや相談をしていた時期もあります。不安や悩みを都度解消していけたから、日々「まぁ頑張ろう」と思えていたのだと思います。そしてよく食事に連れ出してくれては、熱意を語ってくれ、かと言って売り上げや利益の話をするのではなく、人としてこうありたい、といった話が多く、人を惹きつける力のある人だと感じました。だからこそ、この人の下で働きたいと思えていました。最終的には自分の中で熱意とメンタルのバランスが取れず、辞めるに至りましたが、今でも尊敬しています。

上司の役割

医療系企業で長く働いた時、上司は部長クラスでしてたので、複数の部署を兼務していました。ですが体は一つです。ある部署に席を構えて、自分の部署にはほとんど在席していることはありませんでした。元々は営業出身ということも重なり、業務の相談をしても明確な助言はなく、判断は自分でしていかなければなりません。そもそも上司とは何なのだろうかと考えることもありました。上司とは仕事の遂行を見ていれば良いのではありません。部下の心のケアや、キャリアを共に考えること、時には人生そのものに寄り添う事が必要な時もあります。スパン・オブ・コントロールでは10名を超えると管理限界とされています。上司のマネジメントに必要な領域は広く、やはりきちんと向き合うためには5名程度が限界でしょう。

休職を選ばず退職した後悔

10年勤めた時、すでに課長という管理職に昇進していました。管理部門で働いていれば、休職者を何人か見ることはあるでしょう。まだ経験のなかった自分には休職して、体調を整えて戻ってくるという選択は皆無でした。おそらくメンタルを病んだ人というレッテルを貼られる事や、休職した後の仕事に対するネガティブなイメージしかなかったのだと思います。退職を申し出た時も、上司からはそのような選択肢の提示はありませんでした。それは当然のことです。戦力とならない人を抱えておくことだけでも、企業には負担になります。今振り返ると、休職して、しっかり体調を整えてまた戻れば、逆に周りも気を遣ってくれるし、会社としても仕事も無理をしない程度に分配せざるを得ない状況になったでしょう。

心療内科への通院で感じたこと

メンタルを崩した時、最初は職場に近いクリニックに通っていました。選んだ理由はそれだけです。しかし、治療は薬を出して終わりでした。薬を飲むと眠気と吐き気に襲われる事を相談すると、「副作用はない!」と断言されたこともあります。それから不信感が募り、休職と共に自宅近くに変えました。
そこでは臨床心理士さんのカウンセリング中心になりましたが、幼い頃からの経験やこれまでの職歴にまで踏み込んで、様々な話をすることができました。こういった場がもっと早くから、そしてメンタル不調になる前にあったら…と思うようになりました。そして転職とともに一旦通院は終わりましたが、その数ヶ月後にまた体調を崩しました。それから通っている心療内科は、全く話を聞かず、早く働け、パート勤務でもいい、などと当てつけるような場面も多く通院するたびに体調が悪くなりました。
心の病気は、怪我や疾病と違い、悪い箇所を見て取ることができません。また人生そのものに影響を及ぼす事が多く、もっと人への理解が必要で、そのためには長い時間がかかります。だとすれば、体調を悪くしてから通院するのではなく、常日頃から自分の状態を把握してもらえる付き合い方があるといいなと思う事がありました。

理解者の存在

心療内科で処方された薬を飲むより、体調が良くなる事がありました。それは理解者の存在です。第三者の立場として、自分を理解し、ありのままを認めてくれる人がいました。日々の悩みを打ち明ける事ができ、深く自分ごととして捉え、意見するのではなく、認めてくれる。それだけで救われた気がしました。もちろんそのような人の言葉を受け入れるしなやかな心を持つことも必要です。自分の人生を振り返ると、人生の大変な時に必ず理解者が現れては、役目を終えると消えていくような人がいました。どんなに悲観していても、一人でも、理解し共に悩みに向き合ってくれる人がいれば、人生は大きく好転していくものです。理解というのは、何か事が起きてからでは難しいのもです。常日頃からの理解があるからこそ、異常時に的確なアドバイスができるのでしょう。

働くということは博打

「雇用される」という形態に限って言えば、上司に恵まれること、人間関係に恵まれること、人間力のあるトップの元で働けること、これらは面接など選考過程で見抜く事はほぼ不可能に近いと感じます。また、最初は良くても人間関係や会社の考え方は変わっていくものです。その中で孤立してしまったり、悩みや不安を抱えてしまうリスクは往々にあります。働くという事が難しく感じるのは、そのような点にあるのだと感じます。

まとめ

社会に出て働く事を通して、良い面も悪い面も見てきたように思います。人は働くために生きているのではありません。生きるために働いているのです。
しかし働く部分は人生で大部分を占めるし、働く事を通して得るものも大きいです。しかし、時にメンタル不調に陥ってしまうこともあります。そのような時は働き方や仕事そのものが、自分と合っていません。自分の生き方や働き方を今一度立ち止まって、方向転換する時期なのだと思います。決して悲観することばかりではありません。人生100年時代。途中休憩も必要です。人生は良いことばかりでもないし、悪いことばかりでもないです。でも渦中にいる時は、これがずっと続いてしまうような気持ちでした。しかし自分の経験のように、悪い時は、必ず良い方向に向かうしかありません。良い時は悪くなる事に備えておくことが必要です。大人になれば自立し一人で生きていくものだと思われますが、自分だけでは難しい時もあります。だからこそ方向性を指し示してくれる理解者のような、旗振り役が必要なのでしょう。

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