SNS教育『自分が思っているより、周りはあなたのことを見ている』。
こんな言葉を聞いたことはないだろうか。
『自分が思っているより、周りはあなたのことなんて見ていない』
自意識過剰な人への戒め、あるいは慰めとして、この言葉は広く流布された。
しかし、昨今、というか結構前から、これはもはや通用しなくなった。
■ 自分が思っているより、周りはあなたのことを見ている
X(旧Twitter)は、“バカ発見器”と呼ばれる。
「寿司ペロ」「バイトテロ」などは、その一例である。
『自分が思っているより、周りはあなたのことなんて見ていない』
“SNS教育”なるものがあったとしたら、この言葉は真逆、ふさわしくない。
SNSに書き込んだ内容や、投稿した写真を、
『自分が思っているより、周りは見ている』、
これがふさわしい。
迂闊にプライベートなどSNSに書き込んじゃいけない。
「誰が見ているかわからない、いや、誰もが見ている。そんなつもりでいろ」、と。
『自分が思っているより、周りはあなたのことなんて見ていない』
『自分が思っているより、周りはあなたのことを見ている』
どちらが正しいかといえば、どちらも正しい。
どちらの考えも持ったほうがいい。
前者の言葉は、自意識過剰な人への戒めや慰めとして意味がある。
後者の言葉は、SNS時代への警笛として意味がある。
■ “バカが可視化される時代”に気をつける
“バカが可視化される時代”、と言われている。
SNSによって、
隠れていた、隠していたバカが、浮き彫りになる。あぶり出されるように。
そして、多くの人がSNSの使い方に注意を払うようになった。
「寿司ペロ」「バイトテロ」などの報道を見て、
「こうなってはいけない、気をつけないといけない」と。
また、発見されたバカを袋叩きする世間をみることで、さらにその思いは強くなる。
気をつけないと。
不用意に、一時的な感情的で、投稿してはいけない。
『自分が思っているより、周りはあなたのことを見ている』
気をつけないと。
SNS教育の一つとして。
■ 「ネットの世界」と「現実の世界」
しかし、
『自分が思っているより、周りはあなたのことなんて見ていない』
これはもはや通用しない、意味のない言葉なのだろうか?
私はそうは思わない。
これはこれで、非常に大切な考え方だと思う。
「ネットの世界」と「現実の世界」を分けて考えるのは、あまり好きではないのだけど、
「現実の世界」に限っていえば、この考えはとても大切だと、私はそう思っている。
『自分が思っているより、周りはあなたのことなんて見ていない』
現実世界を生き抜くために、これは時に慰めとなり、励ましとなる。
行動を起こすのに、周りの目線が邪魔をすることがある。
「こんなことをしたら、周りは私のことを馬鹿にするんじゃないか。嘲笑われるんじゃないか」
そして、私は行動することを躊躇し、周りの視線を気にして生きていく。
しかし、自意識過剰すぎやしないか。
そんなときこそ、
『自分が思っているより、周りはあなたのことなんて見ていない』
というマインドが意味をもつ。
『些細なことでも周りはあなたのことを見ているから、気をつけろ』
確かにこれは「ネットの世界」においては、失敗しないための重要な警告であるが、
「現実の世界」においては、これを意識しすぎると、“一歩を踏み出せなくなる”。
好きか嫌いかでいったら、
『自分が思っているより、周りはあなたのことなんて見ていない』
私はこちらの言葉のほうが好きである。圧倒的に。
しかし、SNS教育においては、これはやはりズレている。
「ネットの世界」と「現実の世界」を分けて考えるのは、あまり好きではない。なぜなら、2つの世界はリンクしているし、相互に影響し合っている。分けて考えるのはナンセンス、というか、無理がある。
しかし、以下の、2つの相反する言葉を考えるとき、
『自分が思っているより、周りはあなたのことなんて見ていない』
『自分が思っているより、周りはあなたのことを見ている』
「ネットの世界」と「現実の世界」を分けて考えてみるというのは、一つの手かもしれない。
そう思った。
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