![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/132543806/rectangle_large_type_2_b670757058e8e58bc4dff785ada9ee15.jpeg?width=1200)
古文漢文の勉強は無駄なのか――税金/経済/政治とのトレードオフ。
最近、少し話題になっていたことについて。
■ “古文漢文の授業は無駄なのか?”
カンニング竹山さん、古典の授業は「無駄」役に立った瞬間「1回もない」 https://t.co/mLllZ6fLJa
— Share News Japan (@sharenewsjapan1) February 26, 2024
「古文漢文なんて無駄。一生使わない」
「数学の定理なんて、今までの人生で役に立ったことがない」
こういうのって、昔からあって。
そして、こういうことが言われると、
「いや、そんなことねぇから」と、反発する意見が出てくる。
反対意見の主なものとしては、以下。
「様々な学問がある中で、選択肢の一つとして提供されるべき」
「こういう知識が、我々の社会を支えていることを知るべき」
「役立ってないように見えて、思考プロセスの一つとして身についている」
「無駄かどうか、活かすも殺すも、本人次第」
――といったのが、主な反対意見。
確かにそうだよね、と思う。間違いない。
■ 個人的な私の意見
ここからは個人的な私の意見を述べますが。
まず大前提として、古文漢文は素晴らしい学問だと思う。
古文漢文の魅力にハマる人は、一定数いるだろう。
また、古い知識や歴史を知らなければ
「今がなぜこうなっているか」を理解できない。
だから、なくすべきではないし、あったほうがいい。
しかし、今回、私が思うのは、
“中高時代の限られた勉強時間で、古文漢文を必須にすべきか?”
ということ。
私自身、中高時代、古文漢文を勉強した。
古文の単語を暗記したり、漢文の文法を学んだり。
そのために、どれだけの時間を費やしたか。
古文漢文の勉強に、けっこう時間をかけた記憶がある。
その時間の代わりに、経済や税金、政治などをもっと深堀して、
中高時代に勉強したかったとは思う。大人になった今。
恥ずかしながら、
私がちゃんと税金や経済について勉強し始めたのは、30歳を過ぎてから。
(本当にこれはすいません。私がアホなだけなのですが)
これでは明らかに遅い。
なぜなら選挙権は18歳からだし、
仕事をしているなら、すでに納税や経済にも十分に関わっているからだ。
だから、もっと早めに学んでおきたかったと思う。
古文も漢文も素晴らしい学問だと思う。
が、税金や経済の勉強を、中高生の頃にもっとできていたら、
今、どうなっていただろうか。
■ 中高時代、限られた時間、トレードオフ
私の中高時代は、政治経済が選択式科目で、必須ではなかった。
古文漢文のほうが重視されていた。
もちろん、すべてをまんべんなく学びたい。
若い頃の選択肢を狭めないためにも、古文漢文に触れておいて損はない。
けど、中高時代の勉強時間は有限である。
何かを優先するために、別の何かを捨てること。
つまり、ある程度はトレードオフなんじゃないか。
秀才なら、何でもかんでも勉強できるのだろうけど、
私みたいな凡人は、ある程度、必要な勉強を絞ってほしいと思う。
そこに、はたして古文漢文は入るのか?
古文漢文は、“絶対に必要なもの”として、
他よりも優先すべき、必須の勉強なのか。
「そんなん言ったら、すべての学問がそうでしょ!」
と言うかもしれないが、
たとえば、政治/経済/税金の勉強と比較したとき、
どちらが優先されるべきか――“限られた”中高時代の勉強時間において。
***
そりゃあ、「古文漢文、大切!」「数学の定理、意味ある!」、
そうやって言うのは、簡単だ。
そんなもん、当たり前だ。
これらの学問は素晴らしいし、意味があって存在し続けている。
しかし、これらの意見の中には、自分が勉強してきたものは間違っていないと、自己肯定したいがために、理由理屈を述べているものもある。
肯定しすぎるのはよくない。
疑ってかかることも必要だろうと思う。
いろんな意見を聞いたら、
「あ、今回noteに書いたことはやっぱ間違ってたな」と、あとから思うかもしれないけど、現在の気持ちを書いてみました。
ではまた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?