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仕事の反対語は?――休日が仕事の疲れを休めるためのものになっていないか

木暮 太一 著
『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』を読んだ。


10年以上前の本なので、ちょっとどうかなと思ったが、楽しく読めた。
図解などもあって、読みやすい。難しくない。

本書の内容については、他に感想を書いている方々がとても上手にまとめてくれているので省くとして。

個人的に考えさせられたのは、
「仕事」の反対語は?の質問に対し、
「休み」と答えるか、「遊び」と答えるか。

休日が仕事の疲れを休めるためものになっていないか?

ある調査によると、
日本人は、仕事の反対を「休み」と考えているようです。
一方でヨーロッパ人は、仕事の反対を「遊び」と考えている人が多いようです。
(中略)
日本人には年間110日前後の休日があります。
働きアリのように年中働いているイメージがありますが、
1年の1/3は仕事をしていないのです。
ただこの1/3の休日が「来週、仕事をするための体力回復の時間」に充てられてしまうと、そこも仕事の一部ということになってしまいます。

『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』(著:木暮太一)


これでは年中仕事をしているという感覚に陥っても仕方ないだろう
、と。


今回、なぜ私がこの考え方に色々考えさせられたかというと、
私自身の過去を振り返ってみたら、心当たりがあったからである。

振り返ってみたとき、
仕事が順調だったときは、休みの日が、「休み」ではなく、「遊び」だった気がする。
逆に仕事がうまくいってないときは、仕事の疲れ、心身を休めるための「休み」の日だった。


こんなことはないだろうか?

休日が近づくにつれ、

「あーーーやっと休みだーー!やっと休めるーー!疲れたー」
「次の休日はぐっすり寝て、ゆっくり休むぞーー!」

って、そんな週末、休日を迎えていないだろうか。

ちなみに最近の私は、毎週そんな感じである。

「仕事をがんばっているからこそ、このような気持ちになる。
だからいいんじゃないか? これは仕事を頑張っている証拠だ。」

そう、自分に言い聞かせるのだが、どこか腑に落ちない。

なぜなら、これでは年中仕事をしていることになるからだ。

休日すらも仕事になっている、「仕事のための休日」になっている。
これはもはや、休日ではない。“仕事の一部”である。

はたして、これが私が求めていた働き方、生き方であったか。


振り返ってみたとき、仕事が順調だったときは、
休みの日が、「休み」ではなく、「遊び」だった気がする。

どこかに出かけようとか、
あれをしようこれをしようと、何かを企画し、充実した休日を送っていたような気がする。仕事が順調だったときは。

今、私の休日は、仕事の疲れを休めるためものになっていないか。

今の自分の働き方について考えるとき、これは一つのバロメーターになるのでは、と思う。

***

本書のいう「自己内利益」を上げるために、
ストレスは間違いなく必要経費であること、また、その大きな割合を占めることを知っておく。

『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』
忘れちゃいけない、労働の基本的な考え方、捉え方が書かれている。
たまに読み返したいと思う(働いているうち忘れてしまうから)。

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