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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の要約と感想です。

三宅 香帆 著
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んだので、本書の要約と感想を残しておく。


■ 今の労働ってヤバくないか?って話


読み終えて最初に感じたことは、
この本は、『読書』の価値観ではなく、
『労働』の価値観を揺さぶる一冊ということ。

「読書ってやっぱり素晴らしいんだな、再認識」とか、そんなんじゃない。

「今の労働の仕方ってヤバくないか?」という問いかけが重点。

■ なぜ働くと本を読まなくなるのか?


時間がないから本を読まないのではなく、
余計な情報(ノイズ)があるから読まないのだ。

ノイズ――簡単にいえば、ストレスがたまるし、仕事に不必要だから読まない。

労働においては、読書、本に含まれている歴史や社会、他者、偶然性といったものはノイズである。不必要。

歴史・社会・他者・偶然性――それらは私にはどうすることもできない、アンコントローラブルなものである。
労働においては、それらはノイズでしかなく、不要である。

逆に必要なのは、そういったノイズを除去した情報や、コントローラブルな行動である。
読書が遠ざけられるのに対し、インターネット的情報や自己啓発書が求められているのはそのためである。

■ 全身全霊をやめて、半身で働く


労働と読書には相関関係がある。

現代の労働はどうか?

今、我々は仕事に全身全霊である。

仕事に全身全霊だと、必要な情報だけを求め、ノイズを頭に入れる余裕がない。
未知なもの、アンコントーラブルなものを受け入れる余裕がない。

また、現代には、全身全霊で働くことを美徳とするような価値観がある。
新自由主義もそれを後押ししている。

しかし、自分から離れた存在、遠い文脈に触れることを、私たちは本当にやめられるのだろうか。
私たちは、他者の文脈に触れながら、生きざるをえない。『推し、燃ゆ』の最後の結末のように。

読書は、そのような離れた文脈に触れることである。

「仕事に全身全霊を注ごう」という価値観を捨て、半身で働くことで、働きながら本を読める社会へとしていこう。

――という、簡潔にまとめれば、そういった主張の本である。

■ 最後に


最終章にも書かれているように、
著者が伝えたいのは、読書というより、労働の仕方について一言申したいのではないかと思った。

ちなみに以下の3作品は本書と連動しているので、あわせて読む(観る)と理解が深まる。


どうでもいい余談だが、最近の新書には、やたらと『花束みたいな恋をした』が出てくるなぁという印象。イメージしやすいからいいのだけど。

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