いかなる映画でも良い所はあるはず…と考えてみた話
この夏、仕事が極めて忙しくなかなか映画館に行けていません。明日はぼざろ後編を観てくる予定なのですが、昨年と比べると頻度が激減しています。
4月にこんな記事を書いておきながら、実はこの映画を観に行けませんでした。有言不実行という感じで、まことに情けない。後々、配信などで観ることになるとは思いますが出不精になってしまうのは良くないですね。
映画の価値について
今日、脚本関係の本を読んでいてある映画監督の言葉が心に残りました。
「低予算でも、何十億の映画でも鑑賞料金は変わらない。そしてそれは観客側にとっても、面白かろうがつまらなかろうが同じ金額ということ」
という一文です。当たり前のことですが、ここに制作者、観客両側が持つべき「心持ち」を示唆しているものがあると感じました。私もゆくゆくは「造る側」に立とうとしている訳ですがひとまず今は観客側としてこの言葉を咀嚼すると…
「わざわざ時間とお金を掛けて鑑賞するのだから、内容に関わらず何かを吸収しなければ、甲斐が無い」
という風に考えました。もちろん元々映画が好きでよく観る人間です、映画を観る時間をたとえ刺さらなかったとしても無駄だと感じたことはありません。「こういう作品だったか」と胸の中に留めることは己の肥やしになると思っています。
ですがそれでも、「これはヒドイな!」と思って自分の中でバッサリ切り捨ててしまった作品はあります。
こちらのマガジン、基本的にFilmarksに書いた映画感想文を写した記事を集めております。そのチョイスは気分で、一貫性のないものですが一つだけ自分でも無意識に目安としていたものがあり、それは、
「ある程度、良かったもの。人に薦めてもよいと思ったもの」
だったんですね。まだ記事に写していないもので、散々こき下ろしているものもいくつかあります。まぁ、数百本と観ていればそういう映画もあるのが自然だとは思います。
ですがそんな映画からでも得られるものはあるはず、というのが今回の私の意識変更です。という流れで、Filmarksで厳しい評価をした作品を一つ挙げ、「良かったところ」を模索しようと思います。
ゴジラ映画の、(個人的)最低作
ゴジラ2000 ミレニアム(1999年製作の映画)
デストロイアで一旦終幕したゴジラの再始動。
ミレニアムゴジラの一作目だが、とにかく酷い。
主人公・篠田と敵役となる片桐。
どちらも「言わされている」ような台詞ばかりの上、行動も不自然。
阿部寛は今や日本を代表する名優だが、こんな頓珍漢な役をやっていた事が驚きなほど。
「ゴジラは俺達の中にいるんだ」
↑篠田の締めのセリフだが、意味不明にも程がある。
スコア…1.0
…どうでしょう、ゴジラ映画で最低点を付けたのはこれだけで、文章量からも「やる気なし感」が漂っているレビューです。
こんなゴジラ2000ですが、これでも良いところを探そう!と思ったら…
…
……
………
…………
「若い頃の阿部寛がカッコいい」
しか、出てきませんでした(笑)。
しかし阿部寛氏は60代になった今でも格好良い…というか今の方がカッコいい、までありますよね。う~ん、やはりこの映画のウリにはなり得ないでしょうか。
あと、この作品でよく言われるのが「ゴジラが格好いい」というものです。ゴジラは映画毎にデザインされているわけですが、
確かに目つきも鋭く、精悍に見える部類のゴジラです。昭和の頃はキラキラお目目で可愛いゴジラも多かったので、それを思うとこの「2000ゴジラ」は格好良いといって差し支えないでしょう。
しかし…以前ロボットアニメ系の記事でも述べましたが、私自身はあまりそういう所を重視していなかったりするので、このゴジラがいかに格好良くとも「だからといって…」という気分になります。
色々書きましたが、いかなる映画でも良い所を探す、ことは難しいな~と感じた次第です。
ゴジラ2000が好きな方には申し訳ないのですが、この作品の「イケてるポイント」を見つけるのは、とっても困難でした…。
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