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BAND☆やろう是 第十章 当日・本番まで 1

 サロンキティへと辿り着き、控え室へと戻ると、やはりつまみ食いだけじゃ物足りなかったのか、弁当箱の蓋を一気に剥ぎ取り、皆一斉に貪り始めた。
 他のバンドがリハーサルしている音が都合よく控え室にまで届いていて、その音を智さんと大ちゃんが徹底分析しながら弁当を頬張っているさながら、横で弁当を手づかみで貪り尽くしている二匹…。
 弁当が食べ終わったと思ったら机の下からまさかの二つ目が現れ、同じように手づかみで食していた。
 その情景を見ていた僕は吹き出る汗が何故か止まらなくなり、とにかく聞こえてくる音と弁当に気持ちを集中した。
 爽やかさ全快の曲調が辺り一面を包んでいて、その中で鮮明に乗っている声が男性の声だった事から、EARTH HEAVENがリハをしているのだと認識した。
 彼らが醸し出していた雰囲気と一致する曲調がより良い印象で、僕達のジャンルとはまったくもって違う楽曲なのだが、何とも聴きやすい感じであり、聞き手に合わせて作っているのだろうなと素人の僕にでも理解できた程である。
 智さんと大ちゃんは目を瞑り、箸を止めて聞いていたのだが、ある瞬間からまるで何かを見切ったかのように箸を取り、その後はまるで耳もくれないように二人で雑談をしていた。
 一応僕は一人暇な事もあり、引き続き流れてきている曲を聴いていた。
 曲が終わり、また次の曲が流れてきた。それはどこか夏の終わりを告げる雰囲気の曲で、秋雨のように優しく、夕暮れのように切ない。
 思わず目を瞑り、聞き入っている自分がいる事に気がついたと同時に、こんな曲をバンドでもやってみたいと思った。
 我がバンドの作曲者である智さんはというと、やはりこの曲にも耳を傾けておらず、大ちゃんと雑談をして大笑いをしていた。
 敵の分析をしたいといってサロンキティに戻ってきたはずなのに分析していないではないかと思ったのだが、突っ込んでも仕方がない事だと自分の中に言葉を埋めた。
 どうやらリハでは二曲だけ演奏できるらしく、その曲が終わると同時に当り一面にまた静けさが訪れた。さっきの曲をうる覚えに口ずさんでみると、ふと自分も作曲してみたいという感情が心の底から湧き出してきた。
 しかしながら僕は音楽のテストなんていい点を取った試しもなく、よって成績なんて不動の底辺を極めていたので、作曲するなんて夢のまた夢である。
 いつもならここで諦めてしまう自分なのだが、このイベントが終わったら密かに勉強してみようと思った。もしかすると今後、役に立つかもしれないからと机の下でぐっと拳を握り締めた。
 しばらくするとスネアの音が何発か鳴り始め、女の子の声で『ワンツー』と聞こえ始めた事から次のリハは『TOM BOY』なのだと認識した。
そういえば僕はあんまり女性シンガー然り、このようなギャルバンドの曲を聴いた事がない。この類の流行バンドはいくらかいたような気がするが、何故か興味が沸かなかったのだ。
 先程まで世間話で爆笑していた智さんと大ちゃんも次のバンドにリハが移った事を知ったのか、また目を瞑って音の様子を伺っていた.
 イータダとトースはお腹一杯になって安心した様子で、二人ともまるでずれ落ちる勢いでソファーにもたれかかり、大きな口を空けて眠りの園へ誘われていた。正直、なんて危機感のない奴らなんだと思った。
横で嫌に騒がれても迷惑だから他二人は意見しないのだろうか?多分すでにどうでもいいと感じているのだろうとも思った。
 しばらくすると曲が流れてきた。
  彼女たちの風貌や、あの時睨まれたという事もあった為、ハードロック調の反骨精神旺盛な曲が流れてくると思いきや、まるで恋焦がれる少女が切ない想いを刹那に綴っていると思われるしっとりとしたバラードが耳に届いてきた。
 件の状況を見ていないリーダー格は何の違和感もなく、どうやら薄く心に留まった様子で、目を瞑りながらも机でリズムを指で刻みながら心地よく聞いている様子であった。
 僕のイメージでは第一印象が極めて悪いからか、流れてきている曲が素直に心に沁みてこず、どこか嘘に塗れた音に思えて心がざわついた。
 暫くは何とか耐えていたのだが、聞けば聞くほど心の中の違和感が石のように固まり続け、そして岩のように大きくなっていく。
 膨大に膨れ上がる違和感は止められず、飽和した状態になったと感じた時にこれは嫌悪感なのだと自分の中で確信した。
 今までどんな事があってもこのような感情は抱いた事がなかった僕は、初めての心持ちに戸惑い隠せず、いてもたってもいられなくなり、気がつけば部屋を飛び出していた。
 とにかくその場から立ち去りたい。音の迷路から抜け出したい。立ち止まると自分が自分ではなくなってしまうと思え、恐怖さえ感じてしまった。
 やっとの思いでサロンキティを抜け出し、その隣にある川沿いを音が聞こえなくなるまで駆けた。
 この尋常じゃない嫌悪感はただ第一印象が悪かった為だけだとは思えない。もしかすると自分だけにしか感じ取れない何かがあるのだろうかと思ってみたものの、やはり曖昧で感情は形にならなかった。
 一つため息を溢して周りを見渡してみると、ポツンと置かれていたベンチがあり、何気なく腰を下ろして今度はまるで言葉を吐くような深いため息を漏らした。
 体中汗に塗れている。今僕は多分とても酷い顔をしているだろう。目の前に鏡がない事を何故か幸いに思え、あるはずもないのにそんな事を考えた自分に苦笑した。
 とりあえず顔中の汗を手の平で拭い、徐に頭を垂れた。
 どうしてこうなったのかを考えるのではなく、今はライブの為に早く我に返らなくてはならない事だけは冷静に理解していた。
 暫くの間、自らの身体を抱きしめていると、辺りから発せられている音が何となく聞こえてくるようになり、一つだけ大きく息を吐いて頭を上げた。
 川沿いにはランニングコースと、多目的広場が何箇所か存在していて、人々がそれぞれ楽しそうな声を上げながら体を動かしている。遠くには街のビルディングが太陽と風が作り上げた陽炎に大きな姿を揺らめかせていた。
 その朧気な情景を何気なく眺めていると、先ほどの荒れ狂っていた感情が嘘のように静まり返り、いつの間にか息も整っていた。
『いらない事を深く考えてしまっていただけなのであろう…』
 心の中でそう呟いて、一つ頷いた。とにかくサロンキティに戻らなくてはいけないと思い、立ち上がると聞きなれた声が聞こえてきた。
「岡田、落ち着いたか…?」
 見なくとも分かる智さんの声だった。そして敢えて確認しなくても分かりきっている事なのだが、前を見ると当たり前のようにメンバー達が横並びに立っていた。
 へへっと笑いながら親指で鼻を擦るイータダ。歯だけを見せて万遍の笑顔を見せるトース。さりげなく微笑みながら体を斜めにして天を仰ぐ大ちゃん。そして、心配そうな表情で、優しく僕を見つめている智さん…。
「うんっ!ごめんな!!もう大丈夫じゃきん!!」
 僕はそう言って、メンバーの側に駆けていき、皆に負けないくらいの笑顔を見せた。
「リハももうすぐだから、早く戻ろうか。」
 その言葉にメンバーは同時に頷くと、五人横並びでランニングコースを歩き始めた。それぞれの影は遠く伸び、道端に伸びる草を風が靡かせていた。
 どこかのドラマならここでエンディングテーマが鳴り響きそうなのだが、残念ながらまだ始まってもないっつーの。


 サロンキティに戻ると、石川が忙しく僕達の元へと走ってきた。
「君達何やってんのっ!もうすぐリハだから早く袖にスタンバッて!」
 それだけ言い放つと血相を変えて会場へと走り去っていった。多分僕達の姿を外に確認しに出てきたところで出くわしたのだろう。
 石川の忙しさよろしく、僕達も暢気に構えている時間はない訳だ。多分、というか絶対僕のせいなのだが、謝罪する為にメンバーを足止めしている場合でもなかった。
 階段を駆け上って楽屋から機材をステージ袖まで運び込む。学生故に大掛かり機材など当然持ち合わせていない訳で、袖までメンバー全員がたどり着くまでそう時間は掛からなかった。
 円滑にタイムスケジュールを行うのが石川の責務であるが故の叱責だったのだろう。これが審査基準に影響するのであるならば他のメンバーは許してくれるのであろうか…?
 この期に及んで僕の頭の中はそればかりになり、思わず鼻血が噴出しそうな感覚に囚われた。
「おい、岡田!いらない事はもう考えるなっ!」
 やはり智さんには全て見透かされているのである。小刻みに震えている肩を大ちゃんが片腕で優しく抱きしめてくれると不思議と雑念も消えうせ、まともな感覚で前を見る事ができた。
 今ステージに立っているのは、確か楽屋で不思議な雰囲気を醸し出していた集団『ホワイト・デヴィル』。既に音鳴らしは終了していて、機材を片付けている真っ最中であった。
「ZEALさーん。リハの準備よろしくお願いしまーす。」
 後方からスタッフの声が聞こえてきた。
「いつものようにな。本番ではないが意識して…。いいな?」
「はいっ!!」
 まるでお互いの息を合わせるように一斉に相槌を打ち、ステージへと足を踏み入れた。
 するとホワイト・デヴィルのメンバーの片付けも終わったようで、僕達の横をすれ違うように通り過ぎていく。
「お疲れ様です。ZEALです。よろしくお願いします。」
 智さんが気さくに話しかけたのだが、彼らは無言に通り過ぎていき、何故かステージ袖の側で背姿のまま立ち止まり、「今は…戦争なんだ…!」とメンバーの誰かがそうとだけ呟いて、袖裏へと消えていった。
 確かにそうなのかもしれないが、和気藹々と言葉を掛けた態度に対して余りにも無粋である。さすがの智さんもこれには立腹しているだろうと思い恐る恐る眺めてみると、妙に納得し、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
 大ちゃんの方を見てみると、呆れた顔で智さんを眺めていた。
「智さんの好きなアニメの台詞だよ…。バンドやってる奴はどこもオタクだらけだな…。」
 いつの間にかステージの上座である立ち居地で機材をセットしている智さんを横目に、呆れ顔で首を横に振っていた大ちゃんは、自らの立ち居地である下座へと歩いていき、軽く溜息を漏らしながらセットを組み始めた。
「セット、早くしてくださーいっ!」
 スピーカーから石川のどこか苛立たしさを感じる声が鳴り響き、トースは大ちゃんの立ち居地にあるベースアンプの前に、イータダはステージのバックグランドであるドラムセットへと走っていった。僕はセンターのマイクスタンドがある場所へと立ち、今まで見た事もない景色を悠然と眺めた。
 上を見ると赤やら青やらの色がピカピカ光るライトが立ち並び、前を見ると、もちろんながらまだ空席のだだっ広い真っ暗な空間が広がっていて、左右を見るといつも見る顔が様々な想いを馳せた表情で機材をセッティングしている。後ろはというとただスタンドに座り、手持ちぶたさに欠伸を噛み締めているのだが…。
 暫くすると、赤青黄の光が辺りを一周したと同時に、僕に一つの光が降り注いだ。
「はい、ZEALさん。今からリハをさせていただきます。よろしくお願いします。」
 機材PAの声がスピーカーから聞こえてきた。
「よろしくお願いしまーす。」合わせて僕達も声を出した。
「今から順々に音チェックをしていきますので、まずはドラムから。聞こえたら手を上げて。」
イータダはスティックを徐に振りかざしていた。
「えーっと。ドラムさんの持ち込み機材はないのかな?無かったら、バツって手で表してくださーい。」
 イータダの持ち込みはスティックだけなので機材はない。
「分かりましたー。とりあえず、持ち曲を音なしで暫く叩いてもらっていいですか?」

『ズンッタッ。ズッズズッタッツッタ…』

 暫くイータダの叩くドラミングが続き、スピーカーから聞こえてくる音が微妙に変化してくる。

『ダンダン、ドロダッチッ!!』

 ドラムの音が止まった。
「はい、分かりましたー。よろしくお願いしますっ。次はベースの音チェックに移りたいと思います。」
 その声にトースは頭を深々と下げた。
「えっと…。ベースの方、エフェクターはかまさずに直アンでよろしかったですか?大丈夫なら手を上げてくださーい。」
 何故かまだ深々と下げたまま右腕をそのまま前に突き出すトース。
「んっ?直アンでよろしいの?時間ないからふざけるのもいい加減にして下さいねー。」
「おい、トースっ!!いつまでやってんだっ!」
 完全に苛立っている石川の声と、智さんのけん制する声にトースは驚いて背を上げた。多分まじめにやっているつもりなのだろう。顔はいつもになく真剣だった。
「では、全弦の音をゆっくりと四発ずつ弾いてくださーい。」

『ボーン、ボーン、ボーン、ボーン。』

 しっかりと低音が響く心地よい音にどこか真新しいアルミの音がするのは弦を張り替えたばかりだという事を物語っていた。四弦から順々に下がっていき、一弦の音が四発鳴り終えたと同時に、再度石川の声が聞こえてきた。
「次はなるべく全弦を使うようなフレーズをループさせて弾いてくださーい。」
 側から聞いていて簡単そうで難しい注文を付けるなと正直思ったのだが、さすがはマイペース且つ生粋のベース職人トースである。一弦のハイポジションから上がるようにフレーズを弾き始めた。
 どこかで聞いた事があるようなフレーズなのだがいまいち思い出せない。R&Rのような、ジャズのような。どこか大人びたフレーズで、その音を拾う石川の顔もどこか満足そうな様子であった。
 暫くすると石川の声がしてフレーズは中断された。
「はい、ありがとうございましたー。しかし君、いい音弾くねっ。全体が重った時が楽しみだよ!」
 こんな事を言われると、いつもなら「へへっ」とはにかみながら頭を掻く仕草を見せるはずなのだが、この時はそれに対して軽く一礼をしただけで後は鼻歌交じりにベースを弾き続けていた。
 またしてもまだ見た事のないトースの姿を垣間見た気がした。
「はい、次はギターに移りたいと思います。空間系と歪み系とその他の音がありましたら下手ギターの方から円滑に鳴らしていってくださーい。」
 大ちゃんから順々とサウンドチェックが入り、智さんのチェックが終わると、最後はマイクチェックが残っている。
「えっと、コーラスマイクのセットは書いてないけど無しって事でよかったのかな?」
 智さんが前に向かって大きくOKのサインを出した。コピー曲にもオリジナル曲にもコーラスパートは確かに存在していた。しかし、演奏の練習をするだけでこの日を迎えてしまい、コーラスの練習をする時間など一切なかったという訳である。
 僕のボーカルならコーラスなくても大丈夫だと、皆が声を大にして言っていた。本当にそう思って言っているのか、未だに不安ではあるのだが、今更どうにも仕方がない事なのである。
「それではマイクチェックはボーカルだけという事で。ではボーカルさんよろしくお願いします。とりあえず何かしゃべっててくださーい。」
「な、何かしゃべっててと言われても…。」
「何でもいいですよっ!後支えてるんで早くしてくださーいっ!」
 どうやら石川はとてつもなくせっかちな性格らしい。初めての場所なんだからもう少しお手柔らかにしてくれてもいいのにと思ったのだが、それは他のメンバーも同じ事だと自分に言い聞かせた。
 とりあえず他のバンドがリハしていた時に聞いた発声を真似る事にした。

『ワン・ツー、ワン・ツー。』

「あ、ボーカルさん。そのチェックなら、ワンの時に高い音を出して、ツーの時に低い音で答えたらPAサイドは助かるんだけどな。たまに舌でコンコンって鳴らしたり、舌打ちしたりとかね。じゃあ、もう一回やってくれますかー?」 
 何事も初めがあってのものである。とりあえず石川の言う通りにやってみる事にした。

『コンコン。ワン・ツー、ワン・ツー。チッチッ。チッチッ。コンコン。』

 他のバンドのリハが終了している事も関係しているのか、これだけで石川からのOkサインが出た。
「はい、各パートのサウンドチェックは終了致しました。では、ライティングチェックも兼ねて、今から二曲だけ通しでやっていただきます。間なく続けてやっていただいて構いませんので。ではお願いします。」
 メンバー全員智さんのほうへと視線を向けた。
「ステージの方を見てみろ。後ろの方に出演バンドの奴らが俺達を偵察しに来ている。この二曲は敢えてクレイズの曲で腕鳴らしといこうか。」
 皆は無言で頷き持ち場へと戻った。イータダのスティックカウントが聞こえてくると、僕は汗ばむ手の平でマイクを握り締めて、深く息を吸った。
 スタジオとはまったく違うサウンドの鳴り方と眩い光が、俺達のZEALを確実にした瞬間だった。

第十章 当日・本番まで 1 おしまい  2に続く

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