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雨の中の面影

 三月に降る雪をなごり雪というらしい。しかも四月目前の雪で皆が皆、驚愕しただろうと思う。

 職場の窓からぼんやりと外を眺めていると、きっと衣替えでしまったはずの分厚いコートの襟を立てて足早に過行く会社員。寒そうに手をこすりながら信号が変わるのを待ちわびているマダム。ささやかながら積もった雪を蹴散らしながら騒いでいる子供達。その他諸々。

 空高くから舞い散る牡丹雪から一瞬粉雪に変わり、みぞれになり、そして雨となったその頃にはちょうど店も終わり、戸締りをして外に出る。

 やはり外は冷たく、感覚を狂わすほどの風にかどわかされたような気分で駅に向かったそんな中、何か過去にもこんな事があったなと、ふと思い出す場面があった。そんな遠くない記憶。

 しばらくの間その場を立ち尽くしていたが完全には思い出せない途切れた記憶。何もかも置き去りにした事など本当は思い出したくもなく、もやもやした気持ちは増すばかりで深いため息をついた。

 駅はもうすぐ側。思わず走って改札を抜け、タイミングよく来た電車に駆け込んだ。別に急ぐ必要もなく急いで入ってきた私に驚いた乗客達の視線が痛く、しかしそのお陰で少し冷静さを取り戻した。

 一つ咳払いをして席へと座る。

 まるでスライドフィルムのように過ぎ去る見慣れた情景をぼんやりを見つめながら、少しだけ考えてみた。雨にまつわる切ない記憶が余りにも多すぎるのだ。

 しかし何があったのかなど詳しくはやはり思い出せなかった。ただ、雨という状況と記憶が結びつくだけの事があっただけに過ぎないのかもしれない。

 こんな事は多分これからも続くのだろうし、その事に対して特別な嫌悪感もない。だから原因を追究してまで消し去る必要もないのだろう。

 気がつくと最寄りの駅へと到着するアナウンスが流れていた。駅を出ると何故か雨が止んでいて、でも濡れた傘を開き、そのまま家路を歩く。黒く沈んでいる路の色。やはり先ほどまで雨は降っていたんだなと思った。

 雨にもたらされた面影や情景など忘れさせてくれるような木々茂る公園の薫りが心地よく、足取りも軽い。

 嘘くさい冬の気配は明日に慣ればいなくなるだろう。そう信じたい。

 

 

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