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汚い居酒屋と今にある未来 『未来』/ 湊かなえ

年季の入った居酒屋が好きだ。

店内の隅々まで「汚さ」が行き渡ったような景観は、その「汚さ」自体がなくてはならない事実のように、「端正に」そこにある。

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「汚いもの」にはきっと、誰かによる《過去の軌跡》を見て取れるから、なのだろう。

店内の壁に貼られたチラシやシールを見てみると、古ぼけて解読不能なものも多い。そして、「貼られた当初には、きっと誰かが必要に迫られて貼ったものなのだ」と、想像してみることができる。

「なんの変哲のないもの、なんてものは無い」

そのように思わせてくれる、年季の入った居酒屋が、やっぱり好きなのだ。


未だ来ざるモノ

もちろん、綺麗なお店も好きです。というか、好きなお店は好きなんです。これは、揺るがない事実。

「汚い」とか「綺麗」など言葉の他にも、多くの「指標的な価値観」が表され得る。

考えてみたら、自分自身の判断なんて、ちっぽけなもんです。でも、自分自身の判断こそが、自分自身だ。だから、その判断が無批判に無意味であるということにもならない。

汚いものを、その通りに汚いものだと徹底的に毛嫌いながら過ごすこともできるが…

だけど、いつか汚れてみないと分からない何かが、避けることのできない何かが、必ずあるのだと思います。

「未だ来ざるモノ」

それは、「未来」じゃない。まさに今、横に〈ある/いる〉ような、些細な事実のことなのかもしれない。

自分の手中にあると思っている、近いものこそ、「未だ来ざるモノ」のはずだ、という想定。

過去も現在も未来も、今この瞬間から、あるという想定。それを直視するのも、目を逸らすのも、まさに自分自身の判断、いわば「指標的な価値観」そのものではないでしょうか。


来ざるものは、そちらからは来ない。
今、見つけるものだ。


見る力

汚いもの、綺麗なもの、隣にいる人、車の中にいる人、バスの中にいる人、歩いてる人、家族連れの人、お店番の人、そのお店で何かを買う人、を見たときの私を観察する。

人を判断する〈自分自身〉は時に、他者への想像力や創造力を、欠如させるのかもしれません。

汚いものは、汚い。近寄らないでほしい。隣にいる人は臭い。車の中にいる女性の運転はだらしないからきっと普段もそんな感じなんだろう。バスの中にいる高校生の喋り声が鬱陶しくて消えてほしい。前を歩いている人が遅くて邪魔くさいからいなくなって欲しい。家族連れを見て正当な幸せを押し付けられているようで忌々しい。やる気がなさそうなお店番の人なんか仕事舐めてるとしか思えないからさっさと辞めてくれ。その店のコロッケ、不味いのに、どんまい。

これらは些細な、ある種自己の「指標的な価値観」だ。以下のようにも、捉えることができます。

汚いものでも、過去に存在した軌跡を読み取ることができる。隣にいる人は臭いのは確かだが、昨日仕事から帰ってきてからろくに身支度できずに大変な思いをしていたのかもしれない。だらしない運転をする人は決して女性だけではなく男性にもあり得ることだ。バスの中での高校生のおしゃべりを聞くと過去の自分が高校生だったころの思い出がよみがえる様で、懐かしい気持ちになった。前の人が歩くのが遅いのは、私が早すぎるだけのことかもしれない。家族連れが見せる幸せな風景は、私がそう勝手に見ているだけであって、家族連れには何の意図もないはずだ。なのにそう見てしまう自分自身こそ、幸せに対する空虚な妄想をしているだけかもしれない。やる気がないお店番の人でも、ちゃんとお会計に対応してくれたではないか。学生らしい風貌であるから、きっと昨日勉強や読書でもしすぎたのだろう。自分の時間を謳歌していて、まさに「人生の夏休み」。いいなぁ。そのコロッケはすまん、本当においしくない。味覚を疑ってもしかたがない。

目の前にいる人が、その人自身がどう思っているかを自分が想像する時。その時、絶対的なものとしてではなく、あくまでも相対的に、判断したいものです。

「未来」という著書でいわんとすることは、このような現象の中にあるのだと思います。


20年後の自分を自分自身で想像する力

この物語は、主人公である章子が、「20年後の未来の自分から手紙を受け取る」ことから動いていきます。

その手紙の差出人や内容の真意については、本著を読んで確認していただきたいのですが、ネタバレにならない程度でまずこの問いを投げかけたい。

「20年後の自己を、自分自身で想像できるかどうか」

未来は、〈今に無い将来〉とはならない。〈過去〉〈未来〉〈現在〉が、まさに今あるのだから、それを想像することも不可能ではない。

それを不可能にさせてしまうもの。それは、自分自身ではない他者への想像力の欠如の中にこそ、あると思うのです。

それは鏡のように、自分の「指標的な価値観」に落とし込まれていく。非創造的に、より短絡的に、何かを判断しうるものへと。



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