ネットから得る情報は本当に“取捨選択した結果”なのか
インターネットがある程度普及した2005年頃、下記のような言及を見たことがある。
テレビは垂れ流されている情報を受け身として受け取るだけだが、インターネットは受け手が取捨選択できる
つまり、テレビは受動的に情報を受け取り、インターネットは能動的に情報を受け取るということである。
確かにテレビは電源をつけてチャンネルをまわせば、こっちが望んでいるかどうかにかかわらず、勝手に情報を発してくれる。
録画でもしない限り、途中で止めるたり見返したりすることができない、瞬間の情報である。
一方のインターネットは、例えば見出しやサムネイルに興味を持ってから、情報にアクセスする。
インターネット側が一方的に垂れ流すことはなく、受け手側が取捨選択できる。そういう意味で能動的である。
大学生のころに、mixiやニコニコ動画など、一時代を築き上げた和製のインターネットコンテンツが誕生した。
こういったコンテンツの登場をきっかけに、人々は情報に触れる機会がさらに多くなった。
だが、アクセスするか否かは、まだユーザーに任されていたので、この論調に自分は大いに同意した。
ネットから得る情報は“取捨選択した結果”だった。
ところが、今のインターネットはそのようになっていないと感じている。
気付いたら、インターネットも情報を垂れ流すテレビ的な存在になっている。
これは単に「インターネットによる番組配信」が行われるようになったからではなく、むしろそのことは関係していないと思う。
どちらかといえば、インターネットというプラットフォームを使う放送局のような存在が増えたのである。
過去に放送された“NHKスペシャル 新・映像の世紀 「第6集 あなたのワンカットが世界を変える」”の紹介文には、こんなことが書かれている。
最終回は、激動の21世紀を追う。その最初の年、悪夢の記憶として刻まれたのは、アメリカで起こった同時多発テロだった。その時から、映像は人々の憎悪を増幅させる装置ともなった。一方、映像は国境を越え人々の心をつなぐこともある。誰もが発信者となる時代、人生のささやかな一場面を世界が記憶する。「アラブの春」では携帯動画が人々の勇気の源泉となった。世界を引き裂き、世界をつなぐ。映像の巨大なパワーを描く。
「アラブの春」は、SNSで拡散された動画がキッカケになったと言われている。
おそらく、SNSというものが存在しなければ、動画・映像にアクセスする者はそこまで多くなかったと思うし、拡散もされなかったと思う。
それどころか、個人のwebサイトにひっそりと公開されるだけで、むしろ検閲の対象になっていたかもしれない。
2018年の今、インターネットにアクセスするとどうなるだろうか。
実体験を元に話す。
まず、Yahoo Japan!のアプリからニュースを見ようとすると、「ホウドウキョク」というコンテンツが、自分の意思に関係なく勝手に動画の再生を始める。
ほほえましい動画、事故の瞬間、激しい旋風・・・さまざまである。
次にTwitter。タイムライン上にフォローしているユーザーがアップ・リツイートした動画が、自分の意思に関係なく勝手に再生される。
煽り運転のドライバーが威嚇する動画、野球のハイライト、火山噴火の瞬間・・・
能動的にコンテンツを選べるはずのインターネットが、テレビ的な要素を持つようになったのである。
どちらかといえば、テレビよりタチが悪い。
テレビもインターネットも電源・接続を切れば、情報発信源を遮断することができるが、インターネットの場合は能動的な情報取得の場に勝手に入り込んでくるのである。
これは何も動画に限ったことではなく、前回のノートに書いた「ゴミ」も勝手に入り込んでくる。
さらにインターネットのほうがタチが悪いのは、テレビよりも“放送局のような存在”が圧倒的に多いことである。
テレビにおいて、放送局は限られており、いわば「少 対 多」の形態をとっている。
一方のインターネットは“誰もが発信者となる時代”を象徴するように、「多 対 多」の構図になる。
いや、「多 対 多 対 多」といった構図かもしれない。
多の発信者が多の受け手に向けて情報を配信し、受け手も発信者として別の多の受け手へ情報を流す。
もはや末端の受け手に能動的要素は皆無である。
このような構図になってしまった以上、ネットから得る情報は“取捨選択した結果”とはいえないだろう。
能動的な情報取得の意志が、気づいたら受動的な受け手に変わってしまっているのだから、恐ろしい。
もしかしたら、「最近のインターネットがテレビよりも疲れる存在になっている」と感じるのは、このような変化からかもしれない。
大学生のときに感じた同意は、悲しみを持って撤回せざるを得ない。
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