『ダブドリ Vol.12』プロ化の源流(1) 阿部達也(大阪エヴェッサ GM)
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『ダブドリ Vol.12』プロ化の源流(1) 阿部達也(大阪エヴェッサ GM)

ダブドリ

プロ化の歴史をたどると、必ず彼の動きに突き当たる——。bjリーグの創設、運営に深く関わった阿部達也だが、実はそれ以前から日本バスケの中枢に身を置いていた。B.LEAGUE誕生後は京都や大阪のGMを任され、見識や人脈を生かして56歳の今も東西を駆け回っている。

 少しシャイで、謎めいたところもある阿部だが、日本バスケ近代史の語り手としておそらくこれ以上の人物はいない。ダブドリでは『プロ化の源流』と題して、3回に及ぶインタビューシリーズを皆さんにお届けする。第1回は1980年代後半から動き出していた日本リーグ改革を、阿部の動きとともに振り返る。(聞き手:大島和人氏)

 主な登場人物
松井聰 日本協会元副会長。ベルリン五輪に出場。京大OB
加藤祥行 日本協会元副会長。丸紅副社長も務めた。京大OB
小浜元孝 日本代表、いすゞ自動車などの監督を歴任。プロ化を主導したひとり
吉田正彦 モントリオール五輪男子監督。日本鋼管OB。リーグの運営、改革に関わった。「クロさん」の通称で知られる

京大バスケ部の俊英

—— 最初に「阿部達也選手」についてお聞きします。
阿部 中1の担任がバスケットボール部の顧問で、運動神経が良いのがピックアップされて、それでスタートしました。大阪府3位になって、顧問の先生が洛南の南波先生と懇意にしていて、推薦入学の了解をもらって喜んでいました。でも受験をして公立の進学校の茨木高校へ行くように方針が変更になってしまいました。
—— ポジションは何番ですか?
阿部 ずっと2番で、シューターです。身長は174センチだったので小さかったです。大阪府の国体メンバーも15人までは入っていたけれど、12人に絞るところで落ちてしまいました。走るのが速かったし、大学に入った1985年に3ポイント(のルール)ができたので、点をすごく取れるようになりました。
—— 同世代の大阪はどういう選手が?
阿部 一番有名なのは佐藤真一で、住友金属のキャプテンもやっていました。茨木はインターハイ予選で府3位だったんですけど、1位が羽曳野で、一つ下には天日(謙作/現大阪エヴェッサHC)がいました。
—— 京都大学はスポーツ推薦で行く学校ではありませんね。
阿部 「衛生工学」のできる学部を探しました。公害問題のようなものを、数理統計などで解析する学問です。
—— バスケはどんなレベルでしたか?
阿部 関西2部の中位くらいです。1年からチームで得点を一番取っていました。2部でも多分得点王ですよ。ただ当時は誰も得点を数えていなかった(笑)。
 ちびっ子だしパスはそんな上手くなかったけれど、一歩目が早いので、そこでファウルをもらえます。ファウルをもらってフリースローは90%入る感じでした。3ポイントも自分で言うのは何だけど50%を超えていますよ(照れながら)。
 私の代は他にも何人か上手いのが入ってきて、洛星中が全国2位になったときのメンバーもいましたね。佐野忠徳は高校でも近畿選抜のキャプテンもやった選手ですが、彼が一浪してバスケ部に来たんです。
—— B.LEAGUEの前チェアマンだった大河(正明)さんも洛星中バスケ部です。
阿部 強くなるとOBがズラッと集まってくるんです。それまでは現役のゲームなんてみんな興味がなかったのに、ガリ版摺りで「京大バスケ部月報」みたいのを作って、配り始めました。ちょうど京大OBの松井聰さんが日本バスケットボール協会の副会長でした。

日本協会を引っ張った京大OB

—— 松井さんはどういう方だったのですか?
阿部 ラウナ商会という会社をお持ちでした。ラウナは特殊な潤滑油で、その権利を松井家が持っていて……。もみあげが立派で、眼光鋭い風格のある紳士でしたね。
—— バスケに時間を割く、支援をする余裕のある方ですね。
阿部 経済的な余裕はもちろんある方です。あと松井さんは戦争中に海軍の偉い人で、戦没者の遺族や怪我で仕事ができない人の面倒を見ていた。「松井さんのためなら」という海軍関係者が沢山いる。
 松井さんはめちゃめちゃバスケットボールが好きで「ウィルト・チェンバレンが百点をとった試合を生で見たのは、日本人で俺だけだ」と言っていました(笑)。
 当時は日本鋼管(NKK)、住友金属、新日鉄と鉄鋼系がリーグの中心でしたけど、松井さんはそこにも驚くほど幅広い人脈を持っていました。
—— 吉田正彦さん(クロさん)はプロ化の旗を振ったキーマンの一人ですが、松井さんを慕っていたと聞いています。
阿部 最初クロさんは私が行っても「何だ?」みたいな感じでした。でも松井さんが(私を)可愛がるものだから、「ちゃんと扱わなきゃ」というふうになっていきましたね。
—— 松井さんの後に日本協会の副会長を務めた加藤祥行さんも、大手商社・丸紅の副社長も務めた大物です。
阿部 松井さんと加藤さんは高校も一緒で、東京の成城高校から京大のルートです。
—— 鉄鋼部門は商社の花形ですね。
阿部 商社がオーストラリアに(鉄鉱石を産出する)山を買うじゃないですか。それを大手の製鉄会社に流す取引が大きくなって、トントン拍子で出世したと聞いています。
—— 阿部さんは日本協会で、そんな先輩からどんな仕事を任されたのですか?
阿部 プロを作る話ですね。私はよく仕事の合間を縫って、ラウナ商会の丸の内の事務所に遊びに行っていました。
 そうこうしているうちに、集まりがあるからと声をかけられました。銀座に成城の卒業生があつまるクラブがありました。リクルートも銀座にあったので「昼も遊びに来い」と言われて、そこに行ったらクロさんとか結城(昭二/元住友金属)さんがいた。いすゞの小浜(元孝)さんもいることがありました。
—— リクルート入社の直後ですね。
阿部 実は私が反抗してリクルートに行っちゃったものだから、加藤さんに怒られていたんです。丸紅は当時(日本リーグの)1部で、こちらは何も言っていないのに「丸紅に来い」と決められていた。でもあの頃は27、8歳で辞める時代です。「選手をやっても中途半端だな」と思った。リクルートならプロバスケットボールを作るための勉強をするにはいいと考えたんです。

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このあとも、日本リーグ改革で大きな役割を担った「監督会」の存在、プロ化構想の軌道修正などまだまだ続きます。続きは本書をご覧ください。

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ダブドリ
株式会社ダブドリが発行するバスケットボール雑誌『ダブドリ』のnoteです。『ダブドリ』は選手や監督、その他バスケットボールに関わる人間の超ロングインタビューを中心に誌面を構成。普段は聞けない彼らの本音や考え方、生き様に迫ります。