不器用な人間には、不器用な言葉が響く
2012年3月11日。
ちょうど東日本大震災から1年経ったその日、僕は東北にいた。
被災地での支援活動に参加するためだ。
現地に行ったのは2回目で、一緒に向かったのは前回の支援活動の際に知り合った人たちとだった。
(今もそうだと思うけれど)当時はまだまだ支援が不足している状況で、継続支援の必要性を肌で感じた。
東京へ帰る時間となり、車に乗り込む。
運転手は僕の父親くらい歳が離れた人だった。
ずっと錦糸町で会社を経営していた人で、早いタイミングで会社を畳んでからは非営利組織でずっと働いているような人。
僕は助手席に座り、他のメンバーは後部座席。彼らは疲れていたのか、座るや否や、すぐに寝息を立てていた。
帰る道中、僕はずっと「自分にできることは何なのか」を考え続けた。
支援したいという気持ちと自分にできることの乖離がとにかく悔しかった。
それでも自分に自信がない僕は、「自分なんかがそんなことを考えること自体がおこがましい」と思った。
開き直り、考えることを止めようとした時、運転席に座るその人は言った。
「お前は本当に良いよ。そのままでいい。」
「お前の周りには輪ができる。他のやつになんて言われようが、そのままいけば良いと思うよ。」
「俺はこんなこと、思わなかったら言わないから。」
東北から東京までの間、何時間もずっとこのループ。
もちろん、言い方は変えてくれたりもしたけれど、メッセージはずっとこんな内容だった。
本当にそれしか言わない。何時間も。
正直、ありえないと思った。
多くの人は、こんなことを言われたら「もういいよ」となるだろう。
僕も最初は「いやいや、全然ですよ」とか「そうだったら良いんですけどね」って笑いながら受け流そうとした。
それでも真剣な顔で同じことを言われ続けていくうちに、気づくと僕は心を動かされていた。
正直、内容そのものについては、当時(いや今も)バカだった僕にはよく理解できなかった。
でもこの人の気持ちはしっかり伝わった。
「自信がないから」というできない言い訳ばかりしていた僕は、「できる、できない」は関係ないと思った。
できる、できないではなく、「やるか、やらないか」。
自分には相変わらず自信が持てなかったけれど、自分を良いと言ってくれる人を信じないのは違うと思った。
受けた気持ちは、気持ちで返さないといけない。
そのためにも自分がやりたいことをやるために挑戦すること、成果を出すことがその人に「気持ちを返すこと」だと考えた。
その翌日、仲間を呼び出し、寄付サービスを立ち上げるために手伝って欲しいと頭を下げた。それが最初のチームメンバーになった。
あの日かけてもらった言葉は、今も折に触れて思い返す。
あんな風に何時間も同じことを言われ続けたら、多くの人は引いてしまうかもしれない。
あの時の言葉は本当に「不器用な言葉」だったように思う。
でも、不器用な自分には、そんな不器用な言葉が響いた。
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