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ギフテッドが「日本っぽい会社」でぶつかったこと

こんばんは、ギフテッドサバイバーです。

今回は、今まで働いた会社の中で最悪の経験について紹介します。多くは日本の文化を示すような出来事だったので、そうした見方でも個人の考えを書いていきます。

なので、内容は"実際こういう危険が起きる可能性がある"というネガティブな内容に偏っておりますので、ご了承の上ご覧ください。

多様性を公正さをアピールする会社だった

さてその会社はどんな会社だったのか。具体的な内情はさておき、会社自体は「多様性の尊重」と「公平/公正」を行動規範として掲げている会社でした。決して会社が示す方向性自体は、トラディショナルな村社会を示すものではありません。会社自体もWebサービスの提供会社で社歴も特別長くはないし、人数も数千人規模の立派な会社です。

自分は人と目線や考えが違ってしまうことも多くあるし、筋が通らない人や権力にはまっすぐぶつかってしまう傾向にありますが、それらは悪いことではないと定義してくれていたので、じゃあここに身を投げ込んでみようと、そういう気持ちで入社しました。

ですが、内側で経験したことは真逆でした。

経営やコンプライアンス部署が嘘をついているわけではないと思います。ですが、それ以上に社員自身がそれをやったところで得をしない力学が働いていて、それを支えているのが日本の文化の悪い側面だと考えています。
大前提ですが、文化は文化なので正解があるわけでもなく、いい面も悪い面もあり、そこに合う人もいれば合わない人もいる、というだけです。この記事を見て、安易に「日本の文化はダメだ!」と結び付けないよう注意してご覧いただければと思います。

ボロボロでバラバラなチーム

さて自分のいた環境はといえば、シンプルにいえばチームとしてとても良くない状況にありました。
上司はトラディショナルな会社の出身で、いわゆる伝書鳩タイプの方でした。上から来た指示に対してなんの理解や判断もなく部下に投げ、そこにかかる工数や部下の状況に全くマネジメントを行わない。でもとにかく目上の要望に答えようとするので評価はいい、というわかりやすいタイプの方です。
同僚は二人いましたが、一人はとにかく名誉を得るために躍起になるタイプでした。自分は一切手を動かさないが、周囲の同僚が得た成果は自分のもののように周りに発表して振る舞うメンバー。もう一人は、そうした中でとにかく"我関せず"に特化して、あらゆる問題から回避して立場を守るメンバー。

なので状態としては"メンバーは誰もチームのために動こうとしないが、マネージャはそういうマネジメントに関心を示さないのでそれが成り立っている"ということになります。

降りかかるできごと

そこで起こる出来事といえば、上記の状態から想像がつくようなことばかりです。

上司や同僚とは意見が合わないことが多くありましたが、そのたびに受けたのは無視、隠蔽、嘘と不誠実な対応のオンパレードです。
私が役員に承認を取った内容がその上司の独断で変更を強いられ、その理由はどう問いかけても答えてもらえず、では変更することを役員に改めて説明しようとするとそれも拒絶されました。粘り強く話し合った最後には「私は意思を持っていないから」とすべてを投げ出されました。

自分が対応している業務の中で、期限ギリギリに大きな対応変更を上司から理由もなく指示を受けました。同時になぜか自分ではなく同僚にその顛末を上席に説明するよう指示が出ており、怪しんで自分が関係者に話を聞いたところ、上司に不手際がありそれを隠蔽しているのもわかりました。

一人の同僚が、私の業務の成果を誤った内容で勝手に社外に発表したり、私が担当した業績を自身の業績として報告したりが続いていた際にも、上司はまったくそこに対してマネジメントを行わず、問題の沈静化だけを図る動きをしました。

そうした行為の蓄積について、改めて上司に1on1で「不誠実なやり方はやめてほしい。この会社では給与も上がりにくいことも知っているし、それでも業務を続けているのは使命を全うしていきたいからだ」と訴えたこともありました。ですが、結果としては話がすり替えられ、自分は職権を濫用して給与交渉を行ったというデマが広がることになりました。

そうした不誠実な行為に自分が怒りを示す様子を見て、もうひとりの同僚は「自分はサラリーマンができるから」「チーム内の雰囲気を悪くしないでほしい」と冷ややかでした。もともとものごとの進め方やチームへの姿勢も彼と自分にはギャップがあったので、多くの誤解もあり自分は彼の信頼を得られていなかったし、結果彼からはしごを外すような行動受けたこともありました。ただこれは考え方の違いだけでなく、純粋に自分が彼に行ってしまった過失もあるので、自分にも十分責任もあります。

アウティング

そうして限界が近づいた中で起きたのは、アウティング(機微情報の暴露)です。
自分に冷ややかな目を送っていた同僚から、私の匿名SNSアカウントを発見しフォローしたことを聞かされました。そこでは、自分は過去の休職、通院、命の危なかった過去についても触れていました。なので、その同僚には「職場とプライベートを切り分けているので、快く思っていない」と伝えました。
ですが、彼の行動はエスカレートして、私の親しい友人をリストアップして監視したり、過去や自分の特性について発信していたblogを特定するなど、どんどんプライバシーに踏み込んでくるようになりました。それらの不快感を何回か伝えても、「検索したら出てきたのだから全く問題はない」と取り合ってもらえませんでした。

そうして最後には、彼がSNSの同僚リスト(公開されて誰でも見れる状態)に私のアカウントを追加しているのを発見しました。何度も不快感を伝えてるにも関わらず、あまりにも自分のプライバシーを軽視してる行為だと怒りを伝えました。

そうして彼は逆上し「あなたのセキュリティ管理に問題がある、私には問題はない」としてすべての責任をこちらにぶつけるに至りました。ここに関しては私も甘かったなと反省していることがありきちんと合わせて書きますが、自分も匿名のアカウントながら「会社が多くの人材を採用している」と採用ページや特集記事を紹介したことがありました(もちろん個人名は明かしてません)。それ故に、彼の主張は「会社の人間であると公開している相手をリストに追加したことには一切問題がない」というものでした。

後にSNS上では「相手を殴るなら自分が殴られる覚悟を持て」「世の中には自分の感じ方を押し付けるヤツがいる」などと攻撃的な投稿までされていたのも、他の部署の友人から報告を受けました。

こうした出来事が、このときは自分が命を諦めるきっかけになりました。
自分のプライバシーの辛さを直接伝えた相手にまで、こうも扱われるかと。

会社は誰も助けてくれなかった

チームの中で起きた出来事は、上記の通りです。「あぁ世の中にいるよね、そういう人」という話でもあるので、ギフテッドの問題というよりは環境の当たり外れの問題じゃないの、と見えるかもしれません。ですが、問題はそうした事象が、会社からどう扱われたかという部分です。

実のところ、上司の更に上司や、労務部門にはこうした良くない行為の報告や相談をたびたびしており、問題であると認識をしてもらっていました(なんなら、元から問題だとは認識していたとも言われた)。ですが、組織の政治を理由に対応を断られてきました。労務部門からは「注意をしなければならない我々の立場も考えてくれ」とまで言われました。

無念のまま休職に突入することになったので改めて経緯など説明しました。しかし、しばらくしてこれらの問題はどうなったかと訪ねたところ、自分が休職に入ったためクローズになったということを聞かされました。

つまり、周りと揉めているのは自分だけだったので、自分がいなくなったことで、解決しなければいけない問題がなくなったのです

そして、復職を検討する際には、労務に自分にはギフテッドという特性があることも伝えました。多様性として受け入れてもらうことはできないか、環境が改善されることはないかと相談しましたが、そこでははっきりと「あなたに特性があるのかもしれないが、みんなも同じように周りに合わせてるのだからあなたも周りに合わせる努力をしなさい」と伝えられました。合わせて、あなたの反省をレポートにまとめない限りは復職手続きは取れない、とも伝えられました。

会社は多様性と公正さを謳い、自分はそれに則ったまで。なのにどうして自分だけが責任をすべて押し付けられ、改善さえ求められてしまうのだろう。休職中はずっと悔しい思いばかりで、気が休まるような状態ではありませんでした。

ただ、そもそも自分は相談先を間違えていたのだろうな、と今になって感じます。復職を諦め、最後に共有しておこうと声をかけたコンプライアンス部署には、大変な厚意に預かることができました。アウティングの件などは業務外の部分にも関わらずそういった部分まで事実を拾っていただき、自分が貫いてきたスタンスにも労いと感謝の言葉までいただきました。

そういった方々が、変えようとしてなかなか変えれないのが"日本らしさ"の悪い部分であり、それが多くの会社には理想と現実の乖離として現れてるのだろうと思います。

日本の文化に思うこと、変わる難しさ

こうした経験の裏に、自分はやはり"日本らしさ"の影響を感じます。この観点で、自分の経験を整理してみます。

同調圧力

上司と意見が異なった時は、その意見に向き合われることなく、無視や嘘などなりふり構わないあやり方で排除されたこと。同僚と意見が異なった時は、それ故に自分の姿勢や能力まで疑われたこと。そして、その環境で声を上げれば、和を乱す存在として冷ややかな目で見られること。
さらに一番大きい部分は、会社そのものから「周りにうまく合わせてください」という明確スタンスが下ろされてしまっていたこと。

これらはよく言われる同調圧力なのかな、と不勉強の立場ながら感じています。

自己責任

これは、自分が同調圧力と並んで感じていることです。今回のことでいえば、結局「適応できなかったあなたの問題です」として、ただただ改善を求められたことです。学校でいじめにあった子供であっても、いじめられる側が悪いという意見も多くあるわけで、おなじシステムは教育を出ても成り立ってるのだろうと感じます。

変わることの難しさ

"同調圧力"、"自己責任"の2つは悪い部分を切り取った表現ですが、裏側には当然いい面があります。同調圧力といえば聞こえは悪いですが、支え合いや絆という側面もあります。自己責任といえば聞こえは悪いですが、そうやって内省に勤しむ勤勉な文化でもあります。
そしてそのおかげで、会社は例外を考えず一律のルールという低コストで管理ができるし、そこに適応できなかった側に背負ってもらい一元管理することもできる。つまり、とても効率的です。

だから、これを変えることが絶対的に正しいということはありません。一つの文化です。それでも、世界的な流れを受けて変わるというのであれば、そこには難しい要因があると思います。

一つは、手がかかること。上記の通り効率化されている状態の中に多様性を盛り込むということであれば、つまりそれぞれに対して配慮をしなければいけません。個別対応をするのは、それだけ体力がかかることです。
そしてもう一つは、責任の在り処が名確認ならないことです。つまり、同調圧力は"みんな"が"ちょっとずつ"人を追い出そうとする力が一箇所に集まっている状態だとすれば、逆に一人ひとりは特に大したことはやっていないので、それぞれを切り出しても大きな問題とは捉えにく、改善を促しにくいのではないかなと感じています。

だからこそ、多様性のような問題は根っこから切り込む必要がある大掛かりな問題なのだなと、当事者として思うばかりです。

さいごに

今回は、実際のできごとをもとにリアルな話をまとめました。ネガティブな内容なのであまり気が乗る部分ではありませんが、こういう具体的な話がないと、大変さや難しさが伝わらないことも多々あるため、この機会にまとめてみました。ギフテッドのみなさまには、怖い内容に映ってしまったかもしれません。

あくまで自分の役目は"辛かった"と後ろを振り返ることではなく、前を向いて知見に変えて発信することだと思っています。そうした発信の中で、みなさまの支えになれば幸いです。

ではまた。


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