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赤と緑の色彩の奥から見える『戦争と女の顔』の真実

【はじめに】

毎年夏になると戦争について考えてしまう。

このことは過去に何度か触れたが、それは祖母が原爆によって親類を亡くしたことに起因する。

さらに実家は山口県の岩国市。そこは広島との県境であり、夏場になれば平和教育がなされる地域で、米軍基地のある町である。

晩年の祖母は時折、当時のことを語り、また現在進行形の戦争(当時は9.11が起きたのでイラクやアフガンの報道がなされていた時期)を嘆いていた。

そんな環境下で育った僕は夏になると楽しい季節の風物詩より、真っ先に思い浮かべるのは「戦争」である。

今回レビューする映画は『戦争と女の顔』というロシア映画だ。

やはりこの映画を観ても祖母のことを思い出した。それはこの季節がそうさせるのと同時に、この映画は戦争を生き延びた女性の"その後の生き様"を描く物語だからだ。

戦争は決して首都陥落や降伏では簡単に終わらない。
終戦後も生きる人々の心を遅延性の毒のようにゆっくりと侵食し、記憶がそれを浄化することはない。

今作『戦争と女の顔』はそのことを想起させ、我々の心に突き刺す、そんな傑作である。

今回はこの映画をより深く、そして重く楽しむためにレビューしていこうと思います。

【あらすじ】

舞台は1945年、第二次世界大戦終結直前のレニングラード。

戦地で受けた砲撃による後遺症(シェルショック)によりPTSDを抱えたイーヤはパ-シュカという子供と2人で暮らしていた。しかし彼女の抱えるPTSDの発作によりその子を死に追いやってしまう。

ほどなくして戦地から帰還した戦友のマーシャ。久々の再会を喜ぶ二人だったが実は彼女こそがパ-シュカの母親であり、イーヤは彼女の頼みでパーシュカの世話を頼まれていたのだった。

戦場の負傷により子供のできない身体になっていたマーシャは、イーヤの贖罪の念を逆手に取り「私の代わりに子供を産んでほしい」と迫る。

互いの中に産まれる言い知れぬ憎しみが静かに衝突しあい、それは二人の関係性を歪に変容させる。

そこには戦争という個人では計り知れぬ禍(わざわい)がもたらした哀しくも、掛け替えのない愛のカタチだけが残った。

【赤と緑の色彩が象徴する"真実"】

今作には赤と緑という二色のキーカラーが実に印象的に使われる。この二色が表している物語上の意味を考えてみると、今作はグンと面白くなると思う。

その二色の意味合いを僕はこう定義付けた。

…愛、情熱、狂気、戦争、(血塗られた)過去、誤ち

…平和、未来、正常化、隠蔽、忘却、(素晴らしき)過去

こういう意味付けと、その意味をいくつか重複させると途端にこの映画の解像度が上昇する。

劇中で印象的なのが、イーヤとマーシャが住むボロアパートの赤い壁をマーシャが緑色に塗り直すカットだ。

壁紙を塗り直すという行為は、新たなスタートや気持ちが心機一転した状況のメタだが、そこにこの二人の関係性と上記の色に当てた意味を当てはめる。

赤い壁は過去の戦争を想起させ、同時にそれは亡き息子パーシュカの存在を思い出させる。それは戦争による血塗られた過去とそこに混在する死のイメージであり、イーヤのPTSDは戦争によって産まれた副産物であり、そのせいでパーシュカに死が訪れる。

マーシャはこの壁を緑に上塗りする。
子供の産めない彼女にとって赤い壁が想起させる過去の世界は辛すぎるから、そんなことが二度と起こらぬよう壁を緑にすることで平和と正常化を欲し、願うかのように。

しかしその緑の壁が覆い隠せない"痛み"もある。
無理やりにでもそれを隠蔽し、また忘却したいという願いがいっそう強くなってゆく。皮肉なことにその想いは、まるで血が壁を滴るかの如くたっぷりと緑の塗料を垂らしている表れている(実に巧い演出!)。

たった数秒のシーンで、これほど分かりやすく戦争に翻弄された個人の心を描いた場面は他にないと思う。

もう一つ。
物語の後編でイーヤとマーシャの仲がどんどん険悪になっていくなか、ドレスの仕立てをしているお隣さんが、マーシャに緑のワンピースを着せたシーン。

彼女は久々のワンピースに笑顔と乙女心を取り戻す、そしてその様子をイーヤも愛おしく見つめるという場面。

マーシャは「もう少しだけ着させて」と願い、嬉しさのあまりスカートをなびかせるように回りだす(このシーンで僕は号泣)。

夫を亡くし、戦争に復讐心をもち従事した彼女は、まるで少女のようにはしゃぎ、笑うが、次第に涙を流し泣きわめきながらも回り続ける。

緑のワンピースが彼女の中にある女性的な部分を再び思い出させたが、それは同時に戦争の地獄を知ったこと、そして子供の産めない身体になったことを痛々しく再自覚させることでもあった。

さっきは壁を緑に塗ることで過去を忘れよう、前を向こうという意志が表されていたが、それをこのシーンは生身の人間で再現したのだ。

しかし人間は記憶と感情があるが故に、緑のワンピースを着たとしても、その色が象徴する想いのようには気持ちは塗り変わらない。

むしろ効果はその逆で、過去の苦しみを思い出させ、幼気だったあの頃とは程遠い存在になってしまったのだと自覚し泣き崩れるマーシャ。

この映画にはこういった色を通して感情や想いを描く演出が数多くあり、それがどれも優れている。

生前パーシュカが着ていたブカブカのセーターの色は?

なぜマーシャは事あるごとに鼻血を流すのか?

この映画で最後で彼女たちが着ていた服の色や行動は?

これを踏まえた上で、再度この作品を鑑賞すると、他のことも色々と分かってくるのではないか?

是非とも今、多くの人にこの映画を観ていただきたいと思う。

なぜなら戦争の影で語られない銃後の人々を描く物語こそ、戦場にいない人々(我々)に、戦争とは何なのかを強く考えさせるからである。

次回のYoutube配信(7/28の21時~)では、それらについて色々と語っていこうと思うので、ご興味あれば遊びに来てください。

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