大阪の古本屋さんで教えてもらった、書くことと描くこと
大阪の古本屋さんと言われて、ぱっとどこかのお店が頭に浮かぶ人はきっと古本通ですね。
素敵な古本屋さんがたくさんある大阪ですが、なかでも特別な存在であったのは、青空書房さんです。店主のさかもとけんいちさんが亡くなられて、もうお店はありません。
さかもとさんのことは、青空さんとか、青空じいちゃんと勝手に呼ばせてもらっていて、最後まで覚えてもらっていたのかどうか、よく分かりませんが、お店に行くとついつい長居してしまったものでした。
訃報を聞いた後、気持ちの整理がつかず、晩年お店として開放されていたご自宅を訪れることもできず、今に至ります。まだまださかもとさんの話を書く気持ちにはまだなれないのですが、最近のある出来事によって、さかもとさんの言葉がいきいきと思い出されました。
やっぱり書くには少し気合いがいるので、親しみのある「青空さん」ではなく、「さかもとさん」と呼んでみます。
さて、さかもとさんを知っておられる方は、商店街時代の青空書房に掲げられた手描きポスターを思い出される方も多いのではないでしょうか。
読むこと、書くこと、描くこと、すべてができる方でした。一度、さかもとさんに、文章を書くことを仕事にしていて、仕事とは別で小説を書くこともあると話したことがあります。
すると、「文章を書くなら、まずスケッチブックを持って、なんでも良いから毎日絵を描くこと」と言いながら、机に積み重なったご自身のスケッチブックをたくさん見せてくださいました。
人間を書くにも、風景を書くにも、目の前のものをしっかりと見れるようにならないとあかん。作家は同じものを見ても、普通の人とは違うように見えている。それは観察する力が優れていて、ものの本質を見れるからや。
観察する力を養うためには、絵を描くこと。昔の作家で絵が描けた人が多いのは、共通するものがあるからや。
描くものはなんでもいい。ほら、これは今日行った食堂から見えた景色や。こんなんで良いから、スケッチブックを持ち歩いてなんでも描くねん。下手とか上手いとか、関係ない。
そんな風に話してくれたのをよく覚えています。
昨年末、僕は小一時間でちょろっと書いた掌編と呼ぶにもおこがましい駄文を知人の古書店主に読んでもらいました。話のなかに一冊の本が出てくるのですが、その本がどんなものか思い浮かばないと言われました。
質感や状態が読み手に伝わってこないという意見をもらったわけですが、恥ずかしいことに、他でもない僕自身がこの意見にとても納得したんです。
というのも、僕自身がその本を詳細にイメージしきれていませんでした。とても短い物語のなかで鍵となるモノであったにもかかわらず、構成上必要な小道具として、小手先でつくった不良部品を出してしまったわけです。
これは文章の技術以前のことで、ひとつのモノを書くうえでの態度の問題でもあるし、日頃の過ごし方やモノの見方の問題でもあります。
このことを指摘されて、まず頭に浮かんだのが、いましがた書いたさかもとさんの言葉でした。
さかもとさんと話した後しばらくは、どこに行くにもスケッチブックを持参していたのですが、幼いころから絵を描くことが苦手なせいか、習慣化することはなく、いつのまにかさっぱり描いていませんでした。
あのときから描き続けていれば……と後悔するわけではありませんが、描くことが書くことの基礎となるということ。
ひとつひとつの物事をしっかり見ることが、書きものをする人間にとって大切であるということ。
あらためて意識して暮らしていきたいものです。
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